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日本がアメリカとの戦争(太平洋戦争)を可決した理由を教えてください。

日本はハルノートが出される前に、真珠湾を攻撃すべく空母機動部隊が海に出ていたのは本当でしょうか?

なぜ最初の攻撃目標が、軍艦や資源が集中し、失敗する恐れのあった真珠湾なんでしょうか?

山本五十六は、アメリカに留学し、アメリカの生産力を知っていたのに、なぜ戦争反対をしなかったのか?

A 回答 (4件)

アメリカとは戦争せざるをえなかったというのが私の評価です。


日本はハルノートの前から、アメリカとは戦争になるかも知れないとして準備をしてきたようです。

黄色人種への偏見もあり、ABCD包囲網など、日本はにっちもさっちもいかなくなってきました。それを打開するために、短期間でアメリカを叩き、有利な条件で講和することを目的として戦争に乗り出しました。そして、それを実現するためにはアメリカ艦隊の主力が集結する真珠湾を一挙に攻撃するのがいいという風になったのでしょう。

山本五十六はアメリカを知っていたがために、当時の首相に日本がアメリカと戦えるか聞かれて、半年や一年は大いに暴れてごらんに居れますがその後二年、三年となっては全く確信が持てない、日米戦争は極力避けていただきたいと述べています。

今から考えると、日米戦争を局地戦争と考えていて、本土空襲などにまで発展する全体戦争になるというのは誤算だったのではないかと考えられますが、だからこうすればよかったなどと言うのは、後の時代だから言える後出しジャンケンでしょうね。
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A、米側の都合



①ニューディール政策が終了した米国は、景気後退が起こり、日米開戦時の鉱工業生産指数は、恐慌前の45%に落ち込んでしまった。
②この為ルーズベルト大統領は、選挙の公約である戦争回避方針を転換して、戦争をすることで、景気浮揚をせざるを得なくなった。
③何が何でも日本に戦争を仕掛けさせ、米国民の戦意を高揚させる必要があった。
④対米戦争を避けたい日本は、粘り強い交渉を続けていたので、どうしても日本が飲めない提案をする必要があった。
⑤ハルノートは、言葉通り、ノートであって、最終提案ではありません。日本が最終提案と誤解を受けて開戦に踏み切る、いわば罠を仕掛けたのです。
⑥日本の暗号解読に成功した米国は、日本海軍機動部隊の行動など、明白であり、又オアフ島には、最新式のレーダーさえ装備し、脆弱な空母艦隊を出港させ、戦艦群を碇泊させていました。攻撃を受けても、問題ないと考えていたのです。
⑦カールビンソン議員の提案により、選挙公約とは反対の大建艦計画は、既に始まっていて、最新鋭戦艦ワシントンは、翌年完成の予定でした。そして次々にワシントンクラスが完成する手順となっていたのです。戦争を開始しなければ、大義名分が有りません。日本のハワイ奇襲のせいで、建艦計画は、空母の建造に振り向けられます。彼の名前は、現在原子力空母の名前となっています。

B、日本側の都合
①日本と中国との戦争の原因は、軍拡のための増税に次ぐ増税でした。海軍は金食い虫なのです。戦闘をしない海軍は、武蔵大和の建造で大金を使っていたのです。
②李王朝を合併してしまった日本は、朝鮮半島の安全保障を担保するため、半島住民の民生の向上と、民族資本の蓄積を行わざるを得ません。そこで増税の一部を半島に投資して、ファンダメンタルの整備に取り掛かったのです。大恐慌の発生により、この政策は日本の重圧となります。そして農村は地租税の為、疲弊します。
③これを解決するため、新たな植民地が必要となり、「満州国」を作り上げたのです。
④結果として必要のない「国際連盟の脱退」を行います。しぶとく連盟に残って、非難決議の嵐に晒されても良かったのですが、格好を付けます。
⑤米国は、中国の権益を恋人を待つような気持ちで欲しがっていました。戦後の米国の政策を見ればよく理解できます。国際連盟のい参加していないにもかかわらず、満州国には大反対です。
⑥中国から日本を追い出したい米国は、対日通商交渉で、現在の北朝鮮への対応によく似た経済制裁を実行して、日本の対中戦争継続を止めようとして、日本を苦しめます。
⑦巧妙な米国は、中国に対する援助を大々的に行い、空軍義勇兵さえ派遣します。中華民国の空軍の主力は、この義勇兵だったのです。そして日本はこの援助に苦戦します。
⑧東条内閣は、対米戦争をやりたくはなく、中国戦線を何とか解決したく、努力しますが、撤兵せずの交渉は纏まりません。
⑩米国は石油の禁輸を交渉に持ち出します。油が無くては戦争継続は不可能です。そこで南方の資源がどうしても欲しくなったのです。
⑪御前会議で山本大将の発言により、ついに開戦が決まります。
⑫日本海軍は、中國奥地の爆撃を行う位で、金食い虫の中国戦線での貢献は、僅かです。海軍のメンツがありません。
⑬海軍のメンツで、山本大将の発言となってしまったのです。まるで馬鹿げています。東条首相は、山本大将の発言に驚いたと伝わっていますが、こうなってはどう仕様も有りません。
⑭米国をよく知る山本大将も、海軍という官僚組織の圧力には、どう仕様もなかったのです。現代の森加計問題に通じます。

こんな事で、日本は乾坤一擲の開戦に踏み切ります。国民は黙々と戦争推進に努力し、大敗北を喫します。しかしこんな本当の事情は国民に伝わりませんが、何となく分かることです。従って、大日本帝国の衣を脱ぎ捨てるのには、それ程の苦労はなかったのです。
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日本がアメリカとの戦争(太平洋戦争)を可決した


理由を教えてください。
 ↑
米国のことを調べれば、いずれ罠を仕掛けて
戦争に持っていかれる、と判っていたからです。

米国は大衆民主制の国ですから、戦争をやるにも
大衆の賛同を得なければなりません。
それで、米国は戦争をしたいときは、罠を仕掛けて
攻撃させ、その報復として戦争をやる、という
技法をくり返し、利用してきました。

旧くは、テキサス独立戦争があります。
あそこではアラモの砦が全滅して、それで国民に
火がつきました。

スペインとの戦争では、米国の艦船メイン号が
謎の沈没を遂げ、これがスペインの仕業だという
ことになり、戦争のきっかけになりました。
米国は後になってあれは事故だった、と公表して
いますが、疑惑が持たれています。

フイリピンとの戦争では、米国軍配下のフイリピン人が
殺害されたのがきっかけとなり
これで米国は60万のフイリピン人を殺害しています。

第一次大戦では米国船ルシタニア号がドイツの
潜水艦に沈没させられたのが、参戦の理由の一つに
なっています。




日本はハルノートが出される前に、真珠湾を攻撃すべく
空母機動部隊が海に出ていたのは本当でしょうか?
   ↑
判りませんが、その可能性はあったかも。

米国歴史学の権威チャールズ・A・ビーアド元コロンビア大教授は
公文書を調べて、ルーズベルトが巧妙に日本を戦争に引きずり込んだ
過程を明らかにした本を出版しましたが、これは事実上の発禁処分
にされてしまいました。

31代米国大統領のフーバーが、ルーズベルトを、日本を無理矢理戦争に
引きづり込んだ狂気の男、と評した書見を残しています。
彼は、ルーズベルトは真珠湾を知っていた、とも書き残しています。




なぜ最初の攻撃目標が、軍艦や資源が集中し、
失敗する恐れのあった真珠湾なんでしょうか?
  ↑
軍艦が集中していたからです。
当時は、日本海海戦などの影響で、軍艦が
勝敗を決める、という考え方が強かったのです。



山本五十六は、アメリカに留学し、アメリカの生産力を
知っていたのに、なぜ戦争反対をしなかったのか?
  ↑
反対していますよ。

私にやれと言われれば、1年や1年半は存分に暴れてご覧にいれます。
しかし二年、三年となっては、全く確信は持てません。
三国同盟ができたのは致し方ないが、かくなった上は、
日米戦争の回避に極力ご努力を願いたいと思います。

太平洋戦争直前、太平洋戦争の勝算を近衛文麿首相に
戦争の見通しを聞かれたときの発言。
山本氏は対米戦争には最後まで反対していた。
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ご質問にだけお答えいたしますね。



>日本がアメリカとの戦争(太平洋戦争)を可決した理由を教えてください。
 ⇒可決というか、決定した理由はWikiの「太平洋戦争の年表」の「開戦までの経緯」が一番わかりやすいです。端的に言えばそれ以外に打開策がなかったんでしょうね。
 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%AA%E5%B9%B3 …

>日本はハルノートが出される前に、真珠湾を攻撃すべく空母機動部隊が海に出ていたのは本当でしょうか?
 ⇒ハルノートが日本に提示されたのが11月26日、単冠湾へ第一機動艦隊が集結したのが11月23日、艦隊の行動は最低でも1か月前から準備が始まりますので、どこかを攻撃すべく海に出ていたのは間違いないですね。ただし真珠湾をめがけて出撃したのは26日ですからハルノートの後だと思います。

>なぜ最初の攻撃目標が、軍艦や資源が集中し、失敗する恐れのあった真珠湾なんでしょうか?
 ⇒アメリカ相手に長期戦を行える自信は誰も持っていませんでした。短期決戦でアメリカに相当の損害を与え、講和に持ち込むしか方法はありません。そのため米太平洋艦隊の根拠地であり戦力が集中する真珠湾が目標となりました。またここを序盤に無力化できればアメリカの対日侵攻計画(オレンジプラン)は練り直しが強いられ、相当の時間が稼げることで日本側の準備も整えられ(実際、開戦時には航空機も爆弾も充足しているわけではありませんでした)ます。当然リスクは高いですが、成功すればそれ以上のベネフィットが見込めたからです。そもそもこれ以外に講和の可能性につながるような戦果を挙げ得るところはありませんでしたしね。

>山本五十六は、アメリカに留学し、アメリカの生産力を知っていたのに、なぜ戦争反対をしなかったのか?
 ⇒記録によれば最初っから最後まで反対していました。ただし山本提督は連合艦隊の司令長官にすぎません。国から命令が下ったらそれに従うのが軍人(別に軍人に限りませんけどね)です。
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