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日本が大東亜戦争を始めた理由って
ABCD包囲陣で石油を止められて
日本の海軍陸軍の極端な軍備縮小
これで正しいですか?詳しい方教えてください。

A 回答 (8件)

以下で開戦に至る経緯を調べられるとよいかと思います。



https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%AA%E5%B9%B3 …
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E4%B8%AD …

ちなみにこういう説明もあります。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E6%9D%B1 …

参考まで。
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ハルノートを忘れています。



あんなもの突きつけられたら、モナコのような
国でも戦争しただろう、とインドのパル判事が
述べています。
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この回答へのお礼

ハルノートですか?それは初めて聞きました!調べてみます。ありがとうございます!

お礼日時:2017/12/22 21:56

簡単に言うなら、日清・日露と連戦連勝で天狗になってた、ってのが一番の原因でしょう。

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この回答へのお礼

日清戦争した理由は軍国主義ぽい理由ですが日露戦争はロシアが勝手に日本が戦争で勝ち取った満州をロシアが奪って、日本がムカついて宣戦布告したんじゃなかったでしたか?坂ノ上の雲で見ました。

お礼日時:2017/12/22 23:33

大陸からの撤兵を求められた事ですね。

実行しないのなら、米国は経済制裁の圧力をより強める「石油の全面輸出禁止」をうちだしました。ハルノートは、他にも厳しい要求を盛り込んでいますが、飽く迄要求であって、これを正式な最後通告と誤解した時の政府の判断ミスです。

判断の中心人物の総理大臣が、陸軍の現役将官であるため当然開戦となります。この将官を総理に据えた時点で、日本国は判断を誤ったと言う事です。満州国はさておいて、中国からの撤兵で、戦争は回避できたと思われます。ルーズベルトの年齢からすれば、再選が可能とは思えず、主戦派はこれで大きく変わったと思われます。

欠陥だらけの明治憲法は、戦争するのには都合よく出来ていたので、やはり東条総理が誰に代わっても、中国からの撤兵は不可能でしょう。ハルノート撤回を求めた交渉も決裂して、やはり開戦でしょう。最終的には明治憲法が、政府の判断を誤らせたと言えます。
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もちろん、細かいところを精査するというもの大切なのですが、それにどのような方法で対処した(しようと決めた)のか、何故そのような結論が選択されたのか、というところも大切だと思います。



石油もハルノートもありますが、ハルノートも最初は受け入れることも考えられていたようです。ところがその中にある(権利を手放す)中国に満州が含まれるかどうかで、含まれるかもしれないから受け入れがたし、含まれていなくても後から含まれていたと言ってくるかもしれないから受け入れがたし、となっていったようです。
でもって、受け入れられないから戦争だという短絡的な発想は、なんとかならんかったのかというところもあります。
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概略としてはほぼその通りの認識で良いと思います。



この様な質問でよくハルノートが挙げられますが、
時系列としては、既に9月の御前会議で日本が戦争を決断し、
最後の望みをかけて日米交渉を行いながらも
戦争を始めるために単冠湾から真珠湾攻撃に出撃した
次の日に提示されたのがハルノートです。
ハルノートの内容がどうあれ、アメリカが日本側の提案を
受け入れられなければ開戦することが決まっていたので
交渉決裂の時間切れで戦争に突入しました。
ハルノートは最後のきっかけにはなりましたが、
内容を理由にされるのは厳密には間違いと考えます。
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>ABCD包囲陣で石油を止められて 日本の海軍陸軍の極端な軍備縮小



 これ「石油を止められると陸海軍の規模を縮小せざるを得なくなる、それを恐れて開戦した」って意味にとっていいんですかね?

 だとしたら正しくはありません。「石油を止められて」を原因にするのでしたら、「それによる国家経済の破綻を恐れた」が理由になると思います。
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No4さんの「日清・日露と連戦連勝で天狗になってた、ってのが一番の原因でしょう。

」もそうですね。
それに国民も新聞にあおられて「ドイツと手を結べ 米英撃つべし」とワイワイ騒いだ。
「戦争になったら日本軍は敵をバッタバッタと切り殺して米英は震え上がって降参するさ」と本気で思っていた。
むしろ職業軍人のほうが「石油が足りないし、国力が違いすぎるし」と心配したが、官僚軍人はなにがなんでも戦争に持っていこうとして資源についての調査は偽り「戦争すれば勝つ」と言っていた。
そこにハルノートが来てこれには穏健派も「戦争しかないな」と覚悟を決めたという。(ハル国務長官でさえ「あとは軍人に任せる」と言っていたらしい)
対日石油輸出禁止でアップアップしているところに東南アジアの石油に眼が行って狙っていたところ、イギリス軍が撤兵(戦力を引き抜いてヨーロッパ(はドイツの進撃に苦慮していた)に持っていこうとした)の情報が入り、「やるなら今しかない」と決断した。

まぁ 当時は国際紛争の解決は戦争が当たり前だったのであながち無謀というわけでもないが、やっぱりアメリカは強かったということですね。その反動で戦後に日本が品質管理や量産体制などのものづくりで「アメリカに勝つんだ」とがんばったから今の日本があるのでしょう。

今の日本は「道路にゴミが落ちてない」とか「品質は日本が一番」とか「心きめやかな対応」とか言ってますが、ほんの60年前は「ゴミだらけ」「安かろう悪かろう」「荷物を置いたら5分でなくなる」だったのです。
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