![](http://oshiete.xgoo.jp/images/v2/pc/qa/question_title.png?e8efa67)
No.71
- 回答日時:
#70です。
1.
>a.
★ つまり、「人間存在の最終的原因」として《金色のカラス》が浮上し
ても構わない
☆ ですね?
:
わたしは認めませんが、不可知でないとする人がそのように判断するわけですから、それを阻止する手立てはないでしょう。
>b.
★ ・金色のカラスの原因は何か? / となるでしょう?
☆ それは おかしい。だって (a)で《人間存在の最終的原因》と呼んだ
(呼び得た)のですから。
:
ああ~、そこが言いたかったわけですか。
なるほど。
つまりですね、《金色のカラス》が最終的原因だと思うからこそ、そう思う人は、不可知ではない、と言うわけです。
不可知が、「と思う」という意味でしかあり得ない以上、他者がそのように思うことを止めることはできませんよね?
その意味で「呼び得る」わけです。
2.
>★ ~~~~
人間存在の最終的原因については既知となり得ることは有り得ない、という
のが私の見解だからです。
根拠は、・・・
「最終的原因」の場合は、
★原因が分かったとしても、その原因に対する原因が永遠に付きまとう★
ことがあるとは思えないから。
~~~~~
☆ ぢゃあ 金色のカラスが 最終的原因である。でいいぢゃないですか。
:
いや失礼、ここは(話の流れとして)当然のことながら、
★ことがあると思うから。
の誤植です。
また、
★「最終的原因」の場合は、
と注釈しているのは、
「金色のカラス」の場合ではない、という意味ですので、そこをくみ取っていただきたいと思います。
3.
a.>
☆☆ 最終的原因は 不可知だと決まっているわけではない・・・のですか?
★ ~~~
いえ、ですから、あくまで、
★人間存在の最終的原因
に限る、と128回ぐらい申し上げていますよね。
~~~
☆ いえ。分かりません。最終的原因が ひとつではないのですか?
:
逆に、
★人間存在の最終的原因と、
金色のカラスの存在する最終的原因が同じだと決めつける根拠は何ですか?
b.
>★ 「金色のカラス」と「最終的原因」とは異なる(前者は不可知とは言わ
ない) / というのが私のスタンスである(#66)
☆ スタンスは自由ですが 定義は定義でしょう。不可知だから 最終的原
因の候補になれたんですから。
不可知と呼ぶのは そちらの説明に沿ってのことです。
:
何を不可知と言っているのか、という点を蔑ろにして論議を進めても意味がありませんよね。
「何の定義」「何の最終的原因」なのか明記しておっしゃっていただかないと、かみ合いません。
4.
>☆☆ 《思う》という人が現われたなら その定義は 有効でなくなります。
:
むろん、その人にとっては無効でしょうね。
そういう考え方なのですから、仕方ないでしょう?
何を言いたいのかさっぱりわかりません。
>★ 誰が思った思わないということは関係ありません。 / わたしは無いと思
う
☆ はこぶるさんは その《誰》には入らないのですか? なぜですか?
《思わない》人は わたしでもほかの人でも 誰でもよいわけです。
定義の中で表現されたことが 流動的です。困ります。
:
う~む・・・(ー_ー;)。
溝は深いようですねえ。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・!!!
あ、わかりました(と思います)。
ひょっとして、【 絶対的唯一の真理 】というものを(あるか否かは別問題です)示し得る、とお考えなのではありませんか?
だとしたら、それは違いますよ。
《示し得るもの》は、あくまで、【 絶対的唯一の真理 と(私が)思うもの】でしかあり得ないのです。
ここにお気づきください。
ご回答をありがとうございます。
1.a.&b.
金色のカラスは 《不可知》と――そちらの説明に沿って――呼ぶんですよ。
だから:
★★ つまり、「人間存在の最終的原因」として《金色のカラス》が浮上し
ても構わない
☆ となるはずです。
そういう解釈の分かれる可能性もあるわけです。そちらの定義の仕方におい
て。(《最終的原因=金色のカラス》と恒常的に決まっているのなら 解釈
の分裂ではないわけですが)。
2.
★ ~~~
★「最終的原因」の場合は、
と注釈しているのは、
「金色のカラス」の場合ではない、という意味ですので、そこをくみ取って
いただきたいと思います。
~~~~~
☆ なぜですか? (1)と矛盾しますよね?
3.
a.
★ ~~~
逆に、
★人間存在の最終的原因と、
金色のカラスの存在する最終的原因が同じだと決めつける根拠は何ですか?
~~~~~
☆ 最終的原因が ふたつに分かれるのですか?
金色のカラスは 不可知ゆえに 最終的原因の条件を満たすのでは?
b.
☆ (1)~(3.a)までの問いを発するほかのこととしては 分かりませ
んでした。
4.
☆☆ 《思う》という人が現われたなら その定義は 有効でなくなります。
:
★ むろん、その人にとっては無効でしょうね。
☆ だったら 同じ定義を前にして解釈の仕方で 別の意味になる・・・と
いうことですよ?
★ ひょっとして、【 絶対的唯一の真理 】というものを(あるか否かは別問
題です)示し得る、とお考えなのではありませんか?
☆ 不可知なる最終的原因とは 何か? その定義を聞きたい。この一心です。
★ 《示し得るもの》は、あくまで、【 絶対的唯一の真理 と(私が)思う
もの】でしかあり得ないのです。
☆ 何でもかまいません。《最終の》定義を示してください。という問いです。
No.70
- 回答日時:
#68です。
1.
a.
>☆ わたしの疑問としての物言いは 単純です。
《最終的原因》を 《金色のカラス》と呼んでもかまいませんね? です。
:
つまり、「人間存在の最終的原因」として《金色のカラス》が浮上しても構わないか?
とおっしゃるのですね。
ご質問の意図を測りかねますが、そのように判断する人がいるかもしれない可能性を排除するものではありません。
b.
>最終的原因を金色のカラスと呼べるとなった場合には 人間存在の原因のさ
らに原因が 金色のカラスなのか? という問いがつきまとう。のでは?
:
そこは違いますよね。
人間存在の原因が金色のカラスとなった場合に、
★その原因に対する原因
というのは、
・金色のカラスの原因は何か?
となるでしょう?
2.
>☆☆ 実は 《この〈永遠に〉と言った途端に その明くる日にだとか・も
しくはその一瞬のあとに既知となる》ことさえあり得ます。
★ ~~~
別に、
☆あり得
ても構わないのです。
~~~
☆ どうしてですか?
:
人間存在の最終的原因については既知となり得ることは有り得ない、というのが私の見解だからです。
根拠は、17回ほどお示ししたはずですが、
★「最終的原因」の場合は、
★原因が分かったとしても、その原因に対する原因が永遠に付きまとう★
ことがあるとは思えないから。
しかし、全てについて不可知だと言える可能性を主張しているわけではありませんよ、という意味で金のカラスの登場と相成ったわけであります。
なんども申し上げますが、不可知というのは、「と思う」という一つの判断にすぎません。
誰かが不可知ではないと判断するのも自由なわけですが、その判断にまで、こちらが責任を持たなければならない、ということはないでしょう。
3.
>☆ 最終的原因は 不可知だと決まっているわけではない・・・のですか?
:
いえ、ですから、あくまで、
★人間存在の最終的原因
に限る、と128回ぐらい申し上げていますよね。直近では、
★ 「金色のカラス」と「最終的原因」とは異なる(前者は不可知とは言わない)
というのが私のスタンスである(#66)
と申し上げていますし、
★(人間存在の)原因が分かったとしても、その原因に対する原因が永遠に付き
まとうわけなので、永遠に不可知と言わざるを得ません。
☆ 最終的原因となると 第二段としてさらに〔連続性を〕想定しなければなら
なくなる領域に入ります。可知か不可知かを超えてしまいます。(#60)
という応答もあったわけじゃないですか。
そのことは十分、前提になっていると思っていたのですが、違いましたかね。
4.
以上を受けて、下記の問いを再掲いたしますので、よろしくどうぞ。
☆ 《思う》という人が現われたなら その定義は 有効でなくなります。
:
★原因が分かったとしても、その原因に対する原因が永遠に付きまとう★
が有効でない場合もあると思う。
こうおっしゃるのですね?
誰が思った思わないということは関係ありません。
わたしは無いと思うので、一連の命題を提示しているわけです。
bragellone さんが、どう思うか?
という点が重要なのですから、曖昧にせず、明確にお答えください。
ご回答をありがとうございます。
1.
a.
★ つまり、「人間存在の最終的原因」として《金色のカラス》が浮上し
ても構わない
☆ ですね?
b.
★ ・金色のカラスの原因は何か? / となるでしょう?
☆ それは おかしい。だって (a)で《人間存在の最終的原因》と呼んだ
(呼び得た)のですから。
2.
★ ~~~~
人間存在の最終的原因については既知となり得ることは有り得ない、という
のが私の見解だからです。
根拠は、・・・
「最終的原因」の場合は、
★原因が分かったとしても、その原因に対する原因が永遠に付きまとう★
ことがあるとは思えないから。
~~~~~
☆ ぢゃあ 金色のカラスが 最終的原因である。でいいぢゃないですか。
3.
☆☆ 最終的原因は 不可知だと決まっているわけではない・・・のですか?
:
★ ~~~
いえ、ですから、あくまで、
★人間存在の最終的原因
に限る、と128回ぐらい申し上げていますよね。
~~~
☆ いえ。分かりません。最終的原因が ひとつではないのですか?
★ 「金色のカラス」と「最終的原因」とは異なる(前者は不可知とは言わ
ない) / というのが私のスタンスである(#66)
☆ スタンスは自由ですが 定義は定義でしょう。不可知だから 最終的原
因の候補になれたんですから。
不可知と呼ぶのは そちらの説明に沿ってのことです。
4.
☆☆ 《思う》という人が現われたなら その定義は 有効でなくなります。
★ 誰が思った思わないということは関係ありません。 / わたしは無いと思
う
☆ はこぶるさんは その《誰》には入らないのですか? なぜですか?
《思わない》人は わたしでもほかの人でも 誰でもよいわけです。
定義の中で表現されたことが 流動的です。困ります。
No.69
- 回答日時:
金のカラスの例が適当でなかったのかもしれませんね。
改めて説明はしたつもりですので、よろしく。
また、最終的原因は、取り敢えず、これとは分けてお考えいただくほうがよろしいかもしれません。(カラスの意図が正しく伝わったようでしたら、その限りではありませんが)
No.68
- 回答日時:
#67です。
1.
a.
>★★ 原因が分かったとしても、その原因に対する原因が永遠に付きまとう
☆ なる説明のほうを出して来ても 《永遠に》という表現について疑問はま
ったく変わらず つづきます。そういう問題です。別の議論に変わって行って
います。
:
おっしゃりたいことはわかります。
しかし、
☆別の議論に変わって行って
るわけではない。
☆実は 《この〈永遠に〉と言った途端に その明くる日
にだとか・もしくはその一瞬のあとに既知となる》ことさえあり得ます。
という箇所が糸口になるように思うのですが、
別に、
☆あり得
ても構わないのです。
「最終的原因」についてあり得ると思うのか否か、という問題。
すべてに対して不可知と言えるわけではないことを、わざわざ「金のカラス」まで出して念を押したはずです。
永遠について論じているわけではないのですから、
☆別の議論に
変えないでいただきたい。
b.
>★ ~~~~
「最終的原因」の場合は、
★原因が分かったとしても、その原因に対する原因が永遠に付きまとう★
ことがあるとは思えないから。
~~~~
☆ 《思う》という人が現われたなら その定義は 有効でなくなります。
:
★原因が分かったとしても、その原因に対する原因が永遠に付きまとう★
が有効でない場合もあると思う。
こうおっしゃるのですね?
誰が思った思わないということは関係ありません。
わたしは無いと思うので、一連の命題を提示しているわけです。
bragellone さんが、どう思うか?
という点が重要なのですから、曖昧にせず、明確にお答えください。
c.
>★ 「金色のカラスの存在は不可知」と言う場合の話
☆ ですから 不可知として原因の名称に成り得ますよね?
:
こうおっしゃる意図が、やはりわかりません。
☆不可知として原因の名称
ということは、「金色のカラスが不可知の原因である」という事態にもなり得る、と言いたいのですかね。
わたしは金色のカラスの「原因」を意図したわけではありませんよ。
「人間存在の最終原因は何か?→それは不可知」
という場合と、
「金色のカラスは存在するか?→それは不可知」
という場合を、混同している(ひょっとすると混同させてしまった)ような気がするのですが、いかがでしょう。
後者の例について「原因」をどのように絡めようとしているのか、実はよくわかりません。
☆ わたしには理解が届きません
とおっしゃられましたが、今回の説明ではいかがですか。
説明の切り口としては新しく提示できたと思うので、再度、ご検討くだされたく。
2.
若干、説明が煩雑だったかもしれません。
金のカラスについては、最初からボタンの掛け違いがあるようにも思われますので、まずは、1-c へのご返事を伺ってからにしたいと思います。
しかし、最重要は1-bです。
ご回答をありがとうございます。
1.c. がかんたんです。
★ ~~~
「人間存在の最終原因は何か?→それは不可知」
という場合と、
「金色のカラスは存在するか?→それは不可知」
という場合を、混同している(ひょっとすると混同させてしまった)
~~~~
☆ わたしの疑問としての物言いは 単純です。
《最終的原因》を 《金色のカラス》と呼んでもかまいませんね? です。
1.b.
★ ~~~~
>★ ~~~~~~~
「最終的原因」の場合は、
★原因が分かったとしても、その原因に対する原因が永遠に付きまとう★
ことがあるとは思えないから。
~~~~~~~
☆ 《思う》という人が現われたなら
~~~~~~~
☆ すなわち (1.c.)の議論を継いで こうなります。:
最終的原因を金色のカラスと呼べるとなった場合には 人間存在の原因のさ
らに原因が 金色のカラスなのか? という問いがつきまとう。のでは?
1.a. これは:
★★ 《永遠に》という表現
☆ の問題です。
☆☆ 実は 《この〈永遠に〉と言った途端に その明くる日にだとか・も
しくはその一瞬のあとに既知となる》ことさえあり得ます。
★ ~~~
別に、
☆あり得
ても構わないのです。
~~~
☆ どうしてですか?
★ すべてに対して不可知と言えるわけではないことを、わざわざ「金のカ
ラス」まで出して念を押したはずです。
☆ 最終的原因は 不可知だと決まっているわけではない・・・のですか?
No.67
- 回答日時:
#66です。
1.
a.
★ ~~~~
いや、そうじゃないだろう、
☆’’《永遠にと思うほど長い時間にわたって〔知り得ることもある〕》
はずだ、と反論なさいますか?
~~~~
☆ はい。
:
念のための確認ですが、
★人間存在の原因
については、
★原因が分かったとしても、その原因に対する原因が永遠に付きまとう★
ということはない、とおっしゃっていることになるのですが、それで間違いありませんか?
>★ 「金色のカラス」と「最終的原因」とは異なる(前者は不可知とは言わない)
というのが私のスタンスであることは申し上げている
☆ どう違いますか? なぜ《前者は不可知とは言わない》のですか?
:
「最終的原因」の場合は、
★原因が分かったとしても、その原因に対する原因が永遠に付きまとう★
ことがあるとは思えないから。
前者は、「金色のカラスの存在は不可知」と言う場合の話ですから、その「原因」ではないわけですが、
「いることが分かったら、その段階で、既知として収束し得る問題」だと認識するのが妥当だからです。
さらに何か新たに検証すべき事案が出てくるわけではないから、ということ。
>★★ 金色のカラス
☆ は 不可知であり:
★★ [ (人間存在の原因は)永遠に不可知と言わざるを得ません ]
☆ の〔最終的〕原因に当たるのではないのですか?
:
その可能性を否定できない、または、そうでないことを証明できないので、不可知とは認識しないわけです。
2.
☆ ということは 金色のカラスも 最終的原因に成り得ますか? その根拠
が直観かどうかの問題ではなく 候補に挙がりますか? です。
★「思う」なのですから、そう思う人にとっては「不可知」の候補として当然、挙
がるでしょう。
ただ、わたしは、「金色のカラス」と「最終的原因」は違うのだと判断している、
と申し上げているだけの話。
~~~~~~
☆ 《と思う》のは 《不可知》についてのほうです。
《候補に挙がる》けれど 《やはり違うのだ》という判断は 《いや 同じだ》
というほかの判断と 同等なのでは?
つまり:
★ ~~~~
☆☆ 金色のカラス=最終的原因
という
☆帰結
を勝手に作
~~~~
☆ っているのではないわけです。
:
おっしゃるとおり
☆候補に挙がる》けれど 《やはり違うのだ》という判断は 《いや 同じだ》
というほかの判断と 同等
ですよ。
大事なのは、
☆ほかの判断
つまり、
不可知と判断する人が
☆金色のカラス=最終的原因
と認識していることになる、ということ。
わたしは、不可知とは判断しないのですから、
☆金色のカラス=最終的原因 といった帰結
に至ることはありません。
不可知が、「と思う」という定義を属性として持つ以上、人によって判断が分かれるのは当然の事。
では、なぜ不可知と思うのか、その根拠の妥当性が問われることになるわけですが、その根拠についての妥当性が無い、という批判なら筋は通ります。
しかし、
☆《やはり違うのだ》という判断は 《いや 同じだ》というほかの判断と 同等
であることを理由に、批判を展開するのは、(控え目に言えば)いささか筋違いと言われてもしかたないでしょう。
>☆ 定義は 仮説を活かすために重要です。
それほどでもないと考えておられるか あとほかの理由で このツッコミには
答えたくないとおっしゃっているように感じます。
:
まったくの曲解ですね。
ツッコミになってませんよ。
上の説明をごらんになってからにしてください。
>ので ここらへんで休止させたいとは思います。
:
と珍しいことをおっしゃっておられますが、ここにこそ、これ以上論議を深めたくない理由があるように感じます。
ご回答をありがとうございます。
1.
a.
☆☆(№65お礼欄) ~~~
《永遠に》というのは もっとも無難な解釈としては 《永遠にと思うほど長
い時間にわたって〔知り得ないと思う〕》だと捉えられます。
ですが この表現では実は 《この〈永遠に〉と言った途端に その明くる日
にだとか・もしくはその一瞬のあとに既知となる》ことさえあり得ます。
というふうにして 定義の中身が定まっていないんです。
~~~~~~~
☆ 《知り得ないと思う》だとしても 《その一瞬あとに知り得たとなる》こ
とさえあり得ます。なら 定義は 定まらないですよね? という問いです。
★★ 原因が分かったとしても、その原因に対する原因が永遠に付きまとう
☆ なる説明のほうを出して来ても 《永遠に》という表現について疑問はま
ったく変わらず つづきます。そういう問題です。別の議論に変わって行って
います。
★ ~~~~
「最終的原因」の場合は、
★原因が分かったとしても、その原因に対する原因が永遠に付きまとう★
ことがあるとは思えないから。
~~~~
☆ 《思う》という人が現われたなら その定義は 有効でなくなります。
★ 「金色のカラスの存在は不可知」と言う場合の話
☆ ですから 不可知として原因の名称に成り得ますよね?
★ ~~~~
>★★ 金色のカラス
☆ は 不可知であり:
★★ [ (人間存在の原因は)永遠に不可知と言わざるを得ません ]
☆ の〔最終的〕原因に当たるのではないのですか?
:
その可能性を否定できない、または、そうでないことを証明できないので、
不可知とは認識しないわけです。
~~~~~
☆ わたしには理解が届きませんので 休止したいとは思います。
2.
☆ も理解が届きません。ぜんぶ引用しようと思いましたが 字数制限にかか
ります。お手上げですと告白します。ご判断にしたがいます。
No.66
- 回答日時:
#65です。
1.
a.
>☆ ということは 金色のカラスも 最終的原因に成り得ますか? その根拠
が直観かどうかの問題ではなく 候補に挙がりますか? です。
:
「思う」なのですから、そう思う人にとっては「不可知」の候補として当然、挙がるでしょう。
ただ、わたしは、「金色のカラス」と「最終的原因」は違うのだと判断している、と申し上げているだけの話。
>用語にかんする一例を取り上げてみます。
《永遠に》というのは もっとも無難な解釈としては 《永遠にと思うほど長
い時間にわたって〔知り得ないと思う〕》だと捉えられます。
:
まったく違います。
★人間存在の原因
については、
★原因が分かったとしても、その原因に対する原因が永遠に付きまとう★
であり、その原因は、
☆《永遠にと思うほど長い時間にわたって〔知り得ないと思う〕》
ではなく、
☆’《永遠にと思うほど長い時間にわたって〔知り得ない!〕》
と申し上げているんですけどね。
つまり、
☆定義の中身が定まって
いるんですよ。
いや、そうじゃないだろう、
☆’’《永遠にと思うほど長い時間にわたって〔知り得ることもある〕》
はずだ、と反論なさいますか?
>☆ 金色のカラスは わたしの定義する未知には当てはまらない。としますと
でも 不可知ですよね? そして 最終的原因に成り得ますよね?
:
1-a で述べたような意味で、そうです。
たとえ、なんであっても不可知というのは不可知と思うという見解の表明にすぎないわけです。
あとは、なぜそう思うのか、というその根拠から、不可知であることの正当性をどう判断するか、という第三者の問題に委ねられる。
ただ、当初から、「金色のカラス」と「最終的原因」とは異なる(前者は不可知とは言わない)というのが私のスタンスであることは申し上げているわけですから、
☆そして
といった順接の接続詞でつないで述べるのは勘弁してもらえますか、紛らわしいので。
というか、おそらく曲解なさっている。
>☆ 金色のカラスは 発見され得る(既知と成り得る?)のですか?
:
☆発見され得る(既知と成り得る?)
と思う人は不可知とは言いません。
あるいは、
☆発見され得る(既知と成り得る?)
かどうかわからない、と判断する人も不可知とは言いません。
わたしは後者。
どちらも未知と判断していることになる。
☆発見され得る(既知と成り得る?)
ことは、絶対にあり得ないと思う人のみが不可知(と思う)と言う。
わたしはそうは思わないカラ不可知とは言わない、というだけの話。
>★★ 人間存在の原因
☆ を不可知なる金色のカラスと命名することは あり得ますか? という問
いです。
:
意図を測りかねますが、
★原因が分かったとしても、その原因に対する原因が永遠に付きまとうわけなので、永遠に不可知と言わざるを得★
ないから、
[ ★(人間存在の原因は)永遠に不可知と言わざるを得ません ]
と申し上げているわけです。
どういった流れで
★人間存在の原因
に
★金色のカラス
が登場すると想定なさるのかまったくわかりませんが、それが原因として挙がった場合には、では、その金色のカラスが現出した原因は何か?・・・といった具合に、
☆永遠に
続かざるを得ないわけです。
2.
>この事項について書き込んだところは 《論理的合理性》で 連続説における
最終的原因にかんする定義とその用語を捉えるなら 矛盾が起きてしまうので
はないか? です。
金色のカラス=最終的原因 といった帰結のことなどです。
:
どんな矛盾でしょうか?
はっきり教えてください。
そもそも、
最終的原因は不可知であるが金色のカラスは不可知ではない。
と申し上げているのに、
☆金色のカラス=最終的原因
という
☆帰結
を勝手に作る意図がよく理解できません。
ご回答をありがとうございます。
1.
a.
★ ただ、わたしは、「金色のカラス」と「最終的原因」は違うのだと判断し
ている、と申し上げているだけの話。
☆ 不可知として ひとしいのでは? 《違う》ということは 《人知が及ぶ》
ことですよね?
★ ~~~~
いや、そうじゃないだろう、
☆’’《永遠にと思うほど長い時間にわたって〔知り得ることもある〕》
はずだ、と反論なさいますか?
~~~~
☆ はい。
★ 「金色のカラス」と「最終的原因」とは異なる(前者は不可知とは言わない)
というのが私のスタンスであることは申し上げている
☆ どう違いますか? なぜ《前者は不可知とは言わない》のですか?
★★ 金色のカラス
☆ は 不可知であり:
★★ [ (人間存在の原因は)永遠に不可知と言わざるを得ません ]
☆ の〔最終的〕原因に当たるのではないのですか?
★ 金色のカラスが現出した原因は何か?
☆ 《現出し》てはいませんよね?
2.
★ どんな矛盾でしょうか?
☆ 次です。:
★ ~~~~~
1.
a.
>☆ ということは 金色のカラスも 最終的原因に成り得ますか? その根拠
が直観かどうかの問題ではなく 候補に挙がりますか? です。
:
「思う」なのですから、そう思う人にとっては「不可知」の候補として当然、挙
がるでしょう。
ただ、わたしは、「金色のカラス」と「最終的原因」は違うのだと判断している、
と申し上げているだけの話。
~~~~~~
☆ 《と思う》のは 《不可知》についてのほうです。
《候補に挙がる》けれど 《やはり違うのだ》という判断は 《いや 同じだ》
というほかの判断と 同等なのでは?
つまり:
★ ~~~~
☆☆ 金色のカラス=最終的原因
という
☆帰結
を勝手に作
~~~~
☆ っているのではないわけです。
☆ 定義は 仮説を活かすために重要です。
それほどでもないと考えておられるか あとほかの理由で このツッコミには
答えたくないとおっしゃっているように感じます。
ので ここらへんで休止させたいとは思います。
No.65
- 回答日時:
#64です。
1.
a.
>金色のカラスや丸い四角などは 想像じょうの表象です。観念の操作として
表われされているものです。《最終的原因》も そのたぐいですか?
:
「不可知=不可知と思う」ですと何度も申し上げています。
「思う」のですから、
☆観念の操作として表われされているもの
であるのは当然のことではないでしょうか。
☆そのたぐいですか?
という問い方は、意図が見え透いており片腹痛いという印象を受けます。
その点に関しては、すでに(お互いに)直観であることを確認ずみだったはずですよね?
つまり、その意味ではお互いに「あいまい」なはずです。
それでも、なお連続説を批判したいなら、
[ ★(人間存在の原因は)永遠に不可知と言わざるを得ません ]
という命題(前置き部分)を否定する必要があるわけですが、それに関しては、
☆★ 「その原因に対する原因が永遠に付きまとうわけはない」といったよう
☆ な一方の見方に片寄った反論は 非連続説からは出て来ません。(#58お礼欄)
とおっしゃるばかりで「根拠」は一切お示しになっておられません。
まあ、直観ですから、あえて根拠が必要というわけではないので構わないのですが、
☆そのたぐいですか?
といった問いはブーメラン的滑稽さを表わすばかりですよ。
言うなら、それは、むしろ、こちらのセリフになり得るでしょうが、そのような非建設的な言辞を弄するのは虚しいですよね。
b.
>★ また、不可知は未知に含まれます。
☆ 金色のカラスは 想像を逞しくて表象しているかぎりで 必ずしも未知
ではありません。あるいは 未知として その存在を見つけようとする対象
ではないと初めから分かっています。
:
誰が決めたか知りませんが、未知の定義がまったく異なっているようです。
いずれにせよ、「金色のカラス(気に入らなければ、なんでも構いませんが)」のように、おっしゃるところの「知り得ないことを証明できない対象」に対しては、不可知であるという表現を使うわけではない、と言っている箇所です。
本意を理解してください。
でないと、
☆☆ 金色のカラスの原因は それを想像しようとした人の思いです。この原
因に対する原因が永遠に付きまとうということは どういうことか?
といった見当違いの疑問が発生してしまいますので。
c.
>☆ 金色のカラスは不可知だ《と思う》場合には 不可知なる原因に成り得ま
すが どうでしょう?
:
当然、そうなります。
そして、発見された時点で、あ、不可知ではなかった、と認めることになる。
しかし、
★人間存在の原因
については、こうした事態には至らない。
なぜなら、
★原因が分かったとしても、その原因に対する原因が永遠に付きまとうわけなので、永遠に不可知と言わざるを得★
ないから、です。
つまり、いくら「思う」という意味にしかなり得ないのだとしても、じゃあ、なんでもかんでも不可知(と思う)と判断できるのだ、と言ってるわけではない、ということを申し上げているんですけどねえ。
こちらの説明が下手なのかもしれませんが、どうも、さまつな方面に視点が向かってしまっているようです。
2.
>すなわち:
★☆ ~~~~
★ 論理的合理性
に基づいていることになるわけで、であるなら「合理」なのですから、すなわち
証明されたことになるでしょう。
~~~~~
☆ すなわち:
★☆ 別に無理な論理とは思わず、十分「通る」と思うのですが、ここも、見解
の相違なんですかね。
☆ というようなヘンなことになると思うんですが。
:
あ、すみません。
おっしゃっている意味がまったく掴めませんでした。
どういう意味でおっしゃっているのでしょうか。
ご回答をありがとうございます。
1.
a.
★ それでも、なお連続説を批判したいなら、
☆ 微妙ですが 大きく見解の相違についてはすでに申し述べています。用語
の定義で 異議があります。
☆☆ 観念の操作として表われされているもの
★ であるのは当然のことではないでしょうか。
☆ ということは 金色のカラスも 最終的原因に成り得ますか? その根拠
が直観かどうかの問題ではなく 候補に挙がりますか? です。
用語にかんする一例を取り上げてみます。
《永遠に》というのは もっとも無難な解釈としては 《永遠にと思うほど長
い時間にわたって〔知り得ないと思う〕》だと捉えられます。
ですが この表現では実は 《この〈永遠に〉と言った途端に その明くる日
にだとか・もしくはその一瞬のあとに既知となる》ことさえあり得ます。
というふうにして 定義の中身が定まっていないんです。
根拠が直観かどうかの問題ではないですよ。
b.
★★ また、不可知は未知に含まれます。
★ 誰が決めたか知りませんが、未知の定義がまったく異なっているようです。
☆ 金色のカラスは わたしの定義する未知には当てはまらない。としますと
でも 不可知ですよね? そして 最終的原因に成り得ますよね?
★ 本意を理解
☆ し得ていませんか?
c.
☆☆ 金色のカラスは不可知だ《と思う》場合には 不可知なる原因に成り得
ますが どうでしょう?
★ 当然、そうなります。
☆ ただし 次のようだとしますと・つまり:
★ いくら「思う」という意味にしかなり得ないのだとしても、じゃあ、なん
でもかんでも不可知(と思う)と判断できるのだ、と言ってるわけではない、
☆ の理解も 足りないのだとこちらから自供します。
★ そして、発見された時点で、あ、不可知ではなかった、と認めることにな
る。
☆ 金色のカラスは 発見され得る(既知と成り得る?)のですか?
★★ 人間存在の原因
☆ を不可知なる金色のカラスと命名することは あり得ますか? という問
いです。
2.
この事項について書き込んだところは 《論理的合理性》で 連続説における
最終的原因にかんする定義とその用語を捉えるなら 矛盾が起きてしまうので
はないか? です。
金色のカラス=最終的原因 といった帰結のことなどです。
No.64
- 回答日時:
#63です。
1.(要点を絞ります)
a.>☆ 未知と言っていた時点で・また既知と知った時点で《経験合理性の及ぶ範囲で
の規定》です。不可知は 定義ではありません。
:
不可知=知り得ないと思うこと、または、その対象。
これが不可知の定義です。
また、不可知は未知に含まれます。
(イ)
b.>☆ どうして不可知だと分かったのですか?
:
★原因が分かったとしても、その原因に対する原因が永遠に付きまとうわけなので、永遠に不可知と言わざるを得★
ないから、です。
むろん、「知り得ないこと」ですから、
☆経験合理性
に基づくことはできませんが、
★論理的合理性
に基づいていることになるわけで、であるなら「合理」なのですから、すなわち証明されたことになるでしょう。
いずれにせよ、金色のカラスの存在は不可知である、と言ってるわけではない。
2.
>★ それを「原因かどうかわからない」という非知で捉えるのは矛盾じゃないでし
ょうか。「(論理的合理性に基づいて)あるはずの原因」について不可知だと言っ
ているわけです。
☆ すでに触れたように 経験科学の定義の仕方として 通らないと考えます。
:
(イ)で述べましたように、
★論理的合理性
に基づいていることになるわけで、であるなら「合理」なのですから、すなわち証明されたことになるでしょう。
別に無理な論理とは思わず、十分「通る」と思うのですが、ここも、見解の相違なんですかね。
ご回答をありがとうございます。
1.a.
★ 不可知=知り得ないと思うこと、または、その対象。
☆ これでしたら あとに出てくる《金色のカラス》も 不可知に入ります。
金色のカラスや丸い四角などは 想像じょうの表象です。観念の操作として
表われされているものです。《最終的原因》も そのたぐいですか?
★ また、不可知は未知に含まれます。
☆ 金色のカラスは 想像を逞しくて表象しているかぎりで 必ずしも未知
ではありません。あるいは 未知として その存在を見つけようとする対象
ではないと初めから分かっています。
(イ)
b.>☆ どうして不可知だと分かったのですか?
:
★ 原因が分かったとしても、その原因に対する原因が永遠に付きまとうわ
けなので、永遠に不可知と言わざるを得★ ないから、です。
☆ 金色のカラスの原因は それを想像しようとした人の思いです。この原
因に対する原因が永遠に付きまとうということは どういうことか?
まづ《永遠に》というのは 定まった意味ではないので 定義にふさわしく
ありません。
思いや想像をおこなう人間が存在することの原因を 問題にするということ
でしょうか?
これについて 《不可知=知り得ないと思うこと、または、その対象》と定
義するなら 金色のカラスも その最終的原因に成り得ますか?
《永遠に不可知と言わざるを得ない》ものかも分からないですから。
★ ~~~~~
むろん、「知り得ないこと」ですから、
☆経験合理性
に基づくことはできませんが、
★論理的合理性
に基づいていることになるわけで、であるなら「合理」なのですから、すなわ
ち証明されたことになるでしょう。
いずれにせよ、金色のカラスの存在は不可知である、と言ってるわけではない。
~~~~
☆ 金色のカラスは不可知だ《と思う》場合には 不可知なる原因に成り得ま
すが どうでしょう?
2.
すなわち:
★☆ ~~~~
★ 論理的合理性
に基づいていることになるわけで、であるなら「合理」なのですから、すなわち
証明されたことになるでしょう。
~~~~~
☆ すなわち:
★☆ 別に無理な論理とは思わず、十分「通る」と思うのですが、ここも、見解
の相違なんですかね。
☆ というようなヘンなことになると思うんですが。
No.63
- 回答日時:
#62です。
1.
a.
>この前のDNAの場合だと 経験事象として認識し《既知》とします。経験合理性
〔なる人知〕の及ぶ範囲での規定です。
:
ここからがすでになんですが、体外受精が開発される以前は、あくまでそれは未知の原因だったわけです。
そして、そうしたことが発見される可能性は皆無であると考えた場合には、不可知の原因ということもできた。
☆経験事象として認識し《既知》と
できるのは、あくまで結果論ですよね?
つまり、
未知とか不可知とか言っていた時点(つまり、同じような意味で、今現在がそれに該当するわけですが)では、
☆経験合理性〔なる人知〕の及ぶ範囲での規定
であるかどうかはわからないわけです。
また、
>経験事象としての原因を超えている最終的原因の場合には 経験合理性なる物指
しが当てはまりませんから 《想定》になります。仮説です。
:
ともおっしゃいますが、
[ ★(人間存在の原因は)永遠に不可知と言わざるを得ません ]
という場合の不可知論は、あくまで論理的合理性にもとづくもので、特に経験合理性を必要とするものではない(というスタンス)。
ゆえに想定で十分なわけですが、ここにも相違が見え隠れしているようです。
b.
>ほんとうはその想定の時に 《最終的》はまだしも《原因》かどうかは それす
らも 非知なわけです。
:
しかし、因なくして果が無いなら、原因はどこかにある必要がありますよね。
それを「原因かどうかわからない」という非知で捉えるのは矛盾じゃないでしょうか。
「(論理的合理性に基づいて)あるはずの原因」について不可知だと言っているわけです。
2.
a.
>★★ (ア) いつか《経験し得る》未知
☆ すでに初めに《経験事象を超えている非知》の想定から 最終的原因を立て
たのですから 《未知》はないです。未知は 経験合理性なる物指しでの概念で
しょう。
:
☆ すでに初めに《経験事象を超えている非知》の想定から 最終的原因を立てた
のなら、
☆《未知》はない
のかもしれません。
しかし、
☆《経験事象を超えている非知》の想定から 最終的原因を立てた
のでなければ、そうはならない、ということですね。
b.
>連続説の場合は 非知なるナゾが 《仮構知》になるはずなんです。
★★《経験し得ない》未知
☆ も いまの《仮構知》なる最終的原因から 連続して直接の因果関係におい
て人間存在があるとするとき 《経験不可能》と言い切るのは 言い過ぎでしょ
うし 《未知》というより《仮構知》として――想定じょう――知ったと言って
いることになるはずなんです。
☆☆ 《今現在》のご議論
☆ の再説がありましたら お願いします。
:
☆連続説の場合は 非知なるナゾ
が介入する余地はありませんので、先に述べたこと以外で何か言及するのは難しいですね。
☆《経験不可能》と言い切るのは 言い過ぎ
とは捉えない、などと言っても水掛け論になっちゃいますし。
特に新しい切り口は見出せません。
3.
>☆ ただし幕引きではなく 幕開けなのだと思われます。神論へそして人間論へ
の。
:
それは言えてますね。
ご回答をありがとうございます。
1.
a.
>この前のDNAの場合だと 経験事象として認識し《既知》とします。経験合理性
〔なる人知〕の及ぶ範囲での規定です。
:
★ ここからがすでになんですが、体外受精が開発される以前は、あくまでそれは
未知の原因だったわけです。
☆ 《未知》として《経験合理性〔なる人知〕の及ぶ範囲での規定で》した。
★ そして、そうしたことが発見される可能性は皆無であると考えた場合には、不
可知の原因ということもできた。
☆ それは 定義にはなっていません。《皆無》を証明しなければならず 《皆無
と思う》の場合には そう思わない場合も同等にあります。
★ ~~~
☆経験事象として認識し《既知》と
できるのは、あくまで結果論ですよね?
~~~
☆ 知ったから 既知となったんです。問いの意味が分かりません。
★ ~~~
つまり、
未知とか不可知とか言っていた時点(つまり、同じような意味で、今現在がそれに
該当するわけですが)では、
☆経験合理性〔なる人知〕の及ぶ範囲での規定
であるかどうかはわからないわけです。
~~~~
☆ 未知と言っていた時点で・また既知と知った時点で《経験合理性の及ぶ範囲で
の規定》です。不可知は 定義ではありません。
>経験事象としての原因を超えている最終的原因の場合には 経験合理性なる物指
しが当てはまりませんから 《想定》になります。仮説です。
:
★ ~~~
ともおっしゃいますが、
[ ★(人間存在の原因は)永遠に不可知と言わざるを得ません ]
という場合の不可知論は、あくまで論理的合理性にもとづくもので、特に経験合理
性を必要とするものではない(というスタンス)。
ゆえに想定で十分なわけですが、ここにも相違が見え隠れしているようです。
~~~~
☆ どうして不可知だと分かったのですか? 《不可知と思う》なら定義にはなり
ません。《永遠に》は 経験合理性を超えています。
《論理的合理性》も 経験合理性です。論理のみでみちびくといった場合それは観
念とその操作です。それ以前の想定ないし前提ゆえに活きます。
《想定》について はっきりしませんね。想定であれば なぜそうするのかを明ら
かにしなければなりません。この対象は 通常の規定による認識がむつかしい。ゆ
えに・・・といったふうに。
№61へ。
No.62
- 回答日時:
#60です。
1.
> 「連続・不可知説」の場合・・・論理的根拠(裏づけ)として、
[ ★(人間存在の原因は)永遠に不可知と言わざるを得ません ]
を挙げている。
~~~
☆ 不可知問題は措きまして 《想定》問題が この表明では 抜け落ちている
かと思われます。
:
どうも、わからないのですが、
☆ つまり 《最終的原因》は 《経験事象を超えている》。ゆえに 想定であ
る。のですよね?
ともおっしゃっておられるところからみて、想定すると、何かまずいということなんですかね。
因なくして果無し、とするなら、
★人間存在
について考える場合、
★人間存在の原因
を想定するのは別に不思議ではないと思うのですが。
2.
>★★ つまり、(ア) いつか《経験し得る》未知
☆☆ (ア)のナゾは(つまり 最終的原因なる未知は) あり得ないですよね。
☆ つまり 《今現在》のご議論を必要とせず明らかではないでしょうか。
:
いや、申し訳ないですが、ここは、さっぱりわかりません。
何が
☆明らか
だとおっしゃっておられますか?
☆(ア)のナゾは(つまり 最終的原因なる未知は) あり得ない
ことは明らかだ、と解釈するしかないように思うのですが、しかし、
(ア) いつか《経験し得る》未知
以外の、
★《経験し得ない》未知
を説明するための分類ですよ。
「分類されるべき未知」としては、捉えていらっしゃらなかったはずで、
☆《今現在》のご議論
が必要になるわけです。
むろん、必要とせずに、
★ (ア)いつか《経験し得る》未知
と、
(イ)いつまでも《経験出来ない》未知
という、両方の可能性を含んでいる★
ということをご理解いただけるというなら、その限りではありませんが。
3.
>★ 「神」「摂理」「人間存在の原因」など、思考の対象としてすでに取り上げ
られているもの
☆ その定説批判です。《想定せざるを得ない》問題は 《思考の対象には非ず》
となるはずぢゃん と。
:
なるほど。
直観に基づいて定説批判を行なっていただいた、ということですね。
わかりました。
それらの定説を批判するには、
[ ★(人間存在の原因は)永遠に不可知と言わざるを得ません ]
という命題(前置き部分)を否定する必要があるわけですが、それに関しては、
☆★ 「その原因に対する原因が永遠に付きまとうわけはない」といったよう
☆ な一方の見方に片寄った反論は 非連続説からは出て来ません。(#58お礼欄)
ということで、先に進めなかったのは若干、心残りですが、それはそれで有意義であり、深掘りもさせていただいたと思います。
>★ ~~~
ここが極めて重要、且つ大きな差異であると思うわけです。
むろん、・・・
☆連続説と非連続説とが互いに見解を分け合うかたちで人間には持たれ得る。
ということに特に異を唱えるものではありません
:
了解しました。
概ね大団円を迎えたようでしょうか。
ご回答をありがとうございます。
1.
★ ~~~~
★人間存在の原因
を想定するのは別に不思議ではないと思うのですが。
~~~~
☆ 《想定》ですよね?
この前のDNAの場合だと 経験事象として認識し《既知》とします。経験合理性
〔なる人知〕の及ぶ範囲での規定です。
経験事象としての原因を超えている最終的原因の場合には 経験合理性なる物指
しが当てはまりませんから 《想定》になります。仮説です。
ほんとうはその想定の時に 《最終的》はまだしも《原因》かどうかは それす
らも 非知なわけです。そのあと 経験事象において見られる《因果の関係》を
仮りに当てはめますという仮説として 《最終的原因》が立てられる。こういう
手続きになるはずなんです。
2.
前項の筋道に拠るかぎりで:
☆☆ (ア)のナゾは(つまり 最終的原因なる未知は) あり得ないですよね。
☆ すなわち:
★★ (ア) いつか《経験し得る》未知
☆ すでに初めに《経験事象を超えている非知》の想定から 最終的原因を立て
たのですから 《未知》はないです。未知は 経験合理性なる物指しでの概念で
しょう。
連続説の場合は 非知なるナゾが 《仮構知》になるはずなんです。
★★《経験し得ない》未知
☆ も いまの《仮構知》なる最終的原因から 連続して直接の因果関係におい
て人間存在があるとするとき 《経験不可能》と言い切るのは 言い過ぎでしょ
うし 《未知》というより《仮構知》として――想定じょう――知ったと言って
いることになるはずなんです。
☆☆ 《今現在》のご議論
☆ の再説がありましたら お願いします。
3.
★ ~~~~
★ 「神」「摂理」「人間存在の原因」など、思考の対象としてすでに取り上
げられているもの
☆ その定説批判です。《想定せざるを得ない》問題は 《思考の対象には非
ず》となるはずぢゃん と。
:
なるほど。
~~~~~
☆ ありがたいです。
議論の過程で滞りがあったようで お詫び申し上げます。
☆☆ 連続説と非連続説とが互いに見解を分け合うかたちで人間には持たれ得る。
★★ ということに特に異を唱えるものではありません
★ 概ね大団円を迎えたようでしょうか。
☆ ただし幕引きではなく 幕開けなのだと思われます。神論へそして人間論へ
の。
お探しのQ&Aが見つからない時は、教えて!gooで質問しましょう!
似たような質問が見つかりました
- 哲学 《信じる》とは何か?――人びとは 哲学する気がないらしい 2 2022/10/14 19:34
- 哲学 神は 人間が認識するうえで 不可知なのではなく 非知なのだ 2 2023/03/18 21:28
- 哲学 《信じる》とは どういうことか 47 2022/12/28 04:34
- 哲学 どっちが悪いか論争に最適解を出すための考え方を自分なりにまとめました。 皆さんのご意見をお聞かせくだ 13 2023/05/26 23:46
- 日本語 きみの嫁さんは私が見つけてあげるよ。 11 2022/11/13 21:01
- 宇宙科学・天文学・天気 星座や太陽などから、自分のいる経度・緯度を知る方法(南半球) 2 2023/01/18 23:54
- 哲学 「知的好奇心は何者によっても邪魔されてはいけない」という旨の名言を残した偉人を教えてください。 1 2022/06/29 00:09
- 哲学 哲学界の哲学者研究は現実と乖離しているのではないでしょうか? 2 2022/05/03 22:48
- 政治 立民案で被害者救済を本当にできるのだろうか? 立民の限界を感じる。 特定財産損害誘導行為による被害の 3 2022/11/05 21:20
- 日本語 既知・未知による ハ・ガ の使い分け 75 2022/11/11 18:09
おすすめ情報
デイリーランキングこのカテゴリの人気デイリーQ&Aランキング
-
概念の反対語はあるのですか? ...
-
形而上学とは
-
プラトンのイデア論
-
プラトンのイデア論批判について
-
「生きられた」とは?
-
「真実」と「事実」の違い
-
信仰でない――または 形而上学で...
-
ヘーゲルの「絶対精神」とは?
-
永劫回帰は時間的ループなのか...
-
アペイロンとは無限定なもので...
-
形而上・形而下
-
皆さんへ「皆さんの脳は足掻い...
-
僕は絶対的存在ですか?
-
陰で人を悪者にして自分の価値...
-
不認識?非認識?
-
すね、そうっすねって使う人に...
-
「を気づく」と「に気づく」の...
-
同じ音楽が体調により「速いと...
-
DELL ハードディスクが認識され...
-
生きながら死人となりてなりは...
おすすめ情報
つづき。
けっきょく:
★ 【 因α(非知)⇒ 果β(既知)】という構図
☆ は つねに一人の人間のその主観であるにとどまるということになります。
そこでは:
★ [ 果α > 果β ] / という関係性になっている
☆ ことがあるはずです。たしかに。
そしてその主観――つまり神の摂理はこうなんだぞ――を他の人にも自由に自
己表現していいわけですが(表現の自由) それが みなの共通の了解事項と
はなることはありません。
もともとの大前提の《絶対のへだたり。あるいは 直接的な因果関係ではない》
が控えています。いくら《敬虔な信徒》の得た啓示であったとしても この因
果ないし摂理の関係は 主観の外には出かけません。(旧約聖書の時代はそれ
としてあり得ました)。
これは タテの関係(非思考)とヨコの関係(思考・感性)の問題でもあると
思います。
№30への補足つづき。
★ ~~~~
わたしとしては、
★「人間が存在する(という事実)」=果β
だけについて考えたい、と思っている、・・・
~~~~
☆ 限定しなければならないとは思いませんが 取り上げる主題ないしその
条件として 異なっているとは思っていません。
非連続説では 《普遍神とわれとの関係》が この場合のいちばんの派生命
題だと考えます。
★ わたしが非知説そのものを否定しているわけでないことは以前から申し
上げているとおりです。
☆ そうでしたか。ただし 次の神の想定では 少し違うということでしょ
うか。
★ しかし、その実体はわからないにせよ、自ら生み出したところの「神」
という概念について考察する場合に「非知」はそぐわないだろう、というこ
と
☆ じつは神は 概念〔のみ〕ではないんです。概念という経験事象を超え
ているのですから。ゆえに 非知なんです。
№35を振り返って このあと どうしましょう?
おっしゃるように一たん 休みますか?
主題を変えて出直しますか?
もう一ぺんだけ ご回答ください。
№47お礼欄をおぎないます。
けっきょく《不可知》は きわめて特殊な場合だけではないかと推理し
ています。
ただし 神の定義に用いられることがありますが この場合は 例外と
して しっかりと問題として扱わなければならない。と考えます。
こういう姿勢で 特に差しさわりはないと考えます。