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私の祖母について 皆さんのご意見をお聞かせください。
祖母は17年前に特定疾患である「ピック病」という病気にかかり、若年にして不自由になりました。年を追うにつれ坂道を下るように衰え、今では要介護5の寝たきりの生活です。会話もできず寝返りさえも自分でできない状態です。食事も流動食で 栄養的にも決して充分に摂取できている状態ではありません。
この17年間、家族も彼女を支えて精一杯の努力を費やしてきました。が、先日、数回目の誤嚥性肺炎で入院した際、医師より「胃ロウ」手術を勧められました。胃ロウ手術については 過去にそのような人たちを見たこともあり、どのようなものか知っていましたが 事実上延命手段でしかなく、その術が祖母にとって 本当に必要なのか 悩んでしまいます。
入院後 医師と何度か協議を重ねてきましたが、現段階では「胃ロウ」を避けて 祖母の生きる道はないようです。(胃ロウを拒否する=見殺しにするも同然 だそうです…)
ここに至るまでにさまざまな苦労と家族の努力と、何より薄れゆく理性のなかでの本人の努力は 一言では言い表すことはできず、それゆえに「そんな手術をしてまで これ以上本人に生きることを強いるのがいいことなのだろうか?」と疑問に感じています。
今となっては 祖母に自己判断のできる能力はまったくなく、手術の判断は 家族に委ねられています。
決断は迫られていますが 福祉サービスでお世話になっている方々、医療スタッフなど回りを取り持ってくださる方々に相談するも、家族で夜中まで協議するも・・・判断をしかねています。
自分たちの判断で 祖母の命の長さを決めてしまうという事実と、自己能力ではなく医療に生かされるということが 祖母に判断能力があったらどう思うだろうか、と 見えない出口を探している状態です。
どんなご意見でも構いません。 できるだけ多くの方にご意見お聞かせいただけると幸いです。

A 回答 (11件中1~10件)

全ての生き物は この世に生を受けた瞬間に、必ず死を迎えることが約束されています。

死は、生きている限り、避けられないのです。
多分、
私も、日々診療していますが、No10の方が言うほど、胃瘻は簡単ではありません。作るのは確かに簡単です(慣れれば15分くらいで可能)が、管理が大変なのです。
栄養剤が合わずに下痢をしたり、飲み込みが悪かったり胃からの逆流があると、口から食べていないのに誤嚥したり、定期的に管を清掃・交換したり、入り口の傷が痛んだり、穴がゆるくなって胃液が漏れたり、栄養剤が腹腔内にもれたり、そういったことも考慮しなければいけません。中心静脈栄養、経鼻経管栄養といった方法にくらべると、管理のしやすさ、合併症、そういったことは、胃瘻の方が手段としてはよりまし、ということは言えますが、そもそも「自然な状態:経口摂取」ではない栄養管理をしてまで、生命を永らえさせることにどれだけの意味があるのか、ということを悩んでおられるのだと思います。
生きているものにとって、死が避けられないものである以上、たいていの方は「楽に死にたい」あるいは「楽に死なせて欲しい」と訴える方がほとんどです。ですから、「自然死(老衰)」と考えて、積極的な栄養管理をしない、というのも、現実的にはあることです。
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胃瘻(胃ロウ)増設イコール延命手段との解釈は、ちょっと誤解のような気がしますね。

と言うのも他にも延命手段はあるからです。例えば中心静脈に点滴カテーテルを留置(IVH or TPN)して、高濃度の栄養剤を点滴するという方法でも延命は可能だからです。しかし安易にそういった方法をとらずに、胃瘻増設で対応しようとする、主治医の判断は賢明な判断だと思います。なぜなら消化器系に問題が無いのならば、胃から栄養を入れてあげれば、ちゃんと消化吸収できるからです。消化吸収能力があるにもかかわらず、他の方法で治療をするのは賢明ではないですね。胃瘻増設をかなり大事と捉えられているように見受けられますが、はっきり言って耳にピアスの穴を開けるのと差ほど変わりありません。再び元気になって、経口摂取が可能になり、胃瘻が不要になれば、抜けばいいだけです。穴は自然に閉じます。ピアスの穴も自然に閉じますよね。増設術も手術などと呼ぶほどのものではなく、一昨日も胃瘻増設に立ち会いましたが、ものの20分ほどで終わり、胃カメラ検査と差ほど変わりありません。麻酔も局所だけですし、身体に与えるダメージも極めて少ないので、高齢者でも比較的安全に行えるものです。参考にホームページを紹介しますので、もっときちんと正しい知識を身に付けてください。悩むのはそれからでも遅くはありません。

参考URL:http://www.peg.ne.jp/index.html
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難しい問題ですよね。


 軽々しく回答してもいいものかと、回答にもかんがえさせられました。
 生きるという事を考えるのは難しいので、私は、人は生かされてるのだと考えています。どんな決断をしても、それは運命(?)できまっていて、その時その方法をとってもとらなくても結果は決まっているのだと思っています。悩まないといけない時は、思いっきり悩み、悩んでだした答えに間違いはないと思います。どちらを決定しても、良い所と、悪い所はありますよね。考えて自分の納得いくまで考えて出して見てはいかがでしょうか?決めたらそれは正しい事と、思い込むのが、良いと思います。どちらを決定しても、お母さんは、ほめてくれると思いますよ。
 なんか宗教じみてしまいましたが・・。気分を害してしまいましたらすみません。
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 誤嚥性肺炎は食べ物が間違って肺に入っているためおこる肺炎です。

繰り返す場合は、胃ろう造設術もやむおえないでしょう。医学的には適応があると思います。(胃ロウを拒否する=見殺しにするも同然 だそうです…)というのは表現がきついかもしれませんが、やはり今後重度の肺炎を引き起こす可能性が極めて高いとおもいます。

 ただ、私も患者様を見る立場としていつも迷うのです。多くの人が「生きたい」と思いながらそれを果たせず、一方、同じくらいの方が「生きていることの重み」に苦しんでおられることを。

 もし胃ろうを作らず、誤嚥性肺炎が悪化した場合、解熱剤(熱さまし)や抗生物質は使用するのでしょうか?まったく何もしないのでしょうか?ここにも矛盾が出てきます。熱が出ている、呼吸も苦しい。だから薬で抑えたい。当然ですよね。でも、もともとの原因を良くしてないからそうなってしまうのです。

 私には未だに解答が出ません。正しい解答があるかどうかもわかりません。ただ結論がどちらであっても十分にお話されて、ご本人もお身内の方も医療関係者も納得していただけるようになることを祈っております。
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終末期医療における中止の問題はアメリカでも問題になっているようです。

基本的に家族の理解が難しい面もある一方で、医療費削減の必要性も切迫しています。

「医学的無益(medical futility)をめぐって」
というタイトルでアメリカの現状について書かれた文章↓を参考にして下さい

参考URL:http://www.igaku-shoin.co.jp/nwsppr/n2004dir/n26 …
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私のような若輩者が意見するのは大変恐縮ですが、


たくさんの方の意見が聞きたいとの事ですので、
一意見として聞いていただけたら、と思って書きます。

私の祖母も20年間糖尿病を患い、苦しんだ末に亡くなりました。
決して病気が治るわけではないのに、何度も延命手術をしましたが、
そのほとんどが祖母の意思ではなく、家族の意思でした。
でも病気が悪化してくると、意識も少なく身体も動かせなくて、
動いているのは心臓だけ……。
「生きる」というのは、一体どういう事なんだろうと深く考えました。
「少しでも長生きして欲しい」というのは家族みんなの答えですが、
実際に苦しむのは祖母です。私達には計り知れない苦しみです。
延命手術は私達家族のエゴだろうか、と悩みました。

でもどれだけ考えたって、万人共通の答えなどみつかるはずもなく…。
どれが正解で、どれが間違いかなんてないと思うんです。
家族の皆さんがお祖母様の事を深く想って、考えに考え抜いた結論なら、
どちらになったとしても、きっとお祖母様は幸せだろう、と思います。
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難しい問題ですね。


私は去年祖母を亡くしました。
自宅介護はできないので、最後は特別老人施設に入ってもらいました。私も母も看護婦をしていますが、我が家の決断は「延命しない」となり、自然の成りゆきに死を委ねました。
私個人の意見としては、たぶん、点滴したり、経管栄養などをすればもう少し長生き出来たと思いますが、やはり自然の摂理に従って生きる方が「人の人生」のような気がしています。
自分の時も、自分の両親の時も、そういう時が来たら(本人の判断が不可能になった時点)延命はせず、自然の摂理に任せたいと思っています。
しかしNo2さんのお気持ちもよくわかります。
何とか長く生きてもらいたいと思い、試行錯誤の日々だったと思います。しかし、腹水を抜いたために急変し亡くなってしまうケースも多々あり、そういう時には腹水を抜かなければよかったと後悔します。
私は看護婦をしているため、患者さんの死に直面する機会が多く色々な家族を見てきました。死の受容が出来ない家族はどちらにしても後悔しているように思います。死の受容はなかなか出来るものではなく、仕方のない事です。ほとんどの方がそうだと思います。
手術をしてもしなくても、やはりああすれば、こうすればと考えてしまいがちですが、どちらを選択してもそういう気持ちになるということを知っていて欲しいと思います。
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そういう患者さんに接することが多い医師です


自分の親なら胃ろうも経口栄養も中止します。
人間の尊厳の問題もあるし、楽だろうからです。
呼吸困難になると苦しいので、できるだけ誤嚥は避けるようにしたい。
経口栄養や経管栄養をするぐらいなら胃ろうのほうがましだと思います。延命するかどうかは哲学や家族の希望にもよるでしょう。
とにかく、本人が楽になることを重視します。
それ以上はどうしようもない。さんざん診てきましたがいつも結論は変わりません。
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こんばんは。


私の個人的な意見になってしまいますが、
「生きる」というのは、今、現在この時を「生きる」というのもあるけど、今まで「生きてきた」という「生きる」もあると思うんです。
おばあさまは、(お年は存じませんが)生まれた瞬間から、間違いなく今この瞬間まで、強く生きてきて、
いっぱい、色々な楽しいこと、辛い事を経験なさってきたことと思います。
生きてきた証が、ちゃんとおばあさまにあって、
手術が「延命手段」としてしか意味がないのなら、
私は手術をせずに、今の状態を続け、自然に死を迎えてもいいのではないかと思います。
人は必ず、遅かれ早かれ死が訪れる。
すごく、すごく悲しい選択だけど、見殺しなんて思いません。今まで、頑張って、おばあさまは一生懸命生きてこられたと思うから...。
あなた方、家族がどんな結果を出しても、おばあさまは何も怒らないと思います。

自分達の判断で、人の命の長さを決めなくてはならない、深刻さ、重さ、相当なものだろうとお察し致します。
何も家庭の事情を知らず、生意気なことを書いてしまいましたが、すみません。。
こんな考えもあるんだ..程度に思ってくだされば結構です。
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少し同じ経験があるので、答えさせていただこうと思いました。




ボクの父方の祖母は2年前他界、母方の祖母は去年他界しました。
2年とも要介護者でした。

父方の祖母は、肺炎になってから亡くなるまで1年も経たず。痴呆症も進行し、最後は誰が来ても分からず話しも出来ず、酸素は欠かせない状態。
老人ホームや病院の入退院を繰り返し、家にいる時は母が仕事の休憩時間の度に帰ってきては、床ずれができないように体の向きを変えたりしていました。

母方の祖母は、13年前に倒れてから左半身不随で、一時期は杖をついて歩ける状態にはなりましたが、5年くらい前に再び倒れ、ずっと車椅子生活(自分では用もたせず、起き上がることも出来ない)でした。自力で動かせるのは、口と右手くらいしかありませんでした。
要介護者になってからは、祖父がほとんど一人で日常の介護をしていました。
最後は病気になり、1週間くらいで亡くなりました。水を抜いてもらう予定だった前の日に。
ボクの誕生日の翌日でした。


ボクは祖父や母の介護する姿を見てきているので、介護の大変さはよく解ります。
すごく、すごく大変ですよね。
事実、祖母がなくなった時、母がホッとしていた所はありました。
でも。でもね。
それは『生きる』より重要ですか?
母方の祖母は、もう少し早く水を抜いてもらっていたら…
でも体力が無かったんです。だから出来なかったんです。
もう1日待ってくれていたら、もっと生きられたのに・・・その思いが消えません。

手術するか、しないか。
それは本人が言えない分、本当に決断を下すのは難しいですよね。
でも、後で後悔しても遅いんです。
どぅか、後悔しない道を…。


すみません。あんまり参考にならないかも;

苦しんでいる、おばぁさんの為にも、良き決断が出来ることを陰ながら祈っております。

それでわ。。。
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