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日本はなぜ原爆を落とされる前に出された、無条件条約を受理しなかったんですか?

A 回答 (9件)

1:>日本はなぜ原爆を落とされる前に出された、無条件条約を受理しなかったんですか?



「無条件条約」が何の事なのか不明なので回答不能。
(そもそも、条件のない条約などというものがあるのでしょうか。)
役に立つ回答を望むなら、脳内造語ではなく正確なものを使ってください。

日本が降伏しなかった理由は以下になります。

【日本が飲めるような条件ではなかった。】

当時の日本は原爆以前から条件さえ合えば降伏(というか講和)をするつもりでした。
しかし、アメリカは原爆を使用する準備の時間を稼ぐ為に、曖昧な降伏条件(国体の護持、天皇の地位への保証がない)を出すことで、日本が降伏できないようにしました。
(降伏条件の起草段階では天皇制の維持が含まれていましたが、トルーマンはこの部分を変更しています。)

ただ、これについてはいつまでも戦争を続けていると、ソ連が参戦してしまい、戦後処理についてソ連に発言力を与えるこになるので、タイミングが難しい作戦でした。(実際そうなりました)

日本は↑のような条件が不明な状態で降伏した場合、国が消滅する事もありえるので、安易に降伏はできませんでした。
更に、降伏後に天皇が処刑された場合、国民や軍部が激昂し、政府の意向に関係なく戦闘を行う場合もありえます。
そのような内戦は、アメリカも望んではおらず、その場合中ソが介入する可能性もありました。
そうなると、日本が朝鮮やドイツのような分断国家になって、朝鮮半島ではなく日本が冷戦の最前線になるかもしれませんでした。

原爆投下後の降伏ですが、これ以上降伏しないままだと、第3第4の原爆が落とされる可能性があり、もう条件がどうこう言っていられなくなった為です。





アメリカが原爆を使いたがっていた目的は↓です。

A:原爆(2種類)の効果を、実際の都市や人間で確かめ、データをとる事。
B:他国に使用可能な核保有国であることを示し、戦後の国際関係で優位に立つ為。

Aについてですが、上記の目的を満たす為に、投下する都市は↓のような経緯で選ばれています。

A1:周囲を山に囲まれた直径3マイル以上の市街地を持つ都市。
アメリカは、↑の条件をより満たす為に、広島への空襲を停止して建築物を保存し、人口を集中させました。

A2:警告無しの使用の決定
トルーマン大統領は、自分が設置した暫定委員会で、原爆の使用は「労働者の住宅に囲まれた軍需工場に、事前の警告無し」で行われるべきだと語り、そのように決定しています。
(開発に携わった科学者は、無警告の原爆投下に反対しています。)

原爆使用の理由については、ここでも過去にも何度か質問されています。
連合軍は攻撃前にビラをまいて避難を呼びかけていたという意見があります。

しかし、それには 何 故 か 【広島】と【小倉】は入っていません。(画像参照)
(小倉は広島と同じ理由で選ばれていましたが、爆撃機が航路を誤って、長崎に落してしまいました。)

福山空襲は年8月8日
久留米空襲は8月11日
長野空襲は8月13日
(広島の原爆投下は8月6日、長崎は8月9日です)

長崎の投下地点の真上には、日本に始めて建設された「教会」がありました。
(アメリカはこの事を隠していますが)



ポツダム宣言について、誤解している方が多いようですが、その内容は無条件降伏の為のものではありません。

ポツダム宣言では降伏条件に「Following are our terms」(我々の条件は次の通り)と記されており、「日本国政府は直ちに全日本軍の無条降伏を宣言」という内容が入っています。

↑から、日本の降伏は軍隊だけで=単なる武装解除 に過ぎません。
そして、軍=国家・政府 ではないので、日本という国家が無条件降伏したという事にはなりません。

ところが、この宣言の調印時に、連合国は国際法上「休戦協定(条件付降伏)」である文書を「降伏文書」と名付け、「休戦」を「降伏」に摩り替えました。
更にその後、米国政府は「日本との関係は、契約基礎の上に立っているので無く、無条件降伏を基礎とするものである」という通達を発表しました。
これは、米国は正式に締結した国際条約を反故にしたことになります。

日本はこれに抗議しましたが、軍が降伏し武装解除されていた為に、抵抗できず、
結果として、国家そのものが無条件降伏したことにされてしまいました。
「戦争について」の回答画像5
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対米交渉で戦争を避ける合意が出来たと大喜び


した日本軍。次の日・・・ハルノートを突き付けられて
絶望のパニック。アメイリカの本音は戦争と深く認識。

白人優位主義に日本人の生きる場は無い、で開戦。
日本人を人間と認めない宗教と政府のアメイリカ・・・
戦争で抵抗し、せめて絶滅だけは避けようとした。

人種民族の絶滅戦だったのだ。簡単に降伏は選べない。
降伏後もアメイリカ軍は占領をつづけ日本社会を破壊
し民族の習慣を消滅させた。今や日本人なのか?

も増えてるんだ・・・・
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質問者様は、東條首相が、ギリギリまで天皇のお気持ちである開戦を避けようと努力していた事をご存じでしょうか。



また、当時の東アジアの情勢で、朝鮮と満州の国防上の重要性をどのようにお考えでしょうか。
何故、日清・日露戦争で戦死者という尊い犠牲者を出して獲得したのか ご存じでしょうか。

 戦争を初めるのは馬鹿でも狂人でも出来ます。戦争を始めるのにさしたる能力は必要ありません。至極簡単なことではピストルを一発ぶっ放せば始められます。

実際、日中戦争は、日本の権益が認められていた満州に、清国の滅亡によって生まれた頭の悪い馬賊や軍閥政権が武力による挑発をしてきたからです。

日本がそれに応戦して追撃すると彼らは国境を越えて逃げて、また同じ事を繰り返します。
日本は、領土の治安を守る為に敵の根拠地を叩く必要から中国に進出しました。
中国での戦争はそうやって拡大し続けました。




天皇自身が「天皇陛下万歳」や「鬼畜米英」とかいう洗脳をしたわけではないと思います。
天皇以外がそう思い込んでいたとしたら、「日英同盟」の条約の受理や「日露戦争の停戦調停」をアメリカに頼むわけがない。
(それ以前に「洗脳」が事実であるという証明が必要ですが。)

私は他者の主張を聞くときには、事実を語っている部分 と個人の主張に過ぎない部分 を分離することが重要だと思っています。

また、学んだ→常に正しい見解 に到達できるとは限りません。(正しいと思っている≠正しい)
「事実」を知っている→他者に正しく伝える とも限りません。(ヒント:詐欺師 悪徳弁護士)


この時期は、自称戦争体験者のありがたいお話を聞く機会が増えるようです。

しかし、「戦時下の生活体験」や「戦闘の経験」がある=「戦争(が起こった原因や戦略や政治)」を知っているわけではありません。
私は経験を否定する気はありません。
しかし、それを理由に歴史を学んだ「後の世代」の論理を否定するのは老害でしかないと思います。
むしろ、当事者であるが故に「記憶」が様々な感情で改変されている可能性すらあり、その「記憶」を正当化する為に、後学の知識を都合よく歪曲して盲信する傾向があると思います。
「戦争について」の回答画像8
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「天皇陛下万歳」と洗脳されし者が、「鬼畜」相手の条約など受理するわけがない。



最後まであきらめないことを美徳とした、愚かな国民性が原因。


原爆を、2発も落とされてようやく「太平洋を開かんとほっす。」とした教祖さまが、1番の戦犯。

東條氏は、忠実に任務を遂行したにすぎない。


「堪え難きを堪え」たのは、一般国民のほうなのに。
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法律家で政治史も学びました。


 私は戦中に生まれていますから年齢で資格がありますね。父はシベリアに抑留され、叔父と従兄は戦死しています。一家は悲惨な毎日を送りました。
 日本はサイパンからフィリピンの線を絶対国防圏と名付けていました。絶対国防圏ですから昭和19年にサイパン島が陥落した時、誰の目にも日本の敗北は確実と映っていました。その時に戦争に終止符をつけていたら、父の出征も、叔父と従兄の戦死もなく、悲惨な苦労もせずに済みました。勿論、沖縄戦も起きずに済みました。
 ところが表向き、サイパン島玉砕の責任を取って内閣総理大臣を辞職した東条英機は、皇居で重臣を集めた戦争指導会議の席上「戦況が五分五分に見えたら実際はこちらが勝っているし、四分六分で自分に不利に見えたら実際は五分五分だ。サイパン陥落で四分六分で日本に不利に見えるが、実は五分五分なのだ。日本には大和魂をがあるから実際は日本が六分四分で勝っているのだ」と言ったため、重臣たちはみな呆れてものを言う気もなくなったと伝えられています。アメリカが不利で日本が有利ならどうして日本軍は各地で玉砕しているのか。どうして負けているアメリカ軍に一方的に叩かれているのか、誰でも考えるでしょう。そういう常識を常識として考える常識が日本の軍部にはなかったのです。

 戦争を初めるのは馬鹿でも狂人でも出来ます。戦争を始めるのにさしたる能力は必要ありません。至極簡単なことではピストルを一発ぶっ放せば始められます。中国での戦争はそうやって拡大し続けましたし、第一次大戦はそれで始まりました。
 しかし、一旦始めた戦争を終結させるには大変な能力と努力が必要になります。たかがと言っては叱られるでしょうが、ベトナム戦争はたかがアメリカとベトナムだけで戦われた戦争ですが、二国間だけで戦われた戦争でさえ止めるのに大変な苦労をしました。
 東条英機を筆頭とする死刑になった戦犯たちは自分が死んで全てが終わりかもしれません。死んで責任を取ったつもりかもしれません。しかし約250万人の戦没者にはその何倍もの遺族がいます。一万回死んでお詫びしても足りないという「万死に値する」という言葉がありますが、戦没者、その遺族、戦傷を負った人とその家族にとって、戦争を始めた人たちから一万回死んで詫びられても決して許せないでしょう。私がそうですから。
 愚かな政治家が始めた愚かな戦争のために死ぬしかなかった人とその遺族にとり、東条英機などは自分の愚かな行為で死んだ人の数の分だけ責任を取ってもらわなければ計算が合わないというのが私の考えです。過激なことを言いますが、私はそれほど戦争と愚かな政治家を憎みます。愚かな自分の愚かな行為のために人を死に向わせるというのはそれほど重いものです。

 前置きが長くなりましたが、政治学と政治史を学んだ者としてお答えします。私が学んだ限りでは次のようなことでした。
 東条英機内閣はサイパン島を日本本土防衛の最後の防衛線だとしていましたが、そのサイパン島が昭和19年夏に玉砕します。東条の立場が非常に苦しいものになりました。それまであまり聞こえなかった東条本人に対する怨嗟の声も聞かれるようになり、反発して強力な内閣を作ろうとした東条は重臣の米内光政等も引き込んだ内閣改造を試みます。しかし新しい大臣を入れるためには誰かが大臣を辞めざるを得ません。その辞める大臣の白羽の矢を立てられた数人の一人に岸信介がいました。東条から見ると、岸は満州時代からの仲間でもあれば大臣に引き立ててやった子分のようなものでもあったため、岸は辞職して東条内閣を助けてくれるくれるはずだと思っていたようです。ところが岸信介国務大臣が辞職を拒否したため閣内不一致で東条内閣は瓦解します。
 明治憲法下、内閣の組織は勅令の内閣官制によって定められ、そこでは内閣総理大臣は内閣の「首班」とされ、その権限は天皇を輔弼する手続き面で、ある程度他の国務大臣に優越することが認められているだけで、その憲法上の地位は内閣総理大臣も国務大臣の一人としてあくまでも他の国務大臣と平等であり、従って内閣総理大臣は 『同輩者中の首席』Primus inter pares に過ぎませんでした。同輩ですから他の国務大臣の任免権を持っていなかったわけです。今の内閣総理大臣とはエライ違いです。
 そのため東条内閣は閣内不一致で辞職するほかなくなったわけですが、それを陸軍が反戦主義者や反陸軍勢力の陰謀だとしてとてつもなく逆恨みし、陸軍と憲兵の恐怖政治が一層強まりました。陸軍はほとんど狂人のようになって戦争にのめり込みます。政府や重臣たちは陸軍の意に反したら殺されるのではないか?。陸軍による革命が起きるのではないか?。陸軍は天皇さえ人質に取るのではないか?、と恐怖しました。この陸軍と憲兵の恐怖が原爆を投下されてもなお日本を支配し終戦を遅らせたのです。

 中国での戦争から始まった戦争の原因については様々に語られています。二つに分けなければなりませんが、中国での戦争は、国策、つまり国益を守るための戦争というより「日清・日露戦争で戦死者という尊い犠牲者を出して獲得したものを、今、戦争を止めて戦争前に戻したら、死んだ人に申し訳ない」という日本人独特の思考に原因がありました。今、止めてしまったら、今までしてきたことが全部無駄になってしまう、というわけです。そしてどんどん戦死者が増え、戦死者が増えるに連れて「戦争を止めたら、戦死者の死を無駄にしてしまう。戦死者に申し訳ない」と言って戦争が続けられ拡大されました。こういうのを泥沼と言います。しかし戦死者がどんな思いで死んだかという戦死者の本音について誰も考えませんでした。戦争を続けたい人間のため、戦死者がいいように利用されたのです。戦死したい人間など一人もいませんでした。絶対に誰も死にたくなかったのです。
 アメリカとの戦争は別です。昭和16年、日米間の交渉がこじれ、アメリカが日本に中国大陸からの撤退を求めたのを拒否したためとか、撤退を拒否したためアメリカが石油と鉄鋼の対日輸出禁止をしたので、座して死を待つより乾坤一擲の大勝負に出たのだとか、欧州の大戦に参加したがっていたル-ズベルト大統領の手練手管に騙されて真珠湾攻撃をしてしまったのだとか、様々に言われています。
 その中で私が一番怒るのがル-ズベルト大統領に騙されたという説です。大統領は日本を騙して真珠湾攻撃をさせたかも知れませんが、国と国の関係は騙し合いみたいなもので、騙されたから真珠湾攻撃をしてアメリカに喧嘩を売ってしまったというのでは余りにも愚か過ぎます。
 全ての国家は、指導者に対し、彼らが優秀で、一般国民では持っていない特別な能力と才能を持ち、そういう彼らだから国と国民を安全に守れるはずだと考えるため、彼らに特権と高い地位と名誉を与えています。言い換えると、指導者が特権と地位と名誉を持つのは、彼らが一般国民が持っていない優れた能力と才能を持つ特別に優秀な人だと判断したからです。ですから指導者は何があっても戦争などという愚かなことをしてはいけません。戦争は馬鹿でも出来るのです。
 戦争をしないで済ませるために高い地位と名誉と特権を与えられた指導者がいるのであり、それが出来なければ国家と国民に対する背任であり裏切りです。その意味で大東亜戦争、太平洋戦争を始めた指導者たちは万死に値するのです。ところが日本の歴史学者や政治学者で私のような考えを持つ人はいないんですね。欧米では当たり前なんですよ。
 小生のような考えを持つ人がいないため、日本国と日本国民は同じことを繰り返すのです。政治家は当然のように繰り返します。それが今の集団的自衛権問題でも出て来ています。
 戦争は馬鹿でも気違いでも出来ます。それをしないのが政治家というものです。ところが日本の政治家たちは馬鹿や気違いでも出来る「戦う」方向でしか物事を考えません。憲法違反の集団的自衛権を考える10分の1も政治家としての義務を果たしていないように見えます。
 中国大陸の戦争は陸軍が始め、太平洋戦争は中国大陸での戦争がづるづる続けられたためですが、陸軍は太平洋戦争に至る結果に全く責任を感じていなかったらしく、太平洋戦争については「海軍が反対したら太平洋戦争は始めなかった。反対しなかった海軍が悪い」とまで言っています。まるでヤクザが「恐喝された時に黙って金を出していれば殴られずに済んだのだ。金を出さない被害者が悪い」と言うのと同じですね。責任転嫁どころか責任を感じていないのですが、実はそれが長州人の作った陸軍の考え方です。長州人は蛤御門の変で御所に大砲を打ち込みます。明治天皇は引付を起こし卒倒してしまいました。
孝明天皇はそういう長州を嫌います。ところが長州人たちは「天皇が間違っている」と言ったのです。長州人たちは尊王とか勤皇とか言いながら、天皇が自分たちの思い通りにしないと「天皇が間違っている」と言ったのです。
そういう自分だけが正しく、自分たちが成功せず失敗したのは全て他人が悪いからだ、というのが幕末から明治の長州人の考え方で、その考え方がそのまま長州人の作った陸軍の考え方になり、戦争になり敗戦になったのです。「悪かった」と反省しないのですから、戦争が終わるはずがなかったのです。東条英機などは「国民が戦争に協力しないから陸軍が苦労する」とまで言っています。陸軍が国の主人公で、国民は陸軍に奉仕する存在でしかないというわけですね。
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この回答へのお礼

ちょっと長いかな

お礼日時:2015/08/15 19:27

国体の護持が保証されていなかったから。

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秀吉の朝鮮出兵のときの対馬藩と同じ。


勝てる、勝てるとウソの情報を流し続けてたから、急に降伏するという判断を国民に説明できない。
 あとはずるずると自分に不利な判断を先延ばし。
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プライド

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若い方の質問かと思いました。

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