No.6ベストアンサー
- 回答日時:
回避できません。
何らかの罠を仕掛けて、戦争に持ち込んだ
と思います。
米国の戦争の歴史をみましょう。
米国が戦争をやりたいときは、まず世論を
たきつけるような事件を起こしてから
やります。
事件が起きなければ、人工的に起こします。
ハルノートを受け入れても、何らかの理由を
つけて戦争に持ち込んだと思われます。
当時の米国は、1930年に続く大不況の真っ只中でした。
GDPは1/2に、株価は1/10に落ち、国民の1/4が
失業し、あちこちで暴動が発生していました。
ルーズベルトは、ニューデールなどの政策を打ちましたが効果は
はっきりしません。
これに加えて、当時は社会主義運動が盛んに
なりつつありました。
うかうかしていると、体制すら崩壊しかねません。
また、米国は英国フランスなどにも大量の資金を
貸し付けており、彼等が敗戦になれば、貸し金が焦げ付く
可能性がありました。
それでどうしても戦争をやる必要があったのです。
戦争は最大の公共事業ですから。その証拠に戦後、米国
経済は見事な復活を遂げています。
これは私の偏見ではありません。
米国歴史学の権威チャールズ・A・ビーアド元コロンビア大教授は
公文書を調べて、ルーズベルトが巧妙に日本を戦争に引きずり込んだ
過程を明らかにした本を出版しましたが、これは事実上の発禁処分
にされてしまいました。
31代米国大統領のフーバーが、ルーズベルトを、日本を無理矢理戦争に
引きづり込んだ狂気の男、と評した書見を残しています。
彼は、ルーズベルトは真珠湾を知っていた、とも書き残しています。
ハルノートのハルは、真珠湾攻撃を耳にして躍り上がって
喜んだ、という側近の証言が残っています。
「これで戦争ができる」
●では、日本が米国に屈してハルノートを受け入れれば、戦争を避けられた
でしょうか。
私はそうは思いません。イラク戦争を見て下さい。
ありもしない大量破壊兵器を口実に戦争を始めたのは
米国です。
その後、英国BBCは、911以前から米国はイラク、
アフガン戦争を計画していたことを暴露しました。
米国は何か罠を仕掛けて、戦争に持って行ったと思います。
1898年 2/15 ハバナ湾で、米国戦艦メイン号が謎の爆発沈没しました。
これで米兵266名が死亡し、スペインの仕業だ、
ということになり、あの米西戦争が始まっています。
後になって米国政府は、事故だと発表していますが
陰謀ではないか、という説が強いです。
ベトナム戦争では有名なトンキン湾事件が発生しています。
1964年8月、北ベトナムのトンキン湾で北ベトナム軍の
哨戒艇がアメリカ海軍の駆逐艦に2発の魚雷を発射した
とされる事件です。
これをきっかけにアメリカは本格的にベトナム戦争に介入しましたが、
その後、ニューヨークタイムズが、米国のやらせであることを暴露し
真実が明らかにされました。
湾岸戦争 1990年 では
アメリカの駐イラク特命全権大使のエイプリル・グラスピーが
イラクのクエート攻撃に対して
「介入するつもりはない」と発言しており
これを信じたフセインがクエートを侵略しましたが、
米国軍等により撃退されています。
米国は約束の存在を否定していますが、当の大使は、それ以後、公式の場には
一切姿を見せなくなりました。
その他にも怪しいのはいくらでもあります。
以上が、日本が戦争を拒んでも、ダメだったろうと思われる理由です。
ありがとうございます。アメリカの戦争の吹っかけ方はパターンがあるような気がします。
それと他国に爆弾を投下するのは、なんかに取り付けれているようにやりますね。
No.13
- 回答日時:
・ハルノートは受け入れ可能か
結論から言うと無理です。理由はその内容よりも時間です。
ハルノートが提示されたのが1941年11月27日午前9時、
真珠湾攻撃部隊が単冠湾から出撃したのが26日午前6時、
つまり開戦する意思を固めてのギリギリ最後の交渉で
日米交渉が成立すれば作戦中止の指示をする内示はありましたが、
その期限は12月1日午前0時。(いずれも日本時間)
日本側の提案と隔たりが大きく、来栖大使や東郷外相が
独断で決裁できる範疇ではないので時間切れです。
・当時の情勢について
日本側が11月20日の最終交渉で提示した乙案です。
・日米は仏印以外の東南アジア及び南太平洋諸地域に武力進出を行わない
・日本は日中和平成立又は太平洋地域の公正な平和確立後、仏印から撤兵。
本協定成立後、日本は南部仏印駐留の兵力を北部仏印に移動させる用意がある
・日米は蘭印(オランダ領東インド)において必要資源を得られるよう相互協力する
・日米は通商関係を資産凍結前に復帰する。米は所要の石油の対日供給を約束する
・米は日中両国の和平に関する努力に支障を与えるような行動を慎む
日本側の交渉の目玉は(条件付きですが)南部仏印からの撤兵です。
一方、ハルがこだわったのが5項目の援蒋の停止。
モーゲンソー(財務長官)私案や暫定協定案(11月22-24-25日)など
当初案ではもう少し妥協した案で、強硬派と穏健派がもめていましたが、
仏印での兵員の移動を交渉中の戦争準備と取られるなどで強硬案となりました。
ちなみに、交渉初期(11月1日の連絡会議)から、撤兵を含めて
戦争を避け臥薪嘗胆を行う案もありましたが、石油備蓄が約2年で
もし2年後に再度交渉させられれば戦わずに要求を呑まされるので
最悪のケースを考えて排除されました。
「当時の指導者には戦争を止める勇気が無かった」などと言うのは簡単ですが、
最悪のケースだと「なんで戦える時に戦わなかったのか」と言われていたでしょう。
このような意見は結果論で語るべきものではないと考えます。
・中国からの全面撤退は可能か
11月7日に提示された甲案では、日中和平成立後
華北・内蒙古・海南島は所要期間(25年くらい)駐兵、
その他の地域は2年をめどに撤兵するとしていました。
(甲案は暗号解読で乙案を知っていたハルが一蹴しました)
戦争回避のためにすべてを受け入れる必要はないので、
もっと時間に余裕があれば、さらなる交渉によって
妥協点を見出すことは可能だったかもしれません。
・開戦を避けることは可能か
開戦を避けるには、1941年10月18日に組閣された東条内閣では遅すぎで、
政権を放り出した近衛内閣がやりすぎました。
戦争回避には、少なくとも7月の南部仏印進駐で石油の全面禁輸を課されるまで、
できれば北支事変の時に現地で停戦しているのに増派したりしないで、
「国民政府を対手とせず」などと言わずに交渉するか、
欲を言えば満州事変である程度妥協した政策に転換していないと
お互いに引けなかったと思います。
米国は、日本との開戦を100年以上前から予測、準備していたと聞きます。
あの大国がそんな準備万端なら完膚なきまでたたかれるのは当たり前ですね。
戦争が回避できたかどうかと言うよりも必然的な戦争だったのでしょうか。
No.12
- 回答日時:
>日本は植民地とは言いませんが、アメリカの子分みたいな気がします。
米国は、東京大空襲、原爆、水爆などで、幼児を含む無抵抗な一般市民まで
大量虐殺する恐ろしい国です。
これは米国による列記とした戦争犯罪ですが、戦勝国という立場を利用して
正当化までしています。
そういう国を相手にイーブンな立場に立つためには
「相手を打ち負かす力」を見せつけなければなりませんが、
米国が戦後の日本にそういう力を持たせるハズがありません。
>日米同盟と言っても同等の実力があっての同盟ではなく、アメリカの
>援護をする役割りに過ぎませんね。
抑圧し続けなければ米国をも任す力を秘めた国だと認識し、
日本を恐れているからこそ、
日米同盟というセーフガードをアメリカは選んだ訳です。
細菌や核燃料を日本から遠避けているのも日本が怖いからです。
刀を持ったチョンマゲ野郎が闊歩し、木の船でクジラを追っていた国なのに、
気が付いてみれば大国ロシアを負かして
アジアから植民地支配をしていた欧州諸国を追い払うほどの軍事力を持っていた。
ここまで僅かに40年。
日本に対してビビるのも無理はないというものです。
ありがとうございます。そうですね。第二次世界大戦当時に白人に喧嘩できたのは
よいか、悪いか別にして日本だけでしたね。その他アジア人はライオンやトラに食べられる
ウサギのような存在だったと思います。
No.10
- 回答日時:
やるも勇気、やらないも勇気ですね。
>
違います
勇気とは虚心平気ということです。
他国に追い込まれようが、戦争を仕掛けるように誘導されようが、または他国の脅威にさらされようが
心は平気と言う状態
当時の指導者たちにはこの気構えが無かったから負けてしまったのです(負ける戦ならしない、という勇気が持てなかったという事)
No.8
- 回答日時:
アメリカについては問題はないでしょう。
あとは日本が提示する「いつまでに何をどのくらいどのように」を、どの程度受け入れるかです。
(当時問題になったのは大陸からの撤兵だけでなく、南方日本支配地域の通行権、独伊との軍事同盟の解釈なども重要議題だった)
アメリカのもとにはイギリスやフランス、中国、ソ連、オーストラリア、オランダなどが集まって自国の保全を図っていました。(のちの連合国)
日米交渉に対してもあれこれ意見をしていましたが、しかし国力の圧倒的な差により、それらは参考意見程度でした。
最終的にはアメリカの意思ひとつで物事を決定することができました。
日本の方は、まず内部工作の困難さが出てきます。
日本が10月になってさえ和戦どちらとも決められなかったのは、実は意思決定システムのあまりにも不透明なためです。
今の日本は内閣総理大臣が一番偉く、国務大臣を任命したり辞めさせたりできます。
しかし戦前の日本は違っていました。
総理大臣は天皇を輔弼する立場でしかありませんでした。
そして同格のものとして国務大臣がいます。
総理大臣が天皇を差し置いて国務大臣を首にするなどということはできませんでした。
で、どうなるか。内閣総辞職です。
戦前の内閣がころころ変わったのはこのためです。
これでは迅速な決断も一貫性のある施策も不可能です。
日米交渉の時はこれに担当機関である陸軍や海軍の軍令系が加わり、
さらに各機関の内部での意見の相違による主導権争い。
喧々諤々の状態でした。
東郷外相などは何とか日米首脳会談に持っていきたいと思っていましたが、そのために部内のあちこちを立てるという綱渡りを演じ続けなければなりませんでした。
日本の過激派のメンツも立てアメリカの気も引くという二律背反のことをするために、言葉の選択、その配置、いろいろなことに気を使いました。
これと同じことがハルノート受諾の際にも起こります。
それを切り抜けても、具体的な撤兵方法に関する日米交渉で、また同じ状況が現れます。
つまり日本が明治憲法体制である限り、日本の首脳や各官庁はまとまることができず、そのひどさは現代の縦割りと比較にならず、
その調整に力を使い果たしてまともな結果などでない、ということです。
日米開戦の時もハルノートは寝耳に水でしたし、その後日本国内が一気に早期開戦に傾いたのも、主導権争いのバランスがたまたまそちらに傾いたからでした。
歴史の流れは積み重ねてきた必然を突き崩す偶然で動いてしまうときがあります。
なので、この仮定では「まともなことにはならない」以上のことは言えません。
No.7
- 回答日時:
ハルノートの要求には中国とインドシナからの撤退がありましたからね。
前者は散々犠牲を払って獲得した中国の利権と市場を放棄することだし、後者は石油をはじめとする資源を放棄するってことだし。これを受け入れると当面の戦争は回避できたかもしれませんが各地で暴動は起こるだろうし国家経済は破綻の危機だし、日本って国自体がエライことになったんじゃないでしょうかね。そもそもが日米開戦を誰が望んでいたかというと、紛れもなくアメリカ側ってことは明白です。ハルノートを受諾したからってその他の難癖をつけてきた可能性はあるでしょう。
回避できたとしてもそれは一時的なもの、そうでなければ完全な属国になってたってところじゃないですかね。
ありがとうございます。アメリカは日本に先に殴らせて、その正当防衛とばかりに滅多打ちした感があります。
また、日本に対する人種差別的考えも滅茶苦茶強かったように思います。手加減なしでしたから、
No.5
- 回答日時:
歴史通りの戦争は起きなかったろうけど、別の戦争が起きたり、西欧諸国によるアジア侵略の手が拡大した可能性は捨てれないでしょう
中国は分割統治され、朝鮮はロシア領になり住民はシベリア送りで白系ロシア人の住む地に生まれ変わる、日本もどうなることやら…って未来でしょうか
結局はそこらじゅうで人が死ぬ未来が待っていたかもしれないし、ならなかったかも知れない
まぁタラレバなのでなんとも言えないとこでしょうか、個人的にはあんまり幸せな未来が待っていたようには思えませんけど
ありがとうございます。最近書店に行くと、あの戦争になぜ突入したのか、必敗の戦争になぜつき進んだのか的
な書物が目立っいましたので、少し興味が沸いて来てここで質問してみました。アメリカはペリー来航以来いずれ
日本と戦争することになると予想していて、かなり準備万端であの戦争に臨んだとも聞きました。必然ですかね。
No.4
- 回答日時:
ハルノートが出てきた時点となると、日本国民はもう英米撃滅で盛り上がっていました。
朝日新聞を始めとするマスコミは、反英米キャンペーンを繰り返し、国民は戦争を待ち望んでいました。
そこで、いきなり政府がハルノートを受け入れて、中国・インドシナなどを元に戻すなんてことを決めたら、「これまでの苦労も犠牲も一体何だったんだ!」ということで、クーデター・革命でも起こって、やはり結局戦争に突き進んだのではないでしょうか。
現代と違って当時の情報は新聞、国営ラジオくらいでしょうから、国民もどう判断良いのかも分かりませんし
政府の言うとおりに流されるしかなかったようですね。国全体で勢いがついたらブレーキ利かないですね。
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