痔になりやすい生活習慣とは?

伊予国をルーツとしている戦国武将を知ってるだけ教えて下さい。

戦国時代にも現地に居た武将ではなく、それより以前に圧迫に耐えかねて伊予国外に出た武将限定でお願いします。

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A 回答 (2件)

藤原純友の子孫を称する有馬氏や大村氏は伊予がルーツかもしれないけど、圧迫されたといっていいかどうか。


宇都宮豊綱は負けて伊予を追い出されたけど、戦国時代の終わりの方ですし。
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この回答へのお礼

ありがとうございますm(__)m
正直圧迫とかじゃなくてもいいです。元々伊予がルーツだけど、戦国時代では別の場所で活躍してるって感じでも!

お礼日時:2017/02/22 05:43

>戦国時代にも現地に居た武将ではなく、それより以前に圧迫に耐えかねて伊予国外に出た武将限定でお願いします



じゃあ、誰もいないよ
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この回答へのお礼

じゃあ戦国初期に出てった人でもいいです。

お礼日時:2017/02/21 09:08

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Q命懸けの決闘をやるメリットは何ですか?

剣道の試合みたいに防具を着て竹刀で打ち合うならスポーツです。
宮本武蔵が高条件で自分を雇ってくれる王様にアピールするために決闘相手を募るのも分かります。
それ以外です。
相手とあらかじめ打ち合わせして奇跡的な名勝負をやって周囲から賞賛を得ようとするのでなく、勝利したらお金をもらえる状況でもなくて、戦争中でもない、
武器を使わない事を約束した上の殴り合いだったり、ギブアップしたら即座に絶対強者が止めてくれるわけではない、
ギブするときにはもう決定的な重症で助からない可能性も高い刀や剣や銃を使う決闘です。
挑んだり受けるメリットは何ですか?
受けた直後に冷静になって、やっぱりこっちが悪いです負けでいいです御免なさいの実例は歴史上に少ないのでしょうか?

Aベストアンサー

決闘と言うのは、両者が話し合いでは解決できない問題の最終解決方法が決闘です。

「力が強い者は何でも正義と言う倫理」と、「決闘で勝った者がその問題解決を行えるという倫理」との違いは、「力が強い者は何でも正義と言う倫理」は、ルール無用。勝てば何をやってもよいと言う方法で行われ、その組織が存在する限り永遠に紛争は終わりません。どちらかが滅ぶまで続きます。


「決闘で勝った者がその問題解決を行えるという倫理」は、両者が争っている争点の最終解決方法として、両者が合意したルール(その文化圏で慣習的に認められた仁義が基準となる場合が多い。例え「命を掛けた決闘」でも飛び道具や投げナイフは駄目とか。)で決闘を行います。その決闘の後は、その問題解決を行う権利は勝者にあると言うのが決まっただけで、人としての勝敗が決まったわけではなく、その後はこの問題は過去のモノとし、建設的な未来志向で互いの関係を構築する(命を掛けた決闘でも、決闘によって死なれた人の仲間がその報復を行う事は野蛮とする)。

このような目的でやられるのが決闘です。



その合意内容は、その地域の文化的、歴史的な慣習で養われる事が大半です。


「命を懸ける決闘のメリット」ですが、決闘とは個人の問題なので、その状況によりますので漠然とした答えになりますが、「命を懸ける決闘のメリット」は、話し合いでは解決できない、どちらかが死ぬしか問題解決が無い。しかもその殺し方は闇討ち、暗殺などでは駄目で、正々堂々と決闘による勝負が必要である。そのような背景があるからこそ「命を懸ける決闘」を両者ともに合意しているのだと思います。


それで、そのメリットですが、勝者はその問題を解決する事ができます。

決闘と言うのは、両者が話し合いでは解決できない問題の最終解決方法が決闘です。

「力が強い者は何でも正義と言う倫理」と、「決闘で勝った者がその問題解決を行えるという倫理」との違いは、「力が強い者は何でも正義と言う倫理」は、ルール無用。勝てば何をやってもよいと言う方法で行われ、その組織が存在する限り永遠に紛争は終わりません。どちらかが滅ぶまで続きます。


「決闘で勝った者がその問題解決を行えるという倫理」は、両者が争っている争点の最終解決方法として、両者が合意したルール(その文...続きを読む

Qまじ質問です。アポロ11号でアームストロング船長が初めて月に降り立つ映像を撮影したのは誰ですか?

まじ質問です。アポロ11号でアームストロング船長が初めて月に降り立つ映像を撮影したのは誰ですか?

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>キャノンが世界初!ならありえますね。

キャノンが世界初でなければ、もっと可能性は高いですよね。
でも、NO10さんの言う通り、ピント固定方式であった可能性の方が高いでしょう。

日本でも固定焦点式のカメラが1986年頃から大衆向けに安価に売り出されています。
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日本史に出てくる人物で一番の卑怯者を挙げるなら誰を挙げますか?

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徳川慶喜。

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wikipediaでは江戸以前は「年寄」等と呼ばれていたと書かれてました。

しかし野望シリーズの紹介文ではよく「◯◯家の筆頭家老」という表現が使われます。

つまりこれは、コーエーのミスということでしょうか?

Aベストアンサー

単に「判り易さ優先であえて後代の役職名を使っている」のだと思いますよ。
歴史のテストや論文に、ゲームの表現を鵜呑みにして「家老」と書いたらミスになりますけど。

Q三国志のコミックスを読んでいるのですが、何十〜100万の兵で侵攻を開始したといった、とても大規模な戦

三国志のコミックスを読んでいるのですが、何十〜100万の兵で侵攻を開始したといった、とても大規模な戦争が多く行われていますよね。
そこで気になったのですが、当時の中華にはどれほどの人口がいたのでしょうか??
また三国志に登場する「城」と呼ばれるものは「キングダム」で描かれているような民間人も暮らすような場所と考えてよろしいのでしょうか?
どなたか詳しい方に教えていただきたいです。よろしくお願いいたします。

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>当時の中華にはどれほどの人口がいたのでしょうか??

現代日本のように正確な戸籍がなく、また全ての人が役所に登録していたわけではないので正確な人口はわかっていません。他の回答者の方が仰る通り3000万人~5000万人と推定するのが妥当でしょう。

>何十〜100万の兵で侵攻を開始したといった、とても大規模な戦争が多く行われていますよね。

コミックや小説などの描写はたいてい嘘なので本気にしないでください。
最大規模の戦闘となった赤壁戦で両陣営合わせて十万を少し超える兵数です。それすら両陣営ともやや盛った数なので十万に届いていたかどうか。

>何十〜100万の兵
この数は当時の人にとってはSFファンタジー設定でした。
近代の戦争でやっと兵数「数十万」規模の戦闘が記録に登場します。古代と現代の人間の数がこれだけ違うことを考えれば、十万~100万の兵数がいかに思い切った架空設定であったか理解できるはずです。
あり得ない数で架空のお話を創って当時の観客を驚かせたのでしょう。なんでも派手なほうがエンターテイメントとして客を呼べますからね。

なお小説やコミックの『三国志』は三国時代以降に民間で演じられた舞台劇をもとにしたフィクションです。
小説家やマンガ作家の中にも現実を全く学ばずに書いている人が多いですから、あまり本気に受け取らないことです。


>また三国志に登場する「城」と呼ばれるものは「キングダム」で描かれているような民間人も暮らすような場所

他の方が回答されている通りです。
日本的に言えば「都市」「街」です。
城を攻略することはすなわち街を攻略することになります。
「●●城が陥落した」という表現があれば、日本では「江戸が陥落した(江戸城ではなく)」というイメージになります。

>当時の中華にはどれほどの人口がいたのでしょうか??

現代日本のように正確な戸籍がなく、また全ての人が役所に登録していたわけではないので正確な人口はわかっていません。他の回答者の方が仰る通り3000万人~5000万人と推定するのが妥当でしょう。

>何十〜100万の兵で侵攻を開始したといった、とても大規模な戦争が多く行われていますよね。

コミックや小説などの描写はたいてい嘘なので本気にしないでください。
最大規模の戦闘となった赤壁戦で両陣営合わせて十万を少し超える兵数です。それす...続きを読む

Q戦争が進むと日本軍に独立部隊が増えるのはなぜ?

日本の戦史を見ていて気づいたことが有ります。旧日本軍では師団に属しない部隊は頭に「独立」がついて独立部隊と呼ばれます。日清日露戦争では独立部隊は少なく、砲兵旅団とか騎兵旅団が少しある程度でした。しかし日中戦争あたりから混成旅団などで独立部隊が増えだし、太平洋戦争では独立混成連隊・独立歩兵大隊・独立速射砲大隊・独立戦車中隊など独立部隊がどんどん出現し細分化されていきます。師団を離れた小兵力の部隊が増え続けた理由は何なのでしょうか?

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師団では戦闘単位として大きすぎるようになってきたからではないでしょうか。

師団はそもそもそれ単独で方面の戦闘行動を継続できる諸兵科連合の戦闘単位であり最小の戦略単位です。
ところが、師団では大きすぎて小回りがきかない場合というのが往々にして発生するようになってきます。
そこで必要な戦域に必要な戦力を投入するために師団の隷下に属さない独立部隊が増えていったわけです。

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ドイツ軍の重戦車大隊はほぼ独立部隊として各戦域を転戦していますが、まさにこれがいい例でしょう。

参考程度にどうぞ。

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戦前の日本軍は柳条湖事件をきっかけに満州地方を短期間で占領してしまいます(満州事変)。
日本の3倍近い面積をもつこの地域を、日本はどうして短期間に奪い取ることができたのか不思議でならないのですが、その理由は何だと考えられるでしょうか。

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また、満州事変においては南京大虐殺のような事件(この事件が本当だったかどうかは置いておいて)がほとんど起きなかったのも不思議です。レジスタンスのような運動もあまり起きなかったのではないでしょうか。
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もともと満州は清国を建国した女真族の聖地で、清国全盛時代には漢族が入り込むことは禁じられていました。 当時の満州は今の日本と同じように安全で、家に鍵をかけて外出する必要がなかったと言われています。 ところが清国が衰退し始めると満州に漢族たちが次々と入植を始めました。  漢族が入植した土地は、強盗団が跋扈して、安心して暮らせず、満州の治安も酷い状態になりました。 そのため、日本が女真族をバックアップして女真族の国である満州国を建国したのです。その結果、満州国は以前のように安全な国になりました。 満州国は日本軍が中国人(漢族)を追い払って女真族の皇帝を担いで作った傀儡国では決してありません。 日本が満州を中国から奪い取って、日本の傀儡である満州国を作ったと言うのは、戦勝国のでっち上げでしかありません。 この事実を知れば、質問者さんの疑問も自ずと氷解するでしょう。

Qヒトラーはどれほど馬鹿だったのですか。

ヒトラーはどれほど馬鹿だったのですか。

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労働者の待遇を良くする為、劣悪だった職場の衛生管理を整え、仕事に対しての余暇を充実させました。

戦争が無ければドイツの労働者家族は、フォルクスワーゲンに乗ってアウトバーンを走り、海岸のリゾートホテルに宿泊して充実した休暇を過ごしていたはずです、あるいはブレーメン号やオイローパー号のリゾート船に乗ってクルージングを楽しんでいたでしょう。

色々な方向から総統閣下の事を調べると、必ずしも愚か者では無いと解るはずです、なにせノーベル平和賞にノミネートされたぐらいですから。

Q天璋院と和宮

和宮の旦那は篤姫が産んだ訳ではないのに、この二人は何故、姑と嫁になるのですか?

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>和宮の旦那は篤姫が産んだ訳ではないのに、

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