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左翼年表
明治維新後、近代化した日本は、欧米のマネをして領土を拡張することが一等国だと勘違い。大陸に侵略の目を向けた。そのスタートが日清・日露戦争であった。
何とか大陸に進出したい日本は、武力で韓国を脅し、植民地にしてしまう。日本の統治は韓国人に大変な恐怖と苦痛を与えた。

右翼年表
アジアで唯一近代化できた日本は、他のアジア諸国が欧米の植民地にされている現状に危惧を覚えていた。
とくにロシアの南下が最も日本には脅威であった。それを阻止するために日本は立ち上がったのである。 
日本は、かろうじて日露戦争に勝ったものの、ロシアの脅威は消えなかった。そこで日本は韓国と協力して対ロシアに備えたかったが、韓国はまったく聞く耳をもたなかった。
そこで日本はやむなく韓国の併合に踏みきった。

A 回答 (4件)

どちらも間違い。


左翼年表なるものは「明治維新後、近代化した日本は、」以降が全部間違い。表現の違いというより、どこかにある不思議な価値感を基準にして書いた作文。
右翼年表なるものも、どこかにある不思議な価値感を元に所々美談に仕立てた作文。現実はもっとドロドロ。
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両方とも違います。



上海に出かけて高杉晋作等は、欧米列強の奴隷と
化している中国を目にして、危機感を抱き、
これが明治維新になるわけです。

その後は、列強に対する防御ということで
日清日ロ戦争があったわけです。

日清日ロ戦争は、朝鮮半島を巡る戦争でした。
半島が列強の植民地になったら、日本の安全が
脅かされるからです。

その証拠に、日本は地球の裏側を植民地化する
ようなことはしませんでした。
また、欧米が植民地人を奴隷化して、資源を強奪
したようなこともやりませんでした。
逆に、インフラを整え、識字率を上げました。
これらはひとえに、日本が、植民地にされまい、とする
戦略だったからです。





そこで日本は韓国と協力して対ロシアに備えたかったが、
韓国はまったく聞く耳をもたなかった。
そこで日本はやむなく韓国の併合に踏みきった。
  ↑
この部分は間違いです。
時の、韓国首相「李完用」が、与党「一進会」
の賛同を経て、日本に併合を依頼したのです。

だから、李完用は、韓国史上最大の悪人に
されているのです。

日本は再三断ったのですが、四度目の依頼に
応じることにしました。
日本としても、半島にロシア軍が入ってくるのを
恐怖したからです。



併合については、韓国内でも、↓のように意見が分かれていました。

賛成派:李完用(総理大臣)を含む閣僚の約半数と、李用九の文明開化派の最大政治組織「一進会」。
反対派:皇帝高宗や両班や儒者達など、併合により既得権益や地位が危うくなる人達。

日韓併合論については、併合以前からも日韓両国でそれぞれ議論されていました。
そして、当時の日本は併合反対派の方が多数でした。
このように積極的でない日本に対して、
韓国の一進会は「韓日合邦を要求する声明書」として、↓の上奏文と
請願書を李完用総理と純宗(皇帝)と曽祢荒助統監に提出しました。

ーーーー略ーーーー

しかし、曽祢荒助統監は併合反対派で、これらを時期尚早として却下しています。
理由は、清国やロシアの影響力は排除したが、朝鮮の実情は、
未開の原始社会に等しく、
これを日本の一地方とするには莫大な負担がかかるばかりで
何の利益もないという事です。

一進会はその後も、上奏書の提出を繰り返し、
四回目に桂首相の指示により受け取られ、併合が実現しました。
これが日韓併合の経緯です。
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質問文にお書きになっていることに限って申せば、どちらも正しいです。

どの角度から見るかによります。歴史はたった一人の人物によって成り立つわけではありませんので。

一方で、リンク先にある、例えば「いまでもそれらの国は、日本に感謝している」という記述が正しくないのは知っています。支配国が欧米であれ日本であれ、支配されていた過去を国単位で手放しで喜ぶ独立国などありませんので。また、実際には、それらの国々の今の中高年以下の世代は概ね、日本を何とも思っていないか、他の国と同様に好意的に思っているかのどちらかで、とりたてて「感謝している」という意識があるわけではないと、私が会った皆さんはおっしゃっています。
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どっちも違いますね。

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