
https://oshiete.goo.ne.jp/qa/11442193.html
の続きです。
問題点がNo.30 の回答に集約されているので、これを取り上げます。
>>私も所有(持ち主)という意識は必要だと思います。「に」という助詞にそういう意味がある訳でなく、「私に」「庭に」という形で使われる時、所有の意識が生まれます
これは、因果が逆転した捉え方で、<「私に」「庭に」という形で使われる時、所有の意識が生まれます>というのは、受け手の側の解釈の問題で、話者が何ゆえに格助詞「に」を使用したのかを明らかにするものではなく、単なる結果論に過ぎません。
<「私に」「庭に」の形になって、持ち主だったり、場所だったりするわけです。>も同様で、何故話者が<「私に」「庭に」の形>に表現したのかが明かにされなければ意味を為しません。
これでは、何故「に」が使用され「で」が使用されなかったのかを明らかにすることはできません。実際、こういう誤った教育、指導を受けた人々がどのような誤りを犯すかは、次の論考が問題にしていますが、残念ながら同じ発想に立つため問題解決に至っていないのが現状です。
岡田 美穂,奥田 俊博
<場所を表す名詞に下接する格助詞「に」「で」「を」について-日本語教育の観点に基づく先行研究の整理と課題->
https://kyukyo.repo.nii.ac.jp/?action=pages_view …
飽きもせずに、「で」は到達点を表わすなどとピント外れの回答をされているかたもありますが、助詞が客体の認識を表わすものではないことが理解できない根本的な誤りです。
当然、助詞「は」と「が」の相違の解明など望むべくもありません。
このような発想が、言語実体観、言語道具観と言われるもので、対象→認識→表現の過程ではなく、表現→解釈→対象という受け手(聞き手)の側の結果を恣意的に解釈しているに過ぎません。
その結果、
>>「私に」に続くのは「ある」「いる」「できる」「分かる」「言える」(可能動詞)などは、一般に言われる「状態動詞」(それに類似した「状態を表す表現」に限ります。)であり、「動作動詞」ではありません。/
などと事実誤認に導かれます。
★私に行かせて下さい。
★私に呑めというのか。
★私に食べる時間を下さい。
など、<「私に」に続くのは「ある」「いる」「できる」「分かる」「言える」>だけではありません。これらの「に」が場所や所有とは何の関係もないことは自明です。
>>「私は」という、私を主題化したものは何にでつながりますから
「私は」の「は」には特殊性の認識を表わす副助詞と普遍性の認識を表わす係助詞があり、主題化云々という場合は係助詞の場合です。もっとも、主題とは何かの概念規定はなく、単に、「は」は主題、「が」は主語という同義反復、言い替えに過ぎませんが。
係助詞の場合は、
★庭は広い。
★庭は静かだ。
などの一般的な属性が続きます。特殊性の副助詞の場合は、
★玄関は広いが、庭は狭い。
★居間には猫を飼っており、庭には二羽の鶏を飼っている。
★家は立派だが、庭は質素だ。
★居間は三羽のインコ、庭は二羽の鶏が飼われている。
のようになります。
「には」「では」の「は」は特殊性の認識を表わし、主題云々とは関係ありません。
最初の質問で、
5)庭は二羽鶏がいる
5)だとほとんど×ではないかと。
というのは、単に機械的、形式的に「には」の「に」を削除し、「は」が係助詞なのか、副助詞なのかが不分明に使用されているためで、問題提起の発想自体に誤りがあります。
「ある」と「いる」の使い分けについては先に何度も説明した通りです。
このように、最初の質問にある「には」は格助詞「に」+副助詞「は」で、
1)庭には二羽鶏がいる。
2)私には弟がいる。
は全く同じ意義の「には」です。
こうした、言語表現とは何かという本質を理解できない人々が、非科学的、恣意的なSF文法を弄び、辞書の解釈を縦にしたり、横にしたりすれば何かが分かるのではないかと呉越同舟の同床異夢で慰め合っても何の解明、進歩もないことを先ず自覚、反省すべきではないでしょうか。■
A 回答 (102件中11~20件)
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No.92
- 回答日時:
#88です。
1.
>>それらの意味からは【たとえば】「着点」という本質的要素が抽象できるわけで、それが意義です。
今さら、【たとえば】とは何ごとですか。
本当の阿保かというレベルです。そう感じませんか?今まで、何を論じて来たのか。
:
いやはや、何と申しましょうか・・・。(笑)
着点という意義を、あなたが理解するのは難しそうなので、謙虚に「たとえば」と注釈したわけです。
恩を仇で返すとはねえ。(笑)
それらの意味からは【たとえば】「時間的・空間的な対象の位置付けの【認識】を表わしている」という本質的要素が抽象できるわけで、それが意義です。
と表現しても一向に構わない。
意義と意味の関係性について述べているのであって、ここで、意義が何かということは直接的な論点ではない。
読解力に乏しいと苦労されますな。(笑)
2.
>「着点」などという客体は意義ではないと最初から云っているでしょう。
点と認識/主観の相違が理解できていないということです。
:
だから、それは別の問題だと言ってるでしょう。
そもそもが、「着点」という客体が意義だなどと言ったことはないはずです。
あくまで、
客体が「着点」であることを表わすのが「に」の意義
ということ。
懇切丁寧な説明を何度もしているので、読み直してみてください。
3.
>《意義が意味に変化するしかない》わけではなく、また、そう言っているわけでもない。
では、何と言っているのですか?
:
日本語の基本的な意味がまったくわかっていないのか、あるいは、私の記述をまともに読んでいないのか、どちらかのようです。
《意味は意義から敷衍されたもの》ということ。
まじめに読めよ。(笑)
お礼の字数を確保するため回答欄を分割します。
少しは、理解を深めてもらいたいものです。
1.
>>それらの意味からは【たとえば】「時間的・空間的な対象の位置付けの【認識】を表わしている」という本質的要素が抽象できるわけで、それが意義です。
ここから、[たとえば]などという曖昧な語を除けば正しい表現です。
まかり、間違っても、
<【たとえば】「着点」という本質的要素が抽象できるわけ>
がありません。この点が全く理解できていません。何度言ったら分かるのですか。
いやはや、何と申しましょうか・・・。(笑)
なぜなら、
【着点】とは、「ある事物(場所や所有者」であり、
【助詞はそれ自体が ある事物(場所や所有者)や動作・状態を表すのではない。】
ということで。先ず、この誤りを理解しないと堂々巡りになってしまいます。
【着点】とは、【ある事物(場所や所有者】であることが理解できませんか。(怒り)
これまで、手を変え品を変え説明してきているのに、
恩を仇で返すとはねえ。(笑)
2.
>>そもそもが、「着点」という客体が意義だなどと言ったことはないはずです。
あっはっは!
卓袱台返しがお得意なので念には念をいれさせていただきます。(笑)
>>No.62
なぜなら格助詞「に」は、「(物ではなく)動作の着点」を表わすからです。
No.58
・庭に二羽鶏がいる。
⇒「に」は(着点としての)場所を表わす。
「いる」という状態がどこで発生しているのかと探っていくなら、それは庭という場所である。
こういった無意識的認識が、話者をして格助詞「に」の使用に至らしめるわけ。/
⇒これが目に入らぬか!たわけもの!》
これは、どこのどなたが記された内容ですか。
馬鹿らしくて相手にできません。
>>あくまで、
客体が「着点」であることを表わすのが「に」の意義
ということ。
これも同じことを言っていますよね。
この辺が理解できないようでは、話しになりません。
懇切丁寧な説明を何度もしているので、読み直してみてください。
3.
>>《意味は意義から敷衍されたもの》ということ。
まじめに読めよ。(笑)
これでは、お話しになりませんね。
これで、堂々巡りになる訳が理解できました。
当方の指摘を、まじめに読めよ。(笑)
■
No.91
- 回答日時:
#87です。
しかし、読解力の無さには呆れ果ててしまいますなア。(笑)
《『意味が間違っている』などと誰が云っていますか。》
と言ってみたり、
《間違っていると言っているでしょ!》
と言ってみたり・・。(笑)
その他、矛盾のオンパレードですが、いちいち論じるのも馬鹿げていますし時間の無駄ですから要点だけにとどめることにいたしましょう。
>>「に」は空間的な位置であるという認識を表している。
ではなく、
格助詞「に」は時間的・空間的な対象の位置付けの【認識】を表わしている
と最初から、上記まで一貫して記述しています。
:
あなたは、
(ア)格助詞「に」は時間的・空間的な対象の位置付けの【認識】を表わしている。
これが「に」の意義だとおっしゃる。(私はそれが間違っているとは一言も言ってませんので勘違いしないように)
また、
「庭には二羽鶏がいる」という文において、
(イ)《場所である「庭」の空間的な位置付けの認識を表わしているということです。》
ともおっしゃっている。(#85お礼欄)
ということは、
「庭には二羽鶏がいる」という文において、
(ウ)格助詞「に」は【場所である「庭」という】空間的な対象の位置付けの【認識】を表わしている。
と言っていることになる。
これは、格助詞「に」を使用する時点で、「庭」を場所であると認識するからこそ成立する命題。
「庭」を場所であると認識するからこそ、「に」を使って空間的に位置付けようとする意図が働く。
この命題を因数分解すれば、
(エ)格助詞「に」は場所 [ である「庭」という空間的な対象の位置付けの【認識】]を表わしている。
となり、これを簡略化して、
(オ)格助詞「に」は場所を表わしている。
と表現するわけです。
[]内を省略したからといって意味に重大な違いが生じるわけじゃない。
【話者は、「庭」が「いる」という動作の対象としての場所であることを、「に」を使うことによって意図している。】
という点で何ら変わりはないのです。
そこにパラダイムの違いなど存在していない、ということ。
先述したように、「に」の意義に関する、
(ア)格助詞「に」は時間的・空間的な対象の位置付けの【認識】を表わしている。
というあなたの主張自体を否定しているわけではない。
また、
「庭には二羽鶏がいる」という文における、「に」の意味に関する、
(ウ)格助詞「に」は 《【場所である「庭」という】空間的な対象》の位置付けの【認識】を表わしている。
というあなたの主張自体を否定しているわけでもない。
ただ、この(意味に関する)命題は、
(オ)格助詞「に」は場所を表わしている。
と同じことですよ、ということ。
つまり、あなたが主張するところの、
(ア)格助詞「に」は時間的・空間的な対象の位置付けの【認識】を表わしている。
という「に」の意義から敷衍された一つの意味として、
(オーa)格助詞「に」は場所を表わす。(明鏡国語辞典)
(オーb)格助詞「に」は場所を示す。(大辞林)
(オーc)格助詞「に」は場所を指定する。(広辞苑)
といった語釈を辞書が(意味のひとつとして)記載していることとの間には、何の矛盾も生じていない、ということを申し上げている。
論理展開が難しいと感じたら数回読み直してから応答なさるのが賢明です。
本当に、読解力の無さには呆れ果ててしまいますなア。(笑)
最初から、循環と矛盾のオンパレードですが、いちいち論じるのも馬鹿げていますし時間の無駄ですから要点だけにとどめることにいたしましょう。
>>(ウ)格助詞「に」は【場所である「庭」という】空間的な対象の位置付けの【認識】を表わしている。
と言っていることになる。
おっしゃる通りです。
>>「庭」を場所であると認識するからこそ成立する命題。
ここで、誤っています。
格助詞「に」の意義を論じているのであり、命題=文を問題にしているのではありません。
ここに、語と文の区別がつかないため意味の問題に滑りこんで行き混同が始ります。
「庭」が場所であることと「に」の意義とは全く関係ないということです。
★ 僕【に】本をくれた。
では、僕は場所ではないのは明らかでしょう。この「に」は僕を空間的に位置付ける認識を表わしているということです。
>>ただ、この(意味に関する)命題は、
意味ではなく、意義を論じていると言っていますが、直ぐに意味に引き込まれていますね。
もう少し、用語は厳密に使用しましょう。
>>「に」の意義から敷衍された一つの意味として
意味は意義から敷衍されるようなものではなく、この点が根本的な誤りです。
ふ‐えん【敷衍・布衍】
①のべひろげること。ひきのばすこと。展開。
②意義を広くおしひろげて説明すること。わかりやすく言い替えたり詳しく説明したりすること。「―して言えば」
【広辞苑】
です。もう少し論理的、適切な用語を使用しましょう。
といっても、論理的に理解できていないため、用語がついてこないというのが実情ということです。
多分、辞書の著者も似たようなレベルの発想と推測されます。
そして、敷衍の根拠となる意義の説明が誤っているということです。
この点は、先にも指摘したように、語が示したり指したりはしないということを指摘しました。
従って、<「に」=場所>ということにしかならず、誤りということです。正しい日本語の理解ではそうなります。よって、
>>格助詞「に」は場所を表わす。
は矛盾があり誤りということになります。
つまり、格助詞「に」は場所を表わしてはいません。
辞書が記載すべきは語の意義です。
論理展開が難しいと感じたら数回読み直してから応答なさるのが賢明です。■
No.89
- 回答日時:
#86です。
#88に引き続き。
1.
>「間違いです。」「そうです。」と答えている積りですが、どこが理解できませんか。
:
了解です。(同意です、という意味ではありませんのでご注意を)
《「表わしている」なら正しくて「示している」だから間違いだ。》
ということですね。
ねんのための確認です。
卓袱台返しがお得意なので念には念をいれさせていただいた次第。(笑)
そもそもが、『答えている積り』ではなく、『答えて』ください。
『端的に』『的確に』と何度もお願しているとおりです。
2.
>語が「指示する」という理解の誤りがいかに根深いかの例を挙げておきましょう。
<「指定文」および関連する構文の構造と派生>
https://www.jstage.jst.go.jp/article/gengo/150/0 …
:
面白そうですね。
時間が取れたら拝見させていただきます。
3.
さて、《「表わしている」なら正しくて「示している」だから間違いだ。》とのことでした。
「示す」の語釈(意味)には以下のようなものがあります。
③事物が見る人・聞く人にある事柄をわからせる。表示する。意味する。「雨戸が留守を―・す」「風の音が台風の接近を―・す」(広辞苑)
「示す」の語釈(意味)として『表示する。意味する。』が挙げられています。
「表示する。意味する」とは「表わす」という意味でもあること。
また、『事物が見る人・聞く人にある事柄をわからせる。』が「表わす」の意味と矛盾するものではないこと。
こうしたことから、「示す」と「表わす」にパラダイムの転換を生じさせるほどの差異が存在するとは到底思われません。
つまり、
《「表わしている」なら正しくて「示している」だから間違いだ。》
というご主張には、どうしても同意できないのですが、いかがですか?
このことは、取りも直さずですが、
※(ア-1)格助詞「に」は、話者が場所「庭」を「(鶏が)いる」空間的な位置であるという認識を表している。(アスナロウ)》
は正しいが、
(イ)格助詞「に」は、話者が場所「庭」が、「(鶏が)いる」の空間的な位置であると認識していることを示している。(大辞林)
は間違っている。※
というご主張も誤りではないかということでもあります。
反論なさる場合は、
具体的箇所を挙げて!
論理的に!
論じていただきますよう、くれぐれもお願いしておきます。
《「表わしている」なら正しくて「示している」だから間違いだ。》
というご主張には、どうしても同意できないのですが、いかがですか?
まあ理解できないかもしれませんが、例示した論文をじっくり読んで下さい。
語が、指で指すわけがないでしょう。
指すというなら、具体的なプロセスを記述して下さいとお願いしていますが。絵にかけますか。
何か写真でも示されてもかまいませんが。
「指す」「示す」のではないということに、
反論なさる場合は、
具体的箇所を挙げて!
論理的に!
論じていただきますよう、くれぐれもお願いしておきます。
なお、
言語学者や文法学者が昔から「代名詞」に「名詞の代わりに用いられる語」と規定し、ソール・アーロン・クリプキ (Saul Aaron Kripke, 1940年12月13日 - :アメリカ合衆国の哲学者・論理学者)は、『名指しと必然性』(Naming and Necessity;1972)で、指示理論に関する指示の因果説を提唱し、固有名はどのように世界の事物を指示するのかという頓珍漢な議論を展開しています。
この固有名詞の議論は未だに収束していません。
「個体概念説による固有名の意味論」
https://repository.kulib.kyoto-u.ac.jp/dspace/bi …
「固有名の意味論」
https://www.bunkyo.ac.jp/faculty/lib/klib/kiyo/l …
この固有名詞論を「指す」「示す」という理解で、解明できるのであれば提示下さい。
極めて、具体的な内容なので。
期待致します。■
No.88
- 回答日時:
#86です。
まずは、#87の続きで。
>毎度いうように、問題にしているのは最初から格助詞「に」の意義です。それを、いつも意味と混同してしまうしかないというのが hakobuluさんの限界ということです。
:
「混同」という混同が為されていますね。(笑)
たとえば、大辞林では、
(1)時を指定する。「五時―起きる」「仕事の合間―本を読む」
(2)場所・範囲を指定する。「アパート―住む」「空―星がまたたく」
(3)目標・対象などを指定する。「読書―熱中する」「魚釣り―行く」「君―見せてやろうか」
・・・
・・・
(15)状態を認定するのに用いる。のように。の状態で。「花ぞむかしの香―にほひける/古今(春上)」
となっています。
それぞれの語釈が、個々の文において「に」が表わしている意味だということ。
しかし、それらの意味からは【たとえば】「着点」という本質的要素が抽象できるわけで、それが意義です。
ということで、別に、
《意義が意味に変化するしかない》わけではなく、また、そう言っているわけでもない。
曲解もいいとこですよ?
《以上、それ以外の捉え方ができないと言うのが論理的な強制です。》
などと知った風な口を利くのは10年早い。(笑)
論理的の意味をご存知ありませんな。
もう少し他人の文章をじっくりと読み込む姿勢を養っててください。
そうすれば、多少の改善は期待できるかもしれませんから。
老婆心ながら、今後のため、このように助言させていただきましょう。
>まず、意味とは何で、どこから生まれ、何に対応しているかを回答して下さい。
:
・意味とは何⇒言語表現が指し示す事柄または事物。(広辞苑)
・どこから生まれ⇒意義と最初から同立していた意味もあるだろうし、後から敷衍されて生じた意味もあるだろう。
さらに言うならば、どちらも人間心理の無意識が大元。
・何に対応しているか⇒意義。
他は欄を変えます。
いいかげんにして下さい。
>>それらの意味からは【たとえば】「着点」という本質的要素が抽象できるわけで、それが意義です。
今さら、【たとえば】とは何ごとですか。
本当の阿保かというレベルです。そう感じませんか?今まで、何を論じて来たのか。
「着点」などという客体は意義ではないと最初から云っているでしょう。
点と認識/主観の相違が理解できていないということです。
>>《意義が意味に変化するしかない》わけではなく、また、そう言っているわけでもない。
では、何と言っているのですか?
>>以上、それ以外の捉え方ができないと言うのが論理的な強制です。》
などと知った風な口を利くのは10年早い。(笑)
論理的の意味をご存知ありませんな。
などと知った風な口を利くのこそ、百年早いということです。(怒)
もう少し他人の文章をじっくりと読み込む姿勢を養っててください。
そうすれば、多少の改善は期待できるかもしれませんから。
老婆心ながら、今後のため、このように助言させていただきましょう。
>>・意味とは何⇒言語表現が指し示す事柄または事物。(広辞苑)
これだから阿保かということです。「指す」「示す」は誤りだと先に事例も挙げて指摘したのが理解できませんか。
もう一度、言います。
だから、意味とは何かが分かっていないと言っているのです。
『日本語~』の42~43pを眼光紙背に徹し良く読んで下さい。
宝の持ち腐れです。
>>・どこから生まれ⇒意義と最初から同立していた意味もあるだろうし、後から敷衍されて生じた意味もあるだろう。
さらに言うならば、どちらも人間心理の無意識が大元。
・何に対応しているか⇒意義。
これが、意味とは何か、表現とは何かが全く理解できていないことを表わしています。
無意識から意味が生まれる訳がないでしょう。
漱石の『吾輩は猫である』は無意識の産物ですか?(呵々大笑)
だれでも芥川賞が獲れるということですね。
そんな馬鹿な!乃木坂46
「だろうし」などという曖昧な説明ではなく、「意味とは何か」を明確にしなさい!■
No.87
- 回答日時:
#85です。
1.
>>「庭には二羽鶏がいる」という文においては、
:
これは意味の説明。
上にも記した通り「庭」は最初から場所です。この点を理解出来ないのがパラダイムの呪縛です。
『場所であるという認識』は、「に」の意義も意味も表してはいません。
:
『「庭」は最初から場所です』
この認識があなたの無理解を象徴していますね。
「庭には二羽鶏がいる」の庭は、「(鶏が)いる」という動作が行われている場所です。
「今、庭を造っている」の庭は、「造る」という動作の対象としての場所です。
このように、最初から場所ではあるが、格助詞「に」と格助詞「を」によって示された「庭」が持つ意味は異なるわけだ。
今は別に庭の話をしているわけではなく、助詞の話をしているのですよ?
2.
hakobulu⇒「に」という語が創造された時点で、意義も意味も両方が存在していた。
アスナロウ⇒「に」という語が創造された時点は、「に」の意義が規範として定まった時です。
規範という概念が理解できておらず、何度も言うように意味とは何かが理解できていないため、こんなでたらめな訳の判らないことを云うことになります。
:
「に」という語が創造された時点で、意義も意味も両方が存在していたわけではない、ということですか?
3.
>いいえ。意味とは何かが理解できていない以上、『意義が意味に変化する』というしかないというのが論理的な強制です。意味がどこから生まれたのかを説明して下さい。意義からしかないでしょ?
ということです。
:
わからんやっちゃなあ。(笑)
たとえば、着点という意義が場所という意味に変化すると言っているわけじゃないということ。
最初から同立していた意味もあるだろうし、後から敷衍されて生じた意味もあるだろう。
これは変化とは言わないわけ、日本語ではね。(笑)
『意味とは何かが理解できていない』のはどっちかな?
いかにも意義と意味を混同しているかのような印象操作を試みたようですが、論理展開があまりに拙すぎて早晩破綻してしまってますな。(笑)
4.
>『意味が間違っている』などと誰が云っていますか。
:
おやおや、おとぼけもここまで来ると喜劇ですなア。(笑)
(イ)格助詞「に」は、話者が場所「庭」が、「(鶏が)いる」の空間的な位置であると認識していることを示している。(大辞林)
この語釈は、「に」の意味に関する記述ですが、これは間違っていないのですか?
1.
>>今は別に庭の話を~、助詞の話をしているのですよ?
その通りです。
だから、点や場所の話しではありませんよということです。
2.
>>「に」という語が創造された時点で、~、ということですか?
語の成立とは語彙規範の成立ということです。
だから、意味とは何かが分かっていないと言っているのです。
『日本語~』の42~43pを眼光紙背に徹し良く読んで下さい。
宝の持ち腐れです。
3.
>>後から敷衍されて生じた意味もあるだろう。
意義の話しをしているのに、何故後から敷衍されて生じた意味を持ち出すのですかといいことです。
>>これは変化とは言わないわけ、日本語ではね。(笑)
本当に分からんやっちゃな~!
では、意味はどこから生まれたというのですか?
変化でなければお化けで湧いてきたのですか。
これも変化ですが。
論理展開があまりに拙すぎて早晩破綻してしまってますな。(笑)
4.
>>この語釈は、「に」~、これは間違っていないのですか?
間違っていると言っているでしょ!
これは、意味ではなく「意義らしきもの」を云っていますが。文なので当然、意味ということです。
語と文の相違が理解できていないために、こういう頓珍漢な話しが出て来るのを理解して下さい。
意味とは何かをまず理解し、答えて下さい。
あわてないので。
そうしないと、これまでと同じ空回りをするだけです。
以下、#85のお礼の残りです。
>>それらの論文についても、具体的箇所を挙げつつ批判をした
だから、それがピント外れな、相手の土俵に乗った同じパラダイムの上での批判だと指摘しましたが、まだ理解できませんか。
>>「に」は着点を表わす。
これは、<「に」=着点>ということで、全くの誤りだと最初から指摘しています。
これが、すべての誤りの原点です。
いいかげんにして下さい。
>>「に」は空間的な位置であるという認識を表している。
ではなく、
格助詞「に」は時間的・空間的な対象の位置付けの【認識】を表わしている
と最初から、上記まで一貫して記述しています。
>>「に」は着点を表わす。
という貴見解が上にも記した通り、根本的な誤りだというのが以前から、今回までの直接的な論点であるという点が重要なのです。
ここにお気づきにならないために噛み合いませんよと何度も記していますが?■
No.86
- 回答日時:
#83、#84です。
1.
hakobulu⇒「表わしている」なら正しくて「示している」だから間違いだ、ということになってしまうのですが、そういうことですか?
アスナロウ⇒No.83で回答した通りです。
:
回答になってませんが?
私の質問は以下のとおりです。
【質問】
「表わしている」なら正しくて「示している」だから間違いだ、ということになってしまうのですが、そういうことですか?
この質問に対する回答は、
「そういうことです」
「そういうことではありません」
「わかりません」
の3択です。
色々おっしゃるのはかまいませんが、まずは、ここを明確にお答えいただかないと回答として成立しません。
3択のうちのどれですか?
日本語で答えてください。
改めてお願いします。
>言語は話者の認識の表現であり、語は概念を表わします。
極めて重要な言語本質の理解です。
それが、言語道具観という形式主義/機能主義的なソシュールパラダイム下の発想です。
ご理解いただけましたでしょうか。
:
頭悪くて申し訳ないですな。(笑)
『ご理解』したいので、先の質問に端的にお答えください。
答えを懸命に避けておられますが、「わかりません」という選択もアリですよ。(笑)
>>質問】
「表わしている」なら正しくて「示している」だから間違いだ、ということになってしまうのですが、そういうことですか?
「間違いです。」「そうです。」と答えている積りですが、どこが理解できませんか。
語が「指示する」という理解の誤りがいかに根深いかの例を挙げておきましょう。
<「指定文」および関連する構文の構造と派生>
https://www.jstage.jst.go.jp/article/gengo/150/0 …
で以下のように記述しています。
この文の「措定文」としての解釈(predicational reading)では、この文の主語をなす構成素が世の中のある物体を指示しており、その主語節の主語Ⅰはその物体を指さしており、文全体の意味は、その物体がカンガルーだと述定している。Higginsは、この解釈は、
(8) T hat(animal) is a kangaroo.(Higgins 1973:9,例(13))
に「指さし」のジェスチャーが加わったものに近いと説明している。/
ここに、かれら生成文法論者の言語実体観による理解の限界、誤りが露出しているのが理解できますか。
「局所的にc統御されている」などと、もっともらしい、疑似科学的用語を使用していますが、実体は上記のような「この文の主語をなす構成素が世の中のある物体を指示しており」などというお粗末な理解ということです。
この論文は言語学会誌である、『言語研究(Gengo Kenkyu) 150』(2016)に発表された査読付きの論文です。
なお、No.85のお礼の続きを字数制限ないで以下に掲げます。
4.
>>『【意義らしきもの】が的外れ』~『意味が間違っている』ということ
『意味が間違っている』などと誰が云っていますか。
毎度いうように、問題にしているのは最初から格助詞「に」の意義です。それを、いつも意味と混同してしまうしかないというのが hakobuluさんの限界ということです。
意義が意味に変化するしかない以上、それ以外の捉え方ができないと言うのが論理的な強制です。
それゆえ、一人で堂々巡りのキリキリ舞いを演じているということです。
まず、意味とは何で、どこから生まれ、何に対応しているかを回答して下さい。
Ⅲの方が余裕があります。■
No.85
- 回答日時:
#82です。
1.
>最初から議論しているのは単語である助詞「に」の意義です。この語を媒介として表現された文での意味ではありません。毎度指摘しているように、この意義と意味の相違と関連が理解できずに混乱した理解を示されているということです。
:
しらばっくれるのも大概にしませんか?(笑)
※(ア-1)格助詞「に」は、話者が場所「庭」を「(鶏が)いる」空間的な位置であるという認識を表している。(アスナロウ)》
とおっしゃっていますよね。
「に」によって『空間的な位置であるという認識』ができるのは、『場所』だけなのですか?
個別の文において、(場所のみならず)様々なものが『空間的な位置であるという認識』ができる対象となるわけ。
「意義」
①意味。わけ。言語学では、特に「意味」と区別して「一つの語が文脈を離れてもさし得る内容」の意に使うこともある。(広辞苑)
という基本的なことを覚えましょう。
「に」は『空間的な位置であるという認識を表している。』と言える。
これは意義の説明。
「庭には二羽鶏がいる」という文においては、
「に」は『場所であるという認識を表している。』と言える。
これは意味の説明。
素直に考えれば実に簡単なことなのですが?
2.
>意味から規範としての意義を抽象しなければならないということです。
例としての意味を挙げ、それを具体的に解説するのは良いのですが、ここに示された意義が意味に変化するという発想で書かれているのが誤りということです。これがソシュールパラダイムです。
:
「に」という語が創造された時点で、意義も意味も両方が存在していた。
多様な意味からという意味でしょうが、そこから抽象されものが意義であるのはそのとおりでしょう。
しかし、そもそも多様な意味が存在しなければ抽象することすらできないわけだから。
いずれにせよ、『意義が意味に変化する』などと、いかにも本来の意義が失われてしまうかのような表現をしているが、誰もそんなことは言っていない。
つまり、誤っているのはご自身だということにそろそろお気づきになってください。
3.
>首尾よくできれば結構ですが、この体たらくでは如何ともしがたいのが良く分かると思いますが?
:
『この体たらく』とは、ご自身の理解力の無さのことを指しているのだと思いますが、まあ、そう言わずにお互いに頑張りましょう。(笑)
4.
>だから、その提示された【意義らしきもの】が的外れ、不十分、誤りだと最初から指摘しており、現在の日本語学会もそれを論じているということです。
少しは理解できますか。
:
少しどころか非常によく理解できますよ。それらの論文についても、具体的箇所を挙げつつ批判をしたはずですが、そういえば、それに対する応答はありませんでしたね。
気が向いたら探して反論してみてください。
要するに、
『【意義らしきもの】が的外れ』かどうか、ということと、『意味が間違っている』ということとは別の問題として考えなければなりませんよ、ということ。
最初から申し上げています。
「に」は着点を表わす。
なぜ着点なのかということについては十分に説明したはずです。
しかし、
「に」は空間的な位置であるという認識を表している。
という貴見解とどちらが妥当かということについては、今回の直接的な論点ではない、という点が重要なのです。
ここにお気づきにならないと噛み合いませんよ?
毎度のピント外れの応答に恐れい入ります。
1.
>>「に」によって『空間的な位置であるという認識』ができるのは、『場所』だけなのですか?
<「に」によって『空間的な位置であるという認識』ができる>訳がないでしょう。
「空間的・時間な位置付けの認識を表わす」と最初から何度も言ってますが、何を血迷っていますか。
しらばっくれるのも大概にしませんか?(笑)
場所である「庭」の空間的な位置付けの認識を表わしているということです。
>>「庭には二羽鶏がいる」という文においては、
:
これは意味の説明。
上にも記した通り「庭」は最初から場所です。この点を理解出来ないのがパラダイムの呪縛です。
『場所であるという認識』は、「に」の意義も意味も表してはいません。
にわ【庭・場】
①広い場所。物事を行う場所。神武紀「霊畤を鳥見山の中に立てて」。「いくさの―」「裁きの―」
②邸内または階前の、農事に使う空地。万葉集4「―に立つ麻手刈り干し」
【広辞苑】
です。
素直に考えれば実に簡単なことなのですが?
2.
>>「に」という語が創造された時点で、意義も意味も両方が存在していた。
「に」という語が創造された時点は、「に」の意義が規範として定まった時です。
規範という概念が理解できておらず、何度も言うように意味とは何かが理解できていないため、こんなでたらめな訳の判らないことを云うことになります。『日本語はどういう言語か』が意味をどのように説いているか理解して下さい。
>>『意義が意味に変化する』などと、~誰もそんなことは言っていない。
いいえ。意味とは何かが理解できていない以上、『意義が意味に変化する』というしかないというのが論理的な強制です。意味がどこから生まれたのかを説明して下さい。意義からしかないでしょ?
ということです。
つまり、誤っているのはご自身だということにそろそろお気づきになってください。
何度いっても理解できませんね。
3.
『この体たらく』とは、ご自身の理解力の無さのことを指しています。しっかりして下さい。(笑)
4.
>>『【意義らしきもの】が的外れ』~『意味が間違っている』ということ
『意味が間違っている』などと誰が云っていますか。
ここで文字数制限です。
以下は次の機会にでも。
パラダイムの呪縛は恐ろしいですね。
■
No.84
- 回答日時:
#81です。
>No.80のお礼で述べた内容が理解できないかぎり、「あなたの言わんとするところを正確に把握」などできません。
:
そうかもしれませんね。
ただ、『No.80のお礼で述べた内容』を理解するためにも、下記質問が極めて重要です。
くどいですが、再度よろしくお願いいたします。
【質問】
「表わしている」なら正しくて「示している」だから間違いだ、ということになってしまうのですが、そういうことですか?
>>「表わしている」なら正しくて「示している」だから間違いだ、ということになってしまうのですが、そういうことですか?
No.83で回答した通りです。
第一というより、根本的な誤りです。
言語は話者の認識の表現であり、語は概念を表わします。
極めて重要な言語本質の理解です。
それが、言語道具観という形式主義/機能主義的なソシュールパラダイム下の発想です。
ご理解いただけましたでしょうか。■
No.83
- 回答日時:
#81です。
>それが当方が指摘しているソシュールパラダイムの呪縛です。
これを抜け出ることは容易ではありませんが、『日本語はどういう言語かを』きちんと理解すれば分かります。
これを解読もできないで、あれこれ言っても無駄です。
:
そうなのかもしれませんね。
ただ、いままでのすべての遣り取りから明らかなのですが、呪縛に取りつかれているのかいないのかの違いは下記に集約されていることになります。
※(ア-1)格助詞「に」は、話者が場所「庭」を「(鶏が)いる」空間的な位置であるという認識を表している。(アスナロウ)》
は正しいが、
(イ)格助詞「に」は、話者が場所「庭」が、「(鶏が)いる」の空間的な位置であると認識していることを示している。(大辞林)
は間違っている。※
ただ、この集約された命題について、若干教えていただきたく簡単な質問をさせていただいております。
お答えいただければ、『ソシュールパラダイムの呪縛』の概要ぐらいはつかめますので、ぜひお答えください。
仮に掴めないのだとしても、今までの遣り取りの集大成としての質問ですので、ぜひお願いいたします。
【質問】
「表わしている」なら正しくて「示している」だから間違いだ、ということになってしまうのですが、そういうことですか?
先ず、第一の誤りです。
これは、以前nw××と言う方とも議論した、代名詞や名詞が指示するというクワイン他の言語哲学と同様の発想の誤りです。
<「名詞」理解の誤り Ⅱ」: 名詞が指示をするのか?>
https://oshiete.goo.ne.jp/qa/11232737.html
他を参照。
nw××氏は原文は[refer]で、〔indicate〕ではないなどという云い逃れをされていますが、〔represent〕〔express〕でなければならないということです。
言語は話者の認識の表現であるということが理解できていないということです。■
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言い忘れましたが、
>>非常に簡単なこの点において、なぜ食い違いが生じるのか
は、ソシュール言語学の根底にある物自体の認識を不可とする不可知論というカント哲学の発想の呪縛にあります。
スマホを使用し、原爆、人工衛星が実用化された現代人がこのようなパラダイムに呪縛されているのは奇妙なことですが、それを超える論理へと止揚されなければ、天動説を超えられないのと同じ事態です。
>>文の解釈に、いったいどのような深刻な差異が生じるとおっしゃるのか?
表現された結果としての文の解釈ではなく、話者の認識を文に表現しようとする時に、どのような深刻な差異が生じるかは、先に提示した「岡田 美穂,奥田 俊博」による論考が明らかにしています。
そして、
・hakobulu=「に」は、着点を表わす。
と表現するのが妥当と考えているところ。
などという理解では、何の役にも立ちません。■
日本語学習者用の本を見ると、ご丁寧に、格助詞「に」の説明として「到達点」と絵を書き、矢印で示しているものがあります。
これでは、誤解しろと言っているとしか見えませんね。
こうした現在の日本語教育文法の限界は、
白 川 博 之
「日本語研究から日本語教育研究への越境」
https://www.jstage.jst.go.jp/article/nihongonoke …
で、
かつて日本語教育からのニーズを背景に進展した日本語文法の記述的研究も、【今世紀に入る頃から目的を失い閉塞状態が続いている】という指摘がある。しかし、実際には、日本語学習者・教授者に供されうる文法記述にはまだ不足していることがたくさん残っている。/
と、問題認識されてはいますが、「ソシュールパラダイム」を克服することなしに解決は得られないということです。■
なお、ここに述べられた格助詞「に」「を」の粗雑な誤った理解による教育が学習者を混乱させていることが、上記の「岡田 美穂,奥田 俊博」による論考他で指摘されていますので、拳拳服膺願います。■
>>「場所・範囲を指定する」
と解釈することによって、どのような問題が発生するのか?
ということです。
論点をずらさす簡潔にお答えいただけると有難いですね。
このような誤った言語実体観の発想が、助詞「は」「が」構文の理解を如何に歪めるかという重大な問題の事例を「カキ料理構文」の解釈について指摘しました。
「カキ料理構文」に見る「ハ」「ガ」論の混迷
https://mixi.jp/view_bbs.pl?comm_id=2748&id=9262 …
日本語教育における問題点は質問の中にて指摘の通りです。
これらに対し無視、回避、論点をずらすことなく、お考えを伺えれば幸いです。
簡潔でないのは、事柄の性質上避けがたいのは已むを得ませんが。■
>>都合の良い例を挙げましたね。
:
ま、気持ちはわかりますが。(笑)
などと逃げ回っているのはどこのどなたでしょうか。
未だに、「私的には仮命題としての表現だが)と断っている」などという体たらくではどうしようもないのが理解できませんか?
改心して、早めに牽強付会を脱しましょう。(笑)
というより、言語とは何かを正しく理解し、論理的、科学的な文法理解を深めましょう。
その一助として応答しているのですが。■
なお、認知言語学の助詞論に対する批判は、
認知言語学の欠陥を露呈する助詞論
https://www.amazon.co.jp/gp/customer-reviews/RYI …
を参照下さい。
所詮、この程度の代物です。■
なお、
野田尚史
<文の構造と機能からみた日本語の主題>
https://tsukuba.repo.nii.ac.jp/?action=pages_vie …
を参照下さい。
ここに、氏の機能主義的な発想が良く示されており、今日までそのパラダイムは変化していません。
これは、生成文法、寺村秀夫の発想を引き継ぐものです。
生成文法批判は、
http://okrchicagob.moto-chika.com/DME/work/GJBHG …
を参照下さい。■
【学研国語大辞典】
のどこが、「言い得て妙」ですか。
「時間・空間・心理上ノ静止点)をそこと指定」とは、
【助詞はそれ自体が ある事物(場所や所有者)や動作・状態を表す。】
とし、さらに語が「指定する」という二重の錯誤を示しています。
<「に=場所」だなんてことは、大辞林をはじめ、誰一人として言っていない>というのであれば、具体的に示してもらいたいものです。
あなたの曲解を示されてもどうしようもありません。
>>この~「(星が)またたく」ところの空間的な『位置であると認識していることを示している。
まあ、この解釈自体は正しいのですが、<「に」は、動作の【着点】を表わします。>などと未だに回答しているようでは、単なる口先だけの云い逃れということです。
★「空に星がまたたく」
の「に」が<動作の【着点】>ですか?(笑)
まずは、トマス・クーン『科学革命の構造』を読みましょう。■
7.
>>さあ、答えてもらいましょう。(笑)
「了解しました。」じゃないのですか?
ある程度の読解力が必要ですからね。
>>あなたがおっしゃっていることも間違いだということになりませんか?
なりません。
「空間的な位置として【認識し表している】。」⇒これが目に入らぬか!たわけもの!
助さん:御老公!いや少し、押さえて、押さえて!
御老公:う~ん。頭に血が昇るわ! ここは茅ヶ崎じゃったか? ハッハッハ!
チャンチャン! お粗末の一幕!
<「に」は、動作の【着点】を表わします。>などと未だに回答しているようでは、単なる口先だけの云い逃れということです。
★「空に星がまたたく」
の「に」が<動作の【着点】>ですか?(笑)
ある程度の読解力が必要ですからね。■
この、近藤泰弘は日本語記述文法を提唱していますが、これがどの程度のものかについては、
「羊頭狗肉のコンピューター検索事例集」
https://www.amazon.co.jp/gp/customer-reviews/R3O …
を参照下さい。
また、格助詞「を」の意義が何かは、三浦つとむ『日本語はどういう言語か』の200~201pで詳しく論じられています。これを【じっくり】読み、【深く】理解し、比較して下さい。
目から鱗が落ちると思いますが、さてどうでしょか?■