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とあるまとめサイトを読んでいて疑問に思ったことがあります。

大日本帝国(技術C 戦術S 士気S 国力G)←こいつが天下取れなかった理由
http://military38.com/archives/54713034.html

このまとめの冒頭で、「技術力が無かったから天下が取れなかった」と言う下りがあるのですが、
「核兵器も作り方自体は分かってたけど技術力無くて作れ」なかった
「技術力低かったから職人の力でようやく整備性悪いけど他国と比較できるくらいのエンジン作れた」
と言う別のユーザーからの補足がありました。

この技術力と言うものを具体的に定義するとどんなものになるのでしょうか。
上記の文章で疑問なのは、「作り方自体は分かっている」=「技術力がある」のではないか、「職人の力で底上げして他国と比較できるくらいのエンジンを作れた」=「技術力がある」のではないか、と直感的に思い、ここに矛盾を覚えました。
しかし、スレッドはそのような矛盾は無いかのように進行していきます。

これは
・理論設計があっても、その製品を実装できる製造方法がなかった。
・製造方法が分かっていても生産設備がない、あるいは設備をどう建造すればいいのか分からない。
と言うような、「設計はできるが」「その部品を製造するための製造ラインが設計できない」あるいは

・アルミ精製で大電力が必要になるように、生産に必要な前提インフラが整っていない。
・製造原材料がそもそも輸入できない(鉄などが入ってこない)。
・製造ラインをまわすための石油が手に入らない。
と言うような、「知識はあるけど」「前提設備や資材がないから」製造できないんだ、と言う形の生産・製造不可を指して「技術力がない」と言っているのかを想像しましたが、これで合っているかどうか分かりません。

どなたかお分かりになる方がいらっしゃいましたら教えて下さい。

A 回答 (6件)

…参考程度に。



 誉の開発過程なんかを見るとなるほどねぇと思いますよ。確かにエンジンは作れるけどエンジンオイルは作れない(当時は開戦までに備蓄したアメリカの自動車用オイルを使うしかなかった)とか、オクタン価100のガソリンを使わせてもらえる前提で設計していたのに途中で「そんなん出せない」になっちゃっていろいろ、とか。

 まあ、空気抵抗を減らしたいので前面投影面積の小さいエンジンを作りたかったが液冷(水冷)エンジンを作れないもんだから詰め詰めに詰めた空冷星形の大出力エンジン(誉)をやらざるを得なかった、というのが”技術力”なんでしょうね。

※誉自体はちゃんと(ツボを押さえて)運用すれば相応の稼働率を出せたので、世間で言われるほどの失敗作ではないと思いますがね。そういうマニュアルをちゃんと作れないのも技術力か。
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>>量産化はOK、精度もOK、だけど未だに公差が


>と言うのは、公差は設計上で許容できる設計上での誤差、と理解していたのですが、文脈からすると別の意味なのだと思っています。この公差の定義が何か、時間があれば教えて頂けないでしょう以下。
>公差→設計上の許容できる理論上誤差、精度→作った製品を測ったら測定された結果としての誤差
>と考えた場合に、精度での誤差が公差内に入っていればいいんじゃないのかと考えてしまいました。

すいません、うまく説明できていませんでしたね。日本の工業の精度は、昔は駄目でしたが今は良くなりました。これが前提。これで救われてしまっているものが多いのではないないか、救われていて気付いていないだけで、公差の何たるかは雑でお飾りとして扱われているのではないかというのが、私の言いたい部分です。ちなみに昔も公差は表示されていましたが、製造検査ではねられることもなく、組み付けで調整もしくは返品だったのでしょう。戦後の小銃修理(修理して朝鮮戦争に転用する)では米軍工廠と部品供給下請けの話がかみ合っていなかった、それどころか自分も含めてみたいな話を、豊和の設計者(当時は官側)からお聞きしたことがあります。

で、設計も公差を見込んだ設計をするのですが、最大公差と最小公差の組み合わせになった途端、組み付けが駄目になるのです。入らない、はまらない、ぐらつく、がたつきとかです。
こうなると設計側が示した公差は一体何なのか、お決まりのパタンで「これぐらいの数字にしておけばいいか」とか「JISではこうだから」をやっているだけなのではないかと疑問が涌きます。

90年代の経験ですが、RS232Cコネクタにどうしてもケーブルが挿さりませんでした。一流の工業製品です。だってH製作所のものですから。三流wのケーブルは挿さります。寸法を厳密に測定して照会したとこと、どちらも公差内だそうです。当時はH工機も配下に抱えていた時代、H工機は遡ればH兵器、ガス電Hという名称だった時期もある名門です。そのコネクタがH工機の機械で作られたかは定かではありませんが、親会社からして・・・なんでしょう。しなみにH兵器の高射砲は・・・だったそうです。やっと兵器の話に戻って来れました。

米軍では元設計が駄目だとか、実戦投入して初めて役に立たないことは分かった兵器というのはありますが、基本設計もよくて用法もあっていて戦況とも合致していて、でも現場では・・・というのは少ないように思います。この辺もうまく言えていないのですが、日本の大東亜戦争中に軍用品は、「思想良し、発想良し、後は現場で鋭意調整せよ」が多いのではないかという気がしています。
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個人的な見解ですが、当時の核兵器のように一点物は除いて、以下のような状態にあったのではないかと思います。


・開発できても量産できない
・量産できても精度が維持できない
・精度が維持できても公差が満たせない

これは現代の日本の工業力にも当てはまるもので、量産化はOK、精度もOK、だけど未だに公差がねぇ、ということをしばしば感じます。
戦時中ですと、生産されて戦地に移送された小銃を、「まずはバラして組み付けのよいもので組みなおす」ということをしていたそうですが、これは精度と公差の両面の問題解消です。
兵器生産に動員された女学生の頑張りは認めますが、末期はとても使える品質ではありませんでしたし、女学生でも作れるように現場レベルで改変した仕様は更に拍車をかけました。これは量産(当時は、形だけのものを沢山作ること)に重点を置き、全部ダメにしてしまった例です。

ちなみに精度を維持し、それなりの公差も維持して大量生産できた米国でも、二次対戦中の小銃はセミオートのM1止まりでフルオート機能はありませんでした。つまり世代的には当時の先進国であるアメリカでもちょっと遅れている。実はフルオート機能も付いた小口径のピダーセンという時代を先取りしたものも試作評価されたのですが、「男は黙って.30口径」を主張したマッカーサーという人に潰されていますw これなどは政治とか有力者の口添えで30年くらい進化が停滞した例です。

ちなみに一点物である核兵器。当時の日本の核兵器開発は、「ガンバレル型を作るにはウランの濃縮が必要だが、濃縮のための電力が確保できない」、「爆縮型を作るにはプルトニウムの濃縮もさることながら、爆縮レンズを作る能力が足りなかった」という工業力の無さ、基礎体力の無さが原因と見ています。
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この回答へのお礼

すみません、理解が浅かったので追加で質問をさせて下さい。

>量産化はOK、精度もOK、だけど未だに公差が
と言うのは、公差は設計上で許容できる設計上での誤差、と理解していたのですが、文脈からすると別の意味なのだと思っています。この公差の定義が何か、時間があれば教えて頂けないでしょう以下。
公差→設計上の許容できる理論上誤差、精度→作った製品を測ったら測定された結果としての誤差
と考えた場合に、精度での誤差が公差内に入っていればいいんじゃないのかと考えてしまいました。

>現代の日本の工業力にも当てはまるもので
こちらは少し質問の核心に近い部分です。
これって何をすれば対策・対応できるか心当たりなどありますでしょうか? 
良い製造機械を買えば万事解決になる感じでしょうか。

お礼日時:2020/06/20 02:04

どれでもありえますね。



太平洋戦争の日本とアメリカの技術力の差は
「設計や技術は理解しているが、それを実現するノウハウが無い」と言うことに尽きたといえます。

たとえば日本のエンジンは自動車用でも航空機用でも、ガスケットという鉄と鉄の間に挟んで機密を保つパッキンが全くダメで、だからオイル漏れなどを起こしやすくなっていました。

日本は刀鍛冶の伝統があるので、鉄製品はそれなりの物が作れたのですが、鉄じゃない部品、パッキン類とかゴム製品などの品質が低かったのです。

で「何で低いか」というと、ノウハウがないからで、たとえばゴムは固くするとか長持ちさせるとかの違いはちょっとだけ硫黄の配合を変えるだけ、だったりしたのですが「硫黄の配合をこれだけ変えるとこういう風に使える」というようなノウハウがほとんど無かったのです。だから兵器を作る「技術」が低いとされたのです。

>「技術力低かったから職人の力でようやく整備性悪いけど他国と比較できるくらいのエンジン作れた」
というのは、こういう問題に対して「パッキンが弱いなら、パッキン無しでも機密を保てるように鉄がピタッと密着するように凹凸をゼロにすればよい」というとんでもない職人技を使った、ということです。

で、じゃなんで「ゼロ戦はあんなに優れていたのか?」というと、当時の航空機開発はまだまだノウハウが固まっていなくて、特にオール金属製の飛行機の開発はほとんどどこの国もやっていなかったからです。

なので日本はゼロ戦を作るときに
・全部ジュラルミンで作る
・沈頭鋲という当時開発されたばかりの素材を使う
などの何処の国でも現実だけど、誰もやっていないことをやったことと
・風洞実験の時に、単に小さくするだけでなく、材料の分布も正確に縮小しないとモデル実験にならないこと
・捻じれたりする時の力のかかり方を計算して骨組みに穴をあけても強度が落ちない方法を編み出したこと
など、欧米でもまだ知らないノウハウを手に入れることができたのが、世界で最新鋭の飛行機を誕生させることにつながったのです。

これは実は戦後の新幹線も同じで、当時世界中が航空機に頭脳を集めていたときに、航空機開発を禁止された日本は高速鉄道にゼロ戦などで培った風洞実験などを取り入れたから、世界で最初の高速鉄道運転ができるようになったわけです。

なので
>・理論設計があっても、その製品を実装できる製造方法がなかった。
これは日本には問題なくありましたが、現代でも世界中の国でそういう技術が無い国はたくさんあります。
>・製造方法が分かっていても生産設備がない、あるいは設備をどう建造すればいいのか分からない。
これもそれほど問題ありませんでした。ただ、原子爆弾のレベルになるとウランを濃縮する技術が確立できなくて、潜水艦をドイツに派遣して図面をもらっています。

ちなみに、アメリカは戦後ロケット開発ができなくて、結局ドイツのV-1ロケットの開発者であるフォン・ブラウンに頼ったことは有名ですが、これは「設備をどう建造すればいいのか分からない」という点も大きかったのです。

以下は国力そのものになるので、技術力とはちょっと異なります。
>・アルミ精製で大電力が必要になるように、生産に必要な前提インフラが整っていない。
日本はインフラ整備を分かっていたので、発電所などを必死で作りました。作る技術はあったのです。
>・製造原材料がそもそも輸入できない(鉄などが入ってこない)。
>・製造ラインをまわすための石油が手に入らない。
これも必死で確保するために、陸軍がインドネシアやマレーシアまで進軍しています。これで石油や鉄鉱石などが手に入るようになったのです。

アメリカがすごいのは、これらの国力が日本の30倍ぐらいあって、だから日本がゼロ戦を1機作る間に10機以上つくってしまうし、日本が兵器生産のために、電力消費や資材供出を行っているときに、アメリカでは普通にネオンが光って、映画館もデパートもやっていたことです。

だからゼロ戦は単純に「1機で10機以上を撃墜しないと日本が勝てない」わけで、それはあまりにも無茶だったということです。ただ現在のトヨタなどをみれば、優秀な製品を世界中に輸出できるのですから、国力だけでなく技術力が優秀でノウハウがあれば、もっと効率よく、兵器を製造して、アメリカと対峙することも可能だったかもしれません。

そういう点も含めて「技術力C」なのです。
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この回答へのお礼

回答頂いたポイントを私の考えも添えた上でまとめてみたいと思います。
・高い品質を持つ製品が作れなかった。原因は下記。
 ・材料工学的品質を高める技法を知らなかった。
  (それは開発ノウハウ、研究などで得られるものである? )
 ・即ち、機械的設計はあるにしても、材料工学的設計が無かった。
  機械設計面は技術力として存在していても化学面(材料工学)での技術力が無かった。

これで合っていますか?

お礼日時:2020/06/20 01:26

>>・理論設計があっても、その製品を実装できる製造方法がなかった。


・製造方法が分かっていても生産設備がない、あるいは設備をどう建造すればいいのか分分からない。

設計図があっても、しっかりした製造機械がなければ、精度のよいパーツが作れませんよね?
当時の日本には、精度のよい製造機械は海外から輸入するしか無かったでしょうが、当然ながら、海外は戦争が近づけば、輸出禁止にしていたと思います。
もちろん、「職人技」で高精度のパーツを作ることも可能とは思いますが、それでは量産はできません。
図面はあって、製造方法は分かっていても、良い生産設備が無かったといえるのでは?(推測です)

それから昔、亡くなった父親から聞いたことありますが、日本はちゃんとしたバネが作れず、そのためにバネをつかう機械(エンジン、機関銃等)の性能が悪かったと言っていました。

以前、戦時中の米軍の機関銃と日本軍の機関銃で、千発だったか明確には覚えていませんが、連続射撃テストをやった番組を見たことあります。
米軍の機関銃は快適にノルマを達成したのですが、日本の機関銃は、なんども弾詰まりをおこしていましたし、一回の装填作業で撃てる弾数も少ないので、射手の方はノルマ達成に苦労されていました。
何が装弾不良の原因かは、番組で追及していませんでしたけどね。

以前、元自衛隊の方に「自衛隊の小銃って、連射モードがありますよね?ちゃんと連射できましたか?」って聞いたら、「結構、弾詰まりしていたよ」なんて答えられていたので、「やっぱりね」なんて思ったものです。

ま、根本のところでは、前の回答にあるように、工業力の差が大きいでしょう。
でも、ミッドウエー海戦をはじめとして、米兵たちの闘志も凄かったって思います。
米空母に燃料不足で帰還できなくなるのを知りながら、攻撃隊は日本の空母艦隊を探し続けたりしていましたからね。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございました。

日本の工業力は当時の海外製品と比較してバネがきちんと作れなかったんですね。
日本軍兵士(吉田裕著)では、WW2戦時の日本の技術力のなさが書かれていて、今でこそ自動車とミシンは日本の製品が質がいいと言われていますが、当時の国産自動車と国産ミシンは質が悪く、力も弱かったのだと兵士観点で思われていたとまとめられています。

また、米兵達の闘志についても初耳でした。こちらもありがとうございます。

ただ、日本に打ち勝った場所から接収した日本兵の日記を翻訳解読した人が「アメリカ人は早く故郷に帰りたいと言っているのに、日本人はきちんと戦っている・・・なんだこの差は」と言う話も聞いたことがあって、それしか考える材料がありませんでしたので、別角度からの良材料のご提供を頂いた感じです。

お礼日時:2020/06/20 01:13

当時のアメリカとの決定的な差は技術力というよりも工業力だったと思います。

国力の差も大きかったですが、後半では日本が戦艦、空母を1隻作ってる間にアメリカは十数隻作っていました。
飛行機も日本とは比べ物にならないくらい作っていました。
勝てるわけがありません。

世界を見ている海軍はそれを理解していたので戦争には反対していましたが、陸軍や海戦派に押し切られた形になりました。
早期講和にかけたようですがうまくいくはずもなく…
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この回答へのお礼

回答ありがとうございました。

技術力は工業力と言うことですね。他の方の回答とあわせると、製造能力、生産能力と言うことになりそうですね。

お礼日時:2020/06/20 01:06

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