https://oshiete.goo.ne.jp/qa/11442193.html
の続きです。
問題点がNo.30 の回答に集約されているので、これを取り上げます。
>>私も所有(持ち主)という意識は必要だと思います。「に」という助詞にそういう意味がある訳でなく、「私に」「庭に」という形で使われる時、所有の意識が生まれます
これは、因果が逆転した捉え方で、<「私に」「庭に」という形で使われる時、所有の意識が生まれます>というのは、受け手の側の解釈の問題で、話者が何ゆえに格助詞「に」を使用したのかを明らかにするものではなく、単なる結果論に過ぎません。
<「私に」「庭に」の形になって、持ち主だったり、場所だったりするわけです。>も同様で、何故話者が<「私に」「庭に」の形>に表現したのかが明かにされなければ意味を為しません。
これでは、何故「に」が使用され「で」が使用されなかったのかを明らかにすることはできません。実際、こういう誤った教育、指導を受けた人々がどのような誤りを犯すかは、次の論考が問題にしていますが、残念ながら同じ発想に立つため問題解決に至っていないのが現状です。
岡田 美穂,奥田 俊博
<場所を表す名詞に下接する格助詞「に」「で」「を」について-日本語教育の観点に基づく先行研究の整理と課題->
https://kyukyo.repo.nii.ac.jp/?action=pages_view …
飽きもせずに、「で」は到達点を表わすなどとピント外れの回答をされているかたもありますが、助詞が客体の認識を表わすものではないことが理解できない根本的な誤りです。
当然、助詞「は」と「が」の相違の解明など望むべくもありません。
このような発想が、言語実体観、言語道具観と言われるもので、対象→認識→表現の過程ではなく、表現→解釈→対象という受け手(聞き手)の側の結果を恣意的に解釈しているに過ぎません。
その結果、
>>「私に」に続くのは「ある」「いる」「できる」「分かる」「言える」(可能動詞)などは、一般に言われる「状態動詞」(それに類似した「状態を表す表現」に限ります。)であり、「動作動詞」ではありません。/
などと事実誤認に導かれます。
★私に行かせて下さい。
★私に呑めというのか。
★私に食べる時間を下さい。
など、<「私に」に続くのは「ある」「いる」「できる」「分かる」「言える」>だけではありません。これらの「に」が場所や所有とは何の関係もないことは自明です。
>>「私は」という、私を主題化したものは何にでつながりますから
「私は」の「は」には特殊性の認識を表わす副助詞と普遍性の認識を表わす係助詞があり、主題化云々という場合は係助詞の場合です。もっとも、主題とは何かの概念規定はなく、単に、「は」は主題、「が」は主語という同義反復、言い替えに過ぎませんが。
係助詞の場合は、
★庭は広い。
★庭は静かだ。
などの一般的な属性が続きます。特殊性の副助詞の場合は、
★玄関は広いが、庭は狭い。
★居間には猫を飼っており、庭には二羽の鶏を飼っている。
★家は立派だが、庭は質素だ。
★居間は三羽のインコ、庭は二羽の鶏が飼われている。
のようになります。
「には」「では」の「は」は特殊性の認識を表わし、主題云々とは関係ありません。
最初の質問で、
5)庭は二羽鶏がいる
5)だとほとんど×ではないかと。
というのは、単に機械的、形式的に「には」の「に」を削除し、「は」が係助詞なのか、副助詞なのかが不分明に使用されているためで、問題提起の発想自体に誤りがあります。
「ある」と「いる」の使い分けについては先に何度も説明した通りです。
このように、最初の質問にある「には」は格助詞「に」+副助詞「は」で、
1)庭には二羽鶏がいる。
2)私には弟がいる。
は全く同じ意義の「には」です。
こうした、言語表現とは何かという本質を理解できない人々が、非科学的、恣意的なSF文法を弄び、辞書の解釈を縦にしたり、横にしたりすれば何かが分かるのではないかと呉越同舟の同床異夢で慰め合っても何の解明、進歩もないことを先ず自覚、反省すべきではないでしょうか。■
A 回答 (102件中81~90件)
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No.22
- 回答日時:
#18です。
>【助詞はそれ自体がある事物(場所や所有者)や動作・状態を表さない。】
と言う事実が理解できませんか。
:
人の言うことを理解しようとする気が無いのか、能力が無いのかわかりませんが、米つきバッタみたくすぐ反応しようとせず、じっくり回答の中身を読んでみてください。
そして、疑問点を具体的に補足してみてください。
まず、
【助詞はそれ自体が ある事物(場所や所有者)や動作・状態を表さない。】
と、
【助詞はそれが ある事物(場所や所有者)や動作・状態を表さない。】
の文の意味するところに、どのような違いがあるか考えてみましょう。
つまり、「自体」という語は必須か否かということ。
おわかりになったら教えてください。
採点して差し上げます。
No.21
- 回答日時:
#17です。
>「着点」が「物(事物)」であることが理解できませんか?
:
「庭」は「物(事物)」ですから当然のことを言っているまで。(笑)
何が不思議なのか?
未だに、
『格助詞「に」=場所や所有者』だと、誰かが言っている。
という妄想から抜けきれないようですね。(笑)
誰もそんなことは言ってませんから安心してください。
・格助詞「に」は、「庭」が動作・作用の行われる場所を表わす。
です。
何回か繰り返しみるのも理解につながる一法かもしれませんよ。
>>・格助詞「に」は、「庭」が動作・作用の行われる場所を表わす。
不分明な日本語文ですね。
何回か繰り返しみるのも意味不明であることの理解につながる一法かもしれませんよ。
>>『格助詞「に」=場所や所有者』だと、誰かが言っている。
「動作・作用の行われる場所を表わす。」という日本語の文はどういう意味ですか?
回答者自身が何度も言われていることが理解できませんか。
そもそも、格助詞とは何を表わすかが理解できていないと何度も指摘していますが、それに対する回答はないのでしょうか。
【助詞はそれ自体がある事物(場所や所有者)や動作・状態を表さない。】
と指摘しているのですが、妄想から抜けきれないようですね。(笑)■
No.20
- 回答日時:
#16です。
>シチュエーションには話者にとっての対象、場面と表現された結果としての文脈という二つの側面があります。
対象→認識→表現という過程的な構造を捉えられず、表現→認識→対象という受け手の過程的構想との関連と相違を捉えられないで、一言でシチュエーションというとこの過程が無視されてしまいます。
:
#12お礼欄で、ご自身、
『シチュエーションに応じてというのは話者の認識を明確にする補助であって、語の意義の選択は話者自身によるもので、シチュエーションにより決まるのではありませんが、その辺は理解されていますか?』
と言ってますよね。
『話者にとっての対象、場面』としてのシチュエーションについて述べていることは明白じゃありませんか。
あなたも、そのつもりで上記のように揶揄したのでしょう?
都合が悪くなったからといって、他の側面をもちだして論点をあいまいにしようという見苦しい魂胆が丸見えですな。(笑)
とんだお笑い草だ。(笑)(笑)(笑)
>>『話者にとっての対象、場面』としてのシチュエーションについて述べていることは明白じゃありませんか。
いいえ。表現された文の解釈に当たってのシチュエーションについて述べていることは明白じゃありませんか。
都合が悪くなったからといって、他の側面をもちだして論点をあいまいにしようという見苦しい魂胆が丸見えですな。(笑)
とんだお笑い草だ。(笑)(笑)(笑)
No.19
- 回答日時:
#14です。
1.
>それは、記号、比喩の問題で、字義ではありません。
:
なるほど。
辞書の語釈を不用意に斜め読みしていると、そうした誤解が生じるのでしょうね。
お示しになった広辞苑の下記記述は目に留まりませんでしたか?
「表わす」
②考え・意思・感情などをことばなどで表現する。
「娑羅双樹の花の色、盛者必衰のことわりを表わす」と、かの有名な平家物語まで例に挙げてくれているではありませんか。
これは、「娑羅双樹の花の色=盛者必衰のことわり」だという意味ではありません。
「娑羅双樹の花の色は、盛者必衰ということわりを表わす」という意味。
「赤色は情熱を表わす」という例文にしても、
「赤色=情熱」と言っているわけではないことぐらいおわかりになりますよね?
「赤色は、情熱というものを表わす」という意味。
アスナロウさんは、『格助詞「に」≠場所や所有者』とおっしゃってますが、そもそも、
「「に」は、場所を表わす」という表現は、『格助詞「に」=場所や所有者』という意味ではないのですよ。
(例)庭に二羽鶏が居る。
という文において、『格助詞「に」=場所』だと言っている人はひとりもいないのであって、あくまで、
・格助詞「に」は、「庭」が動作・作用の行われる場所を表わす。
と言っている。
これで腑に落ちないなら次のように言い換えても良いでしょう。
・「庭」が動作・作用の行われる場所であることを表わしたいために、その用法を持つ「に」を使う。
「庭」といえば場所に決まってるという突っ込みを以前してましたが、それはまったく見当違いのいちゃもんと同じ。
短絡的に「場所を表わす」と受け取るから、そういう誤解につながってしまう。
(例)庭に二羽鶏が居る。
の場合は、
【動作・作用の行われる場所】だから「に」を使う。
【動作・作用の対象としての場所】について言いたければ、
(例)今度、庭を造ることにした。
のように、格助詞「を」を使う。
こういうことです。
おわかりいただけましたか?
ご自分でお示しになった広辞苑を再読し、アスナロウさんが勝手に曲解しているだけだ、ということにお気づきになってください。
因みに、今はご自身おっしゃるところの『千差万別』の文における意味についてが論点ですから、逸らさないようにご留意頂ければ。
2.
>>『「私に」「庭に」という形で使われる時、(その時点で)所有の意識が生まれています』でという意味になり得るわけだから、【わざわざ】そぐわない解釈をして批判する必要は無かろうに、と申し上げている。
『受け手の側の解釈の問題』とは限らないだろう、ということです。
使われた結果を述べていながら、話者、聞き手以外の第三の側があるのですか?
:
『「私に」「庭に」という形で使われる時、(その時点で、すでに)所有の意識が生まれています』
と言い換えれば理解していただけますか?
『使われた結果』だけを述べる文意とは限らない、と申し上げている。
・雪が降るとき冬が訪れます。
などもわかりやすいでしょう。
雪が降るから冬が訪れる、と言っているわけではなく、
雪が降るとき、(その時点で、すでに)冬が訪れている。
という意味であることはおわかりになるでしょう。
1.
>>・格助詞「に」は、「庭」が動作・作用の行われる場所を表わす。
いよいよ、日本語が怪しくなってきましたね。
何を言っているのやら。理解不能。
>>「庭」といえば場所に決まってるという突っ込みを以前してましたが、それはまったく見当違いのいちゃもんと同じ。
にわ【庭・場】
①広い場所。物事を行う場所。神武紀「霊畤を鳥見山の中に立てて」。「いくさの―」「裁きの―」
【広辞苑】
これが「見当違いのいちゃもん」というのであれば、お気に入りの広辞苑に言ってください。
ところで、晩飯は食べて頭を冷やしたのですか?
>>(例)庭に二羽鶏が居る。
の場合は、
【動作・作用の行われる場所】だから「に」を使う。
「庭」といえば場所に決まってるのでSU~
★鶏舎に二羽鶏が居る。
の「鶏舎」
けい‐しゃ【鶏舎】
鶏を飼う小屋。とりごや。
【広辞苑】
は場所ですか?
>>【動作・作用の対象としての場所】について言いたければ、
(例)今度、庭を造ることにした。
のように、格助詞「を」を使う。
「庭=場所」と言っていますよね。
★今度、玩具を造ることにした。
この「を」が場所を表わし、【動作・作用の対象としての場所】ですか?
こういうことです。
おわかりいただけましたか?
>>『「私に」「庭に」という形で使われる時、(その時点で、すでに)所有の意識が生まれています』
と言い換えれば理解していただけますか?
いいえ。「すでに」と使われた結果を論じていますよね。理解不能です。
>>・雪が降るとき冬が訪れます。
などもわかりやすいでしょう。
雪が降るから冬が訪れる、と言っているわけではなく、
雪が降るとき、(その時点で、すでに)冬が訪れている。
これが決定的に hakobuluサンの認識の誤りを露呈しています。
これは、話者の認識ではなく、対象のあり方を言っているのが分かりますか。
当方が指摘しているのは、表現対象、客体のあり方ではなく話者の認識、表現自体を問題にしています(助詞なので当然ですが)が、これを客体の問題に摩り替えていますよね。
このことを最初から何度も指摘しているのですが、こういういう意味であることはおわかりになるでしょうか。■
No.18
- 回答日時:
#15です。
><格助詞「に」=場所や所有者を表わす場合がある>という誤りで、格助詞「に」は空間的・時間的な位置付けの認識を表わすと最初から指摘しています。
:
たしかに、これは誤解を招きやすい表現でしたね。
格助詞「に」は、場所や所有者を表わす場合がある。
です。
(例)庭に二羽鶏が居る。
この例文における「に」は、「庭」を「居る」という動作が表す存在の空間的な位置、つまり場所に位置付けている。
と主張しておられるわけだから、まさか、これは否定しませんよね?
「=」という記号が誤解を助長してしまうのはわかる。(笑)
さて、今日は天ぷら蕎麦でも作るかな。
といっても、スーパーで買ったエビ天と袋入りのゆで麺だけど。(笑)
本当は乾麺をゆがくのが常ですが、ときおり面倒になるんですよね。
ということで、また後程。
>>格助詞「に」は、場所や所有者を表わす場合がある。
何度言っても理解できませんね~。
ソシュールパラダイムの呪縛を克服しましょう。
【助詞はそれ自体がある事物(場所や所有者)や動作・状態を表さない。】
と言う事実が理解できませんか。
場所、物、赤い、飛ぶ
などの事物や動作・状態と助詞/助動詞の「て/に/を/は/だ/た」などが表す内容の相違をどのように理解されているのでしょうか?
食後に一眠りし、頭をクリヤーにして考えて下さい。
当方は風呂でも浴びます。■
No.17
- 回答日時:
#13です。
>語釈以前に助詞とは何かが理解できていないために、不適切な誤解を招く誤った表現になっている。
:
だから、そんな大層なことを言ってる暇があったら、「表わす」という日本語の意味を再検証して、
・格助詞「に」は場所を表わす(こともできる)。
という事実を理解するようにすることが先決ですよ。
>>・hakobulu=「に」は、着点を表わす。
と表現するのが妥当と考えているところ。
などという発想では何の解決にもならない!
:
それは、アスナロウさんが「に」の本質的意義を理解してないからです。
いずれ理解できるときがくると良いですね。
少なくとも「時間的・空間的な位置付けの認識を表わす。」などと、大辞林の語釈の一部を切り取ったような解説を、漫然と主張するよりはマシですな。(笑)
どうせ辞書を参照するなら、学研国語大辞典の
※動作・作用が存在し、成立し、由来し、おもむくところ(=時間・空間・心理上ノ静止点)をそこと指定し、連用修飾句を作るのに用いる。※
という注釈をお勧めします。
「着点」の意図を理解できる一助ともなるでしょう。
ここにも、「そこと指定し」などという機能主義的な発想が述べられています。
「着点」が「物(事物)」であることが理解できませんか?
点の字義を引用するには及ばないと思いますが、日本語の初歩的な理解の問題と考えます。
「着点」の意義を理解できる一助となれば幸いです。■
No.16
- 回答日時:
#12です。
>>>それらは『用法』の一部であって、殊更に『場所や所有』と関係づける必要はない。
別に、関係づけていませんが。
これらの「に」が場所や所有とは何の関係もないことは自明です。
:
『文での意味は個別の対象に対する話者の個別の認識の表現に対応した個別の意味を持ち、文ごとに千差万別である。』
とおっしゃったばかりじゃありませんか。(笑)
であるのに、
★私に行かせて下さい。
★私に呑めというのか。
★私に食べる時間を下さい。
といった(千差万別の文の中の「場所や所有」以外の用法を持つ)例をあげつつ、
『<「私に」に続くのは「ある」「いる」「できる」「分かる」「言える」>だけではありません。これらの「に」が場所や所有とは何の関係もないことは自明です。』
と批判するのはまったく筋が通らないだろう、と申し上げたわけ。
千差万別なんだから、何の関係もなくて当たり前じゃないですか。
>シチュエーションに応じてというのは話者の認識を明確にする補助であって、語の意義の選択は話者自身によるもので、シチュエーションにより決まるのではありませんが、その辺は理解されていますか?
:
これはまた奇妙なことをおっしゃいますなあ。
『語の意義の選択は話者自身によるもので、シチュエーションにより決まるのではありません』とのことですが、シチュエーションが無いのに『語の意義の選択』ができるのですか???
本当に???
実例を示してください。
いい加減もここまでくれば本物ですなア。(笑)
>>千差万別なんだから、何の関係もなくて当たり前じゃないですか。
当たり前のことが当たり前でないような回答をされているので、当たり前のことを指摘したまでです。
>>シチュエーションが無いのに『語の意義の選択』ができるのですか???
本当に???
これはまた奇妙なことをおっしゃいますなあ。
いつも感じることですが、用語を感覚的に使用され論理的でないのを感じます。
シチュエーションには話者にとっての対象、場面と表現された結果としての文脈という二つの側面があります。
対象→認識→表現という過程的な構造を捉えられず、表現→認識→対象という受け手の過程的構想との関連と相違を捉えられないで、一言でシチュエーションというとこの過程が無視されてしまいます。
ソシュールパラダイム下のラングがそのままパロールに変化するという発想では子の過程を捉えることができません。
そこから、
>>シチュエーションが無いのに『語の意義の選択』ができるのですか???
本当に???
実例を示してください。
という奇妙な質問が生じます。
いい加減もここまでくれば本物ですなア。(笑)■
No.15
- 回答日時:
#11です。
>格助詞「に」≠場所や所有者
と何度も指摘し、了解されていると考えていますが、何をいまさら川端やなぎ(笑)
そんな用法はありません!
:
誰がどの箇所で、
『格助詞「に」=場所や所有者』と言っているのですか?
私は、
『格助詞「に」=(用法のひとつとして)場所や所有者を表わす』
と言っている。
この両者の日本語の違いを理解できるよう努力してみましょう。
私は、
『格助詞「に」=(用法のひとつとして)場所や所有者を表わす』
は<格助詞「に」=場所や所有者を表わす場合がある>という誤りで、格助詞「に」は空間的・時間的な位置付けの認識を表わすと最初から指摘しています。
この両者の日本語の違いを理解できませんか、日本語の文法を云々するのであればできるように努力してみましょう。■
No.14
- 回答日時:
#10です。
1.
>「赤」が表すのは特殊な色で、何の問題もありませんよね。
色の表現であることは明らかで、何に気づけば良いのか不明です。
:
ここに認識の間違いが明白に露呈していますね。
『「赤」が表すのは特殊な色』ではありません。
『「赤」は特殊な色』です。
『「赤」が表す』のは、
信号機においては「危険止まれ」であり、
日の丸においては「太陽」である、ということ。
『表わす』という日本語の意味に気づいてください、というわけです。
2.
>><「私に」「庭に」という形で使われる【から】、所有の意識が生まれます>と言ってるわけじゃない
では、何と言っているのですか?
<「私に」「庭に」という形で使われる時、所有の意識が生まれます>というのは、受け手の側の解釈の問題でなくて何なのでしょうか?
使われる前でなければ、表現された後の受け手の解釈以外の何があるのでしょうか?
:
『「私に」「庭に」という形で使われる時、所有の意識が生まれます』
は、
『「私に」「庭に」という形で使われる時、(その時点で)所有の意識が生まれています』でという意味になり得るわけだから、【わざわざ】そぐわない解釈をして批判する必要は無かろうに、と申し上げている。
『受け手の側の解釈の問題』とは限らないだろう、ということです。
ここに認識の間違いが明白に露呈していますね。
1.
>>『「赤」が表すのは特殊な色』ではありません。
:
『表わす』という日本語の意味に気づいてください、というわけです。
それは、記号、比喩の問題で、字義ではありません。
『表わす』という日本語の意味は、
あらわ・す【表す・現す・顕す・著す】
〔他五〕
①形・ようすなどを表に出して示す。特に、神仏が霊験などを示す。万葉集18「遠き世にかかりしことをわが御世に―・してあれば」。「姿を―・す」「本性を―・す」
②考え・意思・感情などをことばなどで表現する。万葉集5「玉島のこの川上に家はあれど君を恥しみ―・さずありき」。平家物語1「娑羅双樹の花の色、盛者必衰のことわりを―・す」。「承諾の意を―・す」「怒りを全身で―・す」「赤色は情熱を―・す」【広辞苑】
です。正しく、『表わす』という日本語の意味に気づいてください!
2.
>>『「私に」「庭に」という形で使われる時、(その時点で)所有の意識が生まれています』でという意味になり得るわけだから、【わざわざ】そぐわない解釈をして批判する必要は無かろうに、と申し上げている。
『受け手の側の解釈の問題』とは限らないだろう、ということです。
使われた結果を述べていながら、話者、聞き手以外の第三の側があるのですか?■
No.13
- 回答日時:
#12からの続き。
6.
>
1)庭には二羽鶏がいる。
2)私には弟がいる。
は全く同じ意義の「には」です。
:
そうそう、最初に申し上げたように、まったくそのとおりなんですよ。
ところで、#5で、
1)庭には二羽鶏がいる。
について、
『格助詞「に」は再三再四指摘しているように、時間的・空間的な位置付けの認識を表わしていますが、この文では具体的に、「庭」を「居る」という動詞が表す存在の空間的な位置、つまり場所に位置付けています。』
とおっしゃっていますから、当然、
2)私には弟がいる。
についても、
『「に」は、「弟」を「居る」という動詞が表す存在の空間的な位置、つまり場所に位置付けて』いるというご見解でしょう。
つまり、
格助詞「に」は、時間的・空間的な位置付けの認識を表わしていますが、「〇〇に居る」という文では具体的に、「〇〇」を「居る」という動詞が表す存在の空間的な位置、つまり場所に位置付けています。
とおっしゃっているわけです。
これを辞書では簡潔に、
・格助詞「に」は場所を表わす(こともできる)。
と語釈するわけです。
今までの一連の指摘を理解していただければ、おわかりになったと思いますが、結局はこういうことです。
アスナロウさんの論理を持って、辞書に対する批判が成り立つとすれば、
a.意義を明記していない辞書がある(語釈に不備がある)。
b.意義の説明がわかりづらい。
などに限定されることになりますね。
つまり、【語の理解に関して特段の齟齬は生じていない】わけですから、その点について以後、ご留意なさるがよろしいかと。
ソシュールパラダイムやらSF文法といった紋切り型の表現で当たり散らしていますが、その根拠がまったく示されていないどころか矛盾だらけなので、まったく論になっていません。
滑稽な道化はそろそろ卒業なさる時期と思います。
>>辞書に対する批判が成り立つとすれば、
a.意義を明記していない辞書がある(語釈に不備がある)。
b.意義の説明がわかりづらい。
語釈以前に助詞とは何かが理解できていないために、不適切な誤解を招く誤った表現になっている。
この理解を基に、教育を受けた学習者に格助詞の誤用が後々まで残るという問題がある。
この実態を、
岡田 美穂,奥田 俊博
<場所を表す名詞に下接する格助詞「に」「で」「を」について-日本語教育の観点に基づく先行研究の整理と課題->
https://kyukyo.repo.nii.ac.jp/?action=pages_view …
他が明かにしているが、
>・hakobulu=「に」は、着点を表わす。
と表現するのが妥当と考えているところ。
などという発想では何の解決にもならない!
ということを声を大にして、何度も指摘しているのですが、理解できませんか?■
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>>文の解釈に、いったいどのような深刻な差異が生じるとおっしゃるのか?
表現された結果としての文の解釈ではなく、話者の認識を文に表現しようとする時に、どのような深刻な差異が生じるかは、先に提示した「岡田 美穂,奥田 俊博」による論考が明らかにしています。
そして、
・hakobulu=「に」は、着点を表わす。
と表現するのが妥当と考えているところ。
などという理解では、何の役にも立ちません。■
日本語学習者用の本を見ると、ご丁寧に、格助詞「に」の説明として「到達点」と絵を書き、矢印で示しているものがあります。
これでは、誤解しろと言っているとしか見えませんね。
こうした現在の日本語教育文法の限界は、
白 川 博 之
「日本語研究から日本語教育研究への越境」
https://www.jstage.jst.go.jp/article/nihongonoke …
で、
かつて日本語教育からのニーズを背景に進展した日本語文法の記述的研究も、【今世紀に入る頃から目的を失い閉塞状態が続いている】という指摘がある。しかし、実際には、日本語学習者・教授者に供されうる文法記述にはまだ不足していることがたくさん残っている。/
と、問題認識されてはいますが、「ソシュールパラダイム」を克服することなしに解決は得られないということです。■
なお、ここに述べられた格助詞「に」「を」の粗雑な誤った理解による教育が学習者を混乱させていることが、上記の「岡田 美穂,奥田 俊博」による論考他で指摘されていますので、拳拳服膺願います。■
>>「場所・範囲を指定する」
と解釈することによって、どのような問題が発生するのか?
ということです。
論点をずらさす簡潔にお答えいただけると有難いですね。
このような誤った言語実体観の発想が、助詞「は」「が」構文の理解を如何に歪めるかという重大な問題の事例を「カキ料理構文」の解釈について指摘しました。
「カキ料理構文」に見る「ハ」「ガ」論の混迷
https://mixi.jp/view_bbs.pl?comm_id=2748&id=9262 …
日本語教育における問題点は質問の中にて指摘の通りです。
これらに対し無視、回避、論点をずらすことなく、お考えを伺えれば幸いです。
簡潔でないのは、事柄の性質上避けがたいのは已むを得ませんが。■
>>都合の良い例を挙げましたね。
:
ま、気持ちはわかりますが。(笑)
などと逃げ回っているのはどこのどなたでしょうか。
未だに、「私的には仮命題としての表現だが)と断っている」などという体たらくではどうしようもないのが理解できませんか?
改心して、早めに牽強付会を脱しましょう。(笑)
というより、言語とは何かを正しく理解し、論理的、科学的な文法理解を深めましょう。
その一助として応答しているのですが。■
なお、認知言語学の助詞論に対する批判は、
認知言語学の欠陥を露呈する助詞論
https://www.amazon.co.jp/gp/customer-reviews/RYI …
を参照下さい。
所詮、この程度の代物です。■
なお、
野田尚史
<文の構造と機能からみた日本語の主題>
https://tsukuba.repo.nii.ac.jp/?action=pages_vie …
を参照下さい。
ここに、氏の機能主義的な発想が良く示されており、今日までそのパラダイムは変化していません。
これは、生成文法、寺村秀夫の発想を引き継ぐものです。
生成文法批判は、
http://okrchicagob.moto-chika.com/DME/work/GJBHG …
を参照下さい。■
【学研国語大辞典】
のどこが、「言い得て妙」ですか。
「時間・空間・心理上ノ静止点)をそこと指定」とは、
【助詞はそれ自体が ある事物(場所や所有者)や動作・状態を表す。】
とし、さらに語が「指定する」という二重の錯誤を示しています。
<「に=場所」だなんてことは、大辞林をはじめ、誰一人として言っていない>というのであれば、具体的に示してもらいたいものです。
あなたの曲解を示されてもどうしようもありません。
>>この~「(星が)またたく」ところの空間的な『位置であると認識していることを示している。
まあ、この解釈自体は正しいのですが、<「に」は、動作の【着点】を表わします。>などと未だに回答しているようでは、単なる口先だけの云い逃れということです。
★「空に星がまたたく」
の「に」が<動作の【着点】>ですか?(笑)
まずは、トマス・クーン『科学革命の構造』を読みましょう。■
7.
>>さあ、答えてもらいましょう。(笑)
「了解しました。」じゃないのですか?
ある程度の読解力が必要ですからね。
>>あなたがおっしゃっていることも間違いだということになりませんか?
なりません。
「空間的な位置として【認識し表している】。」⇒これが目に入らぬか!たわけもの!
助さん:御老公!いや少し、押さえて、押さえて!
御老公:う~ん。頭に血が昇るわ! ここは茅ヶ崎じゃったか? ハッハッハ!
チャンチャン! お粗末の一幕!
<「に」は、動作の【着点】を表わします。>などと未だに回答しているようでは、単なる口先だけの云い逃れということです。
★「空に星がまたたく」
の「に」が<動作の【着点】>ですか?(笑)
ある程度の読解力が必要ですからね。■
この、近藤泰弘は日本語記述文法を提唱していますが、これがどの程度のものかについては、
「羊頭狗肉のコンピューター検索事例集」
https://www.amazon.co.jp/gp/customer-reviews/R3O …
を参照下さい。
また、格助詞「を」の意義が何かは、三浦つとむ『日本語はどういう言語か』の200~201pで詳しく論じられています。これを【じっくり】読み、【深く】理解し、比較して下さい。
目から鱗が落ちると思いますが、さてどうでしょか?■