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アスペ当事者です。ふと疑問に思いました。
アスペルガーは空気を読んだり、人の感情の機微を上手に捉えることができないのが、障害ですよね。そのせいで社会生活に支障が出るから。

でも、健常者の立場から見れば「失礼なやつ」「無礼なやつ」と見えるのではないでしょうか?
障害だから分からないのは仕方が無いのです。それは私も実感しています。理解したくてもできない・どれだけ努力しても並にすら及ばない。
思考回路が違うため同じやり方を真似ても、改良しても結果は芳しくないです。
自分が気付かないだけで、周囲の人を不快にしているのだと思います。
周りの普通の人の「犠牲」の上で生活しているんだろうなとも思います。

それって正しい姿なんでしょうか?
障害があるから相手を傷付けてもいいとはなりませんよね。傷付けられた側からしてみれば傷害の有無ではなく「傷付けられた事実」こそが大事な部分ですよね。
私たちがルールを学び、それを守ることが必要、というか当然なのかなと思います。だって健常者の枠組みの中で生きているのですから。
何をやってもダメなら、できないことが障害なら、アスペルガーの側から身を引くべき(社会と最大限度関わらないように)ではないのでしょうか。死ぬことも選択肢として。

なぜ、既存のルールやあり方を守れない障害を、健常者の人は受け入れないといけないのでしょうか?

教えてください、お願いします。

質問者からの補足コメント

  • >なのにその相手の気持ちが理解できず甘えるだけの人間だったらモンスター障碍者ですよ

    この相手の気持ちが理解できない、察せられないのがアスペルガーの障害特性なんですよ。別にモンスターになりたいわけではない、気付いたらモンスターになっていたというわけです。
    これが、身体の障害者の方との最大の違いだと思います。
    身体の方は、基本健常者のルール(一般的な思いやりや空気を読む等のことです)の中で生きているでしょう?
    障害を補う助けは要りますが、社会性としては同じルールの上に立っていませんか?

    アスペ・発達と呼ばれる人の多くは、そのルールの外にいるんです。何故そうなるのか、どう理解していいかに苦しんでいます。分かろうとしても、元の入ってくる情報が普通の方とは違うので、上手く適応させられないんです。

    お礼に書ききれなかったので、補足しました。
    これで、上手く伝わることを祈ります。有難うございました

    No.5の回答に寄せられた補足コメントです。 補足日時:2015/04/24 22:07

A 回答 (16件中1~10件)

No.11のものです。



お礼をいただき有難うございます。

人格障害と呼ばれるものや発達障害と呼ばれるものは、家庭環境や幼児教育などが

原因で生じているものだそうです。

正常な人間を生み出すためには、細心の注意を払った育成が必要と言うのが最近に

なってわかってきたんです。



ここで忘れていはいけないのは、それが本当であるならば、

昔からそういう人はいたと言う事です。


コミュニケーションにおいて人を不快にさせる人は沢山いたはずです。

成長の過程でスムーズにこれを修正できた人もいれば、

そうでなかった人もいたでしょう。

自己発見と指導によるサポートで為すしかありません。

(ロボトミーと言うのも考案されたそうですが、人道的ではありません)

投薬によって改善する疾患の類もあります。


しかし新種の病気じゃないということです。

概念として社会(とくに親や教育機関)に注意喚起をするための用語であり、

患者個人に対して意味がある言葉じゃありません。


そうした若者を作り出さないようにしようという話です。


人を不快にさせるのは誰でも嫌です。

ここにおいて、皆が努力する部分は同じであり、

病気であるので出来ないという話に飛びついてしまうと、

全ての人が同じ何らかの障害を持っているという認知を得られません。


次にこの努力の正体です。



厄年付近でしたが、

わたしも人の気持ちがわからず、多くの人に嫌われておりました。

自己愛性人格障害に類する障害です。

親がこれで大変悩んでいました。

最後にわたしが思ったことは、

「神さま、もうこんな自分は嫌です。

 私は消えても構いませんから、いま取り組んでいる夢を無にしないでください」

という心からの願いでした。

これをやったため、その人格は本当に私の中から消えて死にました。

(眠りについたと言う事)

今思いだしますと、(交代した今いる)

私は、切なくて心の中で泣きました。

彼が悪いんじゃないと。


切り替わって分かったのは、

「え、大人って誰もがこんな思いをしているの?これが普通ってこと?」

新しい人格の知性は、多くの物事を性格に教えてくれます。

子供時分の自分が、成長を望んで自らの死を選ぶ。

自分よりも善を選ぶ勇気。


こうした葛藤が心の中で誰にでも生じており、多くの人がなしえている。

それがわかって、一人一人の人間を凄いと思いました。

なにせこれを黙って生きていたわけですから。


普通に大人になるためには、

全自己否定による精神的な死を経験しないといけません。

一定の年齢になるとこうした本能が生じます。

子供時代の人格は、肉体の主である自分を捨てたくないと粘ります。



このときに、認知力が著しく低下します。

不注意になり自滅事故が増えます。

こういうものを昔から厄年といっていました。


これを超えて生まれ変わったように能力が向上する人は、

その内部で切ない死がおきたと言う事です。

子供の心は自己犠牲を大変嫌がります。

いずれ訪れる選択。運命だからですね。


一人一人は凡庸でも、一人一人が正しく成長していくと言う事は、

その人の心の中では英雄的なドラマが生じているんですよ。


これが昔から普通にあり、誰もがなしえているんですから。

すさまじいですよね。


乗り越えた人は、この次元を基準にして、努力しろと言っています。

肉体的な自己保身をするのは是ですが、

精神的な自己保身をするのはよろしくない。


この特徴を示すのは、子供の頃の心が未だに肉体を支配している人です。

切り替わった人格には、精神的な自己保身をする機能がありません。

感覚的にわからなくなります。


仕方ないんだと言う良いわけが面倒に感じます。

まるで引き出しの奥にしまってあるような感じです。


子供の頃の知性と大人の知性では格段に差があります。

これは認知力の面で違ってきます。


人は徐々に成長しません。

いきなり切り替わります。

自らの精神を守らないと誓う。

これを子供の人格が選ぶと言う事。

ほぼ不可能な選択ですね。しかしそれをして、始めて報いがあるのです。



いまがどうであれ、次の人格は同じ欠陥を持っていないと思いますよ。

普通の大人が当たり前にやれてきたことです。

自慢もなりません。




以上、ご参考に成れば。
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この回答へのお礼

度々ありがとうございます。

色々と、私の持つ知識や経験と違う部分もあり、反論というか素直に全てを受け入れられない部分もありますが、なるほどと思う部分、受け入れたいなと思う部分も多々あります。
ご指摘とは異なるかもしれませんが、そういう部分を少しずつでも受け入れて行けるように、頂いた回答を折につけて読み返してみようと思います。

本当に何度もありがとうございました。

お礼日時:2015/05/03 08:33

No.11のものです。



いや、抽象概念と絡めて考えられるなら論理的であるといえます。

特殊な部分に特化して得意であり、他の部分での感覚がない。

こうした特徴があるとされています。

ただし、似たようなものを全部アスペルガーと呼んでいるので、これに関して

確かにクレーですね。

攻撃と防御の出題で攻撃と感じたのならば、認知症もあるのじゃないかと思います。

高い知性を発揮しても(高いといっても一般よりと言う程度ですが)、

認知上での障害があって、このせいでコミュニケーションが阻害されているという

ケースはあると思いますよ。

高学歴の方がウツ状態になったり、高ストレスになると、そうなります。

寝起きくらいに能力が下がっても、一定の知力は発揮できます。


頭脳の回転や連想による関連性を作るあたりは、脳の状態が良好でなくても可能。

これは修練をしていると惰性で動きます。

ただ完全に統合されている状態ならば、認知のほうが高まっているはずです。


「それをやっていったい何の得があるのか?」

「本来自分がはたしたい目的に沿っているのか?」

という考えが先にたち、ロマンチックな選択をしません。



人の能力は多重人格で支えられていて、その一つ一つに能力が定まっています。

アスペルガーは、その切り替えができないという感じですね。

似たようなもので、人を恨むという性格で固定されている人もいます。

この場合は、アスペルガーとしないようですが。

正常な人は多くの人格を持っていて、これの切り替え制御が出来ない状態です。

だいたいにおいて無作為に出現し、

気の毒な人は、シーンにそぐわない逆の人格が

必ず出現するように成ってしまっています。

40歳を過ぎたあたりから、これらの人格を統制して、切り札を切るような感覚で

適した能力を発揮するようにできます(できるひともいる)。

それまでの間、満遍なく鍛えておくというのが良いらしいです。


これは間違いないというくらいアスペな人と話しましたが、

もはや質問者さんの様な次元じゃないですよ。



質問者さんは、

40歳か30歳手前の厄年付近で、慢性的なストレスにより、

知力が全体に低下している状態の高学歴者という印象です。


他の人とコミュニケーションも取れているように思えますし、

単に人の気持ちに配慮が出来ていないだけじゃないでしょうか。


ちなみに、アスペルガーでありたいと思えば、誰でもアスペルガーの診断を

得られると思います。

これは他人の苦情により、苦情を申し立ている人に説明するための病名です。

本人が積極的に申告するようなものじゃないでしょう。

本物は自分がアスペルガーであることが分からないはずです。


良く考えれば分かりますが、突発的な変異で最近になって生じた病気じゃない

と思いますよ。


太古からあったはずです。

その人たちは別の呼び方をされていたんじゃないでしょうか?

こうした方々に別の呼び名を与えたものだと思います。


偏屈です。



偏屈な人は、人の癇に障ることをいい、不快な思いをさせることが多い。

しかし、特技が無いわけではないので、人と話す機会もある。

これで他の人が感想を述べる。

偏屈な人だった。


この程度じゃないかと思います。

コミュニケーション上での損得も視野に入れて、人の気持ちに配慮できればいいんですが。

そこまで知力が高くない。結構中途半端がわざわいしている。

誰かが間違っていそうだと思うと、指摘せざる終えない。

この誘惑に勝てない状態でしょう。


ストレスがたまり、認知力が落ちるとそうなりやすいですよ。


偏屈にならざる終えない、何かがあるんじゃないかと思います。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

なるほど、偏屈ですか。そういわれるとしっくり来ます。

私の言われていることを、偏屈で言い換えると、違和感がありません。言い得て妙、自己説明で使わせて頂きます。

>偏屈にならざる終えない、何かがあるんじゃないかと思います。

これを探してみようと思います。
中々一気には消化し切れませんが、回答でいただいたこと、勉強させて頂きます。
私には無い知見を教えて頂きありがとうございます。

お礼日時:2015/05/01 10:39

>どこまで努力をすれば



一生です。誰もが皆、一生、努力しています。
日々、成長しようと皆、努力して生きています。
そもそも、あなたや発達障害を信じる人達の共通点は、
ラクしたいと言う気持ちが強い事です。

自分達はものすごく努力しているとアピールはすごいんですが、
客観的に見て、あなた方がしている努力とやらは皆、している事なんです。
ごく当たり前だと思って。
それをあなた方は自分達だけがものすごく努力していると勘違いし、
他の人は皆、楽に生きているんだろう、なのに、自分達はものすごく損している、
不公平だと愚痴り、そうして思いついたのは、
自分達が「障害者」だと言えば、多くの人が同情し、
きっと自分の人生を楽にしてくれるだろう、
支援をたくさん得られるだろうと「ズルイ手段」を考え出したわけです。

だから、あなたは言いました
>仕事上の助けを求めるべき上司は自分で手一杯で動けず、
>公的機関も病院も、妻の実家も私が飛び降りるまで「あなたの頑張りが足りない」「相手に望みすぎ」などと、誰も私を助けても、導いてもくれませんでしたよ。

最初から自分で自分の人生を何とかしようとする意思がないのです。
自立する気がまるでない。

誰も自分を助けても、導いてもくれない。

自分を助けるのは自分です。
自分を導くのも自分です。
自分で考え、自分で調べ、自分で試行錯誤し、自分で正しい生き方を常に模索する。
そして、生きる為に、幸せになる為に皆、努力する。

それが死ぬまで続くのがこの地球上、すべての生物に課せられた使命です。

植物も動物も、誰も助けてはくれません。
自分の力で芽を土から突き出し、自分の力で餌を取る為にさ迷い歩く。

あなたは皆、誰かに助けてもらい、導いてもらって人生を楽に歩いているんだ、
自分だけがこんだけしんどい思いをして、生きているんだ。
なぜなら自分は障害者だからだろう、
だったら、障害者をもっと労わってくれてもいいじゃないか、
助けてくれたっていいじゃないか、他の皆みたいにラクに生きられるようにしてくれよ、と
大きな誤解をして、いつまでも赤ん坊のように駄々をこねていれば
誰かがあやしてご飯をくれるだろうと待っている

それがあなたの本音じゃないんですか?

あなたが飛び降りたのは、死ぬためではなく、少なくとも抗議的な復讐もしくは脅しですよね?
自分で現状を打破する意気地もなく、正当な打開案を出すわけでもなく、
とりあえず自殺未遂してしまえば相手は驚いて何も言えなくなる。
とりあえずすべての責任を放棄してしまえば相手はもはや何もあなたに求めなくなる。

むしろ、ちやほやと腫れものに触るように楽な道を提供してくれる。
「いいよ、いいよ、君は努力しなくても、働かなくても」と言ってもらえる。

その言葉をあなたの本音は求めていたんじゃないですか?

それでいて、ほとぼりが冷めたら、なんとなく物足りなくなってきて、
人並みの幸せが欲しくなる。

努力はしたくないけれど、人並みと同じような生活がしたくなる
勝手なものです。
耕しもしないのに、おいしい実を欲しがり、水をやりもしないのに
美しい花が咲くのを見たいと言う。

田畑を耕す人はどれだけ努力して耕していても、ある日突然、災害にあったり、
害虫にやられて収穫ができないこともあります。
それでもやめず、コツコツ、田畑を耕します。
あなたはそれを放棄して、どこまで努力しないといけないのかと文句を言い、
それを簡単に投げ出す。

あなたの言う努力とやらは、すべて自分の為にしていることです、
自分が幸せになる為にしている努力です。
誰の為でもない。
それを苦だと思ってる時点で、あなたはまるっきり「堕落している」んです
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この回答へのお礼

何度も回答を頂きありがとうございます。

あなたが描いているのは、普通の人ではなくて超人の類ではありませんか?

>田畑を耕す人はどれだけ努力して耕していても、ある日突然、災害にあったり、
害虫にやられて収穫ができないこともあります。
それでもやめず、コツコツ、田畑を耕します。

私は農業をしたことがありませんが、強い違和感を感じます。災害時には政府からの支援もありますよね。農業を学ぶための学校もあり、地域の共同体というものもあります。
自分ひとりでは成し得ない事、耐え切れないことを共同体として助け合う。その代わり自分も共同体に貢献する。その持ちつ持たれつが、本来の社会性でしょう。
あなたのご意見を拝見するに「何でも個人で解決しろ」とお考えのように思えます。
こういう例えは不謹慎ですが腕の無い人に「手を使って食事をするのが当たり前だ」と強要するのと、大差ないようにすら思いますが如何ですか?

>あなたは皆、誰かに助けてもらい、導いてもらって人生を楽に歩いているんだ、
中略
誰かがあやしてご飯をくれるだろうと待っている<

それは、だれでも程度の差こそあれ思いませんか?効率的な努力という方向で落ち着くとは思いますが、私たちはその努力の方向性が違うのだと思います。それを捕まえて努力の仕方が違うとか、楽をしたがっているというのは乱暴ではありませんか?

>むしろ、ちやほやと腫れものに触るように楽な道を提供してくれる。
「いいよ、いいよ、君は努力しなくても、働かなくても」と言ってもらえる。

その言葉をあなたの本音は求めていたんじゃないですか?<

そんなもの求めるほど余裕はありませんでしたよ。今踏みとどまりあなたの言う「正統な解決案」をしてしまえば、自分という存在を守れなくなると思っただけです。死ぬつもりは本気でしたよ。死ねなかったのは結果でしかありません。

あなたは、努力すればなんでも解決すると思っておられますか?それをすることが当然と思っておられますか?
何でもというのは比喩ではなく、本当に「何でも」です。

あなたの回答は、とても興味深いのですよ。私はアスペルガーですから、あなたの考えに賛同することは出来ませんが、あなたのようなか方が何を考え、どういう理由で回答のようなことを思うのかに強い興味を感じます。
もう少しお付き合い願えれば幸いです。

お礼日時:2015/05/01 10:30

No.11のものですが。



著しく合理性に欠ける人もアスペルガーと同じコミュニケーション障害をもちます。

質問者さんはアスペルガーじゃないのではないでしょうか?

質問文を読んで思うのですが、アスペルガーの人として捉えると違和感がありました。

人は感情的なコミュニケーション、合理性によるコミュニケーションのいずれかで

物事を認知します。


このどちらも出来ない人は、連想により物事を認知します。

これで社会生活をしようとしますと、一般の人よりも物事の理解が遅くなります。

昨今は、感情面、論理面の双方で発達障害が生じているケースが増えており、

アスペルガーよりも苦戦しています。


アスペルガーの場合は、論理性に優れた資質を持ち、これを活かして活躍するケース

が多いという点で特徴的です。

アインシュタインがアスペルガーであったと言われています。


どちらも出来ない人もアスペルガーの人の様に苦しみます。

論理面で優れた特質があるので救いがあるというのがアスペルガーです。

どちらも出来ない人は認知上での問題があり、

認知症を疑ったほうが良いでしょう。



ご自信をアスペルガーであると認知間違いをしているのではないでしょうか?
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

一応医者からはアスペルガー症候群と診断されております。
IQで見ても、理解や単語、知識などが飛びぬけて高いです。周囲からは論理的とか理屈屋と見られています。

ただ、大学の論理学は苦戦しました。数式に弱いので、どうも説明は出来るけど回答が着いて行かない場面が多かったです。それでも同じ講義を受けた人の中ではトップクラスだそうですが。

正直、自分では論理的というより、抽象概念を言葉として絡め取るとか、イメージの置き換えなどのほうが得意な気がします。

アスペルガーとしては変なのでしょうか?

お礼日時:2015/04/30 20:54

自分は統合失調症の患者で、アスペルガー障害の人と付き合いをしたことがありました。


その方は、頭が良く、社会的な適応力もありますが、ご結婚なさってはいません。
自分にとってはある意味、尊敬する人でした。
ところが、発病後にその人と距離を置き、その思考に「共感」できませんでした。
「尊敬」はしましたが、「共感」できなかったんです。
もし、その人が年上でなく同じ年で、もし、その人が自分より頭が悪かったとしたら、きっと「排除」していたでしょう。
結局、同じ道は進みませんでしたから。
アスペルガーの方と同じ仕事をするとしたら、「上下関係」になると思います。
自分が下でアスペルガーが上で。
アスペルガー障害の方で特に困るのが、このような「下」になった場合ではないでしょうか。
「上」または「単独」でいる場合は、仕事に困りませんが、「下」になった場合、「叱られる」とか「軽蔑される」のがお嫌なのだろうと思います。

アスペルガー障害の方自身の能力は、その分野においては、ほとんど抜きん出ています。
それを伸ばすことが出来たら、「上」または「単独」になり、「下」にはなりません。
アスペルガー障害はカミングアウトすべきです。
それをクローズで仕事に就くと、「下」になるからです。
上司または雇用主にカミングアウトすれば、適材適所が可能だと思います。

人間、誰しも「下」にはなりたくありません。
自分は、「上」にはなりたくありません。
「責任」を誰よりも大事にするのが、アスペルガー障害の「良さ」だと、私は思います。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

上下関係ですか。私も気付かないうちにそうなっているのかなと、自省します。
ただ、確かに下というか事細かに同じようにしろというのは苦手ですね。
もしかしたら、定型発達のかたとの関係性も、この糸口から新しいものが見えてくるのかもしれません。
何だか、本来の質問から離れたやりとりになっていますが、参考になります。

回答有難うございました。

お礼日時:2015/04/30 13:28

合理的に考えると大した不利益じゃないからですよ。



業務や責任範囲を全うできない場合は、そこで定められたルールでリスクを負わせます。

それ以上罰するとコストがメリットがありません。

身体障害者に対して配慮をするのは、身体的な弱者に配慮した製品やサービスが、

一般の人にとっても楽であり、新しい観点として価値になると気がついたからです。

これに関しては、マーケティングの本を読むと書いてあります。


感情について振り回されると、心だけではなく身体も損傷し、社会貢献をする可能性

を失ってしまいます。

そのため感情面でバランスを保つのは個々人の責任の範囲であり、

自分が不快に思うのは自分の成長が至らないからであると言うのが正しい常識です。


より多くの富を得たい場合は、こうした成長途上の人にも配慮をし、

そこから利益を得るための交渉をすることが推奨されています。

これにより取引の対象とする母体が大きくなりますから、

同じ価値のものでも多数に提供することで、富を集められます。


例えば商業漫画雑誌の1ページは0.5円くらいの価値しか認められていません。

この内容が子供や子供の心を失わない成長途上の人に配慮したものであれば、

購買層が広がり、パイが大きくなります。

これらを研究するチームが存在し、この人達が富を得るために努力をしています。

これはビジネス一般の取り組みであり、例えばなしですが、

その分の対価を得ることが出来るのが社会の仕組みです。


健常者だからといって、こうした取り組みの中で活躍できるわけではありません。


人をおもんぱかって人に配慮し、さらに富を得るレベルに達するには、

自分の感情を傷つけ続け、最後は自らの心が自分の合理性の邪魔になると

気がつくレベルに達しないと中々出来ません。

そこに至る過程で、他の人と衝突するからです。

利害関係にあると言う事です。


利害関係の中では共闘以上の義務が発生しません。

しかし感情が原因で派閥が生まれることもあります。

その他の出身や文化や考えの違いでグループが出来上がるでしょう。

アスペルガーの方に関わらず、

健常者であっても、グループの不利益になる場合は、排除されるのが普通です。


しかし、自分を排除したグループが世の中に貢献しているとは限りません。

世の中に貢献をしないグループであれば、競争により社会から排除されます。

グループが消失し、個々人は他のグループへ所属することで生き残ります。

ただし、社会から排除されたグループに適合した性質を持った人が、

社会に適合したグループに適合できるケースは少ないでしょう。


私は自分の感情が邪魔であると思いますが、

この感情を他の人の行動理解のシミュレーションとして使えることを知っています。

これを活用することで、幾ばくながら不利益を防ぐことが出来ます。

アスペルガーの方が不利なのは、

こうした活用方法を目指そうとしても、上手くいかないということでしょう。


次にもっと本質的な話をします。


それでは一つ確認します。

Q「攻撃と防御という概念がある。

  火の様な激しい敵の攻撃を、烈火のごとく相殺するA」

このAの行為は攻撃か防御か?

この問いを発したとき、攻撃と答えた人がいます。

はたして、あっていますでしょうか?


Qの質問に対して、防御と答えた人であれば、取り合えず支障がありません。

ですが攻撃と答える人が多数いるんですよ。


理由を聞きますと、

「攻撃は火のイメージ。防御は静かな水のイメージです」

と答えられました。

おかしいとおもいました。

もしかして? 言葉そのものを活用できていない?

そこで、笑顔で優しく、辛らつな皮肉を述べ続けました。

すると、嬉しそうに興奮します。やる気が出てきたようです。


40歳を超える人です。

一見して普通に見えますし、友人もいます。

これは異常ですよ。


こうした方と話をして困るのが、

私「何故、そうしたんだい? 理由があるだろう?」

彼「済みません。失敗しました。以後気をつけます」

私「いや、そうじゃない。理由が知りたいんだ。

  理由が分かれば、私も努力できるだろう?」

彼「許していただいて、有難うございます」

私「いや、そうじゃなくて・・・」

彼には明らかに合理性が欠如しています。

アスペルガーの方は人の感情が理解できないという欠点があるそうですね。

しかし、世の中の大多数は合理性が理解できないという欠点があるんですよ。

一定の年齢に達したときは、感情面を抑え、合理性のみで意思の疎通を図るのが

争いを避ける常套手段です。

飢えて腹が減っているときは、争いが耐えません。

損出がすくなければ、その分余計な労力が生じません。

多数の人の腹を満たしておけば、安心して夜眠れるというものです。

私たち大人は、この合理性に従い、共闘を選択しています。

これの集合体が社会です。

しかし、共闘ではなく所属を望み、貢献ではなく分配を要求する人も多数います。

このかたがたは自分の中に合理性と言う感覚が無いのを自覚しています。



先ほどの例の”彼”の家にいったことがあります。

書棚に論理学の本がおいてありました。

話を聞くと、別の人から論理性がないと言われ悩んでいたとか。

そこで論理を学ぼうとして努力したそうです。

結局、感覚が自体がなく、最後まで理解できなかったので諦めたそうです。


私たちは、合理性と共感の二種類を用いてコミュニケーションを図ります。

共闘を図るためです。


合理性しか理解できない人は昔から少数いたのです。

そして印象と感情でしか理解できない人も昔から多数いたのです。

健常者と言うのは、合理性と感情での二つの理解をすることができ、

合理性により感情を操ることが出来る人です。

この能力は昨今EQと呼ばれています。


合理性が無いばあい、高い次元で共闘できません。

しかし、これを罰する必要は無く、最終的に当人が得る富に還元されます。

民主主義と資本主義の併用は、そうした実験の中で主流になりつつあります。


個人の資質に類するものは、伝染病と違って他に複写されません。

だとしたら個人の人生の中で見合った罰則にすべきです。

社会全体で罰を与えるのは、コスト的に見合いません。

質問者さんが勘違いしているのは、自分に際立った欠陥があると信じているところです。

本来は、合理性により共闘するのが正しいあり方です。

富を味わうときに、感情を使うのが普通でしょう。


そこで訓練不足の若者には、感情面でのコミュニケーションを使い、

合理性でのコミュニケーションを学ぶようにと話しかけます。

一定数の割合で、これをしても駄目な人がいます。

合理性という感覚を理解できない障害です。

これを病気に認定すると、数が多すぎて、病気と言う概念そのものが成立しません。

しかし現実にある不利益であり、過去から連綿と人間が苦しんでいます。

この大きな障害に対して、歴史上の全ての社会が取り組んでいるのが現実です。


本来の健常者ならば、

若輩と思われる相手には感情を使い、

アスペルガーの人には合理性によりコミュニケーションが取り、困りません。

そのため、アスペルガーと言う障害は無いはずなんです。

しかし、

昨今になり、

合理性の欠如が著しい大人が増加し、社会の要まで占めるようになっています。

勿論、攻撃と防御の区別がつかない状態で、働くなど不可能です。

この方がたが適応障害となり、メンタル疾患で社会からドロップアウトをして

います。


そこで考えてみてください。

自分とコミュニケーションを取れない方は、本当に健常者なんですか?

そのあとドロップアウトしていませんか?


別の病気の人に対して、自分の病気を訴えているとしたら愚かではありませんか?

その方も人知れず苦しんでいるかもしれません。



そちらの障害保有者が多く、国は少数派であるアスペルガを重要視していない

のだと思います。



アスペルガーの方と論理性の無い方と共に接して不快に感じない人が、

本来の人間であり、健常者ですよ。


論理性を持たない人ほど、アスペルガーの方と上手くいきません。

相手の論理適応力が問題であり、

だから仕方ないのであり、

アスペルガーだから仕方ないのではありませんよ。


アスペルガーの方には、正しく目的を伝え、

論理を伝え、手順を伝えることが大事です。

一つ一つについて気を使わずに、良い悪いを伝える。


合理的な理由がない場合は、それを伝え、

相手に合わせるために拘らずに、やるように伝える。

理解できないときは、こうしておけと対処を言う。

こうすると、その通りにしますし、不利益などありません。


合理性が無い人はこの様に接することができません。

勿論、それが出来ない自分に悩んでいます。

だから空気を読めとか、いっちゃいます。

実際はその方々にやはり欠陥があるのです。



さて世の中の標準は、目的と手順で出来ています。

何故アスペルガーの方が不利益になるのか理解できませんよ。

もっと不利益になる人が多数おり、これが許されるならば、

どこも変じゃないし、これを咎める労力は、論理性を欠いている人に回します。



以上、ご参考に成れば。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

とても興味深い回答でした。何度か読み返したのですが、自分が全部を理解できた自信がありませんが、今までの自分には無かった考え方だと思います。

ただ、私はアスペですが、合理的思考をもっているかというとどうも違う気がします。
>火の様な激しい敵の攻撃を、烈火のごとく相殺するA」
という設問、私も「攻撃」だと思いましたから。
烈火のごとき相殺が、過剰防衛と認識されたからです。相手を上回る炎で、相手を飲み込むことが相殺なのなかぁと考えてしまいました。

また、何度か読み返して、お考えの一部なりとも吸収したいと思います。

有難うございました。

お礼日時:2015/04/30 13:23

>アスペルガーというか、発達障害という障害がある事を認めない人たちがいることは、存じています。

ただ、ご指摘の医者の話は初耳です。
>もし宜しければそちらの資料について教えて頂けないでしょうか?

http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question …

http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question …

http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question …

http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question …

上記の質問形式の記事に外部資料も貼ってあります。

下記は、件の医者の概要と著書です↓
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%AC% …

http://www.amazon.co.jp/%E3%80%88%E6%AD%A3%E5%B8 …

http://matome.naver.jp/odai/2141446869118667501? …
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この回答へのお礼

資料を教えて頂きありがとうございます。

知恵袋のはどれを見ればいいのでしょうか?向こうの質問者の方は大分叩かれていましたが、どう理解すればいいでしょうか?

リンク先はざっと見させて頂きました。
件の医師が言うことが真実であるのなら、もう少し賛同者や大きなうねりとなってもいいのではないかな?というのが私の正直な感想です。

私自身、精神医学は科学よりは文学や哲学に近い存在だと思うので、現在の医学のありがかたに疑問を持つ部分はあります。でも、それでもアスペルガーは「無い」とするのは無理があるように見えますが?
わが国でも先般、発達障害者支援の法律が出来ましたよね。世界的にもあるらしいと聞いています。それに苦しむ人もたくさんいます。助けようとしている人もたくさんいます。
それらの国や人は皆、騙されて、踊らされているというのでしょうか?

私が言うのも変ですが、ご意見が大変偏っているようにも思えます。
もう少し大きな度量で私たちを見て頂けると幸いです。

質問とは大分ずれたお礼となり、申しわけありません。
アマゾンで紹介されていた本、図書館で捜して見ます。

回答有難うございました。

お礼日時:2015/04/30 13:07

>努力しても上れない人がいる、と思うことは出来ませんでしょうか?



努力する方向が間違ってるって思うことはできないんでしょうか?

明らかに睡眠時間を削る必要がどこにあるんでしょう?
そんな努力は無駄だと言っています。

むしろ、害にすぎないことを必死にやって、やらなければならないことを
あなたは避けてきたために、結果が伴わない。

わたしの知っている人は職場で皆から嫌われています。
仕事は別にそれほどひどいわけでもミスがあるわけでもないのですが、
明らかに自分勝手に仕事を進める。
スピードを求められている仕事に、無駄な確認に時間を取ったり、
やってほしいことをしてなくて、やらなくていいことを先にする。

目的を間違えているのです。

でも、それを注意しても素直に聞きません。
自分が正しいと思いこみ、それにプライドを持っています。
いっぺん、自分が間違ってるんじゃないか、素直に言われた通りにしたら
案外、楽にクリアできる事なんじゃないのか、
だって、皆、同じ人間なんだし、時間はかかってもちゃんとコツコツしてたら
できるんじゃないかと考えられませんか?

自分の理想はおいておいて、とりあえず目的は何か、何を求められているのか
相手が言ってる事が道理として正しいのか、それをまず考えて
行動したら、案外、あなたのやってることは結構、無理、無駄、ムラだらけなんじゃないでしょうか?

わたしは一生懸命、やって自殺未遂までしました
だから、努力してもできないんです、はあなたがちゃんとやったという証拠にはなりません。

たとえば、借金だらけでにっちもさっちもいかなくなり、
死ぬほど仕事をして返そうとしたけれど、どうにも借金が返せなくて一家心中しようとしました
だから、わたしは借金を返せないんです。と言う人に、
わたしなら
「じゃあ、破産申請してとりあえず借金、チャラにしてもらったら?
あるいは民事再生手続きって法律もあるから借金、減額してもらうこともできるかも
いろんな方法があるから、ね。
借金する方も悪いけど、返す当てもないの知ってて貸す方も悪いからね
生きるためにはいろんな知恵や方法を模索して、借金返すのが目的だと忘れなかったら
命で金を補う必要はなくなるよ」とアドバイスしますね

それと同じです。
あなたはわたしはあらゆる努力をしました、だから努力しても出来ないんです、といいますが、
あなたは神様でもないんだから、
「何でも正しい知恵や方法をあなただけがすべて知ってるわけではない」

世の中、広いんです。
もっと探して、考えて、相談し、努力すれば、いろんな知恵や方法が出てきて、
案外、簡単に答えは見つかったり、出来ちゃったりする。

それが人間の成長なんです。

成長する事を放棄して、最初から自分の能力に自棄(=やけ、自分を棄てる)になり、
わたしはできない、わたしには無理って言う人は傲慢だと思います。

確かに試行錯誤する時は、誰だって辛いし、苦しいし、悩みもつまづきもする。
面倒だし、腹も立つし、みじめだし、みっともないし、恥ずかしいし、
悲しいし、さみしいし、何もかも投げ出して死にたくもなる。
人間の感情だから仕方ないです。

でも、そんな感情にくじけて負けて投げ出すことの方がよっぽどみっともないし、
幼稚だし、情けないし、悲しくありませんか?
できないまんまで死んでしまい、「ああ、あの人、やっぱりできない人なんだわ」と
レッテル貼られて多くの人に忘れられてしまうより、
「昔はとんでもなく間抜けな人だったけど、今じゃあの人、立派に成長したわね」と
言われたくありませんかね?

悔しくないですか、自分に?

そういう意味で下に回答したんですけどね
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この回答へのお礼

何と言いましょうか、返答に困ってしまいますね。
>世の中、広いんです。
もっと探して、考えて、相談し、努力すれば、いろんな知恵や方法が出てきて、
案外、簡単に答えは見つかったり、出来ちゃったりする。<

これを言えば、たぶん世の中の全ての人は失敗=努力が足りないと言い換える事が出来るのではないでしょうか?
どこまで努力をすれば、何が正しいのか、それらは結果論であり、私の場合でも結果から遡れば「別の回答」はあったと思います。でも、それはいろんな情報が明らかに成ったあとの話ですよ>歴史のifです。
実際には毎日の仕事上の無茶振りと家庭での育児放棄気味な妻。仕事上の助けを求めるべき上司は自分で手一杯で動けず、色んな人を巻き込んで助けてもらい、ギリギリで運営している職場。公的機関も病院も、妻の実家も私が飛び降りるまで「あなたの頑張りが足りない」「相手に望みすぎ」などと、誰も私を助けても、導いてもくれませんでしたよ。その時に違う答えや目的なんて見えませんよ。

職場での事例を引いておられますが、彼はそうすることに「意味」を見出しているのではないですか?そうしないことのデメリットが大きい。もしくは出来ないと判断して、そうしているのでは?
私も人から「???」とされることをしますが、それには理由があります。アドバイスをもらっても、アドバイスどおりにできないことも多いです。

借金の事例を挙げておられますが、それを適切に相談できる人が常に周囲にいるでしょうか?
確かにあなたが仰ることには一理あります。でも理想論ではないでしょうか?
目の前の借金に負われて、毎日それで頭が一杯である人に「別の方法に気づかないのは怠慢だ」とは、いえないと思うのです。

確かにアスペに理解があり、適切な指導と助言が与えられる指導者がいれば、私たちもここまで苦しまないでしょう。アスペという病名が偽りであっても「出来ない・出来にくい」グループは存在しますから、それは同じことだと思います。

>「昔はとんでもなく間抜けな人だったけど、今じゃあの人、立派に成長したわね」

これは、今でも幼い頃からの私を知る人間には言われています。外面は「いい人」なんですよ私。
でも、どうしてもできないこと、あわせられないことはあります。

回答有難うございます。知見として受け取らせて頂きます。

お礼日時:2015/04/30 12:58

>アスペルガーは空気を読んだり、人の感情の機微を上手に捉えることができないのが、障害ですよね



あなたは知らないんでしょうが、
そのアスペルガーって言う障害基準を作った医者(アメリカの医者ですが)が、
そんな障害など本当は存在しないって言ってるんですよ。

実際、アスペルガーとか、ADHDっていう発達障害とやらを
やたらと宣伝して多くの若い人達をそんな障害になったような気分にさせているのは
そういう宗狂を広めて税金の補助金や裏金をせしめようとするNPO団体と、
それと結託して儲けようとする精神医学会、
アメリカの巨大製薬産業のせいです。

あなた方が信じるような障害の医学的な根拠は一つもないことはすでに1990年代から
明らかなんです。
その後も何ら医学的な証拠は一つもなかった。

あなたやその他の人達が気分的に「自分はできない、うまく人生を渡れない」という無力感に
襲われてやる気を失ってるだけで、実際、あなたには何一つ障害などどこにもないんです。

アスペルガーっていう障害診断基準を作った人間が、爆発的に「自分もアスペルガーです」と
言う人が増えたことに脅威と恐ろしさを感じて、今、世界中を回ってその診断基準を
撤回させようという講演活動をしています

だから、あなたがその気になれば、できないことは何もない。
自分で自分に暗示をかけてるだけのことです。

つまり、あなたは何をするにも臆病で意気地がなく、一つの事に挑戦して
何かに失敗すればすぐに虚栄心が傷ついて
「やっぱりわたしはうまくやれないんだわ」とすぐに結論付けて
逃げ出すことしかしてこなかったので
何もうまくやれないわけです。

山登りに行って、ふもとあたりをうろうろし、息が少し上がっただけで、
「やっぱりわたしには登れないんだわ、他の人ならもっと体力があってうまく頂上まで
登れるはずなんだわ」と一人で結論付けていそいそと帰り支度をし、家に引きこもってしまう。

でも、他の人はとにかく何も考えずに必死に登ろうとするわけです。
息が上がってしんどかろうと、汗をかいてドロドロになってみっともなかろうと、
転んで怪我して痛かろうと、とにかく最後まで必死になって登ろうとするわけです。

あなたはそんなところまで行く前に、自分の妄想だけで
他の人は楽々、頂上まで登っていると勘違いし、登り切った人の功績を見て
ひがみ、わたしは障害者だからできないのよ、と言い訳する。

それを見て、真面目に努力して頂上まで登ってきた人間(=あなた方が言う健常者)は、
「何、甘えた事言ってるんだ、こいつ。
こっちはそれこそ死に物狂いで頑張ってるんだ、
お前自信が他人の気持ちも、他人が陰で努力していることも何も知らず
自分ほど偉い人間はいないと自分の能力をうぬぼれてて
それがうまくいかなったかだけで逃げ出しただけなのに、
何も他人のことを知ろうともしないだけで
ひがみ根性ばかりでうらやましがり、わたしはできないの、だからわたしを理解して
うまくやれなかったら助けてね、などと依存して他人の能力や努力にしなだれかかって
勝手に甘ったれるな。
その甘ったれた怠け根性が迷惑なんだ。
自分の足で立ちやがれ!」と思うからこそ、きついことも言うわけです。

つまり、あなたは何も知らないのに、何でも知ってる、自分の能力は良く分かってると
他人の助言も注意も素直に聞かず、最初から自分の努力を放棄しているからこそ
周りも困った人だとあきらめるわけです。

あなた方が言う一生懸命は、誰も求めていない無駄な努力です。
もっと素直に他人から怒られた事、注意された事を真面目に聞いてみたら、
案外、あなた自身、やっていないこと、逃げている事が見えてきますよ
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

申し訳ありませんが回答の意図を正確に捉えれた自信がありません。
「アスペなんてものは存在しない。診断法を構築した人間が無いといっているからだ。俺たちは死ぬほど苦労してるんだ、存在しない障害を唱えてないでお前らも死ぬほど努力して俺たちと同じようになれ」
ということでよろしいでしょうか?
間違っていたらご指摘ください。

アスペルガーというか、発達障害という障害がある事を認めない人たちがいることは、存じています。ただ、ご指摘の医者の話は初耳です。
もし宜しければそちらの資料について教えて頂けないでしょうか?私自身は当事者という立場ですが、相手の論拠を知りたいとは思います。

>転んで怪我して痛かろうと、とにかく最後まで必死になって登ろうとするわけです。

たぶん、この前後が回答のキモなのだと思うのですが、如何でしょう?
俺たちは努力してこの山を登ったんだ。努力してないお前らが羨ましがるな。悔しかったら努力してみろ。
ということかと思うのですが、努力しても上れない人がいる、と思うことは出来ませんでしょうか?
私の場合、上ろうと努力した結果、血達磨で転げ落ちた口だと思うのです。仕事も家庭も円満にするためがむしゃらに頑張ったつもりですが、睡眠時間を削り、自分の気持ちも押さえ込んで仕事と家庭に全力投球し続けた結果、上れないと気付いたときに絶望しました。
飛び降りましたが、命は助かりました。ただ、他の人と同じようには登れないとは思いました。
これは、多分回答者様は
>あなた方が言う一生懸命は、誰も求めていない無駄な努力です。
と笑うでしょう。

でも、どうしてもそこまで登れない人もいることは、知ってもらえれば幸いです。

また、回答者様は私の質問に対してどう思われますでしょうか?
「自分たちと同じ土俵に上がってくるのが当然。それが出来なければ努力不足」というお立場でしょうか?

随分と考えさせられる回答でした。ありがとうございます。

お礼日時:2015/04/29 09:31

アスペルガーだろうと、アスペルガーもどきの人だろうと、不愉快になる人は基本的にきってしまいます。

病気の有無は気にしないかな。だから多分アスペの人と私は極めて相性が悪いと思います。
本当のアスペルガーの人は苦労もされるでしょうが、自分(私)に害する人であれば無視してしまいます。
面倒くさいですもん。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

お互いそうして頂けると助かると思います。決定的に何かをする前に切って頂ければ、最悪の印象は避けれますから。
本当はそうしないでもいいように努力するべきなんでしょうが、中々具体的な成果がでる努力もできませんし。

有難うございました。

お礼日時:2015/04/29 08:53

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