![](http://oshiete.xgoo.jp/images/v2/pc/qa/question_title.png?e8efa67)
https://oshiete.goo.ne.jp/qa/11442193.html
の続きです。
問題点がNo.30 の回答に集約されているので、これを取り上げます。
>>私も所有(持ち主)という意識は必要だと思います。「に」という助詞にそういう意味がある訳でなく、「私に」「庭に」という形で使われる時、所有の意識が生まれます
これは、因果が逆転した捉え方で、<「私に」「庭に」という形で使われる時、所有の意識が生まれます>というのは、受け手の側の解釈の問題で、話者が何ゆえに格助詞「に」を使用したのかを明らかにするものではなく、単なる結果論に過ぎません。
<「私に」「庭に」の形になって、持ち主だったり、場所だったりするわけです。>も同様で、何故話者が<「私に」「庭に」の形>に表現したのかが明かにされなければ意味を為しません。
これでは、何故「に」が使用され「で」が使用されなかったのかを明らかにすることはできません。実際、こういう誤った教育、指導を受けた人々がどのような誤りを犯すかは、次の論考が問題にしていますが、残念ながら同じ発想に立つため問題解決に至っていないのが現状です。
岡田 美穂,奥田 俊博
<場所を表す名詞に下接する格助詞「に」「で」「を」について-日本語教育の観点に基づく先行研究の整理と課題->
https://kyukyo.repo.nii.ac.jp/?action=pages_view …
飽きもせずに、「で」は到達点を表わすなどとピント外れの回答をされているかたもありますが、助詞が客体の認識を表わすものではないことが理解できない根本的な誤りです。
当然、助詞「は」と「が」の相違の解明など望むべくもありません。
このような発想が、言語実体観、言語道具観と言われるもので、対象→認識→表現の過程ではなく、表現→解釈→対象という受け手(聞き手)の側の結果を恣意的に解釈しているに過ぎません。
その結果、
>>「私に」に続くのは「ある」「いる」「できる」「分かる」「言える」(可能動詞)などは、一般に言われる「状態動詞」(それに類似した「状態を表す表現」に限ります。)であり、「動作動詞」ではありません。/
などと事実誤認に導かれます。
★私に行かせて下さい。
★私に呑めというのか。
★私に食べる時間を下さい。
など、<「私に」に続くのは「ある」「いる」「できる」「分かる」「言える」>だけではありません。これらの「に」が場所や所有とは何の関係もないことは自明です。
>>「私は」という、私を主題化したものは何にでつながりますから
「私は」の「は」には特殊性の認識を表わす副助詞と普遍性の認識を表わす係助詞があり、主題化云々という場合は係助詞の場合です。もっとも、主題とは何かの概念規定はなく、単に、「は」は主題、「が」は主語という同義反復、言い替えに過ぎませんが。
係助詞の場合は、
★庭は広い。
★庭は静かだ。
などの一般的な属性が続きます。特殊性の副助詞の場合は、
★玄関は広いが、庭は狭い。
★居間には猫を飼っており、庭には二羽の鶏を飼っている。
★家は立派だが、庭は質素だ。
★居間は三羽のインコ、庭は二羽の鶏が飼われている。
のようになります。
「には」「では」の「は」は特殊性の認識を表わし、主題云々とは関係ありません。
最初の質問で、
5)庭は二羽鶏がいる
5)だとほとんど×ではないかと。
というのは、単に機械的、形式的に「には」の「に」を削除し、「は」が係助詞なのか、副助詞なのかが不分明に使用されているためで、問題提起の発想自体に誤りがあります。
「ある」と「いる」の使い分けについては先に何度も説明した通りです。
このように、最初の質問にある「には」は格助詞「に」+副助詞「は」で、
1)庭には二羽鶏がいる。
2)私には弟がいる。
は全く同じ意義の「には」です。
こうした、言語表現とは何かという本質を理解できない人々が、非科学的、恣意的なSF文法を弄び、辞書の解釈を縦にしたり、横にしたりすれば何かが分かるのではないかと呉越同舟の同床異夢で慰め合っても何の解明、進歩もないことを先ず自覚、反省すべきではないでしょうか。■
A 回答 (102件中21~30件)
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No.82
- 回答日時:
#80です。
1.
hakobulu⇒「着点」という意義は、それ以下の諸々の意味の本質を包括的に表わしている語である、というにすぎない。
アスナロウ⇒「それ以下の諸々の意味の本質を包括的に表わしている語」というのは「意義」ではなく意味です。
この点が本質的に誤っています。
:
この程度の一文すら読解できないのですか?????
「着点」という意義は、それ以下の諸々の【意味】の本質を包括的に表わしている語である、というにすぎない。
という文。
『それ以下の』の書いてあるのだから、
諸々の意味の本質=諸々の「意味」とされる語の本質
という意味に決まってるでしょう。
2.
>辞書は「に」の意義を表わすもので、「「それ以下の諸々」はありません。
:
意義というものは基本的に抽象的なものであり、個別の文の読解に、即対応できるとは限らない。
意義を解きほぐした『意味』を掲載したって構わない。
一部の辞書では意義も書いてありますよね?
意味だけではだめだと言うならまだ理解できるし、大いに同意もするが、あなたの場合は、意味が間違っている、という妄想を展開するから誰からも見向きもされないわけです。
3.
>格助詞「に」がこんな多くの意義を持つと考えているのですか。これが最初から指摘していることです。
:
頭、腐ってますか?(笑)
それらは意義じゃなく、意味だっつってんだろうが。(笑)
4.
>先の菅井三実の論考と合わせれば現在の日本語文法論が助詞をどのように扱いかねているかが分かります。
:
扱いかねているからといって、辞書に責任はないでしょうが。
それは扱いかねている人の能力が不足しているにすぎないわけ。
我々素人としては、辞書の意味複数個から意義を抽象するのも、一興であると考えれば済む話だ。
仮に意義を的確に表現している論文があれば、それはむろん大いに参考にするが、しかし、だからといって辞書掲載の意味そのものが誤っているわけではないのに、そこを誤りだとケチをつけるから、最初からまったくボタンを掛け違えているわけですよ、アスナロウさんの場合は。
繰り返すが、意味だけではだめで意義を提示すべきという点に関して反論したことは一度もないぜ?
分からん人ですな~!
しつこく、ピント外れの応答をありがとうございます。
1.
>>諸々の意味の本質=諸々の「意味」とされる語の本質
という意味に決まってるでしょう。
<諸々の「意味」とされる語の本質>?
プッツンしそうです。(もうしていますが(@_@;))
もう一度自分の書いた文を読み直し、何を言っているのか理解できますか。
まず、最初から議論しているのは単語である助詞「に」の意義です。この語を媒介として表現された文での意味ではありません。毎度指摘しているように、この意義と意味の相違と関連が理解できずに混乱した理解を示されているということです。
2.
>>意義を解きほぐした『意味』を掲載したって構わない。
ここに本質的な誤りが露呈しています。意義を解きほぐすと意味になるのではありません。
意味から規範としての意義を抽象しなければならないということです。
例としての意味を挙げ、それを具体的に解説するのは良いのですが、ここに示された意義が意味に変化するという発想で書かれているのが誤りということです。これがソシュールパラダイムです。
最初からまったくボタンを掛け違えているわけですよ、hakobuluさんの場合は。
3.
頭、腐ってますか?(笑)
最初から、意義の話しをしていますが。
4.
>>我々素人としては、辞書の意味複数個から意義を抽象するのも、一興であると考えれば済む話だ。
しぶよくできれば結構ですが、この体たらくでは如何ともしがたいのが良く分かると思いますが?
>>扱いかねているからといって、辞書に責任はないでしょうが。
辞書に正しい理解が記載されていないために問題にしているが、扱いかねて結論が出せないというのが現状です。
hakobuluさんの場合は、まずこの現状、事実が正しく理解できていないということです。
それが、これまで幾つか取り上げた現在の学会論文が示している事実です。
二人だけの思い込みによる議論という事態、愚を避けるために、具体的、客観的な事実を示したものです。
>>意味だけではだめで意義を提示すべきという点に関して反論したことは一度もないぜ?
だから、その提示された【意義らしきもの】が的外れ、不十分、誤りだと最初から指摘しており、現在の日本語学会もそれを論じているということです。
少しは理解できますか。■
No.81
- 回答日時:
#79です。
>分からん人ですな~!
指で何かを指し示したり、差し棒で対象を示すことはできます。
しかし、音声やインクの跡やPC画面上のドットの集合が何を示したり、指したりできるのですが?
具体的に、どういうことなのか教えて下さい。
:
きめ細かい論証に入ってきていますので、質問には正確にお答えください。
あなたの言わんとするところを正確に把握するためです。
詳しいことはお答えをいただいてから述べます。
【質問】
「表わしている」なら正しくて「示している」だから間違いだ、ということになってしまうのですが、そういうことですか?
>>きめ細かい論証に入ってきています
勝手に思い込んでいるだけです。
No.80のお礼で述べた内容が理解できないかぎり、「あなたの言わんとするところを正確に把握」などできません。
このため、ここまで堂々巡りになっています。
まず、現在の日本語文法学が何を問題にしており、それが何故解決しないのかを理解しなければなりません。
それが当方が指摘しているソシュールパラダイムの呪縛です。
これを抜け出ることは容易ではありませんが、『日本語はどういう言語かを』きちんと理解すれば分かります。
これを解読もできないで、あれこれ言っても無駄です。
勿論、誤りがあると指摘されるのであれば、その点を明確にすることは意義がありますので歓迎します。■
No.80
- 回答日時:
#78です。
>当方が詰問しているのは、
[着【点】]と[方向][到達点] [密着点] [収斂先][存在点] [伝達先] [要素][結果] [経験者] [起点][動作者][原因] [時間]は【それ自体が ある事物(場所や所有者)】であるという点で何が異なりますかということです。
どこが、意義で、どこが意味なのですか。
「それ」は、[着【点】]~[時間]です。
:
別に異なりませんが?
「着点」という意義は、それ以下の諸々の意味の本質を包括的に表わしている語である、というにすぎない。
意義と意味の区別ぐらいつけてください。
>【助詞はそれ自体が ある事物(場所や所有者)や動作・状態を表さない。】
この「に」が助詞であることは理解できますよね?
そして、「それ」は「助詞」ですよ。
であれば、<「に=ある事物(場所や所有者)」じゃないのは当たり前のこと>にはなりませんよということです。
漸く、問題点がクリアーになりましたね。
まだ妄想から抜けておられませんね。
:
こういった論理的な思考もできるじゃないですか。(笑)
その調子で頼みますよ。
若干の進歩が見られるようでけっこうなことです
とはいえですが、下記2つの命題の違いについてはすでに、何度もご教授申し上げたはずですが?
いまだ理解しきれておられないようで。
やっと追いついたからといって、『漸く、問題点がクリアーになりましたね』などと恩に着せるのはご勘弁。(笑)
この問題点は、私がすでに何度もクリアーにした上で解説していますよ?
何を読んでたんですか???
(ア)【助詞はそれ自体が ある事物(場所や所有者)や動作・状態を表さない。】
これは、
「に」≠ある事物(場所や所有者)や動作・状態
と言っているのであり、それは当たり前のこと。
しかし、
(イ)【助詞はそれが ある事物(場所や所有者)や動作・状態を表さない。】
つまり、
「に」はある事物(場所や所有者)や動作・状態を表わさない。
と言っているわけではない。
ということ。
そもそもですが、
(ア)【助詞はそれ自体が ある事物(場所や所有者)や動作・状態を表さない。】
は誰が言ったことなわけ
つまり文責は?
>>「着点」という意義は、それ以下の諸々の意味の本質を包括的に表わしている語である、というにすぎない。
「それ以下の諸々の意味の本質を包括的に表わしている語」というのは「意義」ではなく意味です。
この点が本質的に誤っています。
辞書は「に」の意義を表わすもので、「「それ以下の諸々」はありません。そして、[方向][到達点] [密着点] [収斂先][存在点] [伝達先] [要素][結果] [経験者] [起点][動作者][原因] [時間]も同じく意味です。
格助詞「に」がこんな多くの意義を持つと考えているのですか。これが最初から指摘していることです。
まだ全く妄想から抜けておられませんね。
この点を明確にするため、下記論文を参照下さい。
<日本語の格助詞表現の意味解釈について >
http://www.urayasu.meikai.ac.jp/japanese/meikain …
ここで云われている、語彙的意味が云われている意味で、正しく意義を捉えることができずに四苦八苦し結論を先送りしています。
>>『漸く、問題点がクリアーになりましたね』などと恩に着せるのはご勘弁。(笑)
ご勘弁願いたいのはこちらです。
上記内容が理解出来ない限り、進歩がありません。
先の菅井三実の論考と合わせれば現在の日本語文法論が助詞をどのように扱いかねているかが分かります。
これが理解できるまで良く解読して下さい。
これを理解することなく、中学文法(橋本文法)の粗雑な理解を振り廻しても何の意味もありません。■
No.79
- 回答日時:
#78からの続き。
4.
>話者の認識、つまり主観を客体化することなく直接に表していると最初から言っていますが全く理解できていませんね。
:
「認識を表わしている」わけですね。
なるほど。
(ア)格助詞「に」は、話者が場所「庭」を「(鶏が)いる」空間的な位置として認識し表している。(アスナロウ)》
ではなく、
(ア-1)格助詞「に」は、話者が場所「庭」を「(鶏が)いる」空間的な位置であるという認識を表している。(アスナロウ)》
ということですな。
そうすると、
(ア-1)格助詞「に」は、話者が場所「庭」を「(鶏が)いる」空間的な位置であるという認識を表している。(アスナロウ)》
は正しいが、
(イ)格助詞「に」は、話者が場所「庭」が、「(鶏が)いる」の空間的な位置であると認識していることを示している。(大辞林)
は間違っている、とおっしゃっていることになるわけだ。
論点をより明確にしていただいたところで、改めてお尋ねします。
【空間的な位置であるという認識を表している】
と
【空間的な位置であると認識していることを示している】
とでは、、ソシュールパラダイムに関わる重大な差異があるとおっしゃっていることになるわけだ。
端的に言うなら、
「表わしている」なら正しくて「示している」だから間違いだ、ということになってしまうのですが、そういうことですか?
その違いを論理的、かつ具体的に論じつつ、【庭には二羽鶏がいる】という日本語の文を解説してください。
>>その違いを論理的、かつ具体的に論じつつ、【庭には二羽鶏がいる】という日本語の文を解説してください。
分からん人ですな~!
指で何かを指し示したり、差し棒で対象を示すことはできます。
しかし、音声やインクの跡やPC画面上のドットの集合が何を示したり、指したりできるのですが?
具体的に、どういうことなのか教えて下さい。
この点も基本的な認識の相違と、問題がクリアーになりましたね。
言語は話者の認識の表現です。
異なるというのであれば、何なのかを具体的に提示して下さい。■
No.78
- 回答日時:
#78です。
1.
>異なるというのであれば、何が異なるのか具体的な根拠を挙げて下さい。
:
???(笑)
意義と意味の違いに決まってますがな。
何を今さら。
辞書で確認しましょう。
2.
>阿保らしくて、相手にできない、したくないということです。
気持ちが理解できませんか。
:
これはしたり。(笑)
散々、オウム返しを頻発しては楽しんでおられたではありませんか。(笑)
論破されそうになって、慌てて逃げだした、というのが実態では?
見る人が見れば一目瞭然。
好き放題、言っておきながら、そういうことでは品位に欠けますなア。(笑)
3.
>>『[起点]および[動作者]』
これは、【それ自体が ある事物(場所や所有者)】であり、助詞の意義ではないと言っていまが理解できていませんね。
:
「それ」とは「に」ですか?
まだ妄想から抜けておられませんね。
あの論文のどこに【「に」自体が ある事物(場所や所有者)だ。】と書いてあるのですか?
具体的な箇所を示してください。
できるものなら。(笑)
【「に」は ある事物(場所や所有者)を表わす。】だけであり、「に=ある事物(場所や所有者)」じゃないのは当たり前のこと。
もうひとつ大事な内容があるので欄を変えます。
1.
>>意義と意味の違いに決まってますがな。
何を今さら。
辞書で確認しましょう。
分からん人ですな~!
この返答に、当方の質問の意味が如何に理解できていないかが露出しています。
当方が詰問しているのは、
[着【点】]と[方向][到達点] [密着点] [収斂先][存在点] [伝達先] [要素][結果] [経験者] [起点][動作者][原因] [時間]は【それ自体が ある事物(場所や所有者)】であるという点で何が異なりますかということです。
どこが、意義で、どこが意味なのですか。
「それ」は、[着【点】]~[時間]です。
ここに貴理解の限界があるということです。
当方の見解は、
<格助詞「に」の意義とは何か-機能主義言語論の混迷>
https://mixi.jp/view_bbs.pl?comm_id=2748&id=9186 …
<モノの存在場所を表わす「で」?>
https://mixi.jp/view_bbs.pl?comm_id=398881&id=92 …
に纏めてあるので、熟読して下さい、これくらいに、貴見解を展開していただければ具体的に意見がいえるのですが?
2.
>>好き放題、言っておきながら、そういうことでは品位に欠けますなア。(笑)
ま、売り言葉に買い言葉ということです。
3.
>>【「に」自体が ある事物(場所や所有者)だ。】と書いてあるのですか?
だから、最初に
[方向][到達点] [密着点] [収斂先][存在点] [伝達先] [要素][結果] [経験者] [起点][動作者][原因]
と書いてあるでしょう。見えませんか?
読めませんか?
>>【「に」は ある事物(場所や所有者)を表わす。】だけであり、「に=ある事物(場所や所有者)」じゃないのは当たり前のこと。
【助詞はそれ自体が ある事物(場所や所有者)や動作・状態を表さない。】
この「に」が助詞であることは理解できますよね?
そして、「それ」は「助詞」ですよ。
であれば、<「に=ある事物(場所や所有者)」じゃないのは当たり前のこと>にはなりませんよということです。
漸く、問題点がクリアーになりましたね。
まだ妄想から抜けておられませんね。
■
No.77
- 回答日時:
#76です。
1.
>最初から提示しているように、
格助詞「に」は、対象の空間的・時間的な位置付けの認識を表わすということです。
[着点][方向][到達点] [密着点] [収斂先][存在点] [伝達先] [要素][結果] [経験者] [起点][動作者][原因] [時間]
これが、『統一的分析』ですか?
呵々大笑!
:
何も理解できていませんな。(笑)
憐れなものです。
意義としての『統一的分析』は[着点]。
他は意味であると最初から提示しているが。
鶏の頭並みの記憶力ですな。(笑)
2.
>>【認識し表している】と【認識していることを示している】の違いを論理的、かつ具体的に論じつつ、【庭には二羽鶏がいる】という日本語の文を解説してください。
語は示すものではないので、説明のしようがありません。
:
示すものではなく、表わすものだ、ということですね。
ところで「表わす」は他動詞のはずですが、
『何を』表わしているのですか?
3.
>自らの論理破綻が露呈してしまったので、河岸を変えて論点をすり替えようという魂胆が丸見えですよ?
:
河岸を変えるとは場所を変えるということ。
どこに変えているのですか?
4.
>
★彼にピアスを貰いました。
★空に星がまたたく。
これが、「着点」ですか。
自分の言ったことの説明もできないでしょ!
:
識者の論文も引き合いに出しつつ、何度も私見を解説したはずですが?
御託を並べる前に他人の説を素直に検討しなくては進歩というものがありませんよ。
復習したければ#62を読み返してみるとよろしいでしょう。
以下に再掲してさしあげます。
ただ、何度読んでも理解できないからといって八つ当たりするのは止めましょう。(笑)
あなたに理解する能力がないだけ。
腑に落ちなければ、私のように具体的に論点を挙げつつ質問すれば良いのですよ。
おわかりかな?
(復習開始)======================
(#62)
>菅井三実
<格助詞「に」の統一的分析に向けた認知言語学的アプローチ>
https://www.jpf.go.jp/j/project/japanese/archive …
が明かにしているように、「特に周辺的な現象として扱われて来た[起点]および[動作者]の用法について統一的な説明を与えることにある。」と四苦八苦している事実をどのように理解されるのでしょうか?
:
◆
まず、115ページの下記箇所を確認してください。
※さて,上述のように,(1)の例は空間次元で用いられるニ格であるが,(1a)~(1e)は,何ら意味的な統一性がないように見えるかもしれないが,変化主体(自動詞の主格 NP または他動詞の対格 NP)が――程度差をもって――与格 NP に近づいて行くという点で 1 つの軸の上に並べることが可能である.この分析に援用すべき概念として,山梨(1994)が空間のニ格について提案した《近接性》《到達性》《密着性》《収斂性》という 4 つの認知的制約がある※
ここにある、
【変化主体(自動詞の主格 NP または他動詞の対格 NP)が――程度差をもって――与格 NP に近づいて行く】
という概念こそが『着点』であることは容易にご理解いただけるのではないか、とまず指摘させていただきます。
具体的には、
【《近接性》《到達性》《密着性》《収斂性》】といった認識に関連している、という引用も為されていますが、これらもすべて着点という概念に該当するわけです。
これら4要素は「一体化」という概念で統一されている、といった記述も、そのことを裏付けているでしょう。
しかし、『[起点]および[動作者]』の用法に関しては、これら(=与格 NP に近づいて行く、という概念)に含まれるとするに妥当な解説を施すことが難しい、とも言っている。
その点において『四苦八苦している』わけです。
ただ、私に言わせてみれば、これは極めて簡単な理屈なのであって、着点に含まれると考えるほうがむしろ自然です。
この点、以前からアスナロウさんには申し上げてきたわけですが、こうした論文執筆者が『四苦八苦している』ような事柄について、アスナロウさんが理解できないとしても止むを得ないでしょう。
しかし、素直に私の解説を読んでいただければおわかりになるはず。
《近接性》→《到達性》→《密着性》→《収斂性》
の順で一体化の程度が強まるといった記述なども、非常に興味深いですが、後にゆっくり読ませていただくとして、今は取り急ぎ、論文内容に沿って若干解説してみましょう。
最初に申し上げておきたいのは、
『[起点]および[動作者]』の用法に関しては、これら(=与格 NP に近づいて行く、という概念)に含まれるとするに妥当な解説を施すことが難しい』からといって、『(格助詞「に」が)与格 NP に近づいて行く、という概念』自体が間違っているわけではないという点にご留意ください。
『四苦八苦している』からといって、四苦八苦させているところの概念自体が誤っていると批判するのは、まったく論理を無視したいちゃもんに過ぎないという自覚を持つことからスタートしよう、ということ。
味噌汁がまずかったら、味噌の品質より作った人の技量を疑うのが筋だというわけです。
◆
さて、どのように『四苦八苦している』のかについての記述は、122ページから始まる。
※[起点]のニ格は,対義関係にあるカラ格と交替する点で特異と言える.
まず,広義の[起点]標示について,与格と奪格の交替は次のようなペアで例示される.
(16)
a .花子が先輩に携帯電話を借りた.
b .花子が先輩から携帯電話を借りた.※
と冒頭述べていますね。
ただ、これを起点とする概念の決定的な誤りは、携帯電話の移動を念頭において概念である、という点です。
そうではなく「借りた」という動作について分析しなければならない。
なぜなら格助詞「に」は、「(物ではなく)動作の着点」を表わすからです。
a .花子が先輩に携帯電話を借りた.
という文は、
『借りるという動作はどこから始まったのか、と探っていけば、それは先輩に辿り着く』という意図の表現なのです。
「借りた相手は誰?」という問いに対して、たとえば先輩を指さしながら「先輩です」のように言いたい無意識が存在している。
指さすベクトルは先輩に向かっていき先輩に辿り着く、という認識なわけであり、それゆえ先輩は着点として位置付けられるわけです。
b .花子が先輩から携帯電話を借りた.
が格助詞「を」によって、借りるという動作の対象が携帯電話であることを表わす意図であるのとの決定的な違いがここにある。
◆
ニ格とカラ格が対義的な概念として用いられることを考えると,両者が交替するのは奇妙なようにも思われるが,この現象に関しては,良く知られているように,すでに池上(1981:121―170)などによって,場所理論の立場から《起点〈着点》の非対称性として論じられ,[起点]の与格は[着点]が一方向的に転用されたものと分析されている.
※
(復習終わり)======================
以上ですが、疑問点があれば【具体的箇所を示した上で】質問すること。
しつこく、オーム返しの応答を恐れい入ります。
何も理解できていませんな。(笑)
憐れなものです。
1.
>>意義としての『統一的分析』は[着点]。
[着【点】]は、【それ自体が ある事物(場所や所有者)】であり、その意味で、
[方向][到達点] [密着点] [収斂先][存在点] [伝達先] [要素][結果] [経験者] [起点][動作者][原因] [時間]
と同じです。異なるというのであれば、何が異なるのか具体的な根拠を挙げて下さい。
【助詞はそれ自体が ある事物(場所や所有者)や動作・状態を表さない。】
と言っているのが全く理解できていませんね。
鶏の頭以下の理解力ですな。(笑)
2.
>>ところで「表わす」は他動詞のはずですが、
『何を』表わしているのですか?
話者の認識、つまり主観を客体化することなく直接に表していると最初から言っていますが全く理解できていませんね。
鶏の頭以下の理解力ですな。(笑)
3.
>>自らの論理破綻が露呈してしまったので、河岸を変えて論点をすり替えようという魂胆が丸見えですよ?
阿保らしくて、相手にできない、したくないということです。
気持ちが理解できませんか。
4.
>>『[起点]および[動作者]』
これは、【それ自体が ある事物(場所や所有者)】であり、助詞の意義ではないと言っていまが理解できていませんね。1.の指摘を再三再五深く思考して下さい。これらは、助詞の意義ではなく、意味で、だから意味とは何かが理解できていないといいましたよね。
『日本語はどういう言語か』の44pを理解できるまで読み直して下さい。
ただ、何度読んでも理解できないからといって八つ当たりするのは止めましょう。(笑)
あなたに理解する能力がないだけ。
腑に落ちなければ、私のように具体的論点を挙げて質問すれば良いのですよ。
>>「(物ではなく)動作の着点」を表わすからです。
物であろうと、着点であろうと、1.で指摘したように、
【それ自体が ある事物(場所や所有者)】であり、
【助詞はそれ自体が ある事物(場所や所有者)や動作・状態を表さない。】
のです。おわかりかな?
この肝心のポイントが理解できないのが致命的です。
以上ですが、良く学習の上、疑問点があれば【具体的箇所を示した上で】質問すること。!
良いな!■
No.76
- 回答日時:
#75です。
読解力の無さというものは恐ろしいものですな。(笑)
ま、いちいち付き合ってもいられませんから、要点だけに応答させていただきましょう。
1.
《「に」の統一的分析が必要であるがそれができていないということです。》
とのことですが、ご自身が言っているのは、
(ア)格助詞「に」は、話者が場所「庭」を「(鶏が)いる」空間的な位置として認識し表している。(アスナロウ)》
という解釈は正しい。
です。
この解説だと『統一的分析』ができているとおっしゃるのですか???
2.
>文を理解するにあたっての、重大な差異が生じる
のではなく、文を表現するに当たり、重大な誤りが生じているということを、<岡田 美穂,奥田 俊博>が具体的に論じています。
:
当たり前じゃないですか。
だからこそ、「に」の意義や意味を適切に解説する必要性が生じている。
で、今は、どのような手法が妥当なのかを論じているわけ。
(ア)格助詞「に」は、話者が場所「庭」を「(鶏が)いる」空間的な位置として認識し表している。(アスナロウ)》
(イ)格助詞「に」は、話者が場所「庭」が、「(鶏が)いる」の空間的な位置であると認識していることを示している。(大辞林)
これらの対決ですな。(笑)
あなたは(ア)の正当性についての論理的説明もできずに、いたずらに(イ)に対していちゃもんをつけているだけなのですよ。
誰が見てもそうだということ。
いちゃもんのためのいちゃもんじゃないと言うなら、
【認識し表している】と【認識していることを示している】の違いを論理的、かつ具体的に論じつつ、【庭には二羽鶏がいる】という日本語の文を解説してください。
と再三申し上げているわけ。
なぜできない?????
3.
>「庭~という文を理解するにあたっての」問題はⅢとして提起しました。
:
自らの論理破綻が露呈してしまったので、河岸を変えて論点をすり替えようという魂胆が丸見えですよ?(笑)(笑)
まずは、
【認識し表している】と【認識していることを示している】の違いを論理的、かつ具体的に論じつつ、【庭には二羽鶏がいる】という日本語の文を解説してください。
自分の言ったことの説明もできないの???
間違っていたならいたで素直に訂正すればいいだけ。
できないならできないと言えばいいだけ。
読解力の無さというものは恐ろしいものですな。(笑)
と言っても、パラダイムを超えるというのは容易ではないということです。
>ま、いちいち付き合ってもいられませんから、要点だけに応答させていただきましょう。
などと、丸投げで逃げの作戦に出ましたね。
種々、質問と確認を出させていただきましたが、当然ながら回答できないということですね。
間違いは素直に訂正すればいいだけ。
できないならできないと言えばいいだけなのですが。
1.
>この解説だと『統一的分析』ができているとおっしゃるのですか???
最初から提示しているように、
格助詞「に」は、対象の空間的・時間的な位置付けの認識を表わすということです。
[着点][方向][到達点] [密着点] [収斂先][存在点] [伝達先] [要素][結果] [経験者] [起点][動作者][原因] [時間]
これが、『統一的分析』ですか?
呵々大笑!
2.
>今は、どのような手法が妥当なのかを論じているわけ。
手法の問題ではありません。
対象の本質を明らかにしなければ、科学、学問ではありません。
>【認識し表している】と【認識していることを示している】の違いを論理的、かつ具体的に論じつつ、【庭には二羽鶏がいる】という日本語の文を解説してください。
語は示すものではないので、説明のしようがありません。「1.」に説明したように表しています。
再三再四指摘していますが、ソシュールパラダイムの呪縛に囚われている限り理解不能ということです。
自らの論理破綻が露呈してしまったので、河岸を変えて論点をすり替えようという魂胆が丸見えですよ?(笑)(笑)(笑)
3.
>【認識し表している】~の違いを論理的、かつ具体的に論じつつ、【庭には二羽鶏がいる】という日本語の文を解説してください。
上記指摘に基づき、正しく理解して下さい。
★彼にピアスを貰いました。
★空に星がまたたく。
これが、「着点」ですか。
自分の言ったことの説明もできないでしょ!
ソシュールパラダイムの呪縛に囚われている限り理解不能ということです。
間違っていたならいたで素直に訂正すればいいだけ。
できないならできないと言えばいいだけ。
まずは、言語とは何かからじっくり学んで下さい。
木を見て森を見ざる状況ではなんともはや!■
No.75
- 回答日時:
#74です。
1.
>だいぶ、理解が進んできましたね。
:
いえいえ、ぜんぜん。(笑)
2.
>【庭には二羽鶏がいる】という【文の理解】に、どのような具体的違いが生じるのかご教示ください。
とは何を寝言を言われているのでしょうか。
辞書に記載されるべきは、語の意義であり、表現されれもいない個別の文の意味など記しようがありません。
:
\(-_-;)/
では、いままで【庭には二羽鶏がいる】について延々と論じ合ってきたのは、一体なんだったのか・・・???????(笑)
亭主関白の卓袱台返しとおちゃらけるのも馬鹿々々しい。
大丈夫ですか???
そもそも、『辞書に記載されるべき』が何かは、また別の話。
私は出版社の人間じゃない。
今は、そんなことは聞いていません。
3.
>文の理解ではなく、認識を媒介し表現するための規範としての語の意義の問題です。
この点が理解できないために、因果が逆転していると、これなでに何度も指摘しています。
:
まったくわかっておられませんね。
え~っとですね、「混同」「短絡」が何であるかを具体的に示さないと誰にも理解してもらえないということなのですよ。
せっかく私が論点を明確にしてさしあげているのに、
オウムのようにこうした呪文ばかり繰り返しているようでは進歩というものがまったくありませんな。
4.
>菅井三実
<格助詞「に」の統一的分析に向けた認知言語学的アプローチ>
が四苦八苦しても結論が出ないということです。
このロジックが理解出来ますか。
:
すでに私見は述べた(#61)はずですが?
いずれにせよ、他人様の論文はおいておきましょう。
あなたご自身の言葉で話せないのですか?
少なくともご自分の発言した内容について問われているのですから、責任をもって真摯に答えていただけませんかね?
いいですか?
下記に再掲します。
あなたが今まで言ってきたことをまとめると以下のようになる。
※【庭には二羽鶏がいる】
(ア)格助詞「に」は、話者が場所「庭」を「(鶏が)いる」空間的な位置として認識し表している。(アスナロウ)》
という解釈は正しい。
(イ)格助詞「に」は、話者が場所「庭」が、「(鶏が)いる」の空間的な位置であると認識していることを示している。(大辞林)
という解釈は間違っている。
その理由は、(空間的な位置として)【認識し表している】のではなく、【認識していることを示している】という認識で(「に」という)助詞を理解しているからである。
ソシュールパラダイムの呪縛に囚われているとは、こういう意味である。※
はっきり申し上げると、
【認識し表している】と【認識していることを示している】の間に、目くじらを立てるほどの、つまり、【庭には二羽鶏がいる】という文を理解するにあたっての、重大な差異が生じるとは、到底信じられない、ということなのです。
重大な差異が生じないのであれば、パラダイムの呪縛がなんたらどうたらということは何の意味も無い御託にすぎないわけ。
そうでないことを証明したければ、【認識し表している】と【認識していることを示している】の違いを論理的、かつ具体的に論じつつ、【庭には二羽鶏がいる】という日本語の文を解説してください。
とお願いしている次第。
質問の意図をご理解いただきましたうえ、ぜひご回答くださいますように。
2.
>そもそも、『辞書に記載されるべき』が何かは、また別の話。
私は出版社の人間じゃない。
ハッハッハ!
辞書の性格が全く理解されていません。
あなたに、辞書を作れと言っているのではなく、辞書が辞書としての機能を果たすためには何が書かれるべきかということを論じています。
3.
>「混同」「短絡」が何であるかを具体的に示さないと
語の意義と文での意味と具体的に記し論じていますが、ソシュールパラダイムの呪縛に囚われているため理解できないということです。
せっかく私が論点を明確にしてさしあげているのに、
オウムのようにこうした呪文ばかり繰り返しているようでは進歩というものがまったくありませんな。
4.
>すでに私見は述べた(#61)はずですが?
No.62 ですね。
お礼欄で、その理解の誤り、浅はかな点を指摘していますが理解できていませんね。
「その程度の浅い読みでは、如何ともしがたいということです。」と。
>いずれにせよ、他人様の論文はおいておきましょう。
あなたご自身の言葉で話せないのですか?
私の言葉で話した内容が理解できないようなので、具体的に学界がどのように理解しているかを明示したものですが、所詮は無理筋ということですね。
>文を理解するにあたっての、重大な差異が生じるとは、到底信じられない、
だから、文の理解の問題ではなく、話者の認識を表現する際の媒介としての語の意義だと指摘していますが。これが、誤っているため、<岡田 美穂,奥田 俊博>が論じているような、学習者の誤用が後跡まで残り、その原因も不明だと告白しているということです。
そして、菅井三実が論じているように、「に」の統一的分析が必要であるがそれができていないということです。
少なくともご自分の発言した内容について問われているのですから、責任をもって真摯に答えていただけませんかね?
>文を理解するにあたっての、重大な差異が生じる
のではなく、文を表現するに当たり、重大な誤りが生じているということを、<岡田 美穂,奥田 俊博>が具体的に論じています。
質問の意図をご理解いただきましたうえ、ぜひご回答くださいますように。
と言っても、ソシュールパラダイムの呪縛に囚われている限り心許ないのですが。
なお、「庭~という文を理解するにあたっての」問題はⅢとして提起しました。■
No.74
- 回答日時:
#73です。
【質問2】
>(ア)は、【認識し表している】だから正しい。
(イ)は、【認識していることを示している】だから間違っている。
ということでしょうか?
それ以外にどのように解釈できるのですか?
:
このお答えをいただいて、すべて氷解しました。
アスナロウさんのご見解を要約すると以下のようになるでしょうか?
【庭には二羽鶏がいる】
(ア)格助詞「に」は、話者が場所「庭」を「(鶏が)いる」空間的な位置として認識し表している。(アスナロウ)》
という解釈は正しい。
(イ)格助詞「に」は、話者が場所「庭」が、「(鶏が)いる」の空間的な位置であると認識していることを示している。(大辞林)
という解釈は間違っている。
その理由は、(空間的な位置として)【認識し表している】のではなく、【認識していることを示している】という認識で(「に」という)助詞を理解しているからである。
ソシュールパラダイムの呪縛に囚われているとは、こういう意味である。
以上、違っていたらご指摘ください。
合っているなら、
(ア)と(イ)の解釈によって、【庭には二羽鶏がいる】という文の理解に、どのような具体的違いが生じるのかご教示ください。
だいぶ、理解が進んできましたね。
しかし、ソシュールパラダイムの呪縛に囚われているため肝心の所が理解できていません。
いつの間にか問題を摩り替え、襤褸が露呈しています。
これまで、長々と論じているのは格助詞「の」の意義です。
これを、文での意味と混同してはいけませんよと再三再四、いや何十回と注意してきましたが、
>【庭には二羽鶏がいる】という【文の理解】に、どのような具体的違いが生じるのかご教示ください。
とは何を寝言を言われているのでしょうか。
辞書に記載されるべきは、語の意義であり、表現されれもいない個別の文の意味など記しようがありません。
文の理解ではなく、認識を媒介し表現するための規範としての語の意義の問題です。
この点が理解できないために、因果が逆転していると、これなでに何度も指摘しています。
この混同、短絡こそが、ソシュールパラダイムの呪縛です。
>>どのような具体的違いが生じるのかご教示ください。
どのような相違が具体的違いが生じるのかは、
岡田 美穂,奥田 俊博
<場所を表す名詞に下接する格助詞「に」「で」「を」について-日本語教育の観点に基づく先行研究の整理と課題->
が示しており、
菅井三実
<格助詞「に」の統一的分析に向けた認知言語学的アプローチ>
が四苦八苦しても結論が出ないということです。
このロジックが理解出来ますか。■
No.73
- 回答日時:
#71です。
>こうした誤解がいかに根深いものであるかの例を挙げておきましょう。
助詞の「を」などは、<対象>を表わす場合,<経由地点>を表わす場合がある。
(7) 本を読む。(<対象>)
(8) 坂道を車を押して登った。(「坂道を」の方が<経由地点>)
:
いちいち言われなくてもその程度のことはわかっていますがね。
まあ、言いたいようですから聞いておきましょう。
ところで、質問についてお答えにならないのはなぜですか?
見落としているかもしれないので再掲しておきましょう。
あなた自身が主張してきた内容について問うているわけですから、責任を持って答えていただきたい。
むろん、わからない、できないという答えでも構いませんよ。
長すぎて読解できなかった可能性もあるので、若干短くしてあげますから、論点をずらしたり、的外れな回答は慎んで誠実に答えてください。
============================
《>「空間的な位置として【認識し表している】。」⇒これが目に入らぬか!たわけもの!》
というコメントを受けて、改めて質問します。
【質問1】
このようにおっしゃるということは、
《根本的な相違は、話者の認識を表わすのか、客体である点を表わすのかということです。》
という#48でのご自身の発言は取り消す、ということでしょうか?
【質問2】
このようにおっしゃるということは、
(ア)格助詞「に」は、話者が場所「庭」を「(鶏が)いる」空間的な位置として認識し表している。(アスナロウ)》
と
(イ)格助詞「に」は、話者が場所「庭」が、「(鶏が)いる」の空間的な位置であると認識していることを示している。(大辞林)
を比較した場合、
(ア)は、【認識し表している】だから正しい。
(イ)は、【認識していることを示している】だから間違っている。
ということでしょうか?
明確に回答した内容が理解できませんか?
木を見て森を見ないのでは、正しい理解はできませんと指摘しているので、良く咀嚼して下さい。
【質問1】
「助詞/助動詞の本質を明らかにしたものであることが理解できます。」
のどこが、「自身の発言は取り消す」なのですか。
【質問2】
>>(ア)は、【認識し表している】だから正しい。
(イ)は、【認識していることを示している】だから間違っている。
ということでしょうか?
それ以外にどのように解釈できるのですか?
長すぎて読解できなかった可能性もあるので、若干短くしてあげますから、深く理解し、的外れな回答は慎んで誠実に答えてください。
これでも理解できぬのか! 喝!■
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言い忘れましたが、
>>非常に簡単なこの点において、なぜ食い違いが生じるのか
は、ソシュール言語学の根底にある物自体の認識を不可とする不可知論というカント哲学の発想の呪縛にあります。
スマホを使用し、原爆、人工衛星が実用化された現代人がこのようなパラダイムに呪縛されているのは奇妙なことですが、それを超える論理へと止揚されなければ、天動説を超えられないのと同じ事態です。
>>文の解釈に、いったいどのような深刻な差異が生じるとおっしゃるのか?
表現された結果としての文の解釈ではなく、話者の認識を文に表現しようとする時に、どのような深刻な差異が生じるかは、先に提示した「岡田 美穂,奥田 俊博」による論考が明らかにしています。
そして、
・hakobulu=「に」は、着点を表わす。
と表現するのが妥当と考えているところ。
などという理解では、何の役にも立ちません。■
日本語学習者用の本を見ると、ご丁寧に、格助詞「に」の説明として「到達点」と絵を書き、矢印で示しているものがあります。
これでは、誤解しろと言っているとしか見えませんね。
こうした現在の日本語教育文法の限界は、
白 川 博 之
「日本語研究から日本語教育研究への越境」
https://www.jstage.jst.go.jp/article/nihongonoke …
で、
かつて日本語教育からのニーズを背景に進展した日本語文法の記述的研究も、【今世紀に入る頃から目的を失い閉塞状態が続いている】という指摘がある。しかし、実際には、日本語学習者・教授者に供されうる文法記述にはまだ不足していることがたくさん残っている。/
と、問題認識されてはいますが、「ソシュールパラダイム」を克服することなしに解決は得られないということです。■
なお、ここに述べられた格助詞「に」「を」の粗雑な誤った理解による教育が学習者を混乱させていることが、上記の「岡田 美穂,奥田 俊博」による論考他で指摘されていますので、拳拳服膺願います。■
>>「場所・範囲を指定する」
と解釈することによって、どのような問題が発生するのか?
ということです。
論点をずらさす簡潔にお答えいただけると有難いですね。
このような誤った言語実体観の発想が、助詞「は」「が」構文の理解を如何に歪めるかという重大な問題の事例を「カキ料理構文」の解釈について指摘しました。
「カキ料理構文」に見る「ハ」「ガ」論の混迷
https://mixi.jp/view_bbs.pl?comm_id=2748&id=9262 …
日本語教育における問題点は質問の中にて指摘の通りです。
これらに対し無視、回避、論点をずらすことなく、お考えを伺えれば幸いです。
簡潔でないのは、事柄の性質上避けがたいのは已むを得ませんが。■
>>都合の良い例を挙げましたね。
:
ま、気持ちはわかりますが。(笑)
などと逃げ回っているのはどこのどなたでしょうか。
未だに、「私的には仮命題としての表現だが)と断っている」などという体たらくではどうしようもないのが理解できませんか?
改心して、早めに牽強付会を脱しましょう。(笑)
というより、言語とは何かを正しく理解し、論理的、科学的な文法理解を深めましょう。
その一助として応答しているのですが。■
なお、認知言語学の助詞論に対する批判は、
認知言語学の欠陥を露呈する助詞論
https://www.amazon.co.jp/gp/customer-reviews/RYI …
を参照下さい。
所詮、この程度の代物です。■
なお、
野田尚史
<文の構造と機能からみた日本語の主題>
https://tsukuba.repo.nii.ac.jp/?action=pages_vie …
を参照下さい。
ここに、氏の機能主義的な発想が良く示されており、今日までそのパラダイムは変化していません。
これは、生成文法、寺村秀夫の発想を引き継ぐものです。
生成文法批判は、
http://okrchicagob.moto-chika.com/DME/work/GJBHG …
を参照下さい。■
【学研国語大辞典】
のどこが、「言い得て妙」ですか。
「時間・空間・心理上ノ静止点)をそこと指定」とは、
【助詞はそれ自体が ある事物(場所や所有者)や動作・状態を表す。】
とし、さらに語が「指定する」という二重の錯誤を示しています。
<「に=場所」だなんてことは、大辞林をはじめ、誰一人として言っていない>というのであれば、具体的に示してもらいたいものです。
あなたの曲解を示されてもどうしようもありません。
>>この~「(星が)またたく」ところの空間的な『位置であると認識していることを示している。
まあ、この解釈自体は正しいのですが、<「に」は、動作の【着点】を表わします。>などと未だに回答しているようでは、単なる口先だけの云い逃れということです。
★「空に星がまたたく」
の「に」が<動作の【着点】>ですか?(笑)
まずは、トマス・クーン『科学革命の構造』を読みましょう。■
7.
>>さあ、答えてもらいましょう。(笑)
「了解しました。」じゃないのですか?
ある程度の読解力が必要ですからね。
>>あなたがおっしゃっていることも間違いだということになりませんか?
なりません。
「空間的な位置として【認識し表している】。」⇒これが目に入らぬか!たわけもの!
助さん:御老公!いや少し、押さえて、押さえて!
御老公:う~ん。頭に血が昇るわ! ここは茅ヶ崎じゃったか? ハッハッハ!
チャンチャン! お粗末の一幕!
<「に」は、動作の【着点】を表わします。>などと未だに回答しているようでは、単なる口先だけの云い逃れということです。
★「空に星がまたたく」
の「に」が<動作の【着点】>ですか?(笑)
ある程度の読解力が必要ですからね。■
この、近藤泰弘は日本語記述文法を提唱していますが、これがどの程度のものかについては、
「羊頭狗肉のコンピューター検索事例集」
https://www.amazon.co.jp/gp/customer-reviews/R3O …
を参照下さい。
また、格助詞「を」の意義が何かは、三浦つとむ『日本語はどういう言語か』の200~201pで詳しく論じられています。これを【じっくり】読み、【深く】理解し、比較して下さい。
目から鱗が落ちると思いますが、さてどうでしょか?■