![](http://oshiete.xgoo.jp/images/v2/pc/qa/question_title.png?e8efa67)
https://oshiete.goo.ne.jp/qa/11442193.html
の続きです。
問題点がNo.30 の回答に集約されているので、これを取り上げます。
>>私も所有(持ち主)という意識は必要だと思います。「に」という助詞にそういう意味がある訳でなく、「私に」「庭に」という形で使われる時、所有の意識が生まれます
これは、因果が逆転した捉え方で、<「私に」「庭に」という形で使われる時、所有の意識が生まれます>というのは、受け手の側の解釈の問題で、話者が何ゆえに格助詞「に」を使用したのかを明らかにするものではなく、単なる結果論に過ぎません。
<「私に」「庭に」の形になって、持ち主だったり、場所だったりするわけです。>も同様で、何故話者が<「私に」「庭に」の形>に表現したのかが明かにされなければ意味を為しません。
これでは、何故「に」が使用され「で」が使用されなかったのかを明らかにすることはできません。実際、こういう誤った教育、指導を受けた人々がどのような誤りを犯すかは、次の論考が問題にしていますが、残念ながら同じ発想に立つため問題解決に至っていないのが現状です。
岡田 美穂,奥田 俊博
<場所を表す名詞に下接する格助詞「に」「で」「を」について-日本語教育の観点に基づく先行研究の整理と課題->
https://kyukyo.repo.nii.ac.jp/?action=pages_view …
飽きもせずに、「で」は到達点を表わすなどとピント外れの回答をされているかたもありますが、助詞が客体の認識を表わすものではないことが理解できない根本的な誤りです。
当然、助詞「は」と「が」の相違の解明など望むべくもありません。
このような発想が、言語実体観、言語道具観と言われるもので、対象→認識→表現の過程ではなく、表現→解釈→対象という受け手(聞き手)の側の結果を恣意的に解釈しているに過ぎません。
その結果、
>>「私に」に続くのは「ある」「いる」「できる」「分かる」「言える」(可能動詞)などは、一般に言われる「状態動詞」(それに類似した「状態を表す表現」に限ります。)であり、「動作動詞」ではありません。/
などと事実誤認に導かれます。
★私に行かせて下さい。
★私に呑めというのか。
★私に食べる時間を下さい。
など、<「私に」に続くのは「ある」「いる」「できる」「分かる」「言える」>だけではありません。これらの「に」が場所や所有とは何の関係もないことは自明です。
>>「私は」という、私を主題化したものは何にでつながりますから
「私は」の「は」には特殊性の認識を表わす副助詞と普遍性の認識を表わす係助詞があり、主題化云々という場合は係助詞の場合です。もっとも、主題とは何かの概念規定はなく、単に、「は」は主題、「が」は主語という同義反復、言い替えに過ぎませんが。
係助詞の場合は、
★庭は広い。
★庭は静かだ。
などの一般的な属性が続きます。特殊性の副助詞の場合は、
★玄関は広いが、庭は狭い。
★居間には猫を飼っており、庭には二羽の鶏を飼っている。
★家は立派だが、庭は質素だ。
★居間は三羽のインコ、庭は二羽の鶏が飼われている。
のようになります。
「には」「では」の「は」は特殊性の認識を表わし、主題云々とは関係ありません。
最初の質問で、
5)庭は二羽鶏がいる
5)だとほとんど×ではないかと。
というのは、単に機械的、形式的に「には」の「に」を削除し、「は」が係助詞なのか、副助詞なのかが不分明に使用されているためで、問題提起の発想自体に誤りがあります。
「ある」と「いる」の使い分けについては先に何度も説明した通りです。
このように、最初の質問にある「には」は格助詞「に」+副助詞「は」で、
1)庭には二羽鶏がいる。
2)私には弟がいる。
は全く同じ意義の「には」です。
こうした、言語表現とは何かという本質を理解できない人々が、非科学的、恣意的なSF文法を弄び、辞書の解釈を縦にしたり、横にしたりすれば何かが分かるのではないかと呉越同舟の同床異夢で慰め合っても何の解明、進歩もないことを先ず自覚、反省すべきではないでしょうか。■
A 回答 (102件中41~50件)
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No.62
- 回答日時:
#61です。
>菅井三実
<格助詞「に」の統一的分析に向けた認知言語学的アプローチ>
https://www.jpf.go.jp/j/project/japanese/archive …
が明かにしているように、「特に周辺的な現象として扱われて来た[起点]および[動作者]の用法について統一的な説明を与えることにある。」と四苦八苦している事実をどのように理解されるのでしょうか?
:
◆
まず、115ページの下記箇所を確認してください。
※さて,上述のように,(1)の例は空間次元で用いられるニ格であるが,(1a)~(1e)は,何ら意味的な統一性がないように見えるかもしれないが,変化主体(自動詞の主格 NP または他動詞の対格 NP)が――程度差をもって――与格 NP に近づいて行くという点で 1 つの軸の上に並べることが可能である.この分析に援用すべき概念として,山梨(1994)が空間のニ格について提案した《近接性》《到達性》《密着性》《収斂性》という 4 つの認知的制約がある※
ここにある、
【変化主体(自動詞の主格 NP または他動詞の対格 NP)が――程度差をもって――与格 NP に近づいて行く】
という概念こそが『着点』であることは容易にご理解いただけるのではないか、とまず指摘させていただきます。
具体的には、
【《近接性》《到達性》《密着性》《収斂性》】といった認識に関連している、という引用も為されていますが、これらもすべて着点という概念に該当するわけです。
これら4要素は「一体化」という概念で統一されている、といった記述も、そのことを裏付けているでしょう。
しかし、『[起点]および[動作者]』の用法に関しては、これら(=与格 NP に近づいて行く、という概念)に含まれるとするに妥当な解説を施すことが難しい、とも言っている。
その点において『四苦八苦している』わけです。
ただ、私に言わせてみれば、これは極めて簡単な理屈なのであって、着点に含まれると考えるほうがむしろ自然です。
この点、以前からアスナロウさんには申し上げてきたわけですが、こうした論文執筆者が『四苦八苦している』ような事柄について、アスナロウさんが理解できないとしても止むを得ないでしょう。
しかし、素直に私の解説を読んでいただければおわかりになるはず。
《近接性》→《到達性》→《密着性》→《収斂性》
の順で一体化の程度が強まるといった記述なども、非常に興味深いですが、後にゆっくり読ませていただくとして、今は取り急ぎ、論文内容に沿って若干解説してみましょう。
最初に申し上げておきたいのは、
『[起点]および[動作者]』の用法に関しては、これら(=与格 NP に近づいて行く、という概念)に含まれるとするに妥当な解説を施すことが難しい』からといって、『(格助詞「に」が)与格 NP に近づいて行く、という概念』自体が間違っているわけではないという点にご留意ください。
『四苦八苦している』からといって、四苦八苦させているところの概念自体が誤っていると批判するのは、まったく論理を無視したいちゃもんに過ぎないという自覚を持つことからスタートしよう、ということ。
味噌汁がまずかったら、味噌の品質より作った人の技量を疑うのが筋だというわけです。
◆
さて、どのように『四苦八苦している』のかについての記述は、122ページから始まる。
※[起点]のニ格は,対義関係にあるカラ格と交替する点で特異と言える.
まず,広義の[起点]標示について,与格と奪格の交替は次のようなペアで例示される.
(16)
a .花子が先輩に携帯電話を借りた.
b .花子が先輩から携帯電話を借りた.※
と冒頭述べていますね。
ただ、これを起点とする概念の決定的な誤りは、携帯電話の移動を念頭において概念である、という点です。
そうではなく「借りた」という動作について分析しなければならない。
なぜなら格助詞「に」は、「(物ではなく)動作の着点」を表わすからです。
a .花子が先輩に携帯電話を借りた.
という文は、
『借りるという動作はどこから始まったのか、と探っていけば、それは先輩に辿り着く』という意図の表現なのです。
「借りた相手は誰?」という問いに対して、たとえば先輩を指さしながら「先輩です」のように言いたい無意識が存在している。
指さすベクトルは先輩に向かっていき先輩に辿り着く、という認識なわけであり、それゆえ先輩は着点として位置付けられるわけです。
b .花子が先輩から携帯電話を借りた.
が格助詞「を」によって、借りるという動作の対象が携帯電話であることを表わす意図であるのとの決定的な違いがここにある。
◆
しかし、読み進めていくと、123ページには以下のような記述がある。
※ニ格とカラ格が対義的な概念として用いられることを考えると,両者が交替するのは奇妙なようにも思われるが,この現象に関しては,良く知られているように,すでに池上(1981:121―170)などによって,場所理論の立場から《起点〈着点》の非対称性として論じられ,[起点]の与格は[着点]が一方向的に転用されたものと分析されている.※
つまり、一応の見解は出ているわけで、『四苦八苦している』のは著者側ではなく、(アスナロウさんのような)読者側の問題であることがよくわかります。(笑)
無理解による一方的な批判をしてしまったことを反省した上で、上の私の解説をよく読み返してみてください。
疑問点がございましたら補足いただければ応じさせていただきます。
また、論文すべてを読んだわけではありませんが、そちらに関しても疑問点がありましたら、『具体的箇所』を明記した上でお尋ねいただければ、私見を開陳させていただくにやぶさかではございません。
しかし、たくさんの論文をご存知ですねえ。
勉強家であることは認めます。
相変わらず、根本的に指摘していることが理解できていないのを露呈していますね。
「起点」「着点」とは、
【助詞はそれ自体が ある事物(場所や所有者)や動作・状態を表さない。】ではなく、
【助詞はそれ自体が ある事物(場所や所有者)や動作・状態を表す。】
と宣言しているということです。それゆえに『四苦八苦』するという自縄自縛(じじょうじばく)に陥っているという本質的な誤りを理解できず、呉越同舟の認知言語学のパラダイムに没入していることが自覚できていませんね。
その程度の浅い読みでは、如何ともしがたいということです。
是非、
「カキ料理構文」に見る「ハ」「ガ」論の混迷
https://mixi.jp/view_bbs.pl?comm_id=2748&id=9262 …
で批判した諸論文にも眼を通され、ご意見を御伺いしたいものです。
言語学会、日本語学会、文法学会他の諸論文や著作は基本的に毎月チェックしその欠陥、動向を把握した上でパラダイム批判を展開しているものであることを理解いただければ幸いです。■
No.61
- 回答日時:
#60です。
>何やら能書きが多くなってきましたが、
(hakobulu)
着点という認識に関係している。
という誤りを正さない限りどうしようもありません。
:
着点というのは私だけの専売特許じゃありません。
いくつかの論文にも、そうした記述があります。
ご自身の『誤り』である可能性についても、少しお考えになってみるほうがよろしいかと。
以前もお示ししましたが、学研国語大辞典の下記語釈も優れものですね。
※動作・作用が存在し、成立し、由来し、おもむくところ(=時間・空間・心理上ノ静止点)をそこと指定※
これこそが、まさに『着点』の意義に関する叙述的解説なのですよ。
言い得て妙といった、この優れものの表現を簡単に袖にしてしまうのはもったいないですよ?
『能書き』というのは、何につけ、論理を理解できない方の常套句であることも申し添えておきましょう。
また、
【場所自体を表わす】わけではないが【場所を表わす】という意味の正当性について、実際の所、ご自身でも気づいておられるのだと思います。
だから、
※・格助詞「に」は、話者が場所「庭」が、「(鶏が)いる」の空間的な位置であると認識していることを示している。(大辞林)
のどの箇所が『客体である点』を表わしているのか、明確に指摘してください。※
という単純な質問にも答えられなくて逃げ回っている。
改心して、早めに牽強付会を脱しましょう。(笑)
>>着点というのは私だけの専売特許じゃありません。
分からん人ですな~!
先に紹介した通り、
菅井三実
<格助詞「に」の統一的分析に向けた認知言語学的アプローチ>
https://www.jpf.go.jp/j/project/japanese/archive …
が明かにしているように、「特に周辺的な現象として扱われて来た[起点]および[動作者]の用法について統一的な説明を与えることにある。」と四苦八苦している事実をどのように理解されるのでしょうか?
勝手な思い込みを蛸壺に籠って頑なに主張しても意味がありません。
>>まさに『着点』の意義に関する叙述的解説なのですよ。
言い得て妙といった、この優れものの表現を簡単に袖にしてしまうのはもったいないですよ?
などは、「何を寝惚けたことを!」というしかありません。
正しく、「『能書き』というのは、何につけ、論理を理解できない方の常套句であることも申し添えておきましょう。」ということです。
>>【場所自体を表わす】わけではないが【場所を表わす】という意味の正当性
を誰が理解できると考えられているのでしょう。
冷静に、理性的に判断しましょう!
>>格助詞「に」は、話者が場所「庭」が、「(鶏が)いる」の空間的な位置であると認識していることを示している。(大辞:
という単純な質問にも答えられなくて逃げ回っている。
別に考えるまでもなく、「空間的な位置」が『客体である点』を表わしているのは明らかですが、問題はそんなところにあるのではなく、
>>・庭に二羽鶏がいる。
⇒「に」は(着点としての)場所を表わす。
これが根本的な誤りであると最初から指摘しているもので、そこからスタートするのが誤りということです。
>>・庭で二羽鶏が遊んでいる。
⇒「で」は動作の場所を表わす。(私的には仮命題としての表現だが)
これも、当然ながら「場所を表わす」のではありません。
玩具で子供が遊んでいる。
の「で」が場所でないのは明らかで、これを説明できない点に根本的な誤りがあるということです。/
と指摘しているにも関わらずです。→以下補足
No.60
- 回答日時:
#59です。
>これまで、助詞とは何か、格助詞「で」「を」は何を表わすのかを問うていますが、精々「私的には仮命題としての表現」としか答えられない現実をどのように理解されていますか?
:
早急に物事を決めつける習慣がおありのようですが、質問を立てている以上、あらゆる可能性を視野に入れて考察するのが真理の徒としての姿勢です。
「で」について、なんでもかんでも「手段・方法の認識」だと強弁する人間よりは、はるかにマシでしょう。
『「私的には仮命題としての表現」としか答えられない』などと鬼の首でも取ったようにあげつらっていますが、そういうことは、「で」が手段・方法の認であることを、論理的に説明できる人にしてはじめて言えることなのですよ。
もっとも、間違いなのでそんな説明ができるはずもないわけですが。(笑)
すでに何度も提示済の極めて簡単な質問にさえ答えられない人間の言える言葉じゃないという自覚ぐらいは、責めて持ちましょうよ。
もう一度だけチャンスを与えるべく質問内容を以下に再掲します。
逃げたければ逃げても良いが、あなたの人格に関する最後の望みがここに係っていますので、その点、夢お忘れなく。
※あなたは#48で、
《根本的な相違は、話者の認識を表わすのか、客体である点を表わすのかということです。》
と明言されている。
格助詞「に」は、話者が場所「庭」を「(鶏が)いる」空間的な位置として認識し表している。(アスナロウ)
これが正しいのであって、
格助詞「に」は、話者が場所「庭」が、「(鶏が)いる」の空間的な位置であると認識していることを示している。(大辞林)
は間違いである、という意味ですよね?
ですから、
※・格助詞「に」は、話者が場所「庭」が、「(鶏が)いる」の空間的な位置であると認識していることを示している。(大辞林)
のどの箇所が『客体である点』を表わしているのか、明確に指摘してください。※
と何度もお尋ねしているわけ。
簡単な質問でしょ?
ご自分の発言には責任を持ちましょうよ。
そろそろ、論点をずらさず明確にお答えください。※
大辞林の語釈を都合よく解釈しているといった言い訳を繰り返したくなったら下記(#56再掲)を確認すること。
※大辞林の元語釈は以下のとおり。
【動作・作用が行われ,また存在する,時間的・空間的な位置や範囲を示すのが本来の用法】
「空に星がまたたく」
などという例文が挙げられている。
つまり、大辞林は、
この格助詞「に」は、話者が場所「空」が、「(星が)またたく」ところの空間的な『位置であると認識していることを示している。
と言っているわけですよ。
あなたの曲解しているように、「に=場所」だなんてことは、大辞林をはじめ、誰一人として言っていないということに、そろそろお気づきになってください。
もうおわかりでしょう?
妄想は終わりにしましょう。※
何やら能書きが多くなってきましたが、
(hakobulu)
着点という認識に関係している。
という誤りを正さない限りどうしようもありません。
妄想は終わりにしましょう。■
No.59
- 回答日時:
#58です。
1.
>>>・庭に二羽鶏がいる。
⇒「に」は(着点としての)場所を表わす。
これが根本的な誤りであると最初から指摘しているもので、そこからスタートするのが誤りということです。
:
『誤り』であるという指摘は、あなたの勘違い。
その勘違いを論拠として持論を展開しておられるので、誰からも相手にされなくなるのです。
こうした論理展開の破綻に気づいておられないのが痛いですね。
ご同情申しあげます。
単に「に」の本質を理解できていないだけだということにお気づきになってください。
ひとこと添えておけば、「場所」というのは別に地面のことだけを指すわけじゃない。
種々の時間的・人事的・事象的場面などなど、色々想定できるわけ。
そのぐらいの想像力はおありでしょ?(笑)
2.
>玩具で子供が遊んでいる。
この「で」が場所でないのは明らかで、これを説明できない点に根本的な誤りがあるということです。
こうした誤った教育を受ければ、誤用も必然だということです。
:
都合の良い例を挙げましたね。
しかも、私的には仮命題としての表現だが)と断っているのに、こういうことを得々として述べる。
何と申しましょうか・・・。
ま、気持ちはわかりますが。(笑)
手段・方法の認識だと言いたいのでしょうが、さすがに、
『3杯でギブアップだった』が手段・方法の認識だと主張するのは無理があると気づかれましたか?
であれば、一歩前進ですね。(笑)
3.
>これを説明できない点に根本的な誤りがある。
:
ご自身の論理脆弱さに気づいておられないことが、ここに凝縮していますね。
すなわち、
「説明できないから(助詞の認識に)根本的な誤りがある」のではなく、「説明できない」のなら「(助詞の説明に)根本的な誤りがある」と捉えるのが筋なのですよ。
あなたの場合、
・この味噌汁がまずいのは味噌が悪いからだ。
と言っているようなもの。
調理の仕方に問題があるのであって味噌自体には何の責任もない、という可能性について一顧だにしておらない。
ここに、あなたの論理に決定的な欠陥があるわけです。
指摘の内容を変えてみましたが、理解できますか?
1.
>>『誤り』であるという指摘は、あなたの勘違い。
具体的な誤りの指摘もなく勘違いは我田引水の独断に過ぎません。
ば‐しょ【場所】
①ところ。場。位置。「置き―」「居―」
【広辞苑】
で、「種々の時間的・人事的・事象的場面などなど、色々想定できるわけ。」とは何を言わんとしているのでしょうか?
「に」=点=場所
などというのは、単に「に」の本質を理解できていないだけだということにお気づきになってください。
そのぐらいの想像力はおありでしょ?(笑)
2.
>>都合の良い例を挙げましたね。
都合の良い例ではなく、「で」=場所などという馬鹿話の誤りが分かり易い例です。
>>私的には仮命題としての表現だが)と断っている
だから何だというのですか?要は、良く分からないが、ということですよね!
何と申しましょうか・・・。
ま、気持ちはわかりますが。(笑)
ごまかしが目立ちますね。
>>『3杯でギブアップだった』が手段・方法の認識だと主張するのは無理があると気づかれましたか?
どこが無理なのですか。
この点が理解できれば、一歩前進ですね。(笑)
3.
>>「説明できないから(助詞の認識に)根本的な誤りがある」のではなく、「説明できない」のなら「(助詞の説明に)根本的な誤りがある」と捉えるのが筋なのですよ。
だから、格助詞「に」=場所という「(助詞の説明に)根本的な誤りがある」と最初から指摘していますが理解できませんか。
この誤りを理解できずに、そこから論を展開すると云う、
【ここに、あなたの論理に決定的な欠陥があるわけです。】
これまで、助詞とは何か、格助詞「で」「を」は何を表わすのかを問うていますが、精々「私的には仮命題としての表現」としか答えられない現実をどのように理解されていますか?■
No.58
- 回答日時:
>と問題が解決していない事実をどのように理解されるのでしょうか?
:
<場所を表す名詞に下接する格助詞「に」「で」「を」について-日本語教育の観点に基づく先行研究の整理と課題->
は、なかなか興味深い論文です、いずれじっくり読ませてもらいましょう。
ただ、チラ見した限りでは、
【存在場所を表す「に」と動作場所を表す「で」の混同がある】
などをはじめとして、『問題が解決していない』理由はいくつか列挙されているではありませんか。
いずれにせよ、
・庭に二羽鶏がいる。
「に」は場所を表わす、が間違いだと言っているわけじゃなさそうだけど?
その点は理解していますか?
単に、説明の仕方が良くない、と言っているにすぎない。
要するに、私流に言わせるなら、に も で も どちらも単純に「場所を表わす」と捉えてしまえば(同じ言葉なのだから)問題が生じるのは当たり前なのであって、その意味で「意義」に則った説明が必要になる。
・庭に二羽鶏がいる。
⇒「に」は(着点としての)場所を表わす。
「いる」という状態がどこで発生しているのかと探っていくなら、それは庭という場所である。
こういった無意識的認識が、話者をして格助詞「に」の使用に至らしめるわけ。
・庭で二羽鶏が遊んでいる。
⇒「で」は動作の場所を表わす。(私的には仮命題としての表現だが)
この論文の中の一節でも取り出して、かくかくしかじかの箇所に、かくかくしかじかの問題が垣間見られる。
といった質問の仕方をせずに、すぐソシュールパラダイムなんちゃらでお茶を濁そうとするから論点がぶれまくるわけだ。
心を入替えて、質問の仕方を変えてみることをお勧めしておきましょう。
>>「に」は場所を表わす、が間違いだと言っているわけじゃなさそうだけど?
その通りです。
この誤りに気付いていない点で、回答者と同じソシュールパラダイム下の誤った発想の基に思考しているということを指摘しているのです。
それゆえ、回答が見つからず、さらなる解明に向かおうとしていますが、この根本的な誤りを理解しない限り解決は不可能だということです。
ようやく、理解が深まってきましたね。
>>・庭に二羽鶏がいる。
⇒「に」は(着点としての)場所を表わす。
これが根本的な誤りであると最初から指摘しているもので、そこからスタートするのが誤りということです。
>>・庭で二羽鶏が遊んでいる。
⇒「で」は動作の場所を表わす。(私的には仮命題としての表現だが)
これも、当然ながら「場所を表わす」のではありません。
玩具で子供が遊んでいる。
の「で」が場所でないのは明らかで、これを説明できない点に根本的な誤りがあるということです。
こうした誤った教育を受ければ、誤用も必然だということです。
質問の仕方を変えてみましたが、理解できますか?■
No.57
- 回答日時:
#56です。
>>【場所自体を表わす】わけではないが【場所を表わす】ということ。
何を言っているのか不明な文ですね、
:
最後に来て、それですか。
少し前にも申し上げたと思いますが、ここが理解できなければ、何を言っても無駄です。
ご自身の限界を超えていただくべく、懇切丁寧に解説し続けてきたつもりですが、この期に及んで、そういったコメントを返されるとはね。
これ以上、ご無理を申し上げるのは心苦しいのでこの辺にしておきますか。
ようやく大団円を迎えたようです。(笑)
どうもお疲れさまでした。
>>少し前にも申し上げたと思いますが、ここが理解できなければ、何を言っても無駄です。
正しく、この矛盾を堂々と主張される点が根本的な誤りです。
これは、最初から指摘している通り、語の意義と文での意味を混同し同一次元で論じる誤りです。
だい‐だんえん【大団円】
小説・劇などで、めでたく解決がつく最後の場面。おおぎり。カタストロフィ。黒岩涙香、鉄仮面「―は何れも本懐を遂げて…めで度めで度の常套語にて終を告げ」
【広辞苑】
などと逃げを打つのではなく、自己の理解、論理の誤りを深く自覚、反省していただきたいものです。
そうでなければ、ここまで応答して来たことが無駄になります。
貴文法理解がどの程度かは、
【現在進行形「している」の連用形「してい」】+【接続助詞「て」】という構造。
などと回答されていることからも明らかです。
ご自身の限界を超えていただくべく、懇切丁寧に解説し続けてきたつもりですが。■
No.56
- 回答日時:
#54です。
>・格助詞「に」は、話者が場所「庭」が、「(鶏が)いる」の空間的な『位置であると認識している】ことを示している。(大辞林)
などと『認識」には触れていません。それは、当方の指摘を考慮し回答者が再解釈したものです。この解釈が、正しい理解に基づいたものか、口先だけの言葉の綾なのかが問題です。
:
最初から、このように答えれば良いのですよ。
まさに、その点こそが肝なのです。
そして、まさに、そこがあなたの勘違いであることを、懇切丁寧に解説してきているのですが、まったく理解できておられないようで。
端的に言うと以下のようになる。
大辞林の元語釈は以下のとおり。
【動作・作用が行われ,また存在する,時間的・空間的な位置や範囲を示すのが本来の用法】
「空に星がまたたく」
などという例文が挙げられている。
つまり、大辞林は、
この格助詞「に」は、話者が場所「空」が、「(星が)またたく」ところの空間的な『位置であると認識していることを示している。
と言っているわけですよ。
あなたの曲解しているように、「に=場所」だなんてことは、大辞林をはじめ、誰一人として言っていないということに、そろそろお気づきになってください。
もうおわかりでしょう?
妄想は終わりにしましょう。
>
★庭で遊ぶ。
★庭を通る。
これらの格助詞「で」「を」も場所自体を表わすのではない。これらが、客体の認識を表わすという誤った教育により、日本語学習者に格助詞の誤用が絶えない。
:
こちらも同様。
「で」「を」が【場所自体を表わす】なんて誰も言っていないのですよ。
あなたが、【場所自体を表わす】と【場所を表わす】を混同しているだけの話なのです。
つまり、【場所自体を表わす】わけではないが【場所を表わす】ということ。
冷静に、そして素直に考えてみれば難しい話じゃないはずです。
>>【場所自体を表わす】わけではないが【場所を表わす】ということ。
何を言っているのか不明な文ですね、これでは、
日本語学習者に格助詞の誤用が絶えない。/
のも当然で、この事実を指摘している、<場所を表す名詞に下接する格助詞「に」「で」「を」について-日本語教育の観点に基づく先行研究の整理と課題->の内容が理解できませんか。そして、
このことは存在揚所「に1の習得をU字型に発達させている要因の1つの’可能性に過ぎない。他にどのような要因があるのかを調査し,それらの要因が,どのような順に見られなくなっていくのか等について探求したいと考えている。これは今後の課題である。/
と問題が解決していない事実をどのように理解されるのでしょうか?
一人よがりでは何の解決にもなりません。
いくら、具体的に指摘しても問題を問題として理解する力がないと如何ともしがたいということですね。
冷静に、そして素直に考えてみれば難しい話じゃないはずです。■
No.55
- 回答日時:
#53です。
1.
あなたは#48で、
《根本的な相違は、話者の認識を表わすのか、客体である点を表わすのかということです。》
と明言されている。
格助詞「に」は、話者が場所「庭」を「(鶏が)いる」空間的な位置として認識し表している。(アスナロウ)
これが正しいのであって、
格助詞「に」は、話者が場所「庭」が、「(鶏が)いる」の空間的な位置であると認識していることを示している。(大辞林)
は間違いである、という意味ですよね?
ですから、
※・格助詞「に」は、話者が場所「庭」が、「(鶏が)いる」の空間的な位置であると認識していることを示している。(大辞林)
のどの箇所が『客体である点』を表わしているのか、明確に指摘してください。※
と何度もお尋ねしているわけ。
簡単な質問でしょ?
ご自分の発言には責任を持ちましょうよ。
そろそろ、論点をずらさず明確にお答えください。
2.
hakobulu⇒私の記述は、
【B】⇒「に」は時間的・空間的な位置や範囲を示す。(大辞林)
という本来の辞書解説が誤りだと、私が自覚していることになる。
アスナロウ⇒その通りです。
問題は単なる口先だけの言葉の綾なのか、正しく内容を理解しているかです。
そのポイントは再三再四指摘の通り、下記の点にあるので、良く理解して下さい、
:
ここまで都合よく切り取られると、笑が止まらん。(笑)(笑)
以下のように、全文を引用してもらいたいものですな。
※これは、
【A】⇒格助詞「に」は、話者が場所「庭」が、「(鶏が)いる」の空間的な位置であると認識していることを示している。(大辞林)
という私の記述は、
【B】⇒「に」は時間的・空間的な位置や範囲を示す。(大辞林)
という本来の辞書解説が誤りだと、私が自覚していることになる。
という意味なのでしょう。
しかし、これはまったくの勘違い。
辞書の語釈【B】をあなたにわかりやすいように翻訳するなら【A】という内容になるのですよ、と申し上げているわけ。※
ウマシカなのか下司なのかはわからんが、いい加減にしてもらえませんか?
>>私の記述は、
【B】⇒「に」は時間的・空間的な位置や範囲を示す。(大辞林)
という本来の辞書解説が誤りだと、私が自覚していることになる。
その通りです。
それが、正しい理解か否かは、再三再四指摘の通り、下記の点にあるので、良く理解して下さい、
【助詞はそれ自体が ある事物(場所や所有者)や動作・状態を表さない。】
【格助詞は語と語の資格、関係認識を直接に表現するもので、客体の認識を表現するものではない。】
つまり、
(hakobulu)
着点という認識に関係している。
は根本的な誤りである。
★庭で遊ぶ。
★庭を通る。
これらの格助詞「で」「を」も場所自体を表わすのではない。これらが、客体の認識を表わすという誤った教育により、日本語学習者に格助詞の誤用が絶えない。
ということです。理解できますか。
ウマシカなのか下司なのかはわからんが、いい加減に理解してもらえませんか?■
No.54
- 回答日時:
#52です。
>>>どの箇所が『客体である点』を表わしているのか、明確に指摘してください。
に
〔助詞〕
➊(格助詞)時間的・空間的・心理的なある【点を指定する】のが原義で
【広辞苑】
で、(大辞林)というのは嘘ですね。
:
何が『嘘』なのですか???
・格助詞「に」は、話者が場所「庭」が、「(鶏が)いる」の空間的な位置であると認識していることを示している。(大辞林)
というのが嘘だと???
どこが嘘だとおっしゃっているのか、はっきりとお示しください。
>再三再四指摘の通り、ポイントは下記の点にあるので、良く理解して下さい、
【助詞はそれ自体が ある事物(場所や所有者)や動作・状態を表さない。】
【格助詞は語と語の資格、関係認識を直接に表現するもので、客体の認識を表現するものではない。】
:
だから、その【】内の命題と、
・格助詞「に」は、話者が場所「庭」が、「(鶏が)いる」の空間的な位置であると認識していることを示している。(大辞林)
という語釈に相違は無いですよね?
と申し上げている。
ここまで論点を外そうとするのはなぜ????????(笑)
何回目かの繰り返し質問ですが以下に再掲しますから、逃げずに答えてください。
※・格助詞「に」は、話者が場所「庭」が、「(鶏が)いる」の空間的な位置であると認識していることを示している。(大辞林)
のどの箇所が『客体である点』を表わしているのか、明確に指摘してください。※
>>どこが嘘だとおっしゃっているのか、はっきりとお示しください。
分からん人ですな!
(格助詞)時間的・空間的・心理的なある点を【指定する】
【広辞苑】
で、語が客体的な点を指定すると記しており、
・格助詞「に」は、話者が場所「庭」が、「(鶏が)いる」の空間的な『位置であると認識している】ことを示している。(大辞林)
などと『認識」には触れていません。それは、当方の指摘を考慮し回答者が再解釈したものです。この解釈が、正しい理解に基づいたものか、口先だけの言葉の綾なのかが問題です。
そのポイントは再三再四指摘の通り、下記の点にあるので、良く理解して下さい、
【助詞はそれ自体が ある事物(場所や所有者)や動作・状態を表さない。】
【格助詞は語と語の資格、関係認識を直接に表現するもので、客体の認識を表現するものではない。】
つまり、
(hakobulu)
着点という認識に関係している。
は根本的な誤りである。
★庭で遊ぶ。
★庭を通る。
これらの格助詞「で」「を」も場所自体を表わすのではない。これらが、客体の認識を表わすという誤った教育により、日本語学習者に格助詞の誤用が絶えない。■
No.53
- 回答日時:
#51です。
1.
>「~という点に根本的な欠陥があります。」と提起していますが、近視眼では理解できないということですね。
<「カキ料理構文」に見る「ハ」「ガ」論の混迷>
で、混迷の内容と問題点を示していますが。
:
論点をまったく理解しておられませんね。
『根本的な欠陥』の根拠を、アスナロウさんはまったく示していない、という点が問題なのですよ。
こちらとしては真意を理解したくて色々質問していますが、まともな応答はできていないじゃありませんか?
《しかし、言語は話者の認識の表現であるという言語本質観に基づき、「カキ料理構文」を分析すれば、それは話者による対象の捉え方の相違に他ならない。》
とおっしゃっていますが、そんなことは当たり前のことだということを何度も申し上げている。
であるのに、それを再掲することで『問題点を示しています』と片づけようとするから、会話が隘路に嵌り込んでしまうわけ。
この構図をよく理解しょうよ。
こうした論点に基づき、私は下記のように真摯に質問している。
ここには、問題点が凝縮されている。
つまり、これに答えることこそが正しい応答になるのです。
※・格助詞「に」は、話者が場所「庭」が、「(鶏が)いる」の空間的な位置であると認識していることを示している。(大辞林)
のどの箇所が『客体である点』を表わしているのか、明確に指摘してください。※
2.
こうした無理解と関係しているかもしれないのでもう一点指摘しておきます。
#48お礼欄で、
>しかし、回答者の認識も当方の指摘により徐々に辞書の解説の誤りを自覚しつつあるのは喜ばしい限りです。
:
とおっしゃっていますが、
これは、
【A】⇒格助詞「に」は、話者が場所「庭」が、「(鶏が)いる」の空間的な位置であると認識していることを示している。(大辞林)
という私の記述は、
【B】⇒「に」は時間的・空間的な位置や範囲を示す。(大辞林)
という本来の辞書解説が誤りだと、私が自覚していることになる。
という意味なのでしょう。
しかし、これはまったくの勘違い。
辞書の語釈【B】をあなたにわかりやすいように翻訳するなら【A】という内容になるのですよ、と申し上げているわけ。
だから、
【A】⇒格助詞「に」は、話者が場所「庭」が、「(鶏が)いる」の空間的な位置であると認識していることを示している。(大辞林)
という本来の辞書語釈と、あなたの言う、
【C】⇒格助詞「に」は、話者が場所「庭」を「(鶏が)いる」空間的な位置として認識し表している。(アスナロウ)
とは、同じことを言っているのですよ、と。
しかし、あなたは、
《根本的な相違は、話者の認識を表わすのか、客体である点を表わすのかということです。》
とおっしゃるから、
※では、
・格助詞「に」は、話者が場所「庭」が、「(鶏が)いる」の空間的な位置であると認識していることを示している。(大辞林)
のどの箇所が『客体である点』を表わしているのか、明確に指摘してください。※
と要請している。
これが判明すれば、食い違いの要点が明確に浮き彫りになりますよね?
余計な例を持ち出したりせず、的確に答えてください。
逃げずに真摯に答える責任が、あなたにはあります。
1.
論点をまったく理解しておられませんね。
>>それは話者による対象の捉え方の相違に他ならない。》
とおっしゃっていますが、そんなことは当たり前のことだということを何度も申し上げている。
何度もとは具体的にどこを指されているのでしょうか。
良い、問題提起をいただきました。
正に、当たり前のことを論じることができずに、ピント外れの議論しかできない点が根本的な誤りだということです。これを「そんなことは当たり前のことだ」しか捉えられない感覚では問題を理解できないということです。
野田, 尚史の論文のどこに、話者の認識、認識対象という語、説明があるのでしょうか。あれば指摘いただければ幸いです。
この欠陥が、『「は」と「が」 (新日本語文法選書 (1))』( 1996/11/1)まで一貫していることが問題だということです。
この構図をよく理解しょうよ。
>>私の記述は、
【B】⇒「に」は時間的・空間的な位置や範囲を示す。(大辞林)
という本来の辞書解説が誤りだと、私が自覚していることになる。
その通りです。
問題は単なる口先だけの言葉の綾なのか、正しく内容を理解しているかです。
そのポイントは再三再四指摘の通り、下記の点にあるので、良く理解して下さい、
【助詞はそれ自体が ある事物(場所や所有者)や動作・状態を表さない。】
【格助詞は語と語の資格、関係認識を直接に表現するもので、客体の認識を表現するものではない。】
つまり、
(hakobulu)
着点という認識に関係している。
は根本的な誤りである。
★庭で遊ぶ。
★庭を通る。
これらの格助詞「で」「を」も場所自体を表わすのではない。これらが、客体の認識を表わすという誤った教育により、日本語学習者に格助詞の誤用が絶えない。■
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言い忘れましたが、
>>非常に簡単なこの点において、なぜ食い違いが生じるのか
は、ソシュール言語学の根底にある物自体の認識を不可とする不可知論というカント哲学の発想の呪縛にあります。
スマホを使用し、原爆、人工衛星が実用化された現代人がこのようなパラダイムに呪縛されているのは奇妙なことですが、それを超える論理へと止揚されなければ、天動説を超えられないのと同じ事態です。
>>文の解釈に、いったいどのような深刻な差異が生じるとおっしゃるのか?
表現された結果としての文の解釈ではなく、話者の認識を文に表現しようとする時に、どのような深刻な差異が生じるかは、先に提示した「岡田 美穂,奥田 俊博」による論考が明らかにしています。
そして、
・hakobulu=「に」は、着点を表わす。
と表現するのが妥当と考えているところ。
などという理解では、何の役にも立ちません。■
日本語学習者用の本を見ると、ご丁寧に、格助詞「に」の説明として「到達点」と絵を書き、矢印で示しているものがあります。
これでは、誤解しろと言っているとしか見えませんね。
こうした現在の日本語教育文法の限界は、
白 川 博 之
「日本語研究から日本語教育研究への越境」
https://www.jstage.jst.go.jp/article/nihongonoke …
で、
かつて日本語教育からのニーズを背景に進展した日本語文法の記述的研究も、【今世紀に入る頃から目的を失い閉塞状態が続いている】という指摘がある。しかし、実際には、日本語学習者・教授者に供されうる文法記述にはまだ不足していることがたくさん残っている。/
と、問題認識されてはいますが、「ソシュールパラダイム」を克服することなしに解決は得られないということです。■
なお、ここに述べられた格助詞「に」「を」の粗雑な誤った理解による教育が学習者を混乱させていることが、上記の「岡田 美穂,奥田 俊博」による論考他で指摘されていますので、拳拳服膺願います。■
>>「場所・範囲を指定する」
と解釈することによって、どのような問題が発生するのか?
ということです。
論点をずらさす簡潔にお答えいただけると有難いですね。
このような誤った言語実体観の発想が、助詞「は」「が」構文の理解を如何に歪めるかという重大な問題の事例を「カキ料理構文」の解釈について指摘しました。
「カキ料理構文」に見る「ハ」「ガ」論の混迷
https://mixi.jp/view_bbs.pl?comm_id=2748&id=9262 …
日本語教育における問題点は質問の中にて指摘の通りです。
これらに対し無視、回避、論点をずらすことなく、お考えを伺えれば幸いです。
簡潔でないのは、事柄の性質上避けがたいのは已むを得ませんが。■
>>都合の良い例を挙げましたね。
:
ま、気持ちはわかりますが。(笑)
などと逃げ回っているのはどこのどなたでしょうか。
未だに、「私的には仮命題としての表現だが)と断っている」などという体たらくではどうしようもないのが理解できませんか?
改心して、早めに牽強付会を脱しましょう。(笑)
というより、言語とは何かを正しく理解し、論理的、科学的な文法理解を深めましょう。
その一助として応答しているのですが。■
なお、認知言語学の助詞論に対する批判は、
認知言語学の欠陥を露呈する助詞論
https://www.amazon.co.jp/gp/customer-reviews/RYI …
を参照下さい。
所詮、この程度の代物です。■
なお、
野田尚史
<文の構造と機能からみた日本語の主題>
https://tsukuba.repo.nii.ac.jp/?action=pages_vie …
を参照下さい。
ここに、氏の機能主義的な発想が良く示されており、今日までそのパラダイムは変化していません。
これは、生成文法、寺村秀夫の発想を引き継ぐものです。
生成文法批判は、
http://okrchicagob.moto-chika.com/DME/work/GJBHG …
を参照下さい。■
【学研国語大辞典】
のどこが、「言い得て妙」ですか。
「時間・空間・心理上ノ静止点)をそこと指定」とは、
【助詞はそれ自体が ある事物(場所や所有者)や動作・状態を表す。】
とし、さらに語が「指定する」という二重の錯誤を示しています。
<「に=場所」だなんてことは、大辞林をはじめ、誰一人として言っていない>というのであれば、具体的に示してもらいたいものです。
あなたの曲解を示されてもどうしようもありません。
>>この~「(星が)またたく」ところの空間的な『位置であると認識していることを示している。
まあ、この解釈自体は正しいのですが、<「に」は、動作の【着点】を表わします。>などと未だに回答しているようでは、単なる口先だけの云い逃れということです。
★「空に星がまたたく」
の「に」が<動作の【着点】>ですか?(笑)
まずは、トマス・クーン『科学革命の構造』を読みましょう。■
7.
>>さあ、答えてもらいましょう。(笑)
「了解しました。」じゃないのですか?
ある程度の読解力が必要ですからね。
>>あなたがおっしゃっていることも間違いだということになりませんか?
なりません。
「空間的な位置として【認識し表している】。」⇒これが目に入らぬか!たわけもの!
助さん:御老公!いや少し、押さえて、押さえて!
御老公:う~ん。頭に血が昇るわ! ここは茅ヶ崎じゃったか? ハッハッハ!
チャンチャン! お粗末の一幕!
<「に」は、動作の【着点】を表わします。>などと未だに回答しているようでは、単なる口先だけの云い逃れということです。
★「空に星がまたたく」
の「に」が<動作の【着点】>ですか?(笑)
ある程度の読解力が必要ですからね。■
この、近藤泰弘は日本語記述文法を提唱していますが、これがどの程度のものかについては、
「羊頭狗肉のコンピューター検索事例集」
https://www.amazon.co.jp/gp/customer-reviews/R3O …
を参照下さい。
また、格助詞「を」の意義が何かは、三浦つとむ『日本語はどういう言語か』の200~201pで詳しく論じられています。これを【じっくり】読み、【深く】理解し、比較して下さい。
目から鱗が落ちると思いますが、さてどうでしょか?■