https://oshiete.goo.ne.jp/qa/11442193.html
の続きです。
問題点がNo.30 の回答に集約されているので、これを取り上げます。
>>私も所有(持ち主)という意識は必要だと思います。「に」という助詞にそういう意味がある訳でなく、「私に」「庭に」という形で使われる時、所有の意識が生まれます
これは、因果が逆転した捉え方で、<「私に」「庭に」という形で使われる時、所有の意識が生まれます>というのは、受け手の側の解釈の問題で、話者が何ゆえに格助詞「に」を使用したのかを明らかにするものではなく、単なる結果論に過ぎません。
<「私に」「庭に」の形になって、持ち主だったり、場所だったりするわけです。>も同様で、何故話者が<「私に」「庭に」の形>に表現したのかが明かにされなければ意味を為しません。
これでは、何故「に」が使用され「で」が使用されなかったのかを明らかにすることはできません。実際、こういう誤った教育、指導を受けた人々がどのような誤りを犯すかは、次の論考が問題にしていますが、残念ながら同じ発想に立つため問題解決に至っていないのが現状です。
岡田 美穂,奥田 俊博
<場所を表す名詞に下接する格助詞「に」「で」「を」について-日本語教育の観点に基づく先行研究の整理と課題->
https://kyukyo.repo.nii.ac.jp/?action=pages_view …
飽きもせずに、「で」は到達点を表わすなどとピント外れの回答をされているかたもありますが、助詞が客体の認識を表わすものではないことが理解できない根本的な誤りです。
当然、助詞「は」と「が」の相違の解明など望むべくもありません。
このような発想が、言語実体観、言語道具観と言われるもので、対象→認識→表現の過程ではなく、表現→解釈→対象という受け手(聞き手)の側の結果を恣意的に解釈しているに過ぎません。
その結果、
>>「私に」に続くのは「ある」「いる」「できる」「分かる」「言える」(可能動詞)などは、一般に言われる「状態動詞」(それに類似した「状態を表す表現」に限ります。)であり、「動作動詞」ではありません。/
などと事実誤認に導かれます。
★私に行かせて下さい。
★私に呑めというのか。
★私に食べる時間を下さい。
など、<「私に」に続くのは「ある」「いる」「できる」「分かる」「言える」>だけではありません。これらの「に」が場所や所有とは何の関係もないことは自明です。
>>「私は」という、私を主題化したものは何にでつながりますから
「私は」の「は」には特殊性の認識を表わす副助詞と普遍性の認識を表わす係助詞があり、主題化云々という場合は係助詞の場合です。もっとも、主題とは何かの概念規定はなく、単に、「は」は主題、「が」は主語という同義反復、言い替えに過ぎませんが。
係助詞の場合は、
★庭は広い。
★庭は静かだ。
などの一般的な属性が続きます。特殊性の副助詞の場合は、
★玄関は広いが、庭は狭い。
★居間には猫を飼っており、庭には二羽の鶏を飼っている。
★家は立派だが、庭は質素だ。
★居間は三羽のインコ、庭は二羽の鶏が飼われている。
のようになります。
「には」「では」の「は」は特殊性の認識を表わし、主題云々とは関係ありません。
最初の質問で、
5)庭は二羽鶏がいる
5)だとほとんど×ではないかと。
というのは、単に機械的、形式的に「には」の「に」を削除し、「は」が係助詞なのか、副助詞なのかが不分明に使用されているためで、問題提起の発想自体に誤りがあります。
「ある」と「いる」の使い分けについては先に何度も説明した通りです。
このように、最初の質問にある「には」は格助詞「に」+副助詞「は」で、
1)庭には二羽鶏がいる。
2)私には弟がいる。
は全く同じ意義の「には」です。
こうした、言語表現とは何かという本質を理解できない人々が、非科学的、恣意的なSF文法を弄び、辞書の解釈を縦にしたり、横にしたりすれば何かが分かるのではないかと呉越同舟の同床異夢で慰め合っても何の解明、進歩もないことを先ず自覚、反省すべきではないでしょうか。■
A 回答 (102件中41~50件)
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No.43
- 回答日時:
#39です。
庭には二羽鶏がいる。
>格助詞「に」は、話者が場所「庭」を「(鶏が)いる」空間的な位置として認識し表しているということです。
:
へえ~。
格助詞「に」は、話者が場所「庭」が、「(鶏が)いる」の空間的な位置であると認識していることを示している。(大辞林)
どこが違うのかさっぱりですな。(笑)
『K.マルクスのフォイエルバッハに関するテーゼ』に基づいて、両者の差異を解説してごらんなさいな。
単なるいちゃもんであることが明白になることでしょう。
>>「に」は、「庭」が、「(鶏が)いる」の空間的な位置であることを示している。(大辞林)
よりは少しましな理解に進んできましたね。
(hakobulu)
着点という認識に関係している。
との相違を良く噛み締めましょう■
No.44
- 回答日時:
#40です。
>そして、事実を提示した、
<場所を表す名詞に下接する格助詞「に」「で」「を」について-日本語教育の観点に基づく先行研究の整理と課題->
<「カキ料理構文」に見る「ハ」「ガ」論の混迷>
<白 川 博 之
「日本語研究から日本語教育研究への越境」>
に対する見解を伺えれば幸いです。
慌てる必要はありません。
お待ちしています。
:
折を見て。
No.45
- 回答日時:
#41です。
>『しかるべき』とは通常の良識あるという意味ですので、是非身近な方の意見を仰いで下さい。
論理的な思考ができれば中学生でもかまいません。
:
あなたの口から「通常」「論理的思考」という言葉が出るとは、こりゃまた驚きですなア。(笑)
たとえば大辞泉によると、
「通常」=特別でなく、普通の状態であること。世間一般にみられる状態であること。
「論理的」= 論理にかなっているさま。きちんと筋道を立てて考えるさま。
なわけですが、
これは、あなたが否定なさっている、言語表現とは何かという本質を理解できない人が作った辞書の語釈ですから、あなたの定義とは異なるのでしょう。
その意味で、『しかるべき』の意味が、あなたと私では異なるのだろう、と申し上げてたわけです。
まあ、「論理的」の意味もおそらく曲解なさっておられるのでしょうから、その意味では限界なのでしょう。
唯一希望があるとすれば、素直になることですね。(笑)
過ちては改むるに憚ること勿れ
と孔子さんもおっしゃっておる。
>>言語表現とは何かという本質を理解できない人が作った辞書の語釈ですから
真理の相対性ということが理解出来ない形式論理的発想の誤りが露呈しています。
之を知るを之を知ると為し、知らざるを知らざると為す。
と孔子さんもおっしゃっておる。
素直に反省しましょう。■
No.46
- 回答日時:
#42です。
>つづき‐がら【続柄】
親族としての関係。親子・夫婦・兄弟などのつながり。つづきあい。ぞくがら。
【日本国語大辞典】
場所ですか?(@_@;)(笑)
:
場所と言えば物がある場所しか思い浮かばないわけですね。
短絡思考とは憐れなものですな。(笑)
「場所」
【何かが、その上にある(で行われる)と認められる広がり。】
これが、お得意とするところの『定義』であることぐらいは覚えておきましょう。
・経験を積む、という意味で「場所を積む」と表現する。
・それを言うべき場合ではない、という意味で「それは場所が違う」という。
今後、こういう表現に接した際に、
・場所ですか?(@_@;)
などと言って目を回していたら逆に笑われますよ?(笑)
ひとつ勉強しましたね。
よかったよかった。(笑)
ば‐しょ【場所】
①ところ。場。位置。「置き―」「居―」
②いどころ。場席。「自分の―を確保する」
【広辞苑】
ですよ。
>【何かが、その上にある(で行われる)と認められる広がり。】
相変わらず、「広がり」などと客体的表現の語と、主体的表現の語の相違と関連が理解できていないことを曝け出していますね。
これが、お得意とするところの誤解に基づく『定義』であることぐらいは覚えておきましょう。
ひとつ勉強しましたね。
よかったよかった。(笑)■
No.47
- 回答日時:
#43です。
>>「に」は、「庭」が、「(鶏が)いる」の空間的な位置であることを示している。(大辞林)
よりは少しましな理解に進んできましたね。
:
論点をずらすのは答えられないからですか?
・格助詞「に」は、話者が場所「庭」を「(鶏が)いる」空間的な位置として認識し表している。(アスナロウ)
・格助詞「に」は、話者が場所「庭」が、「(鶏が)いる」の空間的な位置であると認識していることを示している。(大辞林)
どこが、どのように違うのか?
とお尋ねしている。
(格助詞)時間的・空間的・心理的なある点を【指定する】
【広辞苑】
で、「話者が~認識している~」などとどこにも記してはいません。
その意味で「少しましな理解に進んできましたね。」と褒めているのですが。
この点を理解出来ずに、
(hakobulu)
着点という認識に関係している。
などという全く誤った理解との相違を明確にできないのが根本的な問題です。
この点の理解なしに、格助詞「で」「を」との差異を説明することは出来ず、
<場所を表す名詞に下接する格助詞「に」「で」「を」について-日本語教育の観点に基づく先行研究の整理と課題->
という問題が現実に事実として発生していますよということを指摘しているのですが、この辺が全く理解できていませんね。
何故かといえば、言語が話者の認識の表現であり、体言/用言と助詞/助動詞がどのような認識/表現の相違であるかを理解できていないからです。
こういう論理的な問題を最初から、ずーと指摘していますが、蛸壺に嵌って辞書の解釈を捻くり回してもどうしようもありませんよということです。
問題に行き詰った時には、全体的、俯瞰的な立場から見直す必要があるというのは良く知られたことです。
過ちては改むるに憚ること勿れ
と孔子さんもおっしゃっておる。■
No.48
- 回答日時:
#47です。
>(格助詞)時間的・空間的・心理的なある点を【指定する】
【広辞苑】
で、「話者が~認識している~」などとどこにも記してはいません。
:
・格助詞「に」は、話者が場所「庭」を「(鶏が)いる」空間的な位置として認識し表している。(アスナロウ)
・格助詞「に」は、話者が場所「庭」が、「(鶏が)いる」の空間的な位置であると認識していることを示している。(大辞林)
どこが、どのように違うのか?
とお尋ねしたはずですが、わざわざ広辞苑を持ち出すのはまたどういった理由なのか?
いや不思議ですねえ。(笑)
まあ、よろしい。
広辞苑の例で話を進めましょう。
(格助詞)時間的・空間的・心理的なある点を【指定する】
【広辞苑】
という文の(日本語としての)意味が理解できないようですね。
広辞苑の語釈が言っているのは下記のような意味ですから、覚えておきましょう。
・庭には二羽鶏がいる。
という文を作る際、この話者が「庭に(は)」と表現するのは、格助詞「に」が、「(鶏が)いる」という動作の為されている空間的な点は「庭(という場所)」であると指定したいという認識を持っているからである。
ということ。
おわかりですか?
つまり、この広辞苑の言っていることと、
・格助詞「に」は、話者が場所「庭」を「(鶏が)いる」空間的な位置として認識し表している。(アスナロウ)
とどこがどのように異なると言うのか?
とお尋ねしているわけ。
根本的な相違は、話者の認識を表わすのか、客体である点を表わすのかということです。
しかし、回答者の認識も当方の指摘により徐々に辞書の解説の誤りを自覚しつつあるのは喜ばしい限りです。
再三再四指摘の通り、ポイントは下記の点にあるので、良く理解して下さい、
【助詞はそれ自体が ある事物(場所や所有者)や動作・状態を表さない。】
【格助詞は語と語の資格、関係認識を直接に表現するもので、客体の認識を表現するものではない。】
つまり、
(hakobulu)
着点という認識に関係している。
は根本的な誤りである。
★庭で遊ぶ。
★庭を通る。
これらの格助詞「で」「を」も場所自体を表わすのではない。これらが、客体の認識を表わすという誤った教育により、日本語学習者に格助詞の誤用が絶えない。
ということです。■
No.49
- 回答日時:
白 川 博 之
「日本語研究から日本語教育研究への越境」
https://www.jstage.jst.go.jp/article/nihongonoke …
興味深く拝見しましたが、特に目新しさは感じられませんでしたね。
ごく真っ当な、というか当然のことが論じられているにすぎない。
最初から、
【理解レベルならば、文脈から推測して何とか理解できたとしても、産出レベルとなると、どのようなときに、どのように使うかという、具体的な使用文脈と結びつけて意味・用法を理解していなければ使えないことが多い。】
という尤もな記述もあり、ここは当カテ回答者が大いに留意すべき点かと感じさせられた次第。
これは、シチュエーションというものに留意する必要性が極めて高いということでもあるでしょう。
【ここで注目すべきことは、単に「~ておく」の意味機能を求めるだけでなく(もちろん、
それだけでも言語学的には有意義なことである)、どのような文脈においてその意味機能が
効果を発揮するのかを具体的に考えていることである。】
という点にも大いに同意できる。
論文の骨子としては、文のみではなく文脈に留意することが重要である、といったところだと思われますが、基本的に同意でき、特に反論の余地がある箇所は見当たらない。
どういった記述内容が問題なのか、具体的にお示しいただければ、それに対応させていただきましょう。
【現代日本語(共通語)の文法の記述的研究は、~世紀の変わり目の辺りから停滞期に入り、今もなお、そこから抜け出せない状態が続いているように思われる。】
という停滞の原因を【日本語教育の必要性を動機として発展してきたはずの記述研究がいつの間にか目的を見失い自己目的化して記述のための記述をするようになったため】
としか認識できず、記述研究という現象、機能の記述では対象の本質は理解はできないという現代日本語(共通語)の文法論の方法自体に対する反省がないという点に根本的な欠陥があります。
回答者も又、こうした本質的な理解なしに、「文のみではなく文脈に留意することが重要である」などという、ありきたりの表面的な理解しかできないところに現在の言語、文法に対する機能主義的な解釈の限界が露呈しているということです。
「文のみではなく文脈に留意することが重要である」などと、留意で解決できる問題であれば、とっくに解決されてしかるべき問題で、「1980 年代から 1990 年代にかけて急速に発展し」、現在は当然解決されていなければならないものに過ぎません。
こうした、現在の言語、文法に対する機能主義的な解釈の欠陥を良く表しているのが、
<場所を表す名詞に下接する格助詞「に」「で」「を」について-日本語教育の観点に基づく先行研究の整理と課題->
<「カキ料理構文」に見る「ハ」「ガ」論の混迷>
などの論文であるということです。■
No.50
- 回答日時:
#48です。
>根本的な相違は、話者の認識を表わすのか、客体である点を表わすのかということです。
:
そうですか。
では、
・格助詞「に」は、話者が場所「庭」が、「(鶏が)いる」の空間的な位置であると認識していることを示している。(大辞林)
のどの箇所が『客体である点』を表わしているのか、明確に指摘してください。
論点をずらしてはいけません。
他の方ならいざ知らず、私に対して詭弁で逃げおおせると思ったら大きな間違いです。
だれが、逃げているのですか。
ようやく、追い付いて来ましたね、これまでの誤りを反省してと言っているのですが。
論点をずらしてはいけません。
他の方ならいざ知らず、私に対して詭弁で逃げおおせると思ったら大きな間違いです。■
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言い忘れましたが、
>>非常に簡単なこの点において、なぜ食い違いが生じるのか
は、ソシュール言語学の根底にある物自体の認識を不可とする不可知論というカント哲学の発想の呪縛にあります。
スマホを使用し、原爆、人工衛星が実用化された現代人がこのようなパラダイムに呪縛されているのは奇妙なことですが、それを超える論理へと止揚されなければ、天動説を超えられないのと同じ事態です。
>>文の解釈に、いったいどのような深刻な差異が生じるとおっしゃるのか?
表現された結果としての文の解釈ではなく、話者の認識を文に表現しようとする時に、どのような深刻な差異が生じるかは、先に提示した「岡田 美穂,奥田 俊博」による論考が明らかにしています。
そして、
・hakobulu=「に」は、着点を表わす。
と表現するのが妥当と考えているところ。
などという理解では、何の役にも立ちません。■
日本語学習者用の本を見ると、ご丁寧に、格助詞「に」の説明として「到達点」と絵を書き、矢印で示しているものがあります。
これでは、誤解しろと言っているとしか見えませんね。
こうした現在の日本語教育文法の限界は、
白 川 博 之
「日本語研究から日本語教育研究への越境」
https://www.jstage.jst.go.jp/article/nihongonoke …
で、
かつて日本語教育からのニーズを背景に進展した日本語文法の記述的研究も、【今世紀に入る頃から目的を失い閉塞状態が続いている】という指摘がある。しかし、実際には、日本語学習者・教授者に供されうる文法記述にはまだ不足していることがたくさん残っている。/
と、問題認識されてはいますが、「ソシュールパラダイム」を克服することなしに解決は得られないということです。■
なお、ここに述べられた格助詞「に」「を」の粗雑な誤った理解による教育が学習者を混乱させていることが、上記の「岡田 美穂,奥田 俊博」による論考他で指摘されていますので、拳拳服膺願います。■
>>「場所・範囲を指定する」
と解釈することによって、どのような問題が発生するのか?
ということです。
論点をずらさす簡潔にお答えいただけると有難いですね。
このような誤った言語実体観の発想が、助詞「は」「が」構文の理解を如何に歪めるかという重大な問題の事例を「カキ料理構文」の解釈について指摘しました。
「カキ料理構文」に見る「ハ」「ガ」論の混迷
https://mixi.jp/view_bbs.pl?comm_id=2748&id=9262 …
日本語教育における問題点は質問の中にて指摘の通りです。
これらに対し無視、回避、論点をずらすことなく、お考えを伺えれば幸いです。
簡潔でないのは、事柄の性質上避けがたいのは已むを得ませんが。■
>>都合の良い例を挙げましたね。
:
ま、気持ちはわかりますが。(笑)
などと逃げ回っているのはどこのどなたでしょうか。
未だに、「私的には仮命題としての表現だが)と断っている」などという体たらくではどうしようもないのが理解できませんか?
改心して、早めに牽強付会を脱しましょう。(笑)
というより、言語とは何かを正しく理解し、論理的、科学的な文法理解を深めましょう。
その一助として応答しているのですが。■
なお、認知言語学の助詞論に対する批判は、
認知言語学の欠陥を露呈する助詞論
https://www.amazon.co.jp/gp/customer-reviews/RYI …
を参照下さい。
所詮、この程度の代物です。■
なお、
野田尚史
<文の構造と機能からみた日本語の主題>
https://tsukuba.repo.nii.ac.jp/?action=pages_vie …
を参照下さい。
ここに、氏の機能主義的な発想が良く示されており、今日までそのパラダイムは変化していません。
これは、生成文法、寺村秀夫の発想を引き継ぐものです。
生成文法批判は、
http://okrchicagob.moto-chika.com/DME/work/GJBHG …
を参照下さい。■
【学研国語大辞典】
のどこが、「言い得て妙」ですか。
「時間・空間・心理上ノ静止点)をそこと指定」とは、
【助詞はそれ自体が ある事物(場所や所有者)や動作・状態を表す。】
とし、さらに語が「指定する」という二重の錯誤を示しています。
<「に=場所」だなんてことは、大辞林をはじめ、誰一人として言っていない>というのであれば、具体的に示してもらいたいものです。
あなたの曲解を示されてもどうしようもありません。
>>この~「(星が)またたく」ところの空間的な『位置であると認識していることを示している。
まあ、この解釈自体は正しいのですが、<「に」は、動作の【着点】を表わします。>などと未だに回答しているようでは、単なる口先だけの云い逃れということです。
★「空に星がまたたく」
の「に」が<動作の【着点】>ですか?(笑)
まずは、トマス・クーン『科学革命の構造』を読みましょう。■
7.
>>さあ、答えてもらいましょう。(笑)
「了解しました。」じゃないのですか?
ある程度の読解力が必要ですからね。
>>あなたがおっしゃっていることも間違いだということになりませんか?
なりません。
「空間的な位置として【認識し表している】。」⇒これが目に入らぬか!たわけもの!
助さん:御老公!いや少し、押さえて、押さえて!
御老公:う~ん。頭に血が昇るわ! ここは茅ヶ崎じゃったか? ハッハッハ!
チャンチャン! お粗末の一幕!
<「に」は、動作の【着点】を表わします。>などと未だに回答しているようでは、単なる口先だけの云い逃れということです。
★「空に星がまたたく」
の「に」が<動作の【着点】>ですか?(笑)
ある程度の読解力が必要ですからね。■
この、近藤泰弘は日本語記述文法を提唱していますが、これがどの程度のものかについては、
「羊頭狗肉のコンピューター検索事例集」
https://www.amazon.co.jp/gp/customer-reviews/R3O …
を参照下さい。
また、格助詞「を」の意義が何かは、三浦つとむ『日本語はどういう言語か』の200~201pで詳しく論じられています。これを【じっくり】読み、【深く】理解し、比較して下さい。
目から鱗が落ちると思いますが、さてどうでしょか?■