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あの古代人について知りたくなったのですが、疑問がわいて分からない部分がある。
古代文明国が4つほどあるじゃないですか・・・
そこで疑問に思ったのですが、本当に白人黄人黒人などに分かれて存在したのでしょうか!?
教科書によると白人系とか黄人系とか人種別に分かれてるようなこと書かれているけど・・・
だって、大陸人同士はほぼ遺伝子的にそれほど遠くないでしょう。
インド付近や北アフリカ付近や欧州付近に古代帝国があったでしょう。
その帝国の人々の中に色んな種族がいてもおかしくないと思うんですよね。
モンゴロイド族とかさまざまな民族がね・・・

そこで質問です。
実際は種族とか関係なく色んな民族がそれぞれの古代文明国に存在していたということはないのでしょうか?

※上記に色々と書きましたが、私は間違った認識をしているかもしれないので、
 その時は良ければ古代人について正確に教えて貰えないでしょうか?
 そもそも人種についても分からないので、教えて下さると助かります。

最近は質問しすぎかもしれないけどよろしくお願いいたします。

A 回答 (3件)

イメージできる程度でよければ、おおよそ次な感じだと思います。



まず5万年くらい前にアフリカ大陸を出て世界に広がりました。このころの人たちの形をよく残しているのは(アフリカ以外では)オーストラリアのアボリジニ達だと思います。またインドからオーストラリアに続く一帯にアボリジニや黒人と同じくらいの肌の色の人たちがいますが、その人たちも出アフリカのころの人たちをよく残していると思います。

5~4万年前に世界中に広まった人類は、エジプト~中東あたりではやや色が薄く、中国ではもう少し薄く、スカンジナビア半島の付け根あたり(?)では白色くらいになり、1万2千年前の最終氷期が終わって8~6千年前くらい前から定住生活=農耕や酪農が始まり、4千年前くらいに最初の文明、って感じです。
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この回答へのお礼

そうなんですか・・・

お礼日時:2017/02/10 17:01

遺伝子レベルの研究では、黒人種とそれ以外の人種は大体12万年ぐらい前に分かれていると分析されています。

その後白人種と黄色人種は6万年ぐらいに分岐したと言われており、オーストラリアのアボリジニは黒人種から分離した白人・黄色人種の初期の形式をたくさん残している、と言われます(アボリジニーは見た目は黒人的ですが、遺伝的には黄色人種に近いです)
 大体12万年前にアフリカ大陸を出た人類は今のトルコ付近で西に行く人々と東に行く人に分かれ、大体4万年から3万年前にはユーラシア大陸全土に人類は普及していました。アメリカ大陸に渡ったのは、大体1.5万年ぐらい前です。

ただ、この後もそこに定住していたわけではなく、たとえばアーリア人と呼ばれる今のイラク周辺で放牧などをしていた人種は、紀元前2000年ぐらいにヨーロッパやインドなどに大移動したとされています。言語学で「インド=ヨーロッパ語族」と呼ばれる人々がアーリア人とほぼ同じです。(ただし、ヨーロッパでは4世紀から6世紀にゲルマン人大移動やフン族(アジア人)の侵入などのあったので、すべてアーリア人というわけでもありません)

つまり6000年ぐらい前の古代文明の時代にはすでに黒人・白人・黄色人種という肌の色の違いはできていて、さらにそこから農業を始めた人々や放牧民族になっていった民族など、古代文明の時代にはすでに様々な民族がそれぞれの場所に適応して生きていたのです。さらには、文献などがないため、非常に難しいですが、異民族戦争なども頻繁に起きていたようですし、民族移動なども当然にあったでしょう。

現代でいえば、シリアの難民は途中バスなどを使うとはいえ、シリアから3000キロも離れたドイツまで100万人も移動しています。古代は戦争などに追われて移動する民族も相当数にあったでしょう。

また種族と民族は同じではありません。
民族というのは同じ人種的ルーツをもっていても、生活スタイル(農耕か放牧かなど)住んでいる地域(平原か山間部かなど)によって、価値観が変化していき宗教的な規範も変わっていくものです。この宗教的・文化的な違いを意識するようになると「民族」という概念に変化していきます。


という古代の事情を考慮したうえで、いわゆる4大文明をみてみましょう。
・エジプト文明
紀元前3000年ごろの文明ですが、この文明の主体はほぼアーリア人です。黒人はほとんどいなかっただろう、といわれています。実際紀元前から紀元後に至るローマ時代も地中海にはほとんど黒人がいなかった(移動してこなかった)ようですので、その後のアラブ人やヨーロッパ人になっていくアーリア系の人々が作った文明です。

・メソポタミア文明
紀元前3500年ぐらいから始まったとされています。
エジプトよりも古く、主体的な民族はアーリア系ですが、この地域にはのちに中央アジアに国家を作るコーカサス系の人々や、インドなどを作るアーリア人とは違うアジア系もいたはずです。

・インダス文明
紀元前1800年ぐらいに栄えた文明です。このころにはまだアーリア人はインドに達しておらず、文明の崩壊時期にアーリア人がやってきたという説もありますので、少なくともこの文明の中心民族はアーリア人ではないアジア民族でしょう。

・黄河文明
最近では黄河流域だけでなく紀元前7000年ぐらいから紀元前1200年ぐらいまでに栄えた東アジア(主に現在の中国の地域)の文明を指します。
 これは今の中国人やモンゴル人、さらには女真族(満州族)などを構成する初期の東アジア人の文明であるといえます。

それぞれの文明には周辺で生活をしていた各種の民族たちを巻き込んで大きくなっていたでしょう。それは間違いありません。
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この回答へのお礼

なるほど・・・。
種族じゃなく民族と呼ぶべきなんですね。
色々と知れて良かったです。

お礼日時:2017/02/15 11:26

> 古代文明国が4つほどある それぞれの古代文明国に色んな民族が存在していたということはないの



「いろんな」の程度にもよるでしょうが、「単一民族、単一人種しかいない」ということはないと思います。
ある時代のある地域(例えば、メソポタミヤ、エジプト、インダス、黄河、南米、アフリカ、、、、)
に遺跡や工芸品などが"発見・認知された"となると、それは、"他の時代や他の地域とは異なる特徴を示すものがあったと区別出来た"ということでもあると思います。
そうした不連続状態が生起するのは、その直前からその時代にわたって、その地域で何らか変動変化があり、それを許容するような事情があったということです。 ある範囲内でのことしか認めず受け入れることをしない社会であれば"変化は生じない"からです。
例えば、土木、建築、墓葬、石器鉄器、土器陶器、宝飾、服飾、頭髪結髪、絵画記号文字など、あるいは言語や信仰、習俗習慣などで、新しいものを受け入れたり、統合したり、分化し別のものに変わるなど、何かの変化変容をするのは、社会が従来のもののままではない状態を受け入れているからでしょう。
そうした変化には、例えば、生産力が高まり相対的に以前よりも豊かになって変異を少々ならば許せる気分が生まれて工夫や試行錯誤、バリエーションを認め、そのような行為を行う中で周囲がOKと感じるものを創造できる人を工人として専門職に育てる、戦いに強いものを軍人戦闘員に育てるようなことが出来てくるのでしょう。 その時代の中で、周辺地域よりもそうしたことに多く成功した地域があれば、やがて人口も増え、周辺地域に対して優位にたち、周囲との交易が行われたり、周辺を占領したり、吸収統合か支配域に組み入れるようなこともおき、交易のための往来も増加します。
そうしたことやさらに周辺にある強大地域との勢力争いで興亡は繰り返されます。
そうした結果で、世界史、古代史などに出てくる文明国(文明地域)があるのでしょう。 国というか、都市というか、王権・王朝のようにいうか、○○文明のようにいうかわかりませんが、その内部には結構複雑な分業体制、支配体制があるのが普通です。 被支配、奴隷や工人、職人、労働者、運搬交易担当、管理支配の末端に位置するものもいるのでしょう。
南米だといわゆるモンゴロイドしかいなかったかもしれませんが、民族は多数が混在あるいは分散して南米の文明を形成していたでしょう。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A4%E3%83%B3 …
西アフリカでも、事情は同じです。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%95 …
紅海沿岸でも、
http://blogs.yahoo.co.jp/alternative_politik/fol …
古代エジプトでも
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8F%A4%E4%BB%A3 …
インダス地方でも、遠隔地との交易は盛んだったので、多くの民族が出入りしていたでしょう。(インダスはドラビヴィダ人と考える根拠はないらしいです)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A4%E3%83%B3 …
黄河揚子江でも、民族間の抗争は伝説神話になるほどですから、
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%8F_(%E4%B8% …

ご承知でしょうが、日本も単一民族地域として長い期間続いてきたわけではなく、古代ならば、まちまちに色々な民族、種属が入ってきています。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E6%9C%AC …

ただどの種属、人種、民族が出自であっても、男女であれば子を作れる可能性があって、100年後(20歳で子を産むなら5代目)では、(もとの形質が残っている可能性は1/32で、31/32は他の混血です)から、百年後には新しい、新しい民族になって、人種的にも新人種が誕生と言える状態になっていても不思議はないです。 
黒人、白人、黄色人とくっきり分かれているのではなくて、他から分離したままそれ以上混ざっていない状態が100年間200年間とある程度の期間続き、内部で混血と交流が続くと、そこに新しい民族と人種が出来てしまうのだと思います。
逆に云えば、他地域との人的な交流があれば、少なくともその地域には、他地域の人の混住状態が出来るということでしょう。
古代エジプト、古代メソポタミア、古代黄河流域、古代揚子江流域、古代インダス地方でも、単一民族しかいなかったというようなことはないでしょう。
ちなみに、ギリシャのポリス都市国家にも多くの奴隷がいました。その奴隷の中にはもと他のポリスの住民だけでなく、地中海の他の地方から来ている人も少なからずいたと思います。
ヨーロッパで民族移動時代と呼ばれる移動が盛んだった時代がありますが、この時期だけに人々が移動していたのではなくて、人はいつの時代でもそこそこには、少数の移動は結構あり、受け入れ側からすれば人種や民族、宗教の異なる人が入ってきて住んでいる可能性は、奴隷や征服民、工芸技術者集団、交易業者というだけでなく、いろいろあったのだと思います。
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この回答へのお礼

何とも言えないが何か凄いですね・・・

お礼日時:2017/02/15 11:28

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