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工学部学生向きのテキストで力学・物理現象を偏微分方程式として表現するとき、テイラー展開を行って高次項を落としてせいぜい空間的に2回ぐらいの方程式を作成すると思います(膜とか紐の振動とか)。高次項を打ち切るということは一種の近似という操作に見えます。ということは厳密性を犠牲にして近似的な考察をしているということになるのでしょうか。
数学専門という立場では位相とかεδ論法的な解釈に基づいて、”それでいい”ということになっているということでしょうか。
方程式そのものだけでなく、境界条件も偏微分で書かれることがありますが、その辺もひょっとしたら近似では?と思えるところもあるのですが。解法になってくると数値的に考えると近似のようなところもありかなとは思えますが、出だしから近似なのかなと思うのですが。

A 回答 (4件)

もちろん「高次項を打ち切る」というのは近似の一種です. なので, 「どこまで近似できるのか」とか「それで本当にいいのか」という議論は別途必要です.



もともと「観測」の時点で誤差が入るため, 本当に厳密に処理しても意味がないことも多いんですけどね. 特にカオス的なシステムでは.
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。そう言うことなので学術論文は計算と検証が必ずペアになりますね。でも、このようなパターンの論文が何十年も積み上げらえてくると、もうそろそろそのパターンも出尽くしたように思っています。ただし、ご指摘のようにカオスなどになると可積分なのか(数値積分していいのか)?、有限な範囲でどのようなものが出現するのか予測不能か?という問いが出てくるようなのですが。

お礼日時:2019/05/11 09:20

高次項を落とす前の立式に使った公式が、そもそもそういう高次項落としをして作られたものである可能性が高いので、


具体的な方程式にだけ厳密性を求めてもしかたがないのだと思います。
数学的にはそれでいいはずはないのですが、物理学的には「こんなのでいいんだよ」ということではないでしょうか。
そこで近似してもしなくても、結局できた微分方程式を解く場面ではおそらく近似解を求めざるを得ないので、
その意味でも、厳密性にこだわる意味は無いのでしょう。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。現象→方程式→解く、という順番で考えると既に現象→方程式に精度が低減しているわけですが、方程式→解くというところでは数値的に解くということに関しては気を使っているように見えます。単純な問題だと厳密解が求まるので数値解がそれと比較されて適否の評価を受けるからだろうと思うのですが。
しかし、厳密性にこだわらないけれども虚無主義でもない、というところの立ち位置についてまだよくわからない面は残ります。

お礼日時:2019/05/08 10:36

数学系ではないので数学的観点は判りませんが。


テイラー展開の高次項切り捨ては近似で間違いありません。実用上意味のない部分だからです。
もっと言えば厳密に解くことは一般的に不可能です。

しかし現実世界の現象はほとんど偏微分方程式で表されます(時間変化するものがほとんどなので)これを解けないのは困るので近似するわけです。
数値的な解き方は学問分野で言えば数値解析(数値計算)になるので気になったら調べると良いと思います。
また、偏微分方程式は普通人力では解かないのでコンピュータに任せますが、コンピュータ自体に誤差があるので厳密性を求める意味はありません。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。私はどちらかというと数値計算側の人間ではあります。現実問題の場合、現象から式を導く過程での誤差のほかに極めて複雑な境界条件(この世界そのもの)とか初期条件の不可知というところでも限界がありそれも併せて近似です。一方ですべて近似だけれども、それを認めたうえでできるだけ良いものに近づけようという努力というのもあるようですね。努力嫌いの人間(私)はそういう意味で虚無主義に陥ってしまいそうなのですが。

お礼日時:2019/05/08 10:42

たとえば、長い針金の真ん中を熱したら、針金上の各点の各時刻における温度がどうなるか。

これは熱方程式(伝熱方程式、拡散方程式)で表される。それによれば、針金上のうんと離れたところでも、真ん中を熱した瞬間に温度が上がり始める。ということは、針金とマッチと高感度の温度計があれば超光速通信ができる?
あるいは、空気中の音波の伝播は波動方程式で表される。でも、音圧の振幅が極端に大きかったらどうか。圧力が0以下になるという計算結果をどう解釈しようか?
針金でも空気でも、実体は有限個の分子から構成されている。それを連続体だと思わなくては、そもそも微分ができません。
というわけで、これらは近似である。普通は近似とは言わず「モデル」と呼びますが。そして、モデルには適用限界がある。様々な要因を理想化したり無視したり微小であると仮定したりして、単純化してあるわけで、こういうのを「実効理論」という。
ところで、量子論のモデルは恐ろしく正確に現実を描写しますけれども、どこまでも正確であるはずはない。実際、極端な状況では相対性理論と量子論が矛盾を起こします。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。剛体の存在を言うだけで相対論はアウトになってしまいますね。剛体はフィクションということですが。
ただ、モデルができたとき、今度はそのモデルを解くということに関しては最大限の努力をせよということにはなりますね。そのとき、どうせモデルじゃん(絵にかいた餅)と思ってしまうと力も抜けそうではありますが。

お礼日時:2019/05/08 10:45

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