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今日ふと思いました。数学では線の太さは考えないのおかしくないかと。例えば線分ABがあってその間にmがあったとするとAB-MBはAMとなります。ですが今Mをひいたのですから、距離はAからMまでの長さから点Mの太さをひいたものだと思いました。こんなありえないことを考える僕は末期ですね。でも詳しく数学について、この問題について論破してくれるかたはいませんか?

A 回答 (7件)

う~~~んと細いと考えて、どんどん細くすれば、無いと考えた場合の結論に


漸近するなら問題有りませんよね?

もし不都合が有るなら、そこを考えて見て下さい。
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では、幅dを持った点Mを考えてみたらどうですか?


それはそれでできなきゃいけないんです。
例えば、ABの長さを持つ木材の角棒の、M地点に、直径12mmの穴を開け、そこにボルトを通す、なんてことは実践に於いてはあるわけです。
Mが径や幅を持ったらもうどうにもなりません、では話にならないのです。
ただその場合でも、点MなりNなりを、その径やら幅の中心点と考える、とすると、その「仮想上の点」にも幅があると、それはそれで訳が判らなくなります。
実践的には無い話じゃ無いですよ。
Mを中心に、直径12mmの円を勿論描くし他にも円を描く、ときなどに、コンパスを使うなら、コンパスの針にも径があるわけで、その中心が本当にMにあるのか、Mが上下左右にずれてないか、なんてことは無い話じゃ無いです。

それはそれで考えれば良い、どうとでもなる、どうとでもする、とした場合、数学に於いて、真っ先にMの幅を考える必要がありますか?
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数学では「点」は位置だけを表わし、どの次元の大きさも持ちません。

あなたは「線」を「直線」「半直線」「線分」に分けていませんが、それでは末期です。
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数学では線の太さは考えないのおかしくないかと


 ↑
おかしくありません。

数学的に線、というのは長さがあって
太さの無いモノ、と定義されています。
点は、位置があって大きさのないモノです。



こんなありえないことを考える僕は末期ですね
  ↑
そんなことはありません。
古代ギリシアの哲学者達も似たような
ことを考えています。
そこからイデア、という概念が誕生したのです。



この問題について論破してくれるかたはいませんか?
 ↑
ギリシア哲学では、これは「もの」と「かたち」
の違いだ、と説明しています。

「もの」は滅びるが「かたち」は永遠である。

ものは、ペンなどで書かれた痕跡にすぎないが、
かたちは、人間の脳に刻まれた観念だからです。

数学的線は、脳に刻まれた観念ですので
太さはありません。
太さは無い、と観念されているからです。

これに対して、ペンで描く線は、インクの染みに
過ぎません。
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数学は抽象概念で有り、鉛筆で書いた線など具象物は数学の概念を理解させるための補助手段に過ぎない。

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数学上の点とは、空間的な広がりのない、ある指定された位置(たとえば座標)を指す。


数学上の線とは、幅も高さもない文字どおり1次元の概念である。

しかしこれを正直に表現してしまっては誰も話者が言わんとする点も線も見ることができず認識することもできない。
作図すら不可能である。

なので便宜的に
「幅のない線であるが、作図の関係で幅を持った線で描く。実際は幅も高さもないものとして扱ってほしい」
という共通の了解事項としているのである。
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1次元なので太さはありません。

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