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我々はけして完璧な哲学を持っている訳ではありません。

時には今までの持論が「あれ おかしいぞ?」と思うこともあります

そういう時あなたは何に立ち返りますか?

何を基準に考えますか 人それぞれだと思います

よかったら教えてください。

A 回答 (11件中1~10件)

≪存在性≫思想は その内容が箸にも棒にも掛からないものです。



≪存在主義≫とすれば よく分かります。一般に思想の基礎を成
すと言えるものと思います。



世界という顔について ここは目だ ここは鼻だというふうに
なぞっているだけの思想です。存在性は。

目は その性質としてある。
鼻は その性質に拠って鼻と成っている。

目の働きは その性質としてコトが起こっている。
鼻の働きについても 同様である。
うんぬん。うんぬん。




目は よからぬ物事をいま見ている。これは けしからぬと言
い みなさん そうではないですかと言い続けているのが 存
在性思想です。

あぁ 臭いにおいが早く消えて欲しい そうではないですかと
壊れたレコードみたいに言い続けている。

――そういう思想のどこを見直してくれと言うのでしょう。

≪精査≫してから精確なお答えを発表してくれますか?
それとも 第三者の専門家に・・・。

これらのことについて ご自身が:
★ 「あれ おかしいぞ?」と思う
☆ ことがないとすれば 話し合いは 無理です。
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この回答へのお礼

存在性思想は21世紀を救う思想だと自負しています。

存在主義はその一端に過ぎません。

ただ自分の寿命が怪しいので 焦ってはいます。

お礼日時:2016/06/11 21:21

考える、というよりも行動だ"!という意見もあり、これは実現的です。


でも、考える、と云う事も"行動"であると思えば意義が生じます。

haruさんの真心に涙!

№6をharuさん、読み違えていませんか。
すっぴんだからだめ、なのではないのです。

haruさんは日々の生が惰性になっているのかも知れません。
でも、なるほどと云っているから救われます。

haruさんは自信を持つべきです。
存在性哲学に、真正面から反論しharuさんを納得させることの出来た人はまだいないからです。
私もその一人です。

理解されない最大の原因は、日本語としての使い方にあると思います。
性質、と云う言葉は"それが有る"と云う表現で使われ"それで出来ている"とは云いません。
性質で出来ているように、思えてもそう表現出来ない、またそう表現したくないのです。

この事にこだわるのなら、別の表現を工夫してほしいと思います。
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この回答へのお礼

Thank you

性質で出来ていると言わなければ 精神は何で出来ているのでしょうか?

他にいい言葉が見当たらないのです。言い換えると・・・と言うのがあればいいのですが

「性質」という言葉の語感の問題だと思います。性質という言葉にどういう語感を持っておられますか?

色々と助言頂きありがたい限りです。^^

お礼日時:2016/06/11 10:51

人間が言葉を使っていろいろな概念を表現し始めた時間より桁違いに多くの年月を人間は滅びる事なく生きてきました。

だから、言葉だ人生観だ世界観だと言って、何か判った積りになったり、生きざまをそれに基づいて決めようとすることが、如何に生物である人間が生きている行為の中でバランスの欠けた振舞いであるか、お判りになるでしょう。

人が問題に直面したときには、そんな未熟な言葉や理屈に頼るのではなく、言葉にならなくても、今まで生きてきた経験に基づいた直感に従って次の出方を決める、この方法の方が言葉や理屈よりも遥かに合理的でさらに有効な方法です。
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この回答へのお礼

ありがとう

直感ですか。人間は生物ですか? 人間の体は生物ですが、人間と呼べるものは精神です。

精神は人それぞれ色々な状況にあります、見かけの体が人間ではないのです

体(生物)は人間存在の基礎です 動物の頭に人間が宿っているのです

この認識は非常に必要です。見かけ似たような人間でも 心は全然違うのです。

若い人達も直感に頼って生きてるのでしょうね。

お礼日時:2016/06/11 10:47

>無知の知でしょうか?色即是空でしょうか?



そのような固定した考え方に固執しません。
長門有希さんは言います。「無矛盾な公理的集合論は自己そのものの無矛盾性を証明できない」
当たり前ですが、自分が正しいと思っていることがらに一切の否定がないとしても、本当に正しいか知ることは出来ません。
考えは、それが正しいと言えている集合論の外から見れば間違っています。事象の広がりからすれば、考え方なんて言いうものは間違っていることがわかります。この回答だって間違いですので信じないでくださいね。
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この回答へのお礼

ありがとう

そりゃ、真実・真理を「・・・・・・です」とズバッと言える人はいないでしょう

理解してる人もいないでしょう。 お釈迦様でもキリスト様でも無理です。

真理の方向を指さしたくらいです。

ただ私達は生きている時に人生観・世界観がないと何をどう生きているのか分かりません

そういう時に道しるべになるポラリスを見つけたいと思ったのです。

お礼日時:2016/06/09 16:29

もともと、如何なる考え方も、思想も、科学も、全て間違っていることに立ち返ります。


持論を持たないことを基準に考えます。
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この回答へのお礼

ありがとう

無知の知でしょうか?色即是空でしょうか?その様な道もあるのですねえ

だだじゃさんは思わぬ回答を書きますよねえ。ありがとうございます。

お礼日時:2016/06/09 08:38

女はしぶといです。



私は、さっとシャワーを浴びて、香水を振りまき、髪をセットして、化粧をします。
これが基準ですね。

スタート・ラインに立つまで三十分以上かかるので、厄介といえば厄介です。
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この回答へのお礼

ありがとう

成る程 シャワーを浴びて・・・・・・化粧をしたらリセット出来るのですね

大したものです。

そうやって我に立ち返る。 だから「すっぴんだからダメダメ~~」と言うのでしょうね

なるほどどうもありがとうございます。

お礼日時:2016/06/09 08:36

人間とは何かです。


人生観はもちろんですが
世界観でも人間を軸にしないと
どこを克服してどこを尊重するべきか
混沌の域を抜け出すことは困難だと思います。
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この回答へのお礼

Thank you

人間とは何か はキーワードですねえ

自分が人間だからじゃないけど 人間には可能性がある、精神がある、創造力がある。

素晴らしい答えだと思います。

私も今一度「人間とは何か」を整理してみたいです。

お礼日時:2016/06/09 08:33

自信はあると言いながら、間違っているかもしれないと言うのはどういうことなのでしょうか。

。自分の発見として、ただ青年の主張として訴えている、、それはある意味で純粋ととれるのかもしれませんが、別の意味ではハルさんが止まっているということでもあります。
私でさえ青春ならず、朱夏です。ハルさんなら白秋といったところでしょうか。青春の折に見つけたものなら私もあります。名曲名詞を2,3曲書いたと思っていますが、それよりも優れているものは世に溢れています。自分の見解にこだわると、それよりも優れているものに触れた時に、素直にそれを受け取ることが出来ません。それは、自分の世界がそれ以上広がらないということです。世界はこんなに広いのに、我見にこだわるなんて寂しいことです。
ハルさんの存在性思想は、別のQAでも述べたとおり、一方的な言葉の用法と思考回路の問題で多くの人に理解されないのだと思っています。ですが、また存在性思想についてのQが立った時には、また気の向くままに参加するかもしれません。その時はよろしくどうぞ^^謙虚に聞く耳を持つならば、今までとは異なる世界の扉を開くこともきっと出来るでしょう。
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この回答へのお礼

自信があって間違ってないと思っていたら、宗教家になりますよ。

自信はあるんだけど 間違ってるかも知れないという

納得できても、もう一度考えるといい。納得できなくても、もう一度考えるといい。

という言葉が「青春の思索」にありました

自信はあるけど過信にならないようにブレーキをかけているのです。

ネットの世界にはなかなか理解者は見つからないようです。

お礼日時:2016/06/08 23:23

そういう時は、一時は不安になるかもしれませんが、新しい世界観や人生観を獲得するチャンスでもあります。

今まで培った自分の思考の慣習は一先ず置いておいて、人生の新たな扉をあけられる良い機会と思い
、希望を胸にしてその新しいものの見方に積極的に関わろうとすべきです。
そういう意味では、着地点は未来にあるのです。ピンチはチャンス、前進しようと、私ならば挑戦します。
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この回答へのお礼

私は自信はあるのです。ないのは理解者です。これはこの20年ずっとそうです。

私を知る人は「死んでから認められるんじゃない?」と言います。

死んでも認められないかもしれません。間違ってるかもしれません。

ただ私の発見として青年の主張として訴えているのです。

まだまだ青春です。謙虚にご批判は受けます。どうぞ批判する所まで来て下さい。

何卒どうか宜しくm(_ _)m

お礼日時:2016/06/08 21:25

人間、遅くとも二十歳くらいまでに自分の哲学が固まると思うんです。



私は、前にも言った「三国志」それから「田中正造伝」が心に刺さって
いて、その影響で、「理想的な社会づくりに貢献したい」と思うように
なりました。
大学に入ったばかりだから、19歳の時に学校の喫茶室で、ひとり熱い思
いを文章にしたことをよく覚えています。

その頃は、論理性は極めて弱かったのですが、思いだけは強かった。そ
してその思いは、今のほうが強いかも。

ハルさんも、若い時に同様のものがあったはずです。それを思い出して
そこに戻ればいいと思います。

何を望んでいたのか?何を大切にしていたのか?
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この回答へのお礼

Thank you

私は高校に入る前に 亀井勝一郎の「青春の思索」を読みました。

そこに色々な哲学や文学の一節が詳解されていました。

それを持って高校に入ったら いきなり自治委員とか生徒会長をやらされて困惑し苦悩しました

なかなか思う様に行かないのです。そこで習った倫理社会の参考書6冊くらい(先生に貰った)

を一生懸命読んで。「真理が明らかにならなければ人類は救われない」と思って

人生を哲学に賭ける事にしたのです。

それからは大学も退学して仕事もしなら東京に行ったりして考えました。

しかし病気になってしまって 考えられない時期もありました。

そして閃いて辿っていって纏まったのが存在性思想です。まだまだですが世に問いたい。

せめて分かって批判して貰いたいと思いました。

存在するものは存在性によって態を与えられて存在するという珍しい理論です。

私が考えたオリジナルで私の理論で私の人生の代償の・・・?

お礼日時:2016/06/08 21:13

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