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画像の有名な江戸城の屏風絵の天守閣は黒い天守閣です。なぜ徳川の本拠地である江戸城の天守閣が黒いのですか?徳川時代になると壁は白い漆喰でできているはずなのに、不思議です。

「江戸城って漆喰塗りではない?なぜ黒い?」の質問画像

A 回答 (3件)

これは「江戸図屏風」ですね。


https://www.rekihaku.ac.jp/education_research/ga …

天守は「黒」でいいですよ。

「なぜ徳川の本拠地である江戸城の天守閣が黒いのですか?」
と書かれていますが、「豊臣は黒」「徳川は白」という話なら、あれは「俗説」「ガセ」です。

「徳川時代になると壁は白い漆喰でできているはずなのに」
とのことですが、例えば伊予松山城は黒い天守ですが、幕末の1854年の完成です。
公式ホームページにも「黒船来航の翌年落成した」とあります。
http://www.matsuyamajo.jp/matsuyamajo/castle.html

江戸城の天守は、3度築かれています。

(1)慶長度天守
○ 徳川家康の天守
○ 現在の天守台よりもやや南に設置
○ 鉛瓦を使い、白漆喰の白壁で、まさに「白亜の城」

(2)元和度天守
○ 徳川秀忠の天守
○ 慶長度天守を解体し、現在地に建築
○ 詳しいことはわからないが、白漆喰の白壁だったらしい

(3)寛永度天守
○ 徳川家光の天守
○ 元和度天守を解体し、1から築き直した天守
○ 黒チャン(錆止め)塗りの銅板で壁を覆い、黒っぽく見えたらしい

で、この寛永度天守は、資料も多くのこっており、異説はあまり聞いたことがありません。
http://home.hiroshima-u.ac.jp/miurayu/castle.html
ですから、寛永度の天守は「黒」です。

ちなみに、寛永度江戸城の「黒」は、例えば伊予松山城や松本城や犬山城のような「板を張った壁」ではありません。
防火対策で「銅板」を張ったから黒いのです。

初代の徳川家康の天守は「白」だったようです。
「豊臣は黒」「徳川は白」というのは、あくまでも「豊臣期の大坂城の天守」と「家康の江戸城の天守」を比べただけの話です。

そもそも「聚楽第」や「肥前名護屋城」の天守が「白」という話もあり、家康が隠居した「駿府城」の天守が「黒」という話もあります。
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江戸城天守は家康、秀忠、家光の3代で3度建てられています。


3つの天守は元号にちなんで「慶長天守」「元和天守」「寛永天守」と呼ばれています。

写真の天守は家光の建てた寛永天守で、黒く見えるのは壁面に防火のため銅板が貼ってあるからです。
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江戸城は真っ白でした。

絵師は江戸城を見ずに想像で描いたのかも。京の絵師に依頼したとか。
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