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当然ですが、死にたい気持ちは受け入れられないものですよね?
ここでも、死にたいなら勝手にどうぞ、、、などという回答が本当に多いと思います。
私自身もそうです。
自分の死にたい気持ちをうけいれられず、困難に直面してる人はたくさんいるし、なに甘えているんだと自分自身に対して思います。
でも、理屈でなく、襲う死にたい気持ちは死ねばなくなります。
死後、無になるかは分かりません。
でも、死んでるのだから、死にたいとは思わずに済むはず。それはものすごく救いのような気がします。
自殺すると地獄に落ちるといいますが、毎年3万人近くが自死で亡くなっています。
彼らはずっと苦しいままですか?

前向きに生きろとか、苦しい人はたくさんいるとわかってます。でも、人と比べてそれを生きる力にすることは今の私には難しいです。

全ては病気のせいだと、病院では言われます。
だったら精神疾患で自殺の場合は、病死なんじゃないでしょうか?

自分にも他人にも受け入れられない、死にたいという気持ちを持つこと。
こんな苦しい病気ってあるんでしょうか?

A 回答 (14件中1~10件)

14です。


お薬が効いていない、気がしていますか?
どのような診察で、どんな医師なのかはわからないのですが、もしかしたらお薬の処方が良くないという可能性もあります。ただ、もし鬱でしたら、お薬だけで、お勤めを続けながら治すのは非常に難しいことです。

文章を読ませて頂く限り、鬱症状のように思います。正常ではないのですから、今会社をやめる、命を絶つ、などの重要な事を決めるのはやめておきたいところです。

ブランコを漕ぎ続けているのは実は生きている人みなそうです。

子供がブランコに並ぶように、漕ぐのはつらいことではないのです。ですが、頭痛の酷いときとか、おなかが痛ければ漕ぎたくないですよね。

そういう状態で、漕いでいても頭痛はますばかりです。

一度保健室へ行く、という意味で、休職できるとベストです。
本来なら、会社が保証してくれるはずですので、診断書をとって、それを理由に解雇されたら、会社側を訴える事もできますので、お休みさせてくれるはずです。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。
様々な事情があり、休職はできません。もちろん、全面的に会社と争えば休職できるのでしょうが、会社や上司を敵に回して休んでも、きっとうまく回復はできないと思います。
クスリは効いていない気がしますが、頓服はよくききます。息苦しさや目眩、衝動的な自殺願望には頓服は効きます。
でも根底にあるものにはクスリは全く効かない気がします。
主治医からは、会社を辞めたら入院治療するように言われています。私はしたくないのですが、考え中です。客観的に仕事がなくなったら私は死んでしまうのではないかな、と思うので、、、。
今自殺を思い止まれるのは、今私が自殺をしたら、会社の人たちに迷惑をかけるだろうなと思うからです。それは、私がやっている仕事を誰かにやらせることになるから、、、ではなく、私の周りの人は、責任を感じてずっと苦しむことになるかもなと思うからです。
私にも確かに、昼休みに何食べに行こうかとわくわくするくらい食事が楽しくて、土日が楽しみで、金曜の夜が嬉しかった、そんな日々がありました。
でももう二度とそれは戻ってこないのだろうなと思います。何を希望にしたらいいのか分からないんです。
そろそろ、この質問を締め切ろうかとおもいます。
どのみちそろそろ自動的に締め切られてしまうと思うので、、、。
話を聞いてくださって本当に嬉しかったです。

お礼日時:2015/06/03 00:49

8です。

 終わらせたいとお思いでしたら、まず、会社を休みましょう。調子が悪いことを相談できる場所は会社にありますか。

まず終わらせるべきは、あなたの命ではなく、会社勤めです。

あまりに辛いときは行かなくていいんです。会社は他にもありますが、あなたの命は1個でしかも、終わらせるともう戻れません。死んでも実は終わりはしないのですよ。
生きていて終わらないものは死んでも終わらない。
まずはきちんと治療してみましょう。
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この回答へのお礼

体調不良を相談すると、会社は退職になるでしょう。
もうどうでもいい気もしています。
せっかく話を聞いてくださったのにごめんなさい。
今日は診察日じゃなかったのですが、急遽診察にしてもらいました。
でも、救われないんですよね、、、。まったく。
二週間後の診察までブランコを漕ぎ続けられるか、自信がありません。
たぶん、調子が悪いんですよね。
頓服も飲んで寝てしまいます。
きちんと治療、、、できてないんでしょうか。
ありがとうございます。

お礼日時:2015/05/29 23:07

8です。


通院お疲れ様でした。

泣けたというのはいいことです。主治医の前では何もかもぶつけて、発散していいんですよ。
それを受け止められない医師は、自分は病歴のない、苦しみを理論上だけでしか知らない、まだ人生のガキです。子供に相談しても治らないから、そう感じたようなら、医師を変えてもいいです。

といっても、医者はどこも時間が限られていますから、特異な患者でなければあまり時間を取ってくれないかもしれません。カウンセリングも、カウンセリングを学んだ者には、ばかばかしくて何の助けにもなりません。素人の方にはいいかもしれません。

今のところ一番いいのは、ここでいい方に話すことです。泣きながらでも意味不明でもいいです。思う事を書いてください。匿名なので。

実際に苦しみを経験した人に話すのがいいと思います。
いろいろな苦しみがあると思います。

知識のない者ほど自分は何でも知っていると思っている、といいます。
いろいろ知ると、もっと知らないことがあるんじゃないか、と気づいて、自分がいかに無知かに気づき、私は何も知りません、といいます。

無知な方は大声で、堂々としています。
知識のある方は、控えめで慎ましいものです。

ここに書かれる無知な意見は、見ない振りしてください。そのうち見えなくなります。
そうすると、実際に消えます。難しい言い方かもしれません。
簡単に言うと、見るからこそ、存在するので、誰も見なければないのと同じ、ということです。


話が戻ります。

いろいろな苦しみがあるけれども、何度か経験すると慣れてきます。
慣れたくはないですが、仕方ないです。私は慣れてきました。そうすると、
下の方がいうように、
精神的に一度死にます。

これはどう説明していいかわからない感覚です。
おそらくなのですが、あまりに辛いと脳が自分を殺そうとするようです。自殺ではないです。
そして、脳が死にます。
ですが、身体は生きています。

脳が死ぬ、というと語弊があるかもしれませんが、心、といういい方はあまり好きでないのでそういっただけで、
脳死という意味ではありません。

精神的な死、という意味です。
そして、生き返ります。そうすると、もう死ぬのが怖くなくなるのです。人間とは死ぬものだと
地球が回っているのと同じように理解できます。

なぜ生きているんだろう、
なぜ死んではいけないんだろう、という難しい問題から抜けられるときがきます。

地球は回っているのに、なぜ今自分はここに立っていられるんだろう、と考えなくても立てますよね。

漕いで居ると思わなくても漕げるようになります。

そうなるまでを助けるのが、精神科の仕事です。

悩んで死んでしまわないように、補助するのが精神科の医師で、適切な薬です。衝動的な自殺をとめるために必要な働きをしてくれます。

いろいろな薬があるので、自分の状態をみながら、薬を変えてください、とか、これを飲むと身体の調子がいいのでもっと増やしてはどうか、など、積極的に医師に伝えていいのです。

泣いて取り乱すのも、薬の効果がどう出ているかを見極める材料になります。
それを我慢してしまうと、かえって、間違った処方でうまく行っていると思われてしまいますよね。

ですから、診察のときは怒鳴ったり、泣いたり笑ったり、我慢しないで不満を言ったり、していいのです。
それによって、症状の変化を判断するのが医師です。頼んでないのに薬が変わった、と思うかもしれませんが、試しに飲んでみてください。結果、気分が著しく悪いようなら、こんなの飲めない、と言っていいのです。

精神の病ですから、我慢していい子ぶってたら治りません。短い時間でも出し切って訴えてください。

今、薬はいろいろあります。安全です。薬漬けでだめになる、依存になる、などという情報は、
処方のミスといい加減な診察と正しく飲まない患者のせいです。

きちんと飲めば何も怖くないのです。

車の運転と同じです。
同じ車もへたくそに運転したら事故るし、うまく運転すればいい足になります。

今回の診察で泣かれたのはいいことです。

漕ぎ続けなければならないと思いながら帰ってきたのもいいことです。

うそじゃないですよ。

自殺が全て悪いとは私は思っていません。いろいろな信念があり思想がありますから。

でも、死にたくないのに死ぬのは賛成できません。だから、あなたには死なないで欲しいのです。

ふとブランコが止まって、

たたたっと降りて、ベンチで美味しいものを食べられるときがきます。

そのあとまた、ブランコに乗る事もあります。

また乗っちゃった、と思ってもいいです。そのままの自分を受け入れて辛さをかみしめて、泣いていいです。なんてだめなんだ、と思っていいです。

ただ、それを心の中だけで思っていてはだめです。
書く、話す、のが大事です。なぜかは難しいので、説明しないですが、やってみてください。

ここに書くと、話すのと同じ効果があります。
どこの誰だかわからないから、気にせず遠慮なく思うままを言っていいと思います。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。
火曜日から調子を崩していました。
会社に行けなかったです。吐くと精神的に楽になることが多いのですが、吐いても吐いてもらくにならず、会社の前までいって、結局帰ってきたりしました。
私は17でアルバイトを始めてから、仕事休んだことなかったんです。もちろん事前に有休とったりそういうのはあります。
でも体調不良で突然休むことは10年以上なかったのに。
火曜日水曜日と休んで木曜からは出勤しています。
死にたい気持ちが強いです。
やっぱり死にたいです。死んでも楽にならないんでしょうね。でも終わらせたいんです。

お礼日時:2015/05/29 18:27

生きることも死ぬこともできない、それが地獄ですよね。



自殺はというか死は目的ではなく手段でしょう。
じゃあ目的は?
苦しさからの解放ですよね。
そのための手段としての自殺です。
だから人は自殺に対して躊躇するんですよ。
だってそれが目的ではないから。
お察しのとおり死んで楽になれるかはわかりません。
宗教的価値観からすればむしろ本当の地獄は死んでからです。

私の経験から言わせてもらえれば、あなたは心理的に死ぬ必要があると思いますよ。
死を受け入れる、つまり死ぬ覚悟をする必要があるということです。
その覚悟がないからいつまでも不安と恐怖に付きまとわれるんですよ。
心理的に死ぬことができないから肉体的な死を選択してしまうんですよ。
肉体的に死ねば心理的にも死ねるはずという理屈です。
でも心理的な死は必ずしも肉体的死を必要とはしていません。
心理的な死とは覚悟であり決別です。
生をあきらめろということではないです。
死を覚悟しろということです。
あなたの友達、親、親戚、恋人、お気に入りの服、ペット、大事にしてきた思いで・・・・
等々からの決別です。
それが心理的な意味での死であり死への覚悟です
それがなかなかできないから人は死を恐れるんですよ。
逃げれば逃げるほど恐怖は大きくなるけれど、本当にその対象と向き合えば案外大したものではないです。

まぁ死を覚悟するなんて口で言うほど簡単じゃないですけどね。
死にたくないからこうして質問を立てているんだと思うでしょうね。
でも私に言わせればその執着こそが死への階段だろうと思うわけです。
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8です。



働いていらっしゃるのですね。
それを伺って、薬があまり効いていない、と感じられる訳がわかりました。

あなたは、ブランコをこぎながら、ブランコの上で編み物をしているのです。
ブランコをこぐだけでも大変なのに、周りの理解のない愚かなものや、守らなければならないもののために、編み物をせざるを得ない。それを編んで売って、やっとブランコにのっている(仕事しなければ病院にも通えない、経済的に、など)

仕事はできればやめましょう、とはいいません。

その理由は、あなたはもちろん、私もよく知っています。


通院のときにそういうお気持ちであるということは、いい状態です。代わりに漕いでくれている、と感じられるなら、それでいいんです。主治医を信頼して、話しましょう。

そして、また相談を、どこの誰かわからない人宛に、ここにもお書きください。私は仕事の時間が不規則で、休憩時に覗き見しては書いて、休みの日に見て、などで不定期ですが、見つけ次第、必ずご挨拶したいです。

私事ですが、仕事しながら、
私が代わりにブランコをこげているのか?と自問自答し、短い時間にどうすればこの方がうまくこぎ終わるか、

先生としてではなく、知識のある同じ一人の人間として、必死に答えを探します。

そういうとき、患者さんの一言で、はっと「これだ」「ここだった」とわかることがあります。
ですから、主治医には疑問なこと、話したかった事「先生、髪切ったね」でもなんでもいい。
話してください。


私も、あなたの質問を見逃さないように(見逃したら本当にごめんなさい)見守っています。
お薬の処方暦も気が向いたら書いてください。
「こういうのがあるって聞いたんですけど、私にはどう?」と主治医に聞いてみて。とアドバイスできる(主治医がそれは合っていない、というか、じゃあかえてみましょうというか、それはわかりません。あなたの血液データ、既往歴により異なるので、主治医の意見に従ってください。)

処方歴などになると、嫌な意見は書かれないでしょう。
本当に病気の方の飲んだ経験談(これは実は個人差が激しいため、参考にはならないが、たまたまヒットすることもあります)か、詳しい方の専門的な意見のみになるでしょう。

ひやかしや愚かな方の書き込みは減ると思います。

あなたは磨き上げられ、汚いものでは汚れない一流のガラスのコップです。
つばをかけられようと、洗えばまた美しい光を取り戻す。

ぶつけたり、落としたら割れてしまいます。

主治医やこころのある方がしっかり割れないように支えています。

しかしこのガラスコップには自由があり、支える人を変えることができます。

それを選ぶのを間違えると支えきれなくて割れてしまいます。
今が安定していると感じるなら、そのままいきましょう。
時間は短くて、言えなかったことなどは

ここに書いてください。
たわいもない話でもしましょう。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。
今日は通院日でした。他の人たちもみんな乗り越えてる。と主治医に言われ、「それと比べなきゃいけないんですか?みんな乗り越えてるから、私も我慢しなきゃいけない。だったら苦しい経験を(ここでいう苦しい経験とはとある特定の出来事のことです。鬱の苦しさ云々ではなく)してない人もいる」と泣いて訴えました。八つ当たりですね、、、。後から思い返して恥ずかしいです。「そういうつもりで言ったんじゃなくて、あなたも乗り越えられるから、死んじゃダメなんだよ」と言っていました。
また、ブランコを漕ぎ続けなくてはいけないと思うとげんなりしてしまいます。
言葉をありがとうございます。

お礼日時:2015/05/25 21:58

「働かざるもの食うべからず」


昔からあることわざです。
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この回答へのお礼

私もその通りだと思います。
ただ、肉体的な病気や精神的な病気で働けない人もいるでしょう。働きたくても。そういう方々は除外されると思います。
私自身は、フルタイム正社員で働いています。でもだからと言って、私の中では何かがプラスになるわけでもありません。

お礼日時:2015/05/23 23:59

3です。



お礼をありがとうございます。

>訳も分からず、衝動で死んでしまえた方がいいのではないか、とも私は思いました。
通院やめて、薬やめて、そうしたら悪化して、死ねるのではないか、と。

わかります。そういうときと、

>でも、通院や薬には希望を持ってみようかと思います。自分の人生には全く希望はもてません。でもいつかそこに繋がるときがくるかもしれませんよね、、、

この気持ち。



ブランコのように行っては帰り、帰っては来ます。

その衝動がきたときに、ちょうど死にやすい環境に自分がいて(電車のホーム、桜の木、縄、高いビルなど)ちょうど薬を飲むのを忘れていて、脳の働きが十分でなかったら、ブランコから落ちます。
これが衝動的な自殺です。

ですので、精神的に悩んで死ぬ方は、樹海に入っていったり、練炭で自殺したりすることは少ないです。そこまでの計画性はない場合が多いのです。突然で、普通だったひとが急に亡くなる、と感じる方も多いです。事故であり、病死ともいえます。

借金や自分を殺すしかない状況(人をころしてしまった、仕事に行き詰まったなど)の人は、計画的に死にます。


それと、衝動でブランコから落ちるのはちょっと違います。



あなたは今、このまま医者のいうとおりブランコに乗っていていいのか?
落ちたほうがラクなのではないか。と。


下がどうなっているか見えません。

お花が咲き乱れ、鳥のうたう美しい世界なのか、
血の海に死体が広がってウジがわいているのか、

おちよう。もうこれ以上こぐのは疲れた、と
感じてしまうときと、

もっともっとこげ、いつかクリアできるんだ。
「はい、お疲れさまでした。こちらへどうぞ。」と、痛みのない、笑いに満ちた部屋へ通されるんだ、
と感じるときが

行ったり来たりします。

それはお薬を飲んでいるからです。

薬を飲まない人はブランコにも乗る事ができません。乗らないで足を踏み外し落ちていきます。

落ちたらどうなるかは、落ちないとわからないかもしれないけど、

落ちたらさいご、もうここには戻ってこられません。


適切なお薬、主治医との出会いで、早くクリアする人と、悪い医者、間違った投薬でニセブランコに乗せられてしまう人がいます。

自分がどんなブランコに乗っているかは、主治医に会っているときに自分がどんな気持ちか、です。

会うのが苦しい、仕方なく行く、会いたくないが諦めている、と感じるなら、
ニセものの可能性があります。

是非会いたい、話したい、顔を見たい、話したい、と思う医師に出会えますように。

私はあなたはそれができると信じます。

なぜなら、他の方へのお礼も丁寧で素晴らしく、知的で礼節のある心の繊細な方だと感じるからです。

美しいガラスは割れやすい。

しかし、分厚い汚れたガラスより、ずっと惹き付けられます。

死ぬこととは、生きることです。生きてください。そうすれば、死ぬことについてわかるときが来ますので。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。
ブランコの比喩、とても分かりやすかったです。
通院する度に、早まってはだめ。諦めちゃだめ。、、、と言われ、ひたすらブランコを漕ぎ続けることを求められている気がします。
そして、2つの気持ちがふりこのように、本当にいったりきたりするんです。
通院の時間は、唯一漕がなくてもいい時間のような気がします。とは言っても、5分から長くて10分ですが、その間は漕ぐのをやめて、その間だけは主治医が漕いでくれている感じです。
先にいただいた回答のお礼にも書きましたが、正直、100%の信頼ではありません。漕いではくれてるけど、その漕ぎ方が本当に正しいと私は思えないんです、、、。ただ、少しのあいだ、休むことができる。それだけが今の私の救いです。
ブランコは、、、もちろん、例えですが。
主治医をもう少し信用してみようかなとおもいます。それで駄目なら別の医師を探すことができるので、、、。
私は美しいガラスなんかではないのですが、そういう言葉をかけてくださって、嬉しかったです。
嬉しいという気持ちがやっぱりちゃんとあるんだ、と思いました。
ありがとうございます。

お礼日時:2015/05/24 00:09

自殺は殺人と同然です


実際
人を殺そうとすればためらうはずです
自殺時もそれと同じです

ちなみに昔の武士は切腹とか出来た理由も
これで説明出来ますよ
武士と言えども人殺しと変わりませんから

つまりは死にたいと思えないのが普通であり
正常な人間でもあり
人を殺そうとも思えないからでもあるわけです

ちなみに自殺者は
おそらくは平然と人を殺せると思いますよ
だから自殺も出来るわけです
それは過去の事件にも似た事が起きてるので
文献を探れば判ります

あと
自殺は仏教では罪深い事とされており
さまよったまま
天国にも地獄に行けないとされてます
それは生を否定するのと同義であり
例え生まれ変わったとしても
そんな気持ちではまた同じことをするだろうから
救えないとされてます故に
ずっとさまよう事になるようです

これも仏教の教えではありますが
人は生まれながらにして
カルマを背負い生きてます
そのカルマは生まれ変わる前からも
変わらず持ち続けるようです
例えば
生まれ変わる前に人を殺した事があれば
生まれ変わっても同じことを繰り返すらしいです

自殺にもこれが適用されるので
やはりさまよう事になるのは
やむを得ないのでしょう

現在
自殺者が多いのも
もしかしたら生まれ変わる前は
人を殺した事があるのかも知れませんよ

そのカルマから逃れるには
解脱するのがいいらしく
仏の道に入り修行すると見えてくるらしいです

自分は無神論者ですが
聞いた仏教の話を引用させて頂きました
間違いがあったら申し訳ないですが
割愛させて頂きます

つまり
質問者様は現在
そのカルマから葛藤すべく
模索中であると思われます
まだまだ生きるチャンスがあると見えます
今を乗り越えれば
この先もカルマをやり直せると言えますね

質問者様は病気というよりも
精神を鍛え直してるとも言えます

長文失礼しました
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人は何故、


「死ねば楽になる。」
と思うのでしょう。
死んで、今の苦しさの何倍も苦しくなるかもしれないのに。
死んで、死んだのに、死後の世界でまた死にたいと思うかもしれないのに。
しかし、死後の世界では、もう死んでいる人なので、死にたいと思っても死ねないでしょう。
そして、気持ちだけが、
「死にたい」「死にたい」「死にたい」
と、苦しさの渦の中をさ迷うのかもしれないでしょう。
「死にたい」と思う気持ちは、脳が身体を支配する「意識」なのかもしれません。
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この回答へのお礼

私が、死んだら楽になると思うのは、死は終わりだと思うからです。
終われば、続きはありません。毎日が巡ってくることが苦痛ですが、それがなくなる、楽になる、という短絡的な考えかもしれません。でも、とりはらえません。

お礼日時:2015/05/23 14:22

「死後、無になるかは分かりません。


でも、死んでるのだから、死にたいとは思わずに済むはず」、ということについて、それは救いにはならないように思います。

死んだ後に気が付いたら、生前と同じ意識の状態ですので「ああ、自分はまた死ねなかった」と、思うのではないでしょうか。
また、死んで死後の世界に来たんですよ、と教えてくれる人がいても、「何を言ってる、私はここに生きているじゃないか」と思うことのほうが性格からいって自然なような気がします。

誰かがいても気が付けない一人ぼっちの世界ですので、「また自殺未遂に終わってしまった、今度こそ死のう、、、」と思って、自殺をするくらいしかやることがなくなるような気がします。
自殺をするくらいしかやることがなくなるならば、今度こそは死のうと計画するのではないでしょうか。・・・・そんな感じで救いからは遠いことのように思われました。

死にたいというのが病気のせいでしたら、なおのことあの世に行っても病気が治るわけではないと思われます。その気持ちが消えることは病気が治ることよりも可能性が少ないように思われます。

死ぬよりも生きているほうがはるかにましだと思えるように、より楽に自然死ができるように前を向いて生きてゆくのがいちばんいい死に方のような気がします。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。
初めて、自殺に否定的な意見に素直に頷くことができました。主治医には「自殺したら楽になるって分かってるんですか?分からないでしょう。死んでも無にならない、続いていく」と言われたことがあるんですが、どうしてそんなこと分かるの?と心の中では反発していました。死んでみないとわからないよ、と。
書いてくださった文章を読んで、自殺は無意味なのかもなと納得しました。自殺すれば地獄に落ちるとか、そういうそとではなく。ただ、無意味。
どちらにせよ無意味なら、生きたままでもいいのかもしれないと思いました。
思いますが、猛烈な死にたい気持ちはそのままです。でも、死ぬこと以外に救いを探せるようになるといいなと思いました。
またこの文章を読み返します。

お礼日時:2015/05/23 14:20

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