![](http://oshiete.xgoo.jp/images/v2/pc/qa/question_title.png?e8efa67)
https://oshiete.goo.ne.jp/qa/11442193.html
の続きです。
問題点がNo.30 の回答に集約されているので、これを取り上げます。
>>私も所有(持ち主)という意識は必要だと思います。「に」という助詞にそういう意味がある訳でなく、「私に」「庭に」という形で使われる時、所有の意識が生まれます
これは、因果が逆転した捉え方で、<「私に」「庭に」という形で使われる時、所有の意識が生まれます>というのは、受け手の側の解釈の問題で、話者が何ゆえに格助詞「に」を使用したのかを明らかにするものではなく、単なる結果論に過ぎません。
<「私に」「庭に」の形になって、持ち主だったり、場所だったりするわけです。>も同様で、何故話者が<「私に」「庭に」の形>に表現したのかが明かにされなければ意味を為しません。
これでは、何故「に」が使用され「で」が使用されなかったのかを明らかにすることはできません。実際、こういう誤った教育、指導を受けた人々がどのような誤りを犯すかは、次の論考が問題にしていますが、残念ながら同じ発想に立つため問題解決に至っていないのが現状です。
岡田 美穂,奥田 俊博
<場所を表す名詞に下接する格助詞「に」「で」「を」について-日本語教育の観点に基づく先行研究の整理と課題->
https://kyukyo.repo.nii.ac.jp/?action=pages_view …
飽きもせずに、「で」は到達点を表わすなどとピント外れの回答をされているかたもありますが、助詞が客体の認識を表わすものではないことが理解できない根本的な誤りです。
当然、助詞「は」と「が」の相違の解明など望むべくもありません。
このような発想が、言語実体観、言語道具観と言われるもので、対象→認識→表現の過程ではなく、表現→解釈→対象という受け手(聞き手)の側の結果を恣意的に解釈しているに過ぎません。
その結果、
>>「私に」に続くのは「ある」「いる」「できる」「分かる」「言える」(可能動詞)などは、一般に言われる「状態動詞」(それに類似した「状態を表す表現」に限ります。)であり、「動作動詞」ではありません。/
などと事実誤認に導かれます。
★私に行かせて下さい。
★私に呑めというのか。
★私に食べる時間を下さい。
など、<「私に」に続くのは「ある」「いる」「できる」「分かる」「言える」>だけではありません。これらの「に」が場所や所有とは何の関係もないことは自明です。
>>「私は」という、私を主題化したものは何にでつながりますから
「私は」の「は」には特殊性の認識を表わす副助詞と普遍性の認識を表わす係助詞があり、主題化云々という場合は係助詞の場合です。もっとも、主題とは何かの概念規定はなく、単に、「は」は主題、「が」は主語という同義反復、言い替えに過ぎませんが。
係助詞の場合は、
★庭は広い。
★庭は静かだ。
などの一般的な属性が続きます。特殊性の副助詞の場合は、
★玄関は広いが、庭は狭い。
★居間には猫を飼っており、庭には二羽の鶏を飼っている。
★家は立派だが、庭は質素だ。
★居間は三羽のインコ、庭は二羽の鶏が飼われている。
のようになります。
「には」「では」の「は」は特殊性の認識を表わし、主題云々とは関係ありません。
最初の質問で、
5)庭は二羽鶏がいる
5)だとほとんど×ではないかと。
というのは、単に機械的、形式的に「には」の「に」を削除し、「は」が係助詞なのか、副助詞なのかが不分明に使用されているためで、問題提起の発想自体に誤りがあります。
「ある」と「いる」の使い分けについては先に何度も説明した通りです。
このように、最初の質問にある「には」は格助詞「に」+副助詞「は」で、
1)庭には二羽鶏がいる。
2)私には弟がいる。
は全く同じ意義の「には」です。
こうした、言語表現とは何かという本質を理解できない人々が、非科学的、恣意的なSF文法を弄び、辞書の解釈を縦にしたり、横にしたりすれば何かが分かるのではないかと呉越同舟の同床異夢で慰め合っても何の解明、進歩もないことを先ず自覚、反省すべきではないでしょうか。■
A 回答 (102件中71~80件)
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No.32
- 回答日時:
#29です。
1.
>>>【助詞はそれが ある事物(場所や所有者)や動作・状態を表さない。】
わけじゃない、ということが今は大事。
この命題が誤りだと言われているのですか。
:
違います。
正しいと言っている。
つまり、
【助詞はそれが ある事物(場所や所有者)や動作・状態を表さない。】
わけじゃない。=【助詞はそれが ある事物(場所や所有者)や動作・状態を表わす】
という論理式であるのはおわかりでしょう。
だから、
「赤色は情熱を表わす」
という表現も正しい、ということ。
しかし、
【助詞はそれ自体が ある事物(場所や所有者)や動作・状態を表さない。】
これも正しい。
ただし、これは、
「赤色=情熱」
ということじゃないよ、と言っているだけであり、
前命題の、
【助詞はそれが ある事物(場所や所有者)や動作・状態を表わす。】
すなわち、
「赤色は情熱を表わす」
という命題を否定しているわけではない、ということです。
「自体」という語に着目していただきたいと以前申し上げたこともあったと思いますが、こういうことです。
2.
>(アスナロウ)
「時間的・空間的な位置付け」の認識に関係している。
(hakobulu)
着点という認識に関係している。
ということになるでしょう。
ということには、ならないと最初から指摘していますが?
:
それはあなたがそう思っているだけのこと。
そういう駄々っ子みたいな論理を振り回してはいけません。(笑)
今は、その指摘の妥当性について論じ合っているはずでしょう?
冷静にいきましょう。
反論する際には論理的な根拠をあげて反論してください。
3.
>何が、どこが「ただ」なのですか?
:
素朴な疑問をありがとうございます。
センター試験などの設問に出てきそうですね。(笑)
前後の文脈を把握していれば簡単なのですが、以下のようなことになります。
「ただ」の前項では「に」の意義について述べているわけですが、後項では「に」の意味について述べることになるため「意義ではなく意味の場合は」という意味で、「ただ」という「前述の事柄に対して、条件をつけたりその一部を保留したりするときに用いる(大辞泉)」接続詞を採用しているわけです。
4.
>>したがって、『対象が場所や人や物であるか否かには関係していない』というのは誤った認識だと言える。
どこが誤っているのでしょうか?
:
読解力を養うには、疑問が湧いたら、その前後の文を組み入れた状態で読み返してみるということが大事です。
それか、最初から注意深く真面目に読み進める、ということが大事。
※「続柄という人間関係の位置付け」ということになりますかね。
どちらの場合も、少なくとも「時間的な位置づけ」が為されているわけじゃないのは明らかでしょう。無意識的とは言え選択が為されているわけだ。
したがって、『対象が場所や人や物であるか否かには関係していない』というのは誤った認識だと言える。※
つまり、単に『時間的・空間的な位置付け』と認識するのではなく、「続柄という人間関係の位置付け」だったり、「場所という位置付け」だったりのように『無意識的とは言え選択が為されているわけだ』から、『(認識)対象が場所や人や物であるか否かには関係していない』というのは誤った認識だと言える。
と述べたわけです。
>>>「続柄という人間関係
を表わしているのは『弟』で、「に」が「人間関係の位置付け」でないのは明らかでしょう。
:
そんなことを言うなら、『時間的・空間的な位置付け』でないのも明らかでは?
>だんだん、話が怪しくなり、ボロが出てきますね。
しっかり、して下さい。
:
論理が難しくなってきましたか?
疑問点を具体的に言ってくれれば、可能なかぎり丁寧に説明しますよ。
無理をされても困りますので、
しっかり、して下さい。
とは申し上げないでおきます。
まあ、気楽に素直に、ということです。
>物言えば唇寒し秋の風
:
まあ、自己投影というやつでしょうが、私に関しては、全く寒くないですね。
寒くなるような論理立ては一切していませんので。
どなたかとは違ってね。(笑)
茶化している暇があったら、まじめに文脈を読解する努力を少しでもしてください。
1.
>>【助詞はそれが ある事物(場所や所有者)や動作・状態を表さない。】
わけじゃない。=【助詞はそれが ある事物(場所や所有者)や動作・状態を表わす】
という論理式であるのはおわかりでしょう。
だから、
【助詞はそれが ある事物(場所や所有者)や動作・状態を表さない。】
を否定していますよね。
>>正しいと言っている。
?
何をグじゃグじゃ言っているのですか。
2.
>>着点という認識に関係している。
ということになるでしょう。
なりません。点じゃないと何回言ったら分かるのですか。
てん【点】
➊物の面に現れている小さな円形のかたち。「飛び去った鳥が空の一―となる」
➋物の表面に打った小さなしるし。
①書き物などに目印として記す小さなしるし。
【広辞苑】
3.
>>後項では「に」の意味について述べることになる
意義を論じているのに何故、意味について述べるのですか。
それであれば、意味から意義を抽象しなければなりませんが、この抽象の論理が全く理解できていませんね。
4.
>>「続柄という人間関係の位置付け」だったり
「続柄という人間関係の位置付け」は「に」ではなく、弟という語の意義で、庭が場所であるのと同じです。「に」がその関係を位置付けているわけではありません。
この辺が、助詞とは何かが理解できていないため混乱していると最初から指摘している所です。
まじめに文脈を読解する努力を少しでもしてください。■
No.31
- 回答日時:
#28です。
>>「赤色は情熱を表わす」という表現が何ら矛盾しない
赤という語の意義は属性としての色であり、情熱ではありません。
【助詞はそれ自体が ある事物(場所や所有者)や動作・状態を表さない。】
というのは、格助詞「に」それ自体が ある事物(場所や所有者)や動作・状態を表さないということで、「に」が属性や物を表わすという解釈とは矛盾します。
:
「に」と「は」が錯綜しているようですが、ま、大過はないでしょう。
いずれにせよ、広辞苑提示の
「赤色は情熱を表わす」
という命題は間違っている、ということですね?
「赤色は情熱を表わす」
は、文で比喩表現としては適切ですが。
しかし、語「赤色」の語義は色で情熱ではありません。
この相違が理解できないところが問題です。
■
No.30
- 回答日時:
#27です。
1.
>誤りを正さないと当然ながら学習者の誤りが発生し、同様のパラダイムにより助詞「は」「が」理解が混迷することを事実によって提示していますが、どのように解釈されるのですか。
まず、事実を正しく理解し、その原因を極めることが重要です。
問題を理解する能力がないということですね。
我田引水の自己満足では何の進歩も、前進もありません。
:
『事実を正しく理解し』とおっしゃるが、
「に」の意義として、アスナロウさんが言っているのは、
『時間的・空間的な位置付けの認識を表わすから。』
だけですよね?
ネット辞書では、
(大辞林)
〔上代から用いられている語で,動作・作用が行われ,また存在する,時間的・空間的な位置や範囲を示すのが本来の用法〕
(学国)
動作・作用が存在し、成立し、由来し、おもむくところ(=時間・空間・心理上ノ静止点)をそこと指定し、連用修飾句を作るのに用いる。
などとなっている。
『誤りを正さないと当然ながら学習者の誤りが発生』とおっしゃるなら、一体、上記語釈のどこが誤っていて、どの部分が正すべき誤りなのか、具体的に指摘しつつ、実際に誤りを正してみてください。
できるのですか?
『問題を理解する能力』云々とおっしゃるが、そもそも、何が問題なのかということについて、あなたは何も示せていないのですよ。
「に」は、『時間的・空間的な位置付けの認識を表わす』。
だから、辞書の〇〇の箇所の記述は間違っている。
のように論理だてて解説できないなら、単なるいちゃもんにすぎない、ということに、そろそろ気づきましょう。
できるなら、今すぐ示してください。
2.
>意義と意味の両面から考える必要があることは、今さら言うまでもないことではありませんか?
などと、曖昧な逃げ口上を並べても何の解決にもなりません。
:
#2では、
※「には」の意義は、最初に記した通り、格助詞「に」+副助詞「は」で、空間的・時間的な位置付けと、その特殊性の認識の表現として同じです。
しかし、文での意味は個別の対象に対する話者の個別の認識の表現に対応した個別の意味を持ち、文ごとに千差万別です。この意義と、意味を混同して論じるところに混乱、混迷が生まれます。※
とおっしゃったはずですが、もう忘れたのですかね?
『この意義と、意味を混同して論じるところに混乱、混迷が生まれ』るからこそ、『意義と意味の両面から考える必要がある』のではありませんか?
自分の発言には責任を持ってくださらないと困りますねえ。
間違いはお互い様ですから仕方ありませんが、説明責任を放棄してはいけませんよ?
基本的なルールでしょう。
3.
>着点を表わすから。
この解釈の、どこに意義と意味の両面から考えた結果が反映しているのですか。単なる粗雑な思い込みに過ぎません。
:
以前に、なんども懇切丁寧に説明しています。
あれ以上の説明はできませんので、それで理解できなければ諦めてください。
1.
>>一体、上記語釈のどこが誤っていて、どの部分が正すべき誤りなのか、具体的に指摘しつつ、実際に誤りを正してみてください。
これまで、散々具体的に指摘してきましたが単に理解できないということですよね。
>>実際に誤りを正してみてください。
まずは当方が指摘した点を書き変える必要がありますが、基本的な問題なので小手先では出来ない点があります。
何故ならば、何度も指摘しているように助詞/助動詞他の品詞の定義から変えなければなりません。
当方が、助詞とは何かを何度も質問していますが、返答が全くありませんよね。
基本的な点は、時枝誠記の『日本文法 口語篇』(岩波全書〈114〉)などが記していますが、誤りもあり訂正されねばなりません。
さらに、一般に分かり易い表現を考えなければならないと感じています。
しかし、まず現在の辞書、文法書の記述が誤りであることを共有し、直せる部分から対応していくことが重要と考えています。
学校文法の欠陥が指摘されながら、半世紀以上を過ぎている現状の改革に向かうことが重要であり、その機運を盛り上げる必要があると考えています。
>>そもそも、何が問題なのかということについて、あなたは何も示せていないのですよ。
提示していますが理解力がないというに過ぎません。そもそも問題がありながら事実を正しく理解できていないと指摘していますが。
>>間違いはお互い様ですから仕方ありませんが、説明責任を放棄してはいけませんよ?
理解力の問題で、お互い様とは考えていません。
当方の質問に対する回答がありませんよね。
パラダイムの呪縛ということを良く考えてみましょう。
3.
諦めるしかありませんかね。
そういえば、『日本語はどういう言語か』は読んで、理解されたのでしょうか?
不明な点を質問されれば、理解が進むかも。
格助詞の項に「と」や「を」について説明されており、これを読むだけでも、
(hakobulu)
着点を表わすから。
などというのがピント外れであるのは自明と思いますが。
体言/用言と助詞/助動詞とは何が異なるのかという基本的な理解なしに個別の文での意味だけを論じても正しい理解には届かないということが分かりませんか?■
No.29
- 回答日時:
#26です。
>その文を表現、生み出すために規範としての語の意義があり、話者の個別の認識が意義を媒介として表現されます。
格助詞「に」は、対象が場所であるか、人であるか、物であるかに関わりなく使用されています。この事実を理解できますか。
「で」「を」も同じです。
これが、【助詞はそれが ある事物(場所や所有者)や動作・状態を表さない。】という意味です。
:
最後の部分だけが若干違います。
それは、ご自身が主張している
【助詞はそれ自体が ある事物(場所や所有者)や動作・状態を表さない。】
です。
【助詞はそれが ある事物(場所や所有者)や動作・状態を表さない。】
わけじゃない、ということが今は大事。
>つまり、話者が認識している格助詞「に」の意義は対象が場所や人や物であるか否かには関係していないということです。
:
(大辞林)
「動作・作用が行われ,また存在する,時間的・空間的な位置や範囲」の認識に関係している。
(学国)
「動作・作用が存在し、成立し、由来し、おもむくところ(=時間・空間・心理上ノ静止点)」の認識に関係している。
(アスナロウ)
「時間的・空間的な位置付け」の認識に関係している。
(hakobulu)
着点という認識に関係している。
ということになるでしょう。
ただ、庭で遊ぶ二羽の鶏を見ながら、
1)庭には二羽鶏がいる
と言う場合、その話者は、庭を、鶏が遊んでいる場所として『空間的な位置付け』を無意識的に行なっているわけです。
2)私には弟がいる。
も同様です。
この場合は、「続柄という人間関係の位置付け」ということになりますかね。
どちらの場合も、少なくとも「時間的な位置づけ」が為されているわけじゃないのは明らかでしょう。無意識的とは言え選択が為されているわけだ。
したがって、『対象が場所や人や物であるか否かには関係していない』というのは誤った認識だと言える。
千差万別な文のひとつである、
1)庭には二羽鶏がいる。
における、
・格助詞「に」は、「庭」が動作・作用の行われる場所を表わしている。
のです。
>>【助詞はそれが ある事物(場所や所有者)や動作・状態を表さない。】
わけじゃない、ということが今は大事。
この命題が誤りだと言われているのですか。これが正しいということが、大切です。
>>(アスナロウ)
「時間的・空間的な位置付け」の認識に関係している。
(hakobulu)
着点という認識に関係している。
ということになるでしょう。
ということには、ならないと最初から指摘していますが?
>>ただ、
何が、どこが「ただ」なのですか?
>>したがって、『対象が場所や人や物であるか否かには関係していない』というのは誤った認識だと言える。
どこが誤っているのでしょうか?
「庭」は場所で、「私」は場所ではありません。
どこかの辞書【に】「私」は場所だと記述されているのですか?
【助詞はそれが ある事物(場所や所有者)や動作・状態を表さない。】
と言っているのに、何を言われているのか理解不能です。
>>「続柄という人間関係
を表わしているのは『弟』で、「に」が「人間関係の位置付け」でないのは明らかでしょう。
おと‐うと【弟】
(オトヒトの音便)
①同じ親から生まれた年下の者、特に男子。おと。おとと。古くは、同性の間で言い、妹をも言った。日本紀竟宴歌「おのが―名はおと姫」
②義弟。妻の弟。夫の弟。妹の夫。
③年少の男を親しんでいう称。
【広辞苑】
で、「に」が「人間関係の位置付け」などを表わしてはいません。
中学生だって違うことぐらい理解しますよ?(笑)
だんだん、話が怪しくなり、ボロが出てきますね。
しっかり、して下さい。
物言えば唇寒し秋の風
もう、大寒を過ぎましたが。■
No.28
- 回答日時:
#25です。
>ここで云われているのは、「赤(=色)≠情熱」で、そうであれば<「に」(助詞)≠場所」ということで、そもそも、<・格助詞「に」は、「庭」が動作・作用の行われる場所であることを表わす。>とはなりません。
:
あなたは、#14で以下のように言っている。
※『表わす』という日本語の意味は、
あらわ・す【表す・現す・顕す・著す】
〔他五〕
①形・ようすなどを表に出して示す。特に、神仏が霊験などを示す。万葉集18「遠き世にかかりしことをわが御世に―・してあれば」。「姿を―・す」「本性を―・す」
②考え・意思・感情などをことばなどで表現する。万葉集5「玉島のこの川上に家はあれど君を恥しみ―・さずありき」。平家物語1「娑羅双樹の花の色、盛者必衰のことわりを―・す」。「承諾の意を―・す」「怒りを全身で―・す」「赤色は情熱を―・す」【広辞苑】
です。正しく、『表わす』という日本語の意味に気づいてください!※
広辞苑が『「赤(=色)≠情熱」』と言っているのは、その通りです。
これが、ご自身がおっしゃっているところの、
【助詞はそれ自体が ある事物(場所や所有者)や動作・状態を表さない。】
ということ。
しかし、(例文として挙げているのだから)そのことと「赤色は情熱を表わす」という表現が何ら矛盾しないことを、広辞苑は明白に示しているわけです。
そこが重要なのであり、それは、
【助詞はそれが ある事物(場所や所有者)や動作・状態を表さない。】
ということなのです。
ご自身が提示した広辞苑語釈を再度読み返し、《『表わす』という日本語の意味》について再度、よく検討なさってください。
おそらく、ここが最大の肝の部分だと思われます。
ここが理解できないようなら、私も諦めます。
>>「赤色は情熱を表わす」という表現が何ら矛盾しない
赤という語の意義は属性としての色であり、情熱ではありません。
【助詞はそれ自体が ある事物(場所や所有者)や動作・状態を表さない。】
というのは、格助詞「に」それ自体が ある事物(場所や所有者)や動作・状態を表さないということで、「に」が属性や物を表わすという解釈とは矛盾します。
ここが最大の肝の部分です。
ここが理解できないようなら、諦めるしかありませんが、事実は頑固です。■
No.27
- 回答日時:
#23です。
1.
>・格助詞「に」は、「庭」が動作・作用の行われる場所であることを表わす。
結局、<格助詞「に」=場所>に回帰ですか。
どうしようもありませんね。
:
『格助詞「に」は、「庭」が動作・作用の行われる場所であることを表わす。』という文は、<格助詞「に」=場所>という意味だと思い込んでいるわけですね。
アスナロパラダイムも厄介ですなア。(笑)
中学生だって違うことぐらい理解しますよ?
2.
>
★鶏舎【に】二羽鶏が居る。
★水泡【に】帰する。
と鶏舎、水泡という場所ではないものを表わすのに何故「に」を使用するのかを明らかにしなければ「に」の意義を明らかにしたことにはならないと言っているのですが。
:
『何故「に」を使用するのか?』
この点については、意義と意味の両面から考える必要があることは、今さら言うまでもないことではありませんか?
意義については、すでに何度も示しているように、以下のように表現が異なります。
(大辞林)
〔上代から用いられている語で,動作・作用が行われ,また存在する,時間的・空間的な位置や範囲を示すのが本来の用法〕
だから。
(学国)
動作・作用が存在し、成立し、由来し、おもむくところ(=時間・空間・心理上ノ静止点)をそこと指定し、連用修飾句を作るのに用いる。
ものだから。
(アスナロウ)
時間的・空間的な位置付けの認識を表わすから。
(hakobulu)
着点を表わすから。
これら意義について、どれが適切かということをここで論議しても平行線をたどるだけです。
★鶏舎【に】二羽鶏が居る。
★水泡【に】帰する。
という例文を挙げているからには、こうした『千差万別』の文での意味は何か?
と論じているはずですよね?
『意義を明らかにしたことにはならない』などと論点をずらしてはいけません。
それについて論じるのもやぶさかではありませんが、今はあくまで「意味」についてであることを失念なさいませんように。
前者は場所を表わし、後者は変化の結果を表わすと言えば済む話で、どちらも場所である必要はどこにもないわけ。
3.
>>>けい‐しゃ【鶏舎】
鶏を飼う小屋。とりごや。
【広辞苑】
で、小屋ですよ。
:
だから場所ではないと?
「場所」
1 何かが存在したり行われたりする所。ある広がりをもった土地。(大辞泉)
『鶏を飼う所』と考えれば済む話。
本当に融通が利きませんねえ。(笑)
4.
>【雪が降るとき、(その時点で、すでに)冬が訪れている。】
これが、『話者の認識』ですか、表現された対象のあり方です。
:
この箇所については、#24で、
《そうですね。
同じ、「シチュエーション」という語でも文により意味がことなり、安易に使用する用語としては不適切と考えていますが、今は論点がずれるので、この点は置いておきましょう。》
と珍しくまともな応答をしていますので、『話者の認識』であることにお気づきになったと捉え、不問に伏しておきましょう。
1.
>>〔>>〔格助詞「に」は、「庭」が動作・作用の行われる場所であることを表わす。』という文は、<格助詞「に」=場所
:
アスナロパラダイムも厄介ですなア。(笑)
中学生だって違うことぐらい理解しますよ?
いいえ。事実、そう正しく理解するために日本語学習者の誤使用が発生している事実をどのように理解されるのでしょうか。自己満足ではどうしようもありません。
違うのであれば、正しく表現して下さい。日本語が理解できませんか?
2.
>>時間的・空間的な位置や範囲を【示す】
そこと【指定】し、連用修飾句を作るのに用いる。
語が「示し」たり、「指定」したりなどしないということは何度も指摘してきましたが、いまだ理解できていませんね。辞書類のこうした発想が誤りと何度も指摘しています。いまさら、何を繰り返しているのですか。
>>これら意義について、どれが適切かということをここで論議しても平行線をたどるだけです。
いいえ、誤りを正さないと当然ながら学習者の誤りが発生し、同様のパラダイムにより助詞「は」「が」理解が混迷することを事実によって提示していますが、どのように解釈されるのですか。
まず、事実を正しく理解し、その原因を極めることが重要です。
問題を理解する能力がないということですね。
我田引水の自己満足では何の進歩も、前進もありません。
>>意義と意味の両面から考える必要があることは、今さら言うまでもないことではありませんか?
などと、曖昧な逃げ口上を並べても何の解決にもなりません。
>>(hakobulu)
着点を表わすから。
この解釈の、どこに意義と意味の両面から考えた結果が反映しているのですか。単なる粗雑な思い込みに過ぎません。
3.
1 何かが存在したり行われたりする所。ある広がりをもった土地。(大辞泉)
『鶏を飼う所』と考えれば済む話。
本当に融通が利きませんねえ。(笑)
融通ではなく、都合の良い自己解釈でしょう。(笑)
No.26
- 回答日時:
#22です。
h⇒【助詞はそれ自体が ある事物(場所や所有者)や動作・状態を表さない。】
と、
【助詞はそれが ある事物(場所や所有者)や動作・状態を表さない。】
の文の意味するところに、どのような違いがあるか考えてみましょう。
つまり、「自体」という語は必須か否かということ。
おわかりになったら教えてください。
採点して差し上げます。
ア⇒誤解の無いよう「自体」という語をつけているもの
:
なるほど。
お答えいただきありがとうございます。
つまり、必須ではない、というお考えですね。
まず、【助詞はそれが ある事物(場所や所有者)や動作・状態を表さない。】という文において、「それ自体」と表現しなければ生じるような誤解は考えられないので、その点についの認識が不足しています。
#25でも申し上げた下記例についてよく検討なさってみてください。
「娑羅双樹の花の色、盛者必衰のことわりを表わす」
これは、
「娑羅双樹の花の色」それ自体がまさに「=盛者必衰のことわり」だということではありません。
そのことを、
【娑羅双樹の花の色はそれ自体が 「盛者必衰のことわり」を表さない。】
と表現するわけです。
しかし、
「娑羅双樹の花の色」それが「盛者必衰ということわり」というものを表わしているという意味なのであり、
このことを、
【娑羅双樹の花の色はそれが 「盛者必衰のことわり」を表わす。】
と表現するわけです。
素直な気持ちで読み返せば十分理解できる内容のはずです。
ここで云われているのは文の意味の解釈です。
その文を表現、生み出すために規範としての語の意義があり、話者の個別の認識が意義を媒介として表現されます。
格助詞「に」は、対象が場所であるか、人であるか、物であるかに関わりなく使用されています。この事実を理解できますか。
「で」「を」も同じです。
これが、【助詞はそれが ある事物(場所や所有者)や動作・状態を表さない。】という意味です。
つまり、話者が認識している格助詞「に」の意義は対象が場所や人や物であるか否かには関係していないということです。
したがって、
・格助詞「に」は、「庭」が動作・作用の行われる場所を表わす。
のではない、この表現は誤りだということです。
素直な気持ちで読み返せば十分理解できる内容のはずですが?
■
No.25
- 回答日時:
#21です。
1.
h⇒・格助詞「に」は、「庭」が動作・作用の行われる場所を表わす。
ア⇒不分明な日本語文ですね。
何回か繰り返しみるのも意味不明であることの理解につながる一法かもしれませんよ。
:
ごもっとも。
大変失礼しました。
・格助詞「に」は、「庭」が動作・作用の行われる場所であることを表わす。
のように修正させていただきます。
2.
>「動作・作用の行われる場所を表わす。」という日本語の文はどういう意味ですか?
:
この点に関しては#19で懇切丁寧に解説したはずですが、理解できなかったようですね。
肝のところなので、要約再掲しておきましょう。
ご自身でお示しになった広辞苑の下記語釈についてはどう思われますか?
「表わす」
②考え・意思・感情などをことばなどで表現する。
「娑羅双樹の花の色、盛者必衰のことわりを表わす」と、かの有名な平家物語まで例に挙げてくれているではありませんか。
これは、「娑羅双樹の花の色=盛者必衰のことわり」だという意味ではありません。
「娑羅双樹の花の色は、盛者必衰ということわりを表わす」という意味。
「赤色は情熱を表わす」という例文にしても、
「赤色=情熱」と言っているわけではないことぐらいおわかりになりますよね?
「赤色は、情熱というものを表わす」という意味。
この広辞苑の解説に沿って解釈するなら、
(例)庭に二羽鶏が居る。
・格助詞「に」は、「庭」が動作・作用の行われる場所であることを表わす。
ということになりますよね?
おわかりいただけましたか?
それとも、広辞苑が間違っているのですか?
アスナロウさんは、『格助詞「に」≠場所や所有者』とおっしゃってますが、そもそも、
「「に」は、場所を表わす」という表現は、『格助詞「に」=場所や所有者』という意味ではないのですよ。
>>「赤色は、情熱というものを表わす」という意味。
この広辞苑の解説に沿って解釈するなら、
(例)庭に二羽鶏が居る。
・格助詞「に」は、「庭」が動作・作用の行われる場所であることを表わす。
ということになりますよね?
なりません。
どうしてそうなるのですか?
ここで云われているのは、「赤(=色)≠情熱」で、そうであれば<「に」(助詞)≠場所」ということで、そもそも、<・格助詞「に」は、「庭」が動作・作用の行われる場所であることを表わす。>とはなりません。
>>それとも、広辞苑が間違っているのですか?
広辞苑も「ことばなどで表現する。」場合を記していますが、語が何を表わすかは述べておらず、その点が全く理解されていないのが問題です。
最初から、広辞苑のみならず辞書の表現は誤り、不十分だと指摘しています。
>>「に」は、場所を表わす」という表現は、『格助詞「に」=場所や所有者』という意味ではないのですよ。
であれば、どういう意味ですかと何度も質問していますが、結局<「に」は、~場所を表わす>という回答しかないのですが。そうでなければ、そうでない日本語で表現して下さいと何度もお願いしていますが単に同じことを繰り返されているだけです。
「に」=「?」の?を、また格助詞「で」「を」の?とは何かを問題にしているのですが。ここに、「場所」は入らないのは広辞苑を見ても明らかかと思いますが。
「助詞とは何を表わすものなのか。」について、全く応答がありませんね。
「場所」は客体的な事物である。
【助詞はそれ自体がある事物(場所や所有者)や動作・状態を表さない。】
と指摘しているのですが、この一連の事実、論理に誤りがあると考えられているのですか。
その点を明確にしなければならないと最初から指摘していますが?
■
No.24
- 回答日時:
#20です。
>いいえ。表現された文の解釈に当たってのシチュエーションについて述べていることは明白じゃありませんか。
:
#12お礼欄で、ご自身、
『シチュエーションに応じてというのは話者の認識を明確にする補助であって、語の意義の選択は話者自身によるもので、シチュエーションにより決まるのではありませんが、その辺は理解されていますか?』
と言ってますよね。
この文中の「シチュエーション」が『表現された【後の】文の解釈に当たってのシチュエーション』という意味であるのは明白だとおっしゃるわけですね。
本気でおっしゃっているなら、なかなか興味深い思考回路だと思います。
そうですね。
同じ、「シチュエーション」という語でも文により意味がことなり、安易に使用する用語としては不適切と考えていますが、今は論点がずれるので、この点は置いておきましょう。■
No.23
- 回答日時:
#19です。
1.
h⇒格助詞「に」は、「庭」が動作・作用の行われる場所を表わす。
ア⇒いよいよ、日本語が怪しくなってきましたね。
何を言っているのやら。理解不能。
:
なるほど。
大変失礼しました。
・格助詞「に」は、「庭」が動作・作用の行われる場所であることを表わす。
と修正しておきましょう。
これなら理解できるでしょう。
2.
h⇒【動作・作用の対象としての場所】について言いたければ、
(例)今度、庭を造ることにした。
のように、格助詞「を」を使う。
ア⇒「庭=場所」と言っていますよね。
★今度、玩具を造ることにした。
この「を」が場所を表わし、【動作・作用の対象としての場所】ですか?
こういうことです。
おわかりいただけましたか?
:
千差万別の文における「に」の用法としては、ちょっと大辞泉を見るだけでも以下のようなものがある。
a.三時に間に合わせる。(動作・作用の行われる時を表す)
b.水泡に帰する。(動作・作用・変化の結果を表す)
c.迎えに行く。(動作・作用の目的を表す)
d.人によくかみつく犬。(動作・作用の行われる対象・相手を表す)
e.あまりのうれしさに泣き出す。(動作・作用の原因・理由・きっかけとなるものを示す)
f.紙上に発表する。(動作・作用の行われる場所を表す)
これは理解できますね?
今は、この中のひとつである、(動作・作用の行われる場所を表す)という用法について、
(例)庭に二羽鶏が居る。
という例を挙げて下記のように述べているわけ。
※【(庭が)動作・作用の行われる場所】だから「に」を使う。
【(庭が)動作・作用の対象としての場所】であると言いたい場合は、
(例)今度、庭を造ることにした。
のように、格助詞「を」を使う。※
「庭=場所」であるからといって使われる助詞がひとつというわけじゃない、ということ。
・動作の行われる場所なのか、
・動作の対象としての場所なのか、
によって助詞は使い分けられる、という点が重要なわけ。
つまり、
「庭=場所」だから「に」によって場所であることを表わす必要があるのか?
という、あなたの疑問に対して、丁寧に解説して差し上げている部分です。
鶏が居ると言う場合、庭は、
・動作の対象としての場所
ではなく
・動作の行われる場所
でしょ?
この点を理解しなくちゃ論議する意味がないですよね?
よくお読みになって少しは進歩しましょう。
★今度、玩具を造ることにした。
この「を」は、「造る」という【動作・作用の対象としての物】が「玩具」であることを表わす格助詞。
★玩具に乗ってはいけません。
この「に」は、「乗る」という【動作・作用の行われる場所】が「玩具」であることを表わす格助詞。
3.
>★鶏舎に二羽鶏が居る。
の「鶏舎」
けい‐しゃ【鶏舎】
鶏を飼う小屋。とりごや。
【広辞苑】
は場所ですか?
:
そのとおりです。
『「居る」という動作の行われる場所』
です。
4.
h⇒『「私に」「庭に」という形で使われる時、(その時点で、すでに)所有の意識が生まれています』
と言い換えれば理解していただけますか?
ア⇒いいえ。「すでに」と使われた結果を論じていますよね。理解不能です。
:
「すでに」とは、「私に」「庭に」という形で使わた段階ですでに、という意味。
つまり、所有の意識が先にあるわけ。
これが理解できないようでは終わってますね。
5.
h⇒>>・雪が降るとき冬が訪れます。
などもわかりやすいでしょう。
雪が降るから冬が訪れる、と言っているわけではなく、
雪が降るとき、(その時点で、すでに)冬が訪れている。
ア⇒これが決定的に hakobuluサンの認識の誤りを露呈しています。
これは、話者の認識ではなく、対象のあり方を言っているのが分かりますか。
当方が指摘しているのは、表現対象、客体のあり方ではなく話者の認識、表現自体を問題にしています(助詞なので当然ですが)が、これを客体の問題に摩り替えていますよね。
:
何を言っているのか。(笑)
『対象のあり方』に対する『話者の認識』に決まってるじゃん。
どんなことであれ、なんらかの認識があるからこそ発言するわけですよ。
言った内容とは何の関係もない。
基本的なことからやり直すべきですね。
1.
>>・格助詞「に」は、「庭」が動作・作用の行われる場所であることを表わす。
結局、<格助詞「に」=場所>に回帰ですか。
どうしようもありませんね。
2.
>>【(庭が)動作・作用の行われる場所】だから「に」を使う。
<【場所】だから「に」を使う>のではないでしょうと最初から指摘しているのですが。
★鶏舎【に】二羽鶏が居る。
★水泡【に】帰する。
と鶏舎、水泡という場所ではないものを表わすのに何故「に」を使用するのかを明らかにしなければ「に」の意義を明らかにしたことにはならないと言っているのですが。
当然、同じ理由で、場所である「庭」の場合にも「に」を使用しているのは明らかですよね。
この点を理解しなくちゃ論議する意味がないですよね?
よくお読みになって少しは進歩しましょう。
3.
>>けい‐しゃ【鶏舎】
鶏を飼う小屋。とりごや。
【広辞苑】
で、小屋ですよ。
4.
>>「すでに」とは、「私に」「庭に」という形で使わた段階で
問題は、使われる前です。何故、「に」が使われたのかです。
所有・所属を表わすのは、格助詞「に」、動詞「持つ」などです。
それくらいのことも分からないのですか。
これが理解できないようでは終わってますね。
5.
>>何を言っているのか。(笑)
『対象のあり方』に対する『話者の認識』に決まってるじゃん。
【雪が降るとき、(その時点で、すでに)冬が訪れている。】
これが、『話者の認識』ですか、表現された対象のあり方です。
>>なんらかの認識があるからこそ発言するわけですよ。
その発言の結果を論じているに過ぎませんよね。
この点が理解できないのが根本的な誤り、限界です。
基本的なことからやり直すべきですね。■
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言い忘れましたが、
>>非常に簡単なこの点において、なぜ食い違いが生じるのか
は、ソシュール言語学の根底にある物自体の認識を不可とする不可知論というカント哲学の発想の呪縛にあります。
スマホを使用し、原爆、人工衛星が実用化された現代人がこのようなパラダイムに呪縛されているのは奇妙なことですが、それを超える論理へと止揚されなければ、天動説を超えられないのと同じ事態です。
>>文の解釈に、いったいどのような深刻な差異が生じるとおっしゃるのか?
表現された結果としての文の解釈ではなく、話者の認識を文に表現しようとする時に、どのような深刻な差異が生じるかは、先に提示した「岡田 美穂,奥田 俊博」による論考が明らかにしています。
そして、
・hakobulu=「に」は、着点を表わす。
と表現するのが妥当と考えているところ。
などという理解では、何の役にも立ちません。■
日本語学習者用の本を見ると、ご丁寧に、格助詞「に」の説明として「到達点」と絵を書き、矢印で示しているものがあります。
これでは、誤解しろと言っているとしか見えませんね。
こうした現在の日本語教育文法の限界は、
白 川 博 之
「日本語研究から日本語教育研究への越境」
https://www.jstage.jst.go.jp/article/nihongonoke …
で、
かつて日本語教育からのニーズを背景に進展した日本語文法の記述的研究も、【今世紀に入る頃から目的を失い閉塞状態が続いている】という指摘がある。しかし、実際には、日本語学習者・教授者に供されうる文法記述にはまだ不足していることがたくさん残っている。/
と、問題認識されてはいますが、「ソシュールパラダイム」を克服することなしに解決は得られないということです。■
なお、ここに述べられた格助詞「に」「を」の粗雑な誤った理解による教育が学習者を混乱させていることが、上記の「岡田 美穂,奥田 俊博」による論考他で指摘されていますので、拳拳服膺願います。■
>>「場所・範囲を指定する」
と解釈することによって、どのような問題が発生するのか?
ということです。
論点をずらさす簡潔にお答えいただけると有難いですね。
このような誤った言語実体観の発想が、助詞「は」「が」構文の理解を如何に歪めるかという重大な問題の事例を「カキ料理構文」の解釈について指摘しました。
「カキ料理構文」に見る「ハ」「ガ」論の混迷
https://mixi.jp/view_bbs.pl?comm_id=2748&id=9262 …
日本語教育における問題点は質問の中にて指摘の通りです。
これらに対し無視、回避、論点をずらすことなく、お考えを伺えれば幸いです。
簡潔でないのは、事柄の性質上避けがたいのは已むを得ませんが。■
>>都合の良い例を挙げましたね。
:
ま、気持ちはわかりますが。(笑)
などと逃げ回っているのはどこのどなたでしょうか。
未だに、「私的には仮命題としての表現だが)と断っている」などという体たらくではどうしようもないのが理解できませんか?
改心して、早めに牽強付会を脱しましょう。(笑)
というより、言語とは何かを正しく理解し、論理的、科学的な文法理解を深めましょう。
その一助として応答しているのですが。■
なお、認知言語学の助詞論に対する批判は、
認知言語学の欠陥を露呈する助詞論
https://www.amazon.co.jp/gp/customer-reviews/RYI …
を参照下さい。
所詮、この程度の代物です。■
なお、
野田尚史
<文の構造と機能からみた日本語の主題>
https://tsukuba.repo.nii.ac.jp/?action=pages_vie …
を参照下さい。
ここに、氏の機能主義的な発想が良く示されており、今日までそのパラダイムは変化していません。
これは、生成文法、寺村秀夫の発想を引き継ぐものです。
生成文法批判は、
http://okrchicagob.moto-chika.com/DME/work/GJBHG …
を参照下さい。■
【学研国語大辞典】
のどこが、「言い得て妙」ですか。
「時間・空間・心理上ノ静止点)をそこと指定」とは、
【助詞はそれ自体が ある事物(場所や所有者)や動作・状態を表す。】
とし、さらに語が「指定する」という二重の錯誤を示しています。
<「に=場所」だなんてことは、大辞林をはじめ、誰一人として言っていない>というのであれば、具体的に示してもらいたいものです。
あなたの曲解を示されてもどうしようもありません。
>>この~「(星が)またたく」ところの空間的な『位置であると認識していることを示している。
まあ、この解釈自体は正しいのですが、<「に」は、動作の【着点】を表わします。>などと未だに回答しているようでは、単なる口先だけの云い逃れということです。
★「空に星がまたたく」
の「に」が<動作の【着点】>ですか?(笑)
まずは、トマス・クーン『科学革命の構造』を読みましょう。■
7.
>>さあ、答えてもらいましょう。(笑)
「了解しました。」じゃないのですか?
ある程度の読解力が必要ですからね。
>>あなたがおっしゃっていることも間違いだということになりませんか?
なりません。
「空間的な位置として【認識し表している】。」⇒これが目に入らぬか!たわけもの!
助さん:御老公!いや少し、押さえて、押さえて!
御老公:う~ん。頭に血が昇るわ! ここは茅ヶ崎じゃったか? ハッハッハ!
チャンチャン! お粗末の一幕!
<「に」は、動作の【着点】を表わします。>などと未だに回答しているようでは、単なる口先だけの云い逃れということです。
★「空に星がまたたく」
の「に」が<動作の【着点】>ですか?(笑)
ある程度の読解力が必要ですからね。■
この、近藤泰弘は日本語記述文法を提唱していますが、これがどの程度のものかについては、
「羊頭狗肉のコンピューター検索事例集」
https://www.amazon.co.jp/gp/customer-reviews/R3O …
を参照下さい。
また、格助詞「を」の意義が何かは、三浦つとむ『日本語はどういう言語か』の200~201pで詳しく論じられています。これを【じっくり】読み、【深く】理解し、比較して下さい。
目から鱗が落ちると思いますが、さてどうでしょか?■