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物質はエネルギーと性質で出来ています

いや 全ての存在は性質を持つエネルギーです。

存在とは(個性ある)性質を持ったエネルギー(質量を含む)である と定義します

これは長いこと考えて行き着いた定義です。 物質も様々なエネルギーも精神も存在と言う事です。

その存在である脳と環境のエネルギーの持つ様々な性質が主に脳で精神を成しているのです。

性質とは種類の違いだけではなく 性であり質である作用・相互作用としての動的性質を言っています

この考えで行けば 物質の持つ性質が精神を成しているのですから 唯心論と唯物論が統合出来ます。

これですべて説明できます。精神は実は性質だったのです。どう思いますか?

病身のため長文は読めませんので申し訳ありませんm(_ _)m

A 回答 (7件)

私は、物質である肉体と精神とで構成されている。

物質には実体があり、構造がある。従って、肉体にマイナス面があっても、これを改良することが出来る。

 しかし、精神の実体を認識することは出来ない。精神である私を見ることも触ることも出来ない。精神は、どの様な構造をしているのか解明出来ない。従って、マイナス面のある精神であっても、それを改良することは出来ない。

 欲望や怒り・憎しみと言ったマイナス面のある精神が現れない様にするか、対立する博愛・忍耐・愛情と言った感情でコントロールするしかない。欲望・怒り・憎しみ自体を改良することは出来ない。この様な意味で、物質はその構造を認識し変えることが出来るが、精神はその性質しか問題にならないと言える。

http://catbirdtt.web.fc2.com/seisinnhaseisitu.html
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この回答へのお礼

ありがとう

精神も若い頃は学校や家庭で随分変わっているのではないでしょうか?

物質はエネルギーの構造や性質を変えることができる?幾らかは

精神の方がコントロールし易いような気もしますが?

お礼日時:2017/05/31 22:56

お礼ありがとうございます。


「性質」と「エネルギー」が不可分ならば、それは本質として1体であり、あくまでエネルギーが性質と言う属性を持っていると言う事ですね。
「エネルギー」は、目に見えないものでしょうか?
形相は、「性質」が持つ「属性なのでしょうか?
性質2元論の場合は、物理的実体が、物理的性質と、心的性質の2つの性質を持つと言う考えなので、質問文で書かれている事で、「エネルギー」が形相(目に見える形)を持つかどうかで、解釈が変わります。
精神は、形相を持たないので、一般的には物理的実体とは見なされません。
唯心論とは、物理的実体の性質を規定するのは、認識主体である精神(心)だけであると言う考えであり、物理的実体が無いとかの議論ではありません。
唯物論は、物理的実体のみが、作用主体であり、精神もその作用により生ずると言う考えです。
質問文では、「性質」と「エネルギー」、「存在」、「物体」の意味が不明瞭です。
元々、唯心論と唯物論は、それぞれが、対立概念ですから、統合する必要も無ければ、統合自体が出来ない事です。
2元論ならば、統合では無く、別の概念だと言う事です。
どちらにしろ、実体(と思われる物)が一つならば、性質2元論になってしまいそうですね。
そうなると、「性質」を独立させる事はできません。
アリストテレスのデュナミス(可能態)→エネルゲイア(現実態)は、現実化する可能態が現実態に変化すると言う概念なので、本質はデュナミスと言う事になります。
どちらにしろ、精神と物体が別と考えるならば、実体2元論と言えるような感じもします。
「性質」が独立していて、「精神」=「性質」ならば、「精神」、「エネルギー」の実体2元論のようですが、「存在」がそれらを分離すると無くなるのであれば、「存在」だけが実在する1元論と言えなくも無いです。
物体が無くなる時には、「性質」も「エネルギー」も消失すると言う事でいいわけですね。
そう考えると、「存在」が何故生まれるかはわからないわけですが、それについては、「無記」と言う事で良いのでしょうか?
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精神を難しく哲学的に考えると面白いですが結論は出ません。


哲学は追求することに意義があるからです。
実社会では現実との戦いです。
他人に親切にすると笑顔で答えてくれる。その笑顔を見て幸せ感を感じる。
良い精神状態とは小さな親切心小さな幸せ感の集合体です。
考えていても脳が満足するだけです。
行動すると心が満足します。
どちらが良いですか?
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この回答へのお礼

Thank you

病身で仕事に行けません。せめて考えたいと思っています。

小さな親切、小さな幸せはいいですね 早くそうなりたいです。

お礼日時:2017/05/27 17:02

お礼ありがとうございます。


2元論と言う事は、性質2元論と同じ事だと言う事でしょうか?
「性質」は良いとしても、「エネルギー」は一般的な概念とは違う理解のようですが、「性質」、「エネルギー」、「存在」の関係性を整理された方が良いと思います。
「存在」は、物理的存在=「物質」を意味しますか?
それとも、「性質」+「エネルギー」→「存在」なのでしょうか?
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この回答へのお礼

Thank you

分かり易く書くと「性質を持ったエネルギー」が存在であり 

個性ある性質を持ったエネルギーが存在の単位です。

エネルギーは必ず性質を持っています 性質もエネルギーなくしてはありません。

それを「存在」と定義してみたのです。考えた末そこに行き着いたのです。

エネルギーは運動エネルギーでも熱エネルギーでも光エネルギーでも質量でもエネルギーです。

これはごく普通の物理的エネルギーです。

性質という言葉は 他にいい言葉がなかったので使いました。僕としてはピッタリしますが。

お礼日時:2017/05/27 12:26

「性質」とは、対象が発する、香りや色、質量や電荷と


いった作用のことを指します。
それは、対象が二次的に発するものであり、香りの分子や
光子など、相互作用の担い手の及ぼすものに他なりません。
そうした分析なしに、いきなり「性質」が一次的な要素で
あるという指摘は、ポエムにしか思えません。
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この回答へのお礼

ありがとう

性質以外に表す言葉がはなかったので「性質」という言葉で表したのです。

お礼日時:2017/05/27 16:59

性質だけが本質だと言う事は、唯心論と唯物論を統合するのでは無く、唯(性)質論を提案していると言う事では無いでしょうか?


統合では無くて、唯心論と唯物論の否定と言う事では無いですか?
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この回答へのお礼

ありがとう

厳密に言えば否定になりますが それでは納得は得られません。

結性質論ではなく エネルギーと性質の二元論です。

お礼日時:2017/05/27 09:32

大昔の哲学を一旦忘れて、現代の物理学を勉強する事です。



Phosophieってのは知を愛するってことなんで、物理学の知も愛しましょうね。
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この回答へのお礼

ありがとう

現代の物理学では素粒子論や理論物理学が盛んだと思いますが

素粒子も質量を持つのではないでしょうか?ニュートリノや光子も質量を持つと思います。

という事はエネルギーで出来ているという事でしょう。

私の哲学ではそう考えるようになりました。ヒッグス粒子も質量があるのでは?

お礼日時:2017/05/27 09:27

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