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本能寺の変の黒幕は誰だと思いますか?

A 回答 (9件)

信憑性のある見解としては,秀吉と家康でしょうね。

しかしいずれにしても、当初の計画通りには進展しなかったことが、解り難くしてしまったのだと思われます。
実際、光秀単独犯行という史実には無理があります。犯行後の行動を見ても、また事前の根回しがまったく見られないことも、光秀の性格からは考えられません。
ただ、秀吉と組むはずはありませんから、秀吉が黒幕だとすると光秀ははめられたと解釈する以外にありません。井上慶雪氏の「秀吉の陰謀」には本能寺を襲ったのは秀吉の別働隊だとしています。ただこの場合、変後の光秀の行動が疑問です。自分が行ったことではないにもかかわらず、その結果を受け入れる行動をとってしまっているからです。
家康が黒幕だとする説は、明智憲三郎氏が「本能寺の変431年目の真実」で述べていますね。この場合家康は光秀との当初の約束を破ったのでしょう。あの場合光秀は本能寺の変後堺にいた家康をいの一番に攻めるべきでしたが、そんなそぶりは微塵もありませんでした。これは何らかの約定があったからと考えることが出来るのです。家康も伊賀越えで帰城した後、光秀に対して攻撃の兵を差し向ける手順があまりにももたもたしています。なので約束どおりには動かなかったのかと・・・。
誰が見ても常識では考えられない秀吉の大返しが、すべての計画を狂わせてしまったとしかいえません。もちろん秀吉が黒幕なら、これも彼の計画に一部でしょうが・・・。
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No.8でk16399638さんは光秀が人に操られるほど愚かではなかったはずでと黒幕説を否定なさっていますが、黒幕がいたとすると光秀は裏切られたか、はめられたと考えるのが妥当でしょう。

とても誰かの言いなりになって(それが権威のある将軍や朝廷であったとしても)無謀に行動を起こす人物ではありません。

彼が単独犯だとする説には賛成しかねます。もし彼が単独犯であるならもっと綿密に計画を練ったことでしょう。本能寺に信長が少数の近習だけで宿泊することはとっさの出来事でした。この機会をあらかじめ決行の日時に決める計画は不可能です。
信長が生きているというデマは秀吉が多発した書面によるものです。それを光秀が知っていたかどうかさえ不明です。

秀吉の目標が光秀討伐に単純化できた半面、光秀には多くの超えなければならない試練があったのは事実です。信長の織田軍団はその後次々に向かってきたことでしょう。北陸から勝家が、伊勢からは信雄が、そして大阪に集結していた丹羽長秀と織田信孝や関東から滝川一益だって向かってくることは目に見えていたはずです。光秀の与騎が誰も味方しなかったという誤算だけでなく、もっとしっかりした味方が無ければ単独で決行するはずが無いのです。

事件後の記録が単独犯行一色になっているのは、おしなべて隠蔽された結果でしょう。それだけ秀吉の粛清が怖かったということです。隠し切れない公家の吉田兼見などはその日記をさかのぼって書き直したほどなのですから。後世に書かれた書物は「信長公記」にしろ「太閤記」にしろ「明智軍記」でさえ秀吉におもねった記述です。しかし秀吉の目に触れなかったであろう書「フロイス日本史」や「武功夜話」などには違った記述もあるのです。
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光秀単独犯、に1票。



1)あの時代に一番有能で、かつ 『信長にも信頼されていた』 光秀が、他人の思いつきに操られたりする程度の人でしょうか。私にはとてもそうは思えません。誰かか「信長を暗殺しよう」と光秀に話を持ってきたら、光秀は信長に即刻そのことを報告し、そういう人物を処分したと思います。自分が暗殺を計画しているのに、誰かにかき回されてはたまらないと、有能な光秀は考えると思います。

2)「本能寺『後』」の光秀をして、無能、操られていた、という方向に話を振る人が多いのですが、光秀は「本能寺『後』」のことを綿密に計画していたでしょう。ただ、周りが、朝廷から諸武将、大名にいたるまでの全員が、信長横殺という当時としては最大級の事件に対して引いてしまい、光秀プランとでもいうものに対して乗らなかった、光秀からしてみれば「チャンスを作ってやったのに乗らない無能の集まり」だったことが、自らが有能だった光秀、最大のカンチガイだったと思います。

3)信長が生きている、というデマをいち早く打ち消せなかったのもミスでした。打ち消すためには信長の首をさらせばいいのですが、本能寺で遺骸を発見できないというアクシデントも、光秀に味方しなかったわけです。

4)何もかも一人でプランニングしなければならなかった光秀に対し、秀吉はプランナーに恵まれていました。あと、秀吉は「光秀討つべし」と戦略目標を単純化できたのに対して、光秀はそうはいきませんでした。

5)山崎のころには、光秀は世に絶望していたのではないかと思うのです。世の人、世のことは、自分についてくることすらできないダメダメなものであったのか、と。で、頭脳明晰だからこそ、もう秀吉に天下の趨勢は傾いていることを、わかってもいたのだと思います。

まとめ) 陰謀論は面白いのですが、どれも無理があります。家康が、秀吉が、イエズス会が、とありますが、計画をたて、誰かに話すと、関わる人数がどんどん増えていきます。つまり、計画が漏れる危険性は増していくわけです。また関わった人でこのような大事件の後に記録を残した人が誰もいないのも、ヘンだと思います。

光秀単独犯だと、これらの無理は全て解消します。

もう一度言います。光秀、人に操られるほど無能ではないでしょう。単独犯です。
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秀吉だな


毛利は秀吉と結託していた
真の黒幕は家康でしょう
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信憑性は置いといて、羽柴秀吉(後の豊臣秀吉)と言う説もありますので羽柴秀吉でしょう。

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No.1 です。



こんな話もそれらしく聞こえてきますね。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9C%AC%E8%83%BD …
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秀吉が一番怪しいです。

遠征先から戻って来るのが早過ぎます。
また、信長の没死後に天下統一を果たしています。計算されたものでしょう。
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黒田官兵衛あたり・・・。

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豊臣秀吉か徳川家康、または時の天皇・皇族ってところでしょうかね。

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