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「日本国家」の誰が「何の責任」を持つのかと問うとき、責任は「誰」に対して責任を持つのか?この問いかけは、責任を持つべき相手が国民一人ひとりであるならば、なぜ国家は責任を持たねばならないのか?となる。「国家」は誰であり、国民は「誰」であり、いかなる内容であれ「なぜ責任を持つのか」と言うことになる。納税する国民に対する「責任」なのか?納税は、個人の「財産」に対する保全保障なのか?そこで「財産」と言うのは、それを得る過程を含め現在の全ての経済的権利を保障する「国土とそれを保全する国家」となる。この流れで突き詰めると、日本国は「日本国民一人ひとり」の所有であり、納税によりこの国土を保全する有能代理者に委託していると考えられる。納税は、すなわち委託契約料であると考えれば、国家運営者は国民すべてに対する奉仕義務を持つ。そして国民は、日本国を、納税する一人一人が「所有者」である結論するが、どうでしょう。ご意見を聞かせてください。

A 回答 (3件)

その前に「地球とは誰のもの!?」なのです・・・



日本がどーの・・なんて問題では無い・・・

一人が この世に居られるのは 僅か約100年・・・

後は 次世代に渡さなければならないのです・・・

納税云々の前に 次世代に地球環境を良くして渡すのが 今 生きてる人の使命なのです・・

税金どーのよりも 一つでも ポイ捨てゴミを片付け 次世代の人が掃除しなくても良い様にすれば良いだけです・・・

必ず 誰かが しないと いけない事なのです・・・
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いや、まったくその通りです。

所有権という概念は若干語弊がありますが、民主主義国家は国民一人一人が出す「総和」によって支配されているといえます。

したがって、内閣や国会などの日本の最高権威は「国民からの付託」によって支持されているものであり、国民の支持を失った場合は、その責から任を解かれるということになります。

ただし、日本の場合は直接民主制ではなく間接民主制を取っているため、内閣と国会がそれぞれ国民の負託を得ているとされ、支持のバランスが崩れたときが支持を失ったときと解釈されているといえます。

また、国家運営について国民はその責任を負うのか、といえば当然に「負う」といえます。中世の政治学者であったマキャベリは「衆愚政治は君主を呼ぶ」と説いています。
国民一人一人が国家運営に参加し責任を持っているという自覚がないと、いずれ大きな混乱を招き一人の大きな力をもった君主を成立させることになる、ということです。その君主がよい君主であるならいいのですが、必ずしもそうではない、のは歴史が証明しています。(近年でいえば、ナポレオン・ヒトラー・スターリン・ポルポト・金正日・カダフィなどで、国の体制は民主主義・社会主義などを装っていますが、実態は独裁君主です)

ドイツなどは、国民が衆愚でありヒトラーの全体主義を呼んだ事を反省し、ヒトラーを二度と生まないように教育などでも配慮しています。
当時の日本の仕組みは違いましたが、逆に1942年の太平洋戦争開始時には、まだ国民普通選挙が機能しており、選挙で選ばれた内閣が宣戦布告を行った、という事実もあります。

日本国民は東京裁判で「軍部の暴走により、戦争に巻き込まれた被害者」ということになっていますが、実はそうでない可能性もあるのです。

今後、日本が自前の戦争を起こすことがあれば、それは「国民の総意による戦争」であることに他なりません。
翻って

>「日本国家」の誰が「何の責任」を持つのかと問うとき、責任は「誰」に対して責任を持つのか?
を端的に答えれば、

「日本の国家運営において、自国の存続(自分たちの子孫)と世界(中の人々)に与える影響について、日本国民が責任をもつ」
ということになるのです。
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この回答へのお礼

長文に亘るお考えを頂き、感謝いたします。
「日本国民一人一人が、責任を持つ」という視点には、誰しも共感することでしょう。
今一つ「何の責任」と言う事では、「責任を果たさないこと」に対する国民としての存在権が、「誰」によって否定され、排斥されるのかという疑問でした。
ご意見を伺ううちに、「民主主義」の個人の自覚のもとでは「自主責任・自己責任」が問われるという場面を思い出しました。
これは反面では、「自己責任であるからどういう結果でも自分で負う。故に『人が勝手にしてることだからほっといてんか!』と自儘な自由主義」となりやすい境界線が、「それは違う!」という「理由」としての反論を明確にしていないことを示しているかもしれないと考えてしまいます。
ご回答を拝見するうちに、今後は様々な状況を踏まえ、具体的に質問をさせていただこうと大いに考えさせられました。ありがとうございました。

お礼日時:2015/03/19 19:25

どうなんだろねぇ・・・。



 よく民主主義を例える話としてはよくあるけど
民主主義においては1人1人が、その国家に所有権を持つ
 とは・・・あまり聞かないなぁ。

この所有に関してはよく突っ込まれるのは
 『自分の所有物なんだから 何をして良い』つまり権利はあるけど、義務が発生しない
 との解釈になるんすね

他に一番よく見る例としては
 『国民1人1人が 国家に対する王である』
  これは、権利と同時に国政に携わる王としての義務が発生する
   と解釈される事が多い

個人的にも所有者よりもいいと思うし、他の政治学者も民主主義を説明する言葉として『所有権』を
例にだす方は自分はあまり知らないなぁ
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この回答へのお礼

ありがとうございます。
凄く明瞭なご回答に、嬉しく思っています。
民主主義に「民主主義国民の所有権」を認め合う不文律がありますが、「本来国家は国民共有の所有物」であるとの概念が明確ではないということを、改めて実感しました。
これは大きな収穫であり、感謝いたします。
また、お時間があるときご意見をお聞かせください。

お礼日時:2015/03/19 19:30

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