ギリギリ行けるお一人様のライン

明治の王政復古って、退化では?
天皇絶対化と選民意識、松蔭の膨張主義に突き動かされている時点で、その非合理性、普遍性の無さから、後の悲惨な敗戦が運命付けられていたと言えないでしょうか?
水戸学がその害悪の根源ですか?

質問者からの補足コメント

  • うーん・・・

    N01さんは、
    なんか曖昧ですね。
    いま、先進国中、GDP成長等で日本のみ例外的に駄目ですよね。
    実質所得は連続低下。
    警察による人権侵害
    ブラック企業蔓延
    無責任な世襲政治家
    無理強いされている割には豊かではない生活。
    官庁の隠蔽体質や独善等、明治維新でのボタンの掛け違い(しっかりした個の確立なしにカルト・黒幕・カリスマにすがる)に由来するようなことが頻発していますね。

    なお、お答えは司馬遼太郎というマイナー作家っぽくて感心しませんね。

    No.1の回答に寄せられた補足コメントです。 補足日時:2017/07/19 22:35
  • 共産主義が理想であるとは考えません。
    日本を考えたところ、個よりも組織や国等に重要性を置きがちで、その根源は何かを考えたところ、悪弊の大きなトリガーが明治維新の天皇主権だと考えたわけです。

    No.4の回答に寄せられた補足コメントです。 補足日時:2017/07/25 00:04

A 回答 (5件)

#4です。

補足ありがとうございます。

>日本を考えたところ、個よりも組織や国等に重要性を置きがちで、その根源は何かを考えたところ、悪弊の大きなトリガーが明治維新の天皇主権だと考えたわけです。

たしかにそういう点は否めないと思います。ですから、私も「後の悲惨な敗戦が運命付けられていた」という点は賛同します。

ただ、これが退化で悪弊なのか、というと私はそうでもない、と考えます。
ちなみに、私はアメリカでの生活経験がありますので、それを踏まえて考えたいと思います。

前回の回答でご紹介したコラムでも、アメリカ人などは「王政の国は共和政よりも古臭い」と考えていて、日本の占領期に大いに「日本を民主主義化してやろう」と憲法などを変えて行ったわけです。

でも私はこのコラムニストの価値観に賛成です。
アメリカの例だけでなく民主主義を維持するためには「多様で多彩な個人の考え方の集合」が必要とされています。自由ということなのですが、その代り社会の秩序維持はとても大変になります。「個人の考え方の相違をお互いに認め合う」というのは意外に大変で、社会が安定していればいいですが、災害や経済危機・戦争などの不安定な時期はものすごく社会自体が不安定になるものだからです。

日本はご存知のように災害が多発する国です。東日本大震災の時の日本人の団結力の強さは、世界に賞賛されたぐらいです。あれ、逆をいえば共和政の国だとなかなかできない、ということです。
 実際にアメリカのカトリーナ台風の時にニューオリンズはパニックになってしまっていますし、他にもそういう事例は多々あります。外国の人から見て「なぜ日本人はあれだけの災害にあっても、パニックにならず秩序が保てるのか」と疑問に思っているわけです。

その答えは、質問者様が喝破したように日本は「個よりも組織や国等に重要性を置きがち」であり、その根源には天皇制があることは間違いない、と私も考えます。

どのような社会制度、どのような歴史でも必ず負の側面と良い側面があります。先の大戦での敗戦はまちがいなく、天皇中心制による弊害であったと断言できるでしょう。しかし、同時によい側面もあって、阪神大震災や東日本大震災・熊本地震など大きな災害にあっても秩序を保ち、力強く復興できるのも、また日本人の特徴でありその要に天皇制があることも間違いない事実だと思います。

個人的な話をすれば、アメリカに住んで居た時に、私は「自分は日本人である」ということを強く意識しました。
元来どちらかというと「自分の考えを優先」するタイプなのですが、それでもアメリカのように「すべての物事が相対的で、お互いの立場を表明しあわないと前に進まない」というのは辟易しました。
 そのため、アメリカでは会社などで上司の権限がものすごく強くなっています。皮肉なことですが、そうしないと効率よく前に進まないからです。どのくらい強いかというと課長クラスでも、自分の判断だけで部下をクビにできるぐらいです。

逆に日本のほうが社会の階層化はマイルドです。課長が「お前クビ!」と言っても、部長が「まあ待て」と言うかもしれませんし、人事部も「ちょっと待て」というでしょう。個の確立ができていない、という見方もできますが、弱い個人は社会や組織で守られている、という見方もできるわけです。

元々国、国家というものは、個人では生きられない人間が、集団生活をすることによって生き延びる確率を上げた、という発明品であります。

国家のルールはその国の歴史的背景に由来します。一番不孝なのは、その国とその社会の実際に制度設計が合っていないことでしょう。中国なんかは私たちから見れば「共産党独裁で息苦しい」と見えますが、中国人からすると「確かに息苦しいが、これだけ巨大な国でなんどもバラバラになった歴史から見れば、この程度の強制で済んでいるなら良い」と考えるそうです。確かに中国の歴史は異民族の侵入と分割統治の歴史を繰り返しているから、社会を安定させる方を選んでいるのでしょう。

再度書きますが、日本は災害が多い国です。災害を個人の力で乗り切ることはできません。そのためには普段は多少息苦しい非合理性が垣間見えても、良い面もあると考えています。

もっとも、#1さん宛の補足に書かれた弊害はその通りだと思います。でも、このレベルなら天皇制を維持しつつ民主主義のやり方で解決していくことも不可能ではないでしょう。それができないのは、みんなが望んで居ないか、それとも国民が馬鹿なのか、ということだと思います。

良い面に目をつぶり、すべての悪弊を天皇制だけに収れんするのはよい考えだとは思えません。
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この回答へのお礼

飽きっぽくてどうもだめです。いま、再度のお答えを読みました。ありがとうございます。
災害が多いので結束のために・・・というのはある程度はわかりますが、現在の「象徴天皇」が役立っているという意味で同意します。
どうも政権の傾向として、ともすれば慢心して、あるいは野党時代には「edgeを効かせて」、
「帝国憲法の全体主義」「天皇主権」方向に戻ろうと画策しますので、それを断固反対したいという意図です。

お礼日時:2017/08/07 02:20

退化ではないと思います。

少なくとも明治維新の時点ではベストチョイスだったといえるでしょう。もっとも、その後の悲惨な敗戦は予定されていたとも思います。

質問者様が進化とおもう体制は共和政国家なのでしょうか。だとすると、日本はどの時点で共和政に移行するのがよかったのか、も考える必要があります。

少なくとも幕藩体制は、中世後期から近世にかけて、農本主義と一体になった封建主義としてかなり高度な大勢だと思いますので、江戸時代に共和政に移行することはかなり難しかったと思います。
 もっとも、江戸幕府は緻密な国家システムであったがゆえに、250年間続いたうえで農本主義から資本主義への発展を抑えきれずに幕藩ともに借金を重ね、瓦解していったといえるでしょう。

問題なのは、日本の場合資本主義的な動きはあったものの啓蒙主義的民主主義は殆ど発展しなかったことです。幕府の有識者や薩長の尊王攘夷派なども、民主主義は知識として知っていたのに「日本の実情とは合わない」と考えていたようです。

となると、明治の開国でいきなり共和政はありえないでしょう。フランス革命を引くまでもなく、中央集権の王制からの民主革命でなければ、民主革命で一国をいきなり共和政に転換することはかなり難しいからです。

明治維新の時は「天皇に国の政治をお返しする」大政奉還でなければ、日本はバラバラになり、一時期のヨーロッパのように小国に分裂して、西洋列強の植民地になっていたはずです。

ですから、明治維新の際には王政復古しか道は無かったと思いますし、その点でベストチョイスだったと考えます。

明治以降の政策において、日本の膨張主義はたしかに吉田松陰に基礎があるといえるでしょう。もっとも、誰が見ても当時の日本の周辺状況からすれば松蔭の方向性しかなかったともいえます。それしか西洋列強の植民地化政策に対抗する道は無かったからです。

アジアという植民地の草刈り場にあって、自国本土を守ろうとすれば、周辺に進出して攻撃と守りを一体化するしかない、というのは戦略的に当然だと思います。

日本にとって不幸だったのは、日清戦争はともかく、日露戦争に勝ち、第一次世界大戦で戦勝国になったことであるといえるでしょう。
これに王政であることが影響して「天皇の臣民として、国土を失うのは非国民である」という認識が軍人の判断力を鈍らせる結果になっていくわけです。

特に最悪なのが、対アメリカ開戦を決定した御前会議です。
NHKのルポルタージュによると「海軍大臣は開戦に反対・陸軍大臣も開戦に反対・反対と言うかアメリカと戦って勝てるはずがない、と思っていた」ようです。

ところが、天皇の前ではこれを指摘することを「恥じ」だととらえたため、会議の流れ上「開戦やむなし」と言う方向になり、開戦が決定されていきます。そして、誰もが「アメリカに勝てるわけがない」と思っていたわけですから、当然に負けるわけです。

もっとも、この時に日露戦争の講和に奔走した小村寿太郎かそれに匹敵する人物が居たなら、もしかしたら開戦せずに乗り切れたかもしれません。
しかし小村寿太郎のような人物たちは、明治以前の生まれで「天皇を絶対視する教育」を受けていない人物たちだったわけですから、その点で昭和の人々は教育が違い、だからこそ私は明治の王政復古は「後の悲惨な敗戦が運命付けられていた」と考えるわけです。

ただし、同時に「ではいつ共和政に移行すべきだったのか」も考えなければなりません。もっとも1917年(大正6年)以降は、ソ連革命が成立した後ですので、共産化も選択肢のひとつになりえます。個人的には好みませんが、オプションとして忘れるわけには行かないでしょう。

一つの転機としては自由民権運動が盛んになった明治の初期から中期にかけてかもしれませんが、もしこの時に民主革命が成功したとしても、その後の政治はかなり大変だったと思います。まず、なにより国会がありませんから、民主派が政治の実権を握ってもそれを国内に広く流通させる手段がありませんし、対向する勢力との調性もできず、結果として内戦状態に陥っただろうと考えるのが妥当だと思います。

なにせフランス革命はその成功後国会に集まって方針を決めたからこそ、軍隊も動かせたし、近隣諸国への対応もできた、といえるからです。しかし、同時にフランス革命はその後に80年もの長い間動乱したことを忘れてはいけません。

ですので、明治中期の国会ができる前に共和政に変更したら、日本は西洋列強の食い物にされていた可能性が高いと考えます。

では、次の時点はどこでしょうか。実際問題からいうと戦前には次の時点がほとんどないんですね。強いて言えば、大正デモクラシーの時期だったのかもしれませんが、大正デモクラシーの思想には「天皇制打倒」は入っていないんですね。もっとも、大賞6年に共産革命が成功すると、にわかに共産主義が台頭してきますが、質問者様は天皇制よりも共産主義のほうが良いとお考えでしょうか。
 私は共産主義は最悪だと思いますので、大正デモクラシーが共産化に至らなくて良かったと思っています。

次の転機は昭和のクーデター時期、515事件と226事件の時期は革命的な内容が成功しそうな時期でありましたが、これらのクーデターは結局「天皇制温存」でしたので、なかなか日本人の精神として「天皇制を廃止して共和政」という意識にはならなかったようです。
 もっともこの時期に共和政になっていれば、太平洋戦争は起きなかったかもしれません。

最後のチャンスは戦後の敗戦期でしょう。実を言うとこの時期はまさに革命が成功した可能性が最も高い、時期でもあります。このチャンスをつぶしたのは、日本人ではなくGHQであるのが皮肉なところでしょう。

GHQとしては、天皇制を廃止共和政に移行することも考えていたようですが、日本の実情を調べると、天皇制を廃止すると一気に共産化する恐れがある、ということが分かり、昭和天皇の処刑すら辞めた、と言う事実があります。
 実際に天皇制は廃止しなくても、当時の皇太子(今上天皇)に委譲して昭和天皇は処刑する、と言うプランもあったようですが、それすらも実行できなかったのは、日本の民主化と天皇制がとても深く結びついていた事実にGHQが気がついたからでしょう。

ということで、現在の日本の反映、戦後の復興期までは天皇制の影響はとても大きいといえるでしょう。ですから、退化ではない、と私は考えます。

また質問者様が補足で書かれている、
>いま、先進国中、GDP成長等で日本のみ例外的に駄目ですよね。
>実質所得は連続低下。
>警察による人権侵害
>ブラック企業蔓延
>無責任な世襲政治家
>無理強いされている割には豊かではない生活。
>官庁の隠蔽体質や独善等
は天皇制とは関係なく、戦後民主主義の選択として、選挙民がずっと自民党を支え続けてきた、ことが問題であるといえるでしょう。なにせ、これだけの負債や20年間も経済を停滞させたのは間違いなく自民党ですからね。

もっとも
>明治維新でのボタンの掛け違い(しっかりした個の確立なしにカルト・黒幕・カリスマにすがる)
については、たしかにそういう部分はあると思います。ただ、官僚の独善性はむしろ戦後のほうがひどいでしょう。

国民が「個の確立」ができていない点については、その通りだと思います。
面白いのはネパールが王制を廃止した時に国王が最後のスピーチで語ったことです。そこには「これからは国民を守る国王はいなくなるのだから、国民一人一人が責任を自覚して国を運営してほしい」と語られています。

そういう点で、共和政ではない日本人は「国政や国家に対する自覚と、それを支える個の確立に不十分な点がある」と私は思います。

あ、タイもそうですね。民主的な政治に息詰まると国王に忠誠を誓った軍部がガラガラポンしてしまいますからね。

ただ、同時にこういう問いか気も必要だと私は思います。
「もし、日本が共和政になったら、戦争も自分たちの責任、戦争に負けても自分たちの責任、原発事故も結果として国民の責任になるし、トランプのような大統領を出現させても自分たちの責任になることを、日本人は許容できるのか」
ということです。

多くの日本人はこの点について、考えが甘いというか、認識が薄いことに私はとても心配しています。
それが、現在における天皇制のデメリットといえばデメリットでしょう。
でも天皇制にもメリットもありますよ。

これはイギリス王政のついて書かれたイギリス人のコラムですが、私は天皇制と日本人にも当てはまると思っています。
http://www.newsweekjapan.jp/joyce/2016/11/post-1 …

最近急速に安倍首相の支持率が落ちていますが、これもこのコラムにあるような、メリットのひとつなのかもしれません。
この回答への補足あり
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この回答へのお礼

ニューズウィークの記事は、なかなか読めませんでした。

トランプのようなとんでもないのがTOPに選ばれないのは、大統領制ではないからで、君主を戴くかどうかは無関係では?
また、米国大統領選出の際も、代議員を国民が選び、代議員が大統領を選ぶはずですから、そう英国式と変わらないのでは?

お礼日時:2017/08/07 02:36

江戸時代は、270モノ国が寄せ集まった


連合国家のようなものでした。

そこへ、欧米列強が登場した訳です。
この
欧米列強に対抗するために、中央集権に
する必要がありました。

そのための統治の技術として、天皇を中心にして
日本全体が一丸になろうと、したのです。


同じ事は過去にもありました。
白村江の戦いでぼろ負けした日本は、中央集権体制
にすべく壬申の乱を起こし、天皇中心の
中央集権体制にしようとしました。
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この回答へのお礼

なるほど
そんな緊急事態は一時的なので、
現在の「象徴天皇」が常態ですね。

お礼日時:2017/08/07 02:23

1つに全ての原因を求めるのは、中二病的である。

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この回答へのお礼

原因というより、
リスク発言のトリガーを設定してしまい、
それを認識・是正程度が低過ぎはしないか?
というおもいです。

お礼日時:2017/08/07 02:25

時代が絶対的なリーダーを必要としていたからこそ


王政復古が実現したと思います。

そしてその絶対的な力の源で近代化を成し遂げました。

その結果、第一次世界大戦後は国際連盟の常任理事国の席も得ましたし
昭和恐慌(世界恐慌の波及)も乗り越えました。

ただしその後は…

まあ、良い面もあれば悪い面もあった。
そして今の時代はとりあえず良い面で機能している。
それで良いと思います。
この回答への補足あり
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この回答へのお礼

今は、王政復古のままではなく、
実権を持たない「象徴」と戻してますから、
その限度で、「悪用されず」良いといえるでしょう。

お礼日時:2017/08/07 02:27

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