プロが教える店舗&オフィスのセキュリティ対策術

先日、日本語の自然な語順について教えていただきました。例文として「“昨日” “渋谷で” “彼女に” 会った」です。
自然な語順は、“時→場所→人”ですね。ところで、この順番は、以下の説明のように、認知症を患ってきた際に、認知できなくなる順番と同じです。
 * *
 浅野弘毅・阿保順子・編の“高齢者の妄想”のなかの阿保順子・著”虚実と現実が行き交う場所“を興味深く読みました。そこには、次の説明がありました。
<子どもでは、人・場所・時間という順序で認知が進んでいくのに対して、認知症の人々の見当識は、時間・場所・人という子どもの認知の歩み方の逆を辿ることに興味深い。そして、時間の認知が崩れ始める際、過去と現在が一つの場所で混在することが起こってくるようである。>
 * *
 三つの言葉を並べると、その順列はたった6通りしかないのだから、日本語と認知症とで順番が同じになっているのは、たまたま偶然に合い、何の意味もない、とも考えられます。[ただし、これを認めると,以降、思考(無駄でしょうが、楽しいものです)ができなくなるので、私はとりあえず避けます]
そこで、私は、以下のように考えました。日本人は、聞き手に分かりやすいように、認知の難しい言葉すなわち “時“ から述べるのである、です。(理屈らしきものを、無理やりでっち挙げたようで、まるで自信がありません。)
質問は、日本語と認知症との間で、なぜ、順番が同じになったのでしょうか?

A 回答 (6件)

医学的な根拠はありませんが、それぞれ抽象度で説明が付く気がします。



言葉は具体的なものから覚えていきます。
抽象的な概念は最後です。
よって、子供が人・場所・時間という順序で認知が進んでいくのは自然です。

具体的なものよりも抽象的なものの方が高い認知力が求められるのは当然と思われますので、
習得時には低い認知力のものから覚えていき、
消失時には高い認知力が求められるものから消失していくというのもまた当然かと。

日本語は、大きな概念(抽象度高)から語っていくのが通例ですから、
時間・場所・人という順序になるのもまた自然です。

なぜ日本語は大きな概念から語るのかというのは私も断言できませんが、
大きな概念から説明していく方が自然ですよね。

英語文化圏のように、
番地から住所を記載したり、
ファーストネームから名乗ったり、
日付先行で年月を表現したり、
というのは非常に違和感を覚えます。
英語圏のそれは一体何なんでしょう。
それは私も疑問です。
    • good
    • 1
この回答へのお礼

早速のご回答ありがとうございました。
<日本語は、大きな概念(抽象度高)から語っていくのが通例>
ですので、”時”が頭になるのですね。認知症では、抽象度の高いものから崩れて行くのですね。    私も、英語のような
<番地から住所を記載>
には、違和感があります。

お礼日時:2016/08/17 21:37

「日本語の語順」という限定付きの話ですね。

英語などでは(実はあまり詳しくはないのですが)「私は」・会った・彼女に・渋谷で・昨日
という語順になると思うのですが、この違いは言語の問題ではあっても、「認識」の違いにつながるか、どうかは不確かですね。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

ご回答ありがとうございました。
確かに、英語の語順は、日本語のと順番と同じではありませんね。
<この違いは言語の問題ではあっても、「認識」の違いにつながるか、どうかは不確かですね。>
ですね。日本語や日本人の問題だと思います。

お礼日時:2016/08/18 20:25

No.3です。


少し言葉足らずでした。以下のように訂正します。

小生が「慣習次第」と表現したのは言葉の順番です。
冒頭「例文として「“昨日” “渋谷で” “彼女に” 会った」です。」は、
「“昨日”、“渋谷”で、“彼女”に、"会った"」の4点が状況説明に必要な言葉で、
その順番は固定的である必要はないということです。
その順番は、その方の環境や経験により(慣習)、表現方法も文語や口語でも変わり得る、と言うことでした。
    • good
    • 1
この回答へのお礼

再度のご回答ありがとうございます。
<その方の環境や経験により>
なのですね。私は(いつものことながら)早飲み込みをして、慣習を社会の慣習、と意味を取り違えました。

お礼日時:2016/08/18 17:34

認知症の見当識には、


・いま、いる場所が分からなくなってしまう
・日付や曜日の把握が難しくなってしまう
・見たことのある人だけど、自分との関係性が分からなくなってしまう
などがありますが、順番は必ずしも、時・場所・人とは限りませんよ。

「みそ汁を作ろう」と思った場合、
・まず、台所に行きます(調理場所はわかっています)
・しかし、材料や手順が混乱します
(お湯を沸かす間に具を切るなどが出来なくなり、問題遂行機能が低下します)
・結果、具のないみそ汁を夫に出します(提供する人物はわかっています)

「洗濯をしよう」と思ったとき
・洗濯機の設置場所に行きます(場所はわかっています)
・しかし、手順が混乱します。
(汚れ物を入れ、洗剤投入、スタートボタンを押すの順番が狂ったり飛んだりします。
これも問題遂行機能の低下です)
・結果、日暮れになっても洗濯は終わっていません
(問題遂行機能の低下のせいで、時が遅れただけで、洗濯は朝から取り掛かっています)


>質問は、日本語と認知症との間で、なぜ、順番が同じになったのでしょうか?

この大前提が間違っています。上記2例は場所はわかっているのですが、
トイレではない場所で粗相をする場合は、場所がわからなくなっていますね。
    • good
    • 1
この回答へのお礼

早速のご回答ありがとうございます。
実例をあげて頂き、ご説明があり
<この大前提が間違っています。>
ですね。そうかもしれません。以下弁明になります。個別の認知症になったら、私の体験から言って必ずしも綺麗な順番にならない、と考えています。ただし、大きくは、”時”からの順番であろう、と本を”信じ”ています。同じように、日本語における順番も、私の経験から言って、必ず”時”からの順番、というのは後めたいです。しかし、両者とも、思いきって4捨5入し、(荒っぽく言えば)合っている、としました。

お礼日時:2016/08/18 09:32

基本は5W1Hで、その語順は慣習次第。

状況からは1部省略ができる。
最後のご質問は、その慣習次第、と言うことでしょう。
    • good
    • 1
この回答へのお礼

早速のご回答ありがとうございました。
まず、
<その慣習次第>
なのですね。そして、次の段階では、そのように慣習が固まった理由が知りたいのですが。

お礼日時:2016/08/17 21:41

蒸し返すようで、恐縮です。



>「“昨日” “渋谷で” “彼女に” 会った」

において、“時→場所→人”と言う語順が自然、という仮説は正しいですか?

「会った」を最後に置くは分かりますが、それ以外は????です。

前スレがあれば、ご紹介ください。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

早急な回答ありがとうございました。
以下で、質問し、その多数回答を採用しました。
https://oshiete.goo.ne.jp/qa/9374874.html

お礼日時:2016/08/17 19:52

お探しのQ&Aが見つからない時は、教えて!gooで質問しましょう!

このQ&Aを見た人はこんなQ&Aも見ています