![](http://oshiete.xgoo.jp/images/v2/pc/qa/question_title.png?e8efa67)
https://oshiete.goo.ne.jp/qa/11442193.html
の続きです。
問題点がNo.30 の回答に集約されているので、これを取り上げます。
>>私も所有(持ち主)という意識は必要だと思います。「に」という助詞にそういう意味がある訳でなく、「私に」「庭に」という形で使われる時、所有の意識が生まれます
これは、因果が逆転した捉え方で、<「私に」「庭に」という形で使われる時、所有の意識が生まれます>というのは、受け手の側の解釈の問題で、話者が何ゆえに格助詞「に」を使用したのかを明らかにするものではなく、単なる結果論に過ぎません。
<「私に」「庭に」の形になって、持ち主だったり、場所だったりするわけです。>も同様で、何故話者が<「私に」「庭に」の形>に表現したのかが明かにされなければ意味を為しません。
これでは、何故「に」が使用され「で」が使用されなかったのかを明らかにすることはできません。実際、こういう誤った教育、指導を受けた人々がどのような誤りを犯すかは、次の論考が問題にしていますが、残念ながら同じ発想に立つため問題解決に至っていないのが現状です。
岡田 美穂,奥田 俊博
<場所を表す名詞に下接する格助詞「に」「で」「を」について-日本語教育の観点に基づく先行研究の整理と課題->
https://kyukyo.repo.nii.ac.jp/?action=pages_view …
飽きもせずに、「で」は到達点を表わすなどとピント外れの回答をされているかたもありますが、助詞が客体の認識を表わすものではないことが理解できない根本的な誤りです。
当然、助詞「は」と「が」の相違の解明など望むべくもありません。
このような発想が、言語実体観、言語道具観と言われるもので、対象→認識→表現の過程ではなく、表現→解釈→対象という受け手(聞き手)の側の結果を恣意的に解釈しているに過ぎません。
その結果、
>>「私に」に続くのは「ある」「いる」「できる」「分かる」「言える」(可能動詞)などは、一般に言われる「状態動詞」(それに類似した「状態を表す表現」に限ります。)であり、「動作動詞」ではありません。/
などと事実誤認に導かれます。
★私に行かせて下さい。
★私に呑めというのか。
★私に食べる時間を下さい。
など、<「私に」に続くのは「ある」「いる」「できる」「分かる」「言える」>だけではありません。これらの「に」が場所や所有とは何の関係もないことは自明です。
>>「私は」という、私を主題化したものは何にでつながりますから
「私は」の「は」には特殊性の認識を表わす副助詞と普遍性の認識を表わす係助詞があり、主題化云々という場合は係助詞の場合です。もっとも、主題とは何かの概念規定はなく、単に、「は」は主題、「が」は主語という同義反復、言い替えに過ぎませんが。
係助詞の場合は、
★庭は広い。
★庭は静かだ。
などの一般的な属性が続きます。特殊性の副助詞の場合は、
★玄関は広いが、庭は狭い。
★居間には猫を飼っており、庭には二羽の鶏を飼っている。
★家は立派だが、庭は質素だ。
★居間は三羽のインコ、庭は二羽の鶏が飼われている。
のようになります。
「には」「では」の「は」は特殊性の認識を表わし、主題云々とは関係ありません。
最初の質問で、
5)庭は二羽鶏がいる
5)だとほとんど×ではないかと。
というのは、単に機械的、形式的に「には」の「に」を削除し、「は」が係助詞なのか、副助詞なのかが不分明に使用されているためで、問題提起の発想自体に誤りがあります。
「ある」と「いる」の使い分けについては先に何度も説明した通りです。
このように、最初の質問にある「には」は格助詞「に」+副助詞「は」で、
1)庭には二羽鶏がいる。
2)私には弟がいる。
は全く同じ意義の「には」です。
こうした、言語表現とは何かという本質を理解できない人々が、非科学的、恣意的なSF文法を弄び、辞書の解釈を縦にしたり、横にしたりすれば何かが分かるのではないかと呉越同舟の同床異夢で慰め合っても何の解明、進歩もないことを先ず自覚、反省すべきではないでしょうか。■
A 回答 (102件中31~40件)
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No.72
- 回答日時:
#69です。
>「募集」と「募る」の違いはどうでもいい、本意は同じことなんですよ。
なんチャって。ハッハッハ!
:
そう同じことなのです。
桜を見る会問題の運用上における違いは無いのだから。
意味わかってんのかな?
>悪魔の証明は証明不可能な事態を指し、単に証明困難な事態を指すのではない。「ない」という消極的事実の証明を求めることは証明不可能で悪魔の証明になるが、「ある」という積極的事実の証明を求めることは単に証明困難なだけで悪魔の証明にならない。
【ウィキペディア】
:
必死に検索したようですな。(笑)
しかし、残念ながら完全に的外れもいいとこです。
読解力に乏しいというのはカナシイものですなあ。
文脈を理解する努力をもう少しなさるようお勧めします。
今回は、
アスナロウ⇒<「に=場所」だなんてことは、大辞林をはじめ、誰一人として言っていない>というのであれば、具体的に示してもらいたいものです。
hakobulu⇒「悪魔の証明」をご存知ないようですな。(笑)
という文脈で使われた。
あなたは、『誰一人として言っていない』ものを『具体的に示してもらいたい』と言ったわけだ。
『誰一人として言っていない』ものは『証明不可能な事態』だから、これを悪魔の証明と呼ぶわけ。
別に誤用でもなんでもない。
理解できましたか?(笑)
No.71
- 回答日時:
#68です。
補足拝見。
◆
>「了解しました。」じゃないのですか?
ある程度の読解力が必要ですからね。
:
「了解しました。」ですが、それがどうかしましたか?
何が不思議なのかな???
ひょっとすると、「了解=同意」と思い込んでいるのですかね?
「理解する≠同意する」と同様で「了解≠同意」ですから、今後のためにも覚えておいたほうがよろしいですよ。
◆
>>あなたがおっしゃっていることも間違いだということになりませんか?
なりません。
「空間的な位置として【認識し表している】。」⇒これが目に入らぬか!たわけもの!
:
ほお~?
文脈を読み取りやすくするため、流れを再確認してみましょう。
1.
あなたは、
(ア)格助詞「に」は、話者が場所「庭」を「(鶏が)いる」空間的な位置として認識し表している。(アスナロウ)》
は正しいと言っている。
しかし、
(イ)格助詞「に」は、話者が場所「庭」が、「(鶏が)いる」の空間的な位置であると認識していることを示している。(大辞林)
は間違いだと言う。
2.
あなたは#48で、
《根本的な相違は、話者の認識を表わすのか、客体である点を表わすのかということです。》
と明言している。
これは、むろん、《『客体である点を表わす』場合は間違いだ》という意味である。
3.
あなたは#61
※・格助詞「に」は、話者が場所「庭」が、「(鶏が)いる」の空間的な位置であると認識していることを示している。(大辞林)
のどの箇所が『客体である点』を表わしているのか、明確に指摘してください。※
という私の問いに答えて、
《別に考えるまでもなく、「空間的な位置」が『客体である点』を表わしているのは明らかです》
と返答している。
つまり、
(イ-2)格助詞「に」は、話者が場所「庭」が、「(鶏が)いる」の【客体である点】であると認識していることを示している。(大辞林)
という意味になるから大辞林は間違っている、と言ったわけだ。
4.
しかし、《別に考えるまでもなく、「空間的な位置」が『客体である点』を表わしているのは明らか》なのであれば、(ア)にしても、
(ア-2)格助詞「に」は、話者が場所「庭」を「(鶏が)いる」【客体である点】として認識し表している。(アスナロウ)》
という意味になるはずだ。
とすれば、あなたが#48で指摘したように、『客体である点を表わす』場合は間違いなのだから、
(ア)格助詞「に」は、話者が場所「庭」を「(鶏が)いる」空間的な位置として認識し表している。(アスナロウ)》
も間違いということになり、(ア)は正しいというあなたの主張と矛盾することになりませんか?
と私はお尋ねしてきた。
以上が今までの展開ですよね?
で、今回の
《>「空間的な位置として【認識し表している】。」⇒これが目に入らぬか!たわけもの!》
というコメントを受けて、改めて質問します。
【質問1】
このようにおっしゃるということは、
《根本的な相違は、話者の認識を表わすのか、客体である点を表わすのかということです。》
という#48でのご自身の発言は取り消す、ということでしょうか?
【質問2】
このようにおっしゃるということは、
(ア)格助詞「に」は、話者が場所「庭」を「(鶏が)いる」空間的な位置として認識し表している。(アスナロウ)》
と
(イ)格助詞「に」は、話者が場所「庭」が、「(鶏が)いる」の空間的な位置であると認識していることを示している。(大辞林)
を比較した場合、
(ア)は、【認識し表している】だから正しい。
(イ)は、【認識していることを示している】だから間違っている。
ということでしょうか?
仮にそうだとすればですが、【認識し表している】と【認識していることを示している】の違いがよくわからないので、もう少し詳しく説明していただけませんか?
丁寧な応答を有難うございます。
ただ、蛸壺に嵌ってしまっているのが残念ですが、その点に重点を置き返答させていただきます。
>>「了解しました。」ですが、それがどうかしましたか?
いや、了解いただければ結構なことです。
「木を見て森を見ず」ということがあります。
「木を見て森を見ず」の意味は「細かい部分にこだわりすぎて、大きく全体や本質をつかまないこと」です。 一部や細部にとらわれすぎて全体に注意を向けず、物事をおろそかにしている状況を表します。 小さいことだけに心を奪われていて、全体を把握できていないことのたとえです。
細部に行き詰ったときには、全体を俯瞰し、部分と全体の調和に眼を配る必要があります。
【質問1】
《根本的な相違は、話者の認識を表わすのか、客体である点を表わすのかということです。》
話者の主観を直接に表現する語(辞)と客体の認識を表現する語(詞)との組合せににより文は表現されます。まず、この点を正しく理解し、助詞/助動詞などはどちらの語であるのかを明確にしなければなりません。ここで言っているのは、助詞/助動詞などは話者の認識である主観を客体化することなく直接に表現する語「辞」であるということです。
このように見てくれば、助詞/助動詞の本質を明らかにしたものであることが理解できます。
【質問2】
語は概念の表現で、示したり、指したりする物ではないと言うことを最初から再三再四繰り返していますが、理解できないようですね。
そして、認識を直接に表現すると言う意味が理解できないために、客体を表現したり示したりということになります。
こうした誤解がいかに根深いものであるかの例を挙げておきましょう。
助詞の「を」などは、<対象>を表わす場合,<経由地点>を表わす場合がある。
(7) 本を読む。(<対象>)
(8) 坂道を車を押して登った。(「坂道を」の方が<経由地点>)
【近藤泰弘「名詞句の格と副―格助詞と副助詞の性質―」:『北原保雄[監修] 朝倉日本語講座⑤ 文法Ⅰ』第3章 55p】/
ここでは、一応「表す」とは言っていますが、<対象>やら<経由地点>という客体を表わすと述べています。これは、<着点を表わす><到達点を表す>と言うのと同質、同レベルの表現です。
以下補足へ。■
No.70
- 回答日時:
#68です。
1.
>それは理解できますが、相手の土俵に乗っているのが理解できていませんね。
:
私が批判していることが文脈から読み取れなかったから『相手の土俵に乗っている』とおっしゃったはずですよね?
『それは理解できますが』などと見苦しい言い訳はやめませんか。(笑)
それとも未だに私が批判していることを理解できないのですか?
2.
>どこをどのように曲解しているのか指摘いただけると、貴理解の誤りが露呈します。
:
私の理解に誤りはありません。
あなたの曲解は、今や明白。
「に」は場所を表わす。
という日本語を、
「に=場所」としか理解できないのですから。
『貴理解の誤り』は露呈しっ放しなんですよ。(笑)
3.
>
hakobulu⇒その意味で言うなら、「が」に続く語が主題であると言っても良い。(この辺りに関してはかねてより考察の段階なので、これ以上は触れない)
アスナロウ⇒でしょ!
(この辺りに関してはかねてより考察の段階なので、これ以上は触れない)、いや、触れようにも触れられないということです。
かねてから、そしていつまでもこの段階を超えることは、現状のパラダイムではできませんと最初から問題にしているのですが。
:
と言いたかったわけですか。
なるほど、なるほど。
必死ですなア(笑)
しかし、如何せん、論理が破綻しまくっているために、まったく筋の通らないことをおっしゃる回数が次第に増えていますよ?
この箇所にしても、『触れようにも触れられないということ』ではないのです。
文脈を読み取れないゆえの曲解がここにも露呈しているわけ。
『「が」に続く語が主題であると言っても良い』と述べている。
『現状のパラダイムで』の理解ですよ、これは。
ただ、あまり深堀りしていないから、今は詳しく述べない、と謙虚に教えているわけ。
まったく小学生に国語を教えながら話している気分になるよ。(笑)
4.
>→未だ、さらに未来も触れられないという告白、事実が明示していますが。(笑)
文法を何年学んでいるのですか?
自分が持ち出した提題について適切な説明をするのは提題した側の責任です。
それもできていないのに『読解力』を云々するとは片腹痛い。(笑)
:
なるほど、図星を突かれたのがよほど悔しかっったと見えますね。
毎度のこととはいえ、他人の言葉を借りてまで揶揄せずにおれないとは憐れな御仁ですなあ。(笑)
ま、気持ちはわかります。(笑)
本当のこと言われると腹が立ちますしね?(笑)
それにしても、不思議なことをおっしゃいますなあ。
どの箇所を指して『未だ、さらに未来も触れられないという告白、事実』と言っているのですか?
5.
>主題とは何か、「が」が主題を示すか否かも不明の状態で、何をか況やです。
:
あの説明を読んでも、『不明』とおっしゃるのであれば、医学的な検査を一度なさったほうがよろしいでしょう。
6.
>mixiの[1]で、「それぞれ文の意味を論じながら、表現主体である話者と、その認識、さらにその認識を生んだ対象に全く触れていない点にあります。 」と述べていますが、読まれていませんか?
:
『表現主体である話者と、その認識、さらにその認識を生んだ対象に全く触れていない』
これが妄想だと前から申し上げているんですけどねえ。(笑)
・格助詞「に」は、話者が場所「庭」が、「(鶏が)いる」の空間的な位置であると認識していることを示している。(大辞林)
は間違いだと、あなたもおっしゃったはずではありませんか?
つまり『その認識、さらにその認識を生んだ対象に全く触れていない』わけではないものに対して、あなたは批判を展開していることになる。
その意味で、ここにもあなたの論理破綻が露呈しているのです。
>[2] の応答をされた方はその点を理解されてのコメントで、どこやらの方とはレベルの相違を感じ取れます。
:
大笑い。(笑)
太鼓持ちみたいな短文を投稿している人ですね。
あれは、たしかウィキかどこかに書いていたのと同じ内容ですな。
あんな受け売り投稿に嬉々としているようじゃ、まだまだ底が浅いですぞ。(笑)
同意さえしてもらえれば論理はどうでも良いというあなたの姿勢も透けて見えるね。(笑)
いよいよ論理が破綻し、絶叫を挙げられていますね。(笑う)
1.
>>それは理解できます
批判をしているのは理解できますよということです。
その、批判の内容、レヴェルを取り上げているのですが。
私が批判していることが文脈から読み取れなかったからなどと見苦しい言い訳はやめませんか。(笑)
それとも未だに私が批判していることを理解できないのですか?
2.
>>私の理解に誤りはありません。
あなたの曲解は、今や明白。
問題をすり替えて、逃げを打っていますね。
>>「に=場所(着点)」としか理解できないのですから。
『貴理解の誤り』は露呈しっ放しなんですよ。(笑)
3.
>>『「が」に続く語が主題であると言っても良い』と述べている。
でしょ。
であれば、「は」は何ですかという質問は避けられません。
ただ、あまり深堀りしていないから、今は詳しく述べない、と逃げるしかないわけ。
まったく小学生に国語を教えながら話している気分になるよ。(笑)
4.
毎度のこととはいえ、他人の言葉を借りてまで揶揄せずにおれないとは憐れな御仁ですなあ。(笑)
ま、気持ちはわかります。(笑)
本当のこと言われると腹が立ちますしね?(笑)
それにしても、不思議なことをおっしゃいますなあ。
「ただ、あまり深堀りしていないから、今は詳しく述べない、と逃げるしかないわけ。」
では、図星を突かれたのがよほど悔しいのか、本当のこと言われると腹が立ちますしね?(笑)
5.
「今は詳しく述べない、と逃げるしかないわけ。」
と指摘しでも、『不明』とおっしゃるのであれば、医学的な検査を一度お薦めします。
6.
>>『表現主体である話者と~』
これが妄想だと前から申し上げているんですけどねえ。(笑)
どこが妄想なのでしょうか。話者の対象認識による表現なしに、アプリオリに文が存在するという発想こそが妄想であるのは中学生にも分かることでしょう。
その意味で、最初からあなたの論理破綻が露呈しているのです。
<「に」は、動作の【着点】を表わします。>などと未だに回答しているようでは、単なる口先だけの云い逃れということです。
★「空に星がまたたく」
の「に」が<動作の【着点】>ですか?(笑)/
に答えられませんね。
ある程度の読解力が必要ですからね。
まあ、理解者もいますよということです。■
No.69
- 回答日時:
#67です。
補足拝見。
>【学研国語大辞典】
のどこが、「言い得て妙」ですか。
「時間・空間・心理上ノ静止点)をそこと指定」とは、
【助詞はそれ自体が ある事物(場所や所有者)や動作・状態を表す。】
とし、さらに語が「指定する」という二重の錯誤を示しています。
:
まったくわかっておられませんな。(笑)
そもそもが「指定」だろうが「表わす」だろうが本意は同じことなんですよ。
そんなこともわからずに『二重の錯誤』云々とは片腹痛い。(笑)
><「に=場所」だなんてことは、大辞林をはじめ、誰一人として言っていない>というのであれば、具体的に示してもらいたいものです。
:
「悪魔の証明」をご存知ないようですな。(笑)
まさか、わかっているのに示してもらえると思っている???
ギョギョギョッ!!??(笑)
こちらのほうが怖いですね。
余談ですが、あなたとお話ししていると安倍ちゃんを連想してしまいますねえ。(笑)
先に、
・そんなこともわからずに『二重の錯誤』云々とは片腹痛い。
と申し上げましたが、「云々」の読み方はご存知ですよね?
まさか、下記の方のような読み方はしておられないとは思いますが念の為の確認です。
ご丁寧な、お礼を有難うございます。
何やら、お礼が某政治家並に堕しているようです。
>>そもそもが「指定」だろうが「表わす」だろうが本意は同じことなんですよ。
「募集」と「募る」の違いはどうでもいい、本意は同じことなんですよ。
なんチャって。ハッハッハ!
悪魔の証明は証明不可能な事態を指し、単に証明困難な事態を指すのではない。「ない」という消極的事実の証明を求めることは証明不可能で悪魔の証明になるが、「ある」という積極的事実の証明を求めることは単に証明困難なだけで悪魔の証明にならない。
【ウィキペディア】
弁証法の論理、真理論を学ばれんことを!■
No.68
- 回答日時:
#67です。
1.
>「この極めて重要な要素を切り捨てているように見えるのは私の勘違いなのだろうか。」というのは、「論理関係からの変形、派生と捉え」て批判しているのでは?
:
読解力の無さには憐れを催しますなあ。(笑)
そもそもが、『以下は野田説への批判になります。』と明記した節における記述であることを理解していない。
また、
『この極めて重要な要素』とは、『しかし、だからといって(ウ)の場合が皆無というわけではない。』であることは明白。
これは取りも直さず、
『(ウ)の論理関係から導かれるところの、
「(エ)カキ料理は本場が広島だ」という主題化文が不自然だから。
と言っている。』野田氏への批判であることは一目瞭然だろう。
2.
>意味とは何かも分からずにどうして、文の意味構造が示せるのですか?
:
「表わす」という日本語の意味さえ理解できない方に、そう言われても答えに窮しますな。(笑)
つまりは、あなたが「意味とは何か」を曲解しているからこそ、他人についても「意味とは何か」がわかっていないように見えるということにすぎないのですよ。
3.
hakobulu⇒その意味で言うなら、「が」に続く語が主題であると言っても良い。(この辺りに関してはかねてより考察の段階なので、これ以上は触れない)
アスナロウ⇒でしょ!
かねてから、そしていつまでもこの段階を超えることは、現状のパラダイムではできませんと最初から問題にしているのですが。
読解力が無さすぎです。
この程度の理解もできないというのは、酒でも飲み過ぎましたか?(笑)
:
『でしょ!』が何を指してのことなのか、はっきりさせませんか?
『この段階を超えることは、現状のパラダイムではできません』の根拠が示されていませんね、例によって。
端的に示せないということは、ご自身でもわかっておられないのではありませんか?
自分が持ち出した提題について適切な説明をするのは提題した側の責任です。
それもできていないのに『読解力』を云々するとは片腹痛い。(笑)
4.
>であれば、「この極めて重要な要素を切り捨てているように見えるのは私の勘違いなのだろうか。」などという評は出て来ませんよね。
知らず知らずに、相手の土俵(パラダイム)の中で思考しているということです。
:
上記1の解説で理解できたと思うが、こういうのを『読解力が無さすぎ』と言う。
自ら範をお示しになっているのはご立派。(笑)
この説明は理解できましたかな?
5.
>筋立てではなく、その根底にあるパラダイムの批判が必要ということです。
どのような、筋立てを問題にしているのですか。
:
「は」は主題を提示する、ですべて説明がつくのに、その点を無視しつつ、無用の論理関係を構築しようとする牽強付会の筋立てだと申し上げている。
6.
>>理解すると同意するはまったく別物だということを覚えましょう。
理解した上で、批判が必要ですが、この場合、相手の土俵の上で批判してもだめという点が理解されていません。
:
批判に際して相手の言説を引用するのは当たり前のこと。
ご自身の場合は『相手の土俵の上で批判』しているのではなく、私の場合は『相手の土俵の上で批判』しているとおっしゃりたいようですが、その根拠を挙げてもらいましょうか。
具体的箇所を明示してもらう必要があるのだが、できるかな?(笑)
ある程度の読解力が必要ですからね。
7.
>あれ!
No.61 のお礼で、細かく回答していますが?
:
いや、これは失礼。
#61では、
>菅井三実
<格助詞「に」の統一的分析に向けた認知言語学的アプローチ>
批判に関するあなたの矛盾を説明してさしあげることに終始して、それ以外のコメントについての応答をすっとばしてしまっていますね。
申しわけない。
《別に考えるまでもなく、「空間的な位置」が『客体である点』を表わしているのは明らかですが、》
ということなのですね。つまり、
・格助詞「に」は、話者が場所「庭」が、「(鶏が)いる」の空間的な位置であると認識していることを示している。(大辞林)
という語釈の『空間的な位置=客体である点』であるから、大辞林は間違っているのだとおっしゃるわけだ。
了解しました。
しかし、そうすると次の質問をせざるを得なくなるのですが、お答えいただけますか?
というより、
※・格助詞「に」は、話者が場所「庭」が、「(鶏が)いる」の空間的な位置であると認識していることを示している。(大辞林)
のどの箇所が『客体である点』を表わしているのか、明確に指摘してください。※
というのは、そもそもが、これからする以下の質問を導き出すための質問だったわけですが。
さあ、答えてもらいましょう。(笑)
【質問】
・格助詞「に」は、話者が場所「庭」を「(鶏が)いる」空間的な位置として認識し表している。(アスナロウ)
とご自身はおっしゃっているわけですが、この場合は、『空間的な位置=客体である点』ではないのですか?
考えるまでもなく『空間的な位置=客体である点』であるなら、あなたがおっしゃっていることも間違いだということになりませんか?
あるいは、あなたの主張が正しいのなら、
・格助詞「に」は、話者が場所「庭」が、「(鶏が)いる」の空間的な位置であると認識していることを示している。(大辞林)
も正しいと言わざるを得ないのではありませんか?
『問題はそんなところにあるのではなく』などという論点の誤魔化しはせずに納得のいく弁明をしてください。
丁寧な応答を有難う御座います。
相変わらず、無駄な能書きを垂れていますね。さて、
1.
>>野田氏への批判であることは一目瞭然だろう。
それは理解できますが、相手の土俵に乗っているのが理解できていませんね。
批判すべき、ピントがずれています。
本当に、読解力の無さには憐れを催しますなあ。(笑)
2.
>>あなたが「意味とは何か」を曲解している
どこをどのように曲解しているのか指摘いただけると、貴理解の誤りが露呈します。
最初から指摘している通り、ソシュールパラダイム下では意義と意味の区別と関連が理解できず、それが貴回答の混迷を招いているということです。
未だその点を理解されておらず、そう言われても答えに窮しますな。(笑)
3.
>>『でしょ!』が何を指してのことなのか、はっきりさせませんか?
→(この辺りに関してはかねてより考察の段階なので、これ以上は触れない)、いや、触れようにも触れられないということです。
>>根拠が示されていません
→未だ、さらに未来も触れられないという告白、事実が明示していますが。(笑)
文法を何年学んでいるのですか?
自分が持ち出した提題について適切な説明をするのは提題した側の責任です。
それもできていないのに『読解力』を云々するとは片腹痛い。(笑)
4.
上記1の応答で理解できたと思うが、こういうのを『読解力が無さすぎ』と言う。
自ら範をお示しになっているのはご立派。(笑)
この応答は理解できましたかな?
5.
>>「は」は主題を提示する
主題とは何か、「が」が主題を示すか否かも不明の状態で、何をか況やです。
その点を無視しつつ、無用の論理関係を構築しようとする牽強付会の筋立てだと申し上げている。
6.
>>具体的箇所を明示してもらう必要があるのだが、できるかな?(笑)
mixiの[1]で、「それぞれ文の意味を論じながら、表現主体である話者と、その認識、さらにその認識を生んだ対象に全く触れていない点にあります。 」と述べていますが、読まれていませんか?
読んでも理解できないということですね。この点に触れず、批判を展開しても無意味だということです。
[2] の応答をされた方はその点を理解されてのコメントで、どこやらの方とはレベルの相違を感じ取れます。
具体的箇所を明示しましたが、理解できるかな?(笑)→補足へ
No.67
- 回答日時:
#65です。
>あまり、意味のない能書きは慎みましょう。
:
他人の言ったことをオウム返しするのがご趣味の方が、そんな上品なことを言えた義理じゃないのでは?(笑)
正論はまず自らを正してから言うのが筋というもの。
それが世間の常識というやつです。
黙って見逃しているからといって調子に乗らないほうがよろしいでしょう。
1.
>・カキ料理についてお話ししますが、その本場はどこかと言うと(それは)広島だ。
という理解では、「カキ料理の本場は広島だ。」という文との相違と関連が不明で、その点もこの論文の論点になっていますが、この点の答えにはなっていません。
:
『相違と関連が不明』とおっしゃるが、それは主題が異なるだけの話であり、「広島がカキ料理の本場一(であること)」という論理関係からの変形、派生と捉える必要はない、と申し上げているのがわかりませんかね?
2.
>個人的には、単なる主格を表わす「が」の総記用法であると説明すれば、それで十分かと。
前項とも関連し、ここで問題にしているのは、「~は~が~」という「は/が構文」の意味構造です。
アスナロウ説が良く分かりましたということでしょうか。
:
酒でも飲み過ぎましたか?(笑)
『「は/が構文」の意味構造』を私が1で示したばかりだというのに。
別に目新しいことではなく、当たり前の構造ですよ。
いずれにせよ、hakobulu説が通じたようでご同慶の至りです。
素直に受け取れば理解できるじゃありませんか。
3.
★カキ料理は広島が本場だ
>その主題に関して「が」を用いて「広島が本場だ」と特定している構造。
「その主題に」の主題とは「広島」であり、広島との関連が明らかではありません。「が」は主題を提示しないのか、主題とは何かを明らかにしなければ、意味がありません。
:
読解力が無さすぎ。
★カキ料理は広島が本場だ
について論じている文脈なのだから、「その主題に」の主題とは「カキ料理」に決まってる。
・「が」は主題を提示しないのか⇒当然提示しません。主格・目的格を特定または指定するのが意義。
・主題とは何か⇒それについて話者が語ろうと意図するもの。
その意味で言うなら、「が」に続く語が主題であると言っても良い。(この辺りに関してはかねてより考察の段階なので、これ以上は触れない)
4.
>文と文の論理関係を問題にしていますが、カキ料理構文自体はそんな論理関係を基に表現されたものではなく、話者による対象自体の認識の表現として生まれたもので、基本的な観点がズレているというのが根本的な問題で、この点を当方が批判しているのですが、理解できませんか?
:
『以下は野田説への批判になります。』と注釈して論を展開したのですが、この文言が目に入らなかったですか?
『カキ料理構文自体はそんな論理関係を基に表現されたものでは』ないのですね。
ではなぜ、『「カキ料理の本場は広島だ。」という文との相違と関連が不明』とおっしゃったのですか?
そもそも、『カキ料理構文自体はそんな論理関係を基に表現されたものでは』ないというスタンスで私が論を展開したことが理解できないのでしょうか???
上記1を読み直して、自らの不明を恥じてください。
5.
>また、~、そうした複雑な操作を必要とする理由は考えられない】とも言っている。
これも、そんな操作から文が生み出された訳ではなく、ピント外れということです。
:
どういうつもりで、こうしたことをおっしゃっているのですか?
【】内の野田氏主張に対して『この論理はいかにも牽強付会であり、筋立てに大いに問題がある。』と反論を私は展開したわけですが、それに同意したい、という意味なのですか???
6.
>野田氏の考え方は大体理解できたと思う
理解できたというのは、相手の主張を受け入れているだけで、何の批判にもなっていない、つまり同じパラダイムの下に思考しているだけだということが全く理解できていません。
:
理解すると同意するはまったく別物だということを覚えましょう。
理解できたというのは、相手の主張している内容がわかった、つまり何を言いたいかがわかった、という意味。
だからといって受け入れていることになるはずはなかろうが。
大丈夫かいな?(笑)
『何の批判にもなっていない』?
根拠をあげつつ、
「自説を確定させたいがための焦りが露呈した箇所と言えるかもしれない。」
「彼の論理展開は必然的に(日本語の構造としては)欠陥がある、と言わざるを得ない。」
と批判しているのですが、私見の意味を理解できなかった、ということですか?
7.
>当方が最初からパラダイム批判を展開しているのに、トマス・クーン『科学革命の構造』一冊を読むこともなく、反論とはどういう神経かと呆れるだけです。
:
『最初からパラダイム批判を展開』するからおかしなことになる、と申し上げているんですけどねえ。(笑)
つまり、批判の根拠が曖昧であるために、批判の必要性がないものを批判しているという印象しか与えられていないのですよ。
揶揄ではなく、これが実態だということ。
たとえばですね、あなたは、
・「に」は客体である「点」を表わす。
という命題を批判することで、「パラダイム批判を展開」と言っているわけ。
つまり、
・格助詞「に」は、話者が場所「庭」を「(鶏が)いる」空間的な位置として認識し表している。(アスナロウ)
これが正しいのであって、
・格助詞「に」は、話者が場所「庭」が、「(鶏が)いる」の空間的な位置であると認識していることを示している。(大辞林)
は間違いである、とおっしゃっているのでしょ?
私は、どういった点が間違いなのか理解したいから、
※・格助詞「に」は、話者が場所「庭」が、「(鶏が)いる」の空間的な位置であると認識していることを示している。(大辞林)
のどの箇所が『客体である点』を表わしているのか、明確に指摘してください。※
と何度も何度もお尋ねしました。
しかし、あなたは未だに返答を避けておられる。
ですよね?
こういう対応をしながら、『当方が最初からパラダイム批判を展開しているのに』などと泣き言を言ったって誰が聞く耳を持つと思われますか?
因みに、大辞林の語釈を都合よく解釈しているといった言い訳を繰り返したくなったら下記(#56再掲)を確認すること。
※大辞林の元語釈は以下のとおり。
【動作・作用が行われ,また存在する,時間的・空間的な位置や範囲を示すのが本来の用法】
「空に星がまたたく」
などという例文が挙げられている。
つまり、大辞林は、
この格助詞「に」は、話者が場所「空」が、「(星が)またたく」ところの空間的な『位置であると認識していることを示している。
と言っているわけですよ。
あなたの曲解しているように、「に=場所」だなんてことは、大辞林をはじめ、誰一人として言っていない※
さらに、トマス・クーン『科学革命の構造』というものを持ち出すなら、助詞とどのように関連しているのかぐらいは示さないと、単なる本好きの自慢としか評価されませんよ?
まあ、なんでも構いませんが、他人を批判するなら、まずは上記の宿題を片付けてからにしてください。
前口上だけは一端ですが、中身がピーマンでは!
その点は、黙って見逃しているからといって調子に乗らないほうがよろしいでしょう。
それが世間の常識というやつです。
(だいぶ、お礼の主旨からは外れますがご容赦の程。売り言葉に買い言葉です。(*^_^*))
さて、
1.
>>論理関係からの変形、派生と捉える必要はない、と申し上げているのがわかりませんかね?
「この極めて重要な要素を切り捨てているように見えるのは私の勘違いなのだろうか。」というのは、「論理関係からの変形、派生と捉え」て批判しているのでは?
2.
>>『「は/が構文」の意味構造』を私が1で示したばかりだというのに。
意味とは何かも分からずにどうして、文の意味構造が示せるのですか?
3.
>>その意味で言うなら、「が」に続く語が主題であると言っても良い。(この辺りに関してはかねてより考察の段階なので、これ以上は触れない)
でしょ!
かねてから、そしていつまでもこの段階を超えることは、現状のパラダイムではできませんと最初から問題にしているのですが。
読解力が無さすぎです。
この程度の理解もできないというのは、酒でも飲み過ぎましたか?(笑)
4.
>>『カキ料理構文自体はそんな論理関係を基に表現されたものでは』ないというスタンスで私が論を展開した
であれば、「この極めて重要な要素を切り捨てているように見えるのは私の勘違いなのだろうか。」などという評は出て来ませんよね。
知らず知らずに、相手の土俵(パラダイム)の中で思考しているということです。
5.
>>『この論理はいかにも牽強付会であり、筋立てに大いに問題がある。』と反論を私は展開したわけです
筋立てではなく、その根底にあるパラダイムの批判が必要ということです。
どのような、筋立てを問題にしているのですか。
6.
>>理解すると同意するはまったく別物だということを覚えましょう。
理解した上で、批判が必要ですが、この場合、相手の土俵の上で批判してもだめという点が理解されていません。
大丈夫かいな?(笑)
>>私見の意味を理解できなかった、ということですか?
理解した上で、異なる次元、パラダイムから批判しています。
7.
>>あなたは未だに返答を避けておられる。
あれ!
No.61 のお礼で、細かく回答していますが?
→補足へ
No.65
- 回答日時:
#62です。
>「カキ料理構文」に見る「ハ」「ガ」論の混迷
https://mixi.jp/view_bbs.pl?comm_id=2748&id=9262 …
で批判した諸論文にも眼を通され、ご意見を御伺いしたいものです。
:
拝見しました。
これは、珍しく論理構成がしっかりした内容になっていますね。
※では、「カキ料理構文」とは一体何なのであろうか。
ここでいう「カキ料理構文」とは、・・・※
・・・としておられるように、具体的箇所を示した上で行なうのが批判の鉄則です。
この記述が現れる前に長々と見解を述べていますが、それだけでは根拠が無いままの批判になってしまう。
あなたの当スレにおける応答はすべて、具体的箇所を示さないままの批判になっているわけ。だから、何が論点なのかが曖昧になるし、誰からも理解してもらえなくなる。
こうした筋の通った論理展開ができるのですから手抜きせずに、今後も踏襲してください。
前置きはこのぐらいにして、要点部分を以下に引用した上で私見を述べます。
※ここでいう「カキ料理構文」とは、
★カキ料理は広島が本場だ
という文である。野田尚史はこれを、「広島がカキ料理の本場一(であること)」という論理関係からの変形、派生として論じている。
しかし、文が話者の認識の表現であるとする言語本質観からすれば「カキ料理は広島が本場だ」は、「カキ料理」という料理の特殊性を、その「本場」という個別性の側面から捉えれば「広島だ」という対象認識の表現である。三浦つとむは、この「―は―が―」構文の認識構造を次のように述べている。
対象はまずその特殊性において、さらに特殊性の側面の個別性において、二重にとらえられながら一つの文に統一して表現され、立体的な認識が「は」と「が」の使い分けで区別して示されている。(『三浦つとむ選集 3 言語過程説の展開』)※
◆
『「カキ料理は広島が本場だ」は、「カキ料理」という料理の特殊性を、その「本場」という個別性の側面から捉えれば「広島だ」という対象認識の表現である。』という点には基本的に同意できます。
大差ありませんが、私流に解説するなら以下のようになる。
・カキ料理についてお話ししますが、その本場はどこかと言うと(それは)広島だ。
「カキ料理」を「は」によって主題提示した上で、その主題に関して「が」を用いて「広島が本場だ」と特定している構造。
この場合の主題提示を特殊性と見ても特に不都合は無いでしょう。
『「本場」という個別性』という表現の意味が若干わかりづらいですが、ここを言い出すとまた水掛け論になりそうですからやめておきましょう。(笑)
少し進化した解説があるなら開陳してくださっても構いませんが。
個人的には、単なる主格を表わす「が」の総記用法であると説明すれば、それで十分かと。
すべて名のある物事・事象に関して『個別性』の無いものなど無いわけですから、他と差別化する意図で「個別性」という表現をする意義がよくわからない、ということでもありますね。
以上はアスナロウ説への対論。
◆
以下は野田説への批判になります。
「(ア)カキ料理は広島が本場だ」の論理関係は、
「(イ)広島がカキ料理の本場であること」であり、
「(ウ)カキ料理の本場が広島であること」ではない。
このように野田氏は論を展開していますが、これは妥当性を欠いているのではないかと。
野田氏その理由として2点挙げている。
[ 第一点 ]目として、
(ウ)の論理関係から導かれるところの、
「(エ)カキ料理は本場が広島だ」という主題化文が不自然だから。
と言っている。
たしかに(ウ)よりは(イ)の論理が立ち上がってくるシチュエーションのほうが多いかもしれません。
同様に(エ)よりは(ア)の主題化文が適用されるシチュエーションのほうが多いのでしょう。
しかし、だからといって(ウ)の場合が皆無というわけではない。
この極めて重要な要素を切り捨てているように見えるのは私の勘違いなのだろうか。
また、【「カキ料理の」を主題化 した上で、「本場」と「広島」を入れ換えなければならないが、そうした複雑な操作を必要とする理由は考えられない】とも言っている。
しかし、複雑な操作を必要とするからといって『「本場」と「広島」を入れ換え』ることに妥当性が無いということにはならないのだから、この論理はいかにも牽強付会であり、筋立てに大いに問題がある。
自説を確定させたいがための焦りが露呈した箇所と言えるかもしれない。
[ 第二点 ]目として、
「(オ)カキ料理の本場が広島だ」という文が不自然だからだ。
と言っている。
野田氏の考え方は大体理解できたと思うので、これ以上の詳細は述べませんが、要するに、「よくあるシチュエーション」を基盤として論を展開しているにすぎず、「稀なシチュエーション」を安易に切り捨てているという点で、彼の論理展開は必然的に(日本語の構造としては)欠陥がある、と言わざるを得ない。
ただし、だからといって彼の説すべてが誤りである、という意味にはならないことはご理解いただきますように。
何事もそうですが是々非が肝要。(笑)
あまり、意味のない能書きは慎みましょう。
>>・カキ料理についてお話ししますが、その本場はどこかと言うと(それは)広島だ。
という理解では、「カキ料理の本場は広島だ。」という文との相違と関連が不明で、その点もこの論文の論点になっていますが、この点の答えにはなっていません。
>>個人的には、単なる主格を表わす「が」の総記用法であると説明すれば、それで十分かと。
前項とも関連し、ここで問題にしているのは、「~は~が~」という「は/が構文」の意味構造です。
アスナロウ説が良く分かりましたということでしょうか。
>>その主題に関して「が」を用いて「広島が本場だ」と特定している構造。
「その主題に」の主題とは「広島」であり、広島との関連が明らかではありません。「が」は主題を提示しないのか、主題とは何かを明らかにしなければ、意味がありません。
その点を論じているのが、野田 尚史の博士論文、
<文の構造と機能からみた日本語の主題>
ですが、ここでも、主題とは何かは明らかにされておらず、単なるトートロジーに終始しています。
>>野田氏その理由として2点挙げている。
[ 第一点 ]目として、
だからといって(ウ)の場合が皆無というわけではない。
文と文の論理関係を問題にしていますが、カキ料理構文自体はそんな論理関係を基に表現されたものではなく、話者による対象自体の認識の表現として生まれたもので、基本的な観点がズレているというのが根本的な問題で、この点を当方が批判しているのですが、理解できませんか?
>>また、~、そうした複雑な操作を必要とする理由は考えられない】とも言っている。
これも、そんな操作から文が生み出された訳ではなく、ピント外れということです。
>>野田氏の考え方は大体理解できたと思う
理解できたというのは、相手の主張を受け入れているだけで、何の批判にもなっていない、つまり同じパラダイムの下に思考しているだけだということが全く理解できていません。
パラダイム論を提起したトマス・クーン『科学革命の構造』では、これを通常科学と呼んでいます。そこからは、科学革命としてのパラダイム転換は起こりません。
当方が最初からパラダイム批判を展開しているのに、トマス・クーン『科学革命の構造』一冊を読むこともなく、反論とはどういう神経かと呆れるだけです。■
No.64
- 回答日時:
#63です。
>論文の論旨を批判しているのが理解できませんか。
当方の批判内容を見れば明らかな筈ですが。
:
その批判が的外れなのですよ。
どこが的外れなのかご自身ではわからないようですから、それを解説してさしあげますよ、と申し上げている。
そのためには、『批判したい記述箇所を明確に引用した上で批判』する必要があるということ。
>不明であれば、具体的に質問して下さい。
何を質問して良いのかが分からないということかもしれませんが。
:
そもそも、ご自身の見解に自信が無いから質問をたてたわけでしょ?
その質問の立て付けに筋が通っていないから堂々巡りになるわけです。
『何を質問して良いのかが分からない』状態になっているのは、あなたのほうであるのは明らかでは。(笑)
私が質問する必要性は本来無いわけだから。
仮に必要性があるとするなら、あなたの言っていることを理解してあげるための補足質問なのです。
であるので、親御さんの躾が悪かったようですが、そういう憎まれ口をたたいてはいけませんな。(笑)
>>ご自身の見解に自信が無いから質問をたてたわけでしょ?
いえいえ。何を勘違いされているのでしょうか。
当方の指摘の事実を提示するために、当該関連論文を示したものです。
事実を示して下さいと声高に言われたのは、どなたでしょうか。
内容を理解不能だからと言って、そういう憎まれ口をたたいてはいけませんな。(笑)
親御さんの顔が見たいと言ったら、親を連れてきたご仁がいますが、その口ですかね?(笑)■
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言い忘れましたが、
>>非常に簡単なこの点において、なぜ食い違いが生じるのか
は、ソシュール言語学の根底にある物自体の認識を不可とする不可知論というカント哲学の発想の呪縛にあります。
スマホを使用し、原爆、人工衛星が実用化された現代人がこのようなパラダイムに呪縛されているのは奇妙なことですが、それを超える論理へと止揚されなければ、天動説を超えられないのと同じ事態です。
>>文の解釈に、いったいどのような深刻な差異が生じるとおっしゃるのか?
表現された結果としての文の解釈ではなく、話者の認識を文に表現しようとする時に、どのような深刻な差異が生じるかは、先に提示した「岡田 美穂,奥田 俊博」による論考が明らかにしています。
そして、
・hakobulu=「に」は、着点を表わす。
と表現するのが妥当と考えているところ。
などという理解では、何の役にも立ちません。■
日本語学習者用の本を見ると、ご丁寧に、格助詞「に」の説明として「到達点」と絵を書き、矢印で示しているものがあります。
これでは、誤解しろと言っているとしか見えませんね。
こうした現在の日本語教育文法の限界は、
白 川 博 之
「日本語研究から日本語教育研究への越境」
https://www.jstage.jst.go.jp/article/nihongonoke …
で、
かつて日本語教育からのニーズを背景に進展した日本語文法の記述的研究も、【今世紀に入る頃から目的を失い閉塞状態が続いている】という指摘がある。しかし、実際には、日本語学習者・教授者に供されうる文法記述にはまだ不足していることがたくさん残っている。/
と、問題認識されてはいますが、「ソシュールパラダイム」を克服することなしに解決は得られないということです。■
なお、ここに述べられた格助詞「に」「を」の粗雑な誤った理解による教育が学習者を混乱させていることが、上記の「岡田 美穂,奥田 俊博」による論考他で指摘されていますので、拳拳服膺願います。■
>>「場所・範囲を指定する」
と解釈することによって、どのような問題が発生するのか?
ということです。
論点をずらさす簡潔にお答えいただけると有難いですね。
このような誤った言語実体観の発想が、助詞「は」「が」構文の理解を如何に歪めるかという重大な問題の事例を「カキ料理構文」の解釈について指摘しました。
「カキ料理構文」に見る「ハ」「ガ」論の混迷
https://mixi.jp/view_bbs.pl?comm_id=2748&id=9262 …
日本語教育における問題点は質問の中にて指摘の通りです。
これらに対し無視、回避、論点をずらすことなく、お考えを伺えれば幸いです。
簡潔でないのは、事柄の性質上避けがたいのは已むを得ませんが。■
>>都合の良い例を挙げましたね。
:
ま、気持ちはわかりますが。(笑)
などと逃げ回っているのはどこのどなたでしょうか。
未だに、「私的には仮命題としての表現だが)と断っている」などという体たらくではどうしようもないのが理解できませんか?
改心して、早めに牽強付会を脱しましょう。(笑)
というより、言語とは何かを正しく理解し、論理的、科学的な文法理解を深めましょう。
その一助として応答しているのですが。■
なお、認知言語学の助詞論に対する批判は、
認知言語学の欠陥を露呈する助詞論
https://www.amazon.co.jp/gp/customer-reviews/RYI …
を参照下さい。
所詮、この程度の代物です。■
なお、
野田尚史
<文の構造と機能からみた日本語の主題>
https://tsukuba.repo.nii.ac.jp/?action=pages_vie …
を参照下さい。
ここに、氏の機能主義的な発想が良く示されており、今日までそのパラダイムは変化していません。
これは、生成文法、寺村秀夫の発想を引き継ぐものです。
生成文法批判は、
http://okrchicagob.moto-chika.com/DME/work/GJBHG …
を参照下さい。■
【学研国語大辞典】
のどこが、「言い得て妙」ですか。
「時間・空間・心理上ノ静止点)をそこと指定」とは、
【助詞はそれ自体が ある事物(場所や所有者)や動作・状態を表す。】
とし、さらに語が「指定する」という二重の錯誤を示しています。
<「に=場所」だなんてことは、大辞林をはじめ、誰一人として言っていない>というのであれば、具体的に示してもらいたいものです。
あなたの曲解を示されてもどうしようもありません。
>>この~「(星が)またたく」ところの空間的な『位置であると認識していることを示している。
まあ、この解釈自体は正しいのですが、<「に」は、動作の【着点】を表わします。>などと未だに回答しているようでは、単なる口先だけの云い逃れということです。
★「空に星がまたたく」
の「に」が<動作の【着点】>ですか?(笑)
まずは、トマス・クーン『科学革命の構造』を読みましょう。■
7.
>>さあ、答えてもらいましょう。(笑)
「了解しました。」じゃないのですか?
ある程度の読解力が必要ですからね。
>>あなたがおっしゃっていることも間違いだということになりませんか?
なりません。
「空間的な位置として【認識し表している】。」⇒これが目に入らぬか!たわけもの!
助さん:御老公!いや少し、押さえて、押さえて!
御老公:う~ん。頭に血が昇るわ! ここは茅ヶ崎じゃったか? ハッハッハ!
チャンチャン! お粗末の一幕!
<「に」は、動作の【着点】を表わします。>などと未だに回答しているようでは、単なる口先だけの云い逃れということです。
★「空に星がまたたく」
の「に」が<動作の【着点】>ですか?(笑)
ある程度の読解力が必要ですからね。■
この、近藤泰弘は日本語記述文法を提唱していますが、これがどの程度のものかについては、
「羊頭狗肉のコンピューター検索事例集」
https://www.amazon.co.jp/gp/customer-reviews/R3O …
を参照下さい。
また、格助詞「を」の意義が何かは、三浦つとむ『日本語はどういう言語か』の200~201pで詳しく論じられています。これを【じっくり】読み、【深く】理解し、比較して下さい。
目から鱗が落ちると思いますが、さてどうでしょか?■