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太平洋戦争を止めるとしたら

どうすれば良かったのですか?

A 回答 (10件)

回答順に表示を推奨。



日本が中国大陸に侵略進出?
そもそも日中の紛争は、国民党が満州に手を出してきたのが先。

三国同盟?
あれは相互の参戦義務はないザル条約です。
(そんな義務があったら、独ソ戦に日本も参戦している筈)
→ルーズベルトが真珠湾攻撃でドイツと戦争できると思ったのは、条約への誤解です。
それに同盟後もドイツの企業は気兼ねなく支那に武器を売っているし、日本はドイツから要求されてもユダヤ人を迫害はしていません。



カテ違いとそれを甘やかすとBA乞食。
より場に迷惑なのはどちらだろう。

一応回答はしますが、次からは場を選ぶ努力をして下さい。
あなたがどこで質問をしているつもりなのかわかりませんが、
ここで扱うのは「映画」としての「戦争・歴史」についての質問です。
史実を扱う場は他にあります。


>太平洋戦争を止めるとしたらどうすれば良かったのですか?

課題の丸投げでしょうか。

範囲が不明なので回答が困難です。
「誰」が「いつ」からどうすればよかったのか と言っているのでしょうか。

(あなたとあなたの教師は)
アジアを侵略しようとしていた日本は、欧米様の一方的な要求を受け入れて、明治時代以前の貧しい国になって、緩やかな自殺の道を選ぶべきだった。 と答えれば満足していただけるのでしょうか。

それとも、日露戦争をしないでロシアが朝鮮を取るのを放置するべきだった という答えをお望みでしょうか。

清国の奴隷状態だった朝鮮を独立させるための日清戦争などしなければよかった と言えばよいのでしょうか。


アメリカはソ連のスパイを摘発して、国際法違反の国民党への支援と日本への経済制裁を止めて、日本に国民党を討伐させ、以後は日米でソ連と対抗するべきだった と答えてもよいのでしょうか。



あなたがどのような回答を欲しがっているのかわかりませんが、
あなたは大東亜戦争について、どれだけの事を自分で調べましたか。(以下の事を知っていますか)
他人様に質問するのは、それらをして自分で考えた後の事だと思います。
(私は大東亜戦争に至る以下の経緯については、日本が何もミスをしなかったとは思っていません。
しかし、日本だけがミスをしたとも思っていません。すべてを日本のせいにして日本やその為に戦った先人を謗り卑屈な謝罪で日本を貶めて、自分だけは過ちを反省している良識人である事に酔う気もありません。)


日本は日露戦争の勝利により、ロシアから満州鉄道を譲り受け、旅順、大連の租借権を得ました。
同時に、これらの防衛や現地邦人保護のため、満州へ軍隊を置く権利も得ています。
(当時の満州は、清国の政策に拠って住人のいない空白地帯で、更にモンゴルの領有権は中国ソ連も主張しており、日本は国防上の理由から満州を放置できませんでした。)

一方で、当時の中国は清が滅亡し複数の政権(馬賊や地方軍閥など)が争っている内乱状態で、彼等にはまともな行政・司法・警察等の能力は無く、国際条約の知識や理解も薄く、それらの遵守は期待できませんでした。(実際何度も一方的に破棄されています。)
そして、当時の世界では、外国人の生命・財産の安全を保証できない国は、それにより被害にあった国が保護監督下におくのも仕方が無いと言う認識が持たれていました。

中国の軍閥政権は大陸の日本領内にも侵入して、破壊活動やテロなどの挑発を行っており、日本人も犠牲になっており現場の緊張は極限状態に達していました。
満州事変はこのようなこれらの結果、現地の部隊が暴発し独断行動を起こした為です。
これを侵略とするなら、その原因となった中国の行為も侵略であるはずです。

当時の中国領ですが、多くの国が投資しており、日本人以外にも在中外国人が多数住んでおり、日本政府は彼等の保護を中国に要請してもいました。

共産党が勢力を伸ばしており、日本はその脅威も受けていました。

満州国の独立は、以上のように国防上の為のものでありましたが、同時に南満州鉄道を守る為でもありました。
(満州事変以前の国境線のままだと、中国のテロや破壊活動から守れません。)

満州国を傀儡政権とかいう意見もありますが、中国に乱立していた政権も清国の後継政権を自称しています。
しかし、その統治は圧政と略奪でしかありませんでした。(満州に人が流れたのはそれが理由です)
そのような彼らが認められるなら、傀儡であっても清国の正当な血統である皇帝であり、治安も良く発展していた満州も認められるべきだと思います。
(というか、満州政権の方がよりふさわしいと思います)

その後、満州国は日本が治安を維持した為に各地から人口が流入し繁栄した為に、再びそれを狙った中国によるテロ活動が起りました。
日本軍は前回と同様、領土内で対応していましたが、そうすると彼らは中国内に逃げて、その後また侵入して同じ事を繰り返しました。
日本は中国奥地にある彼等の本拠地(南京、重慶)を叩かなければ、根本的な解決にならないと判断し、中国領内に攻めていきました。
これが日中戦争に発展します。



↑が対英米戦争に発展した理由と経緯は以下です。
植民地の獲得競争に出遅れていたアメリカは、最後の市場である支那を狙っていました。
アメリカは支那から日本を排除する為に、大陸での日本の行動を「侵略」と決めつけて、蒋介石に支援をする一方で日本には↓のような経済制裁を行いました。

1938年 航空機の対日輸出に同義的禁輸を実行
1939年 通商条約の半年後の失効を通告
1940年 多くの対日輸出に統制を行う
1941年 米国人が蒋介石の政治顧問になる。フライングタイガース派遣。
1941年7月26日 日本人の在米資産凍結。

これにより紛争が長期化し、大東亜戦争に発展します。

上記のアメリカの行為について、ローガン弁護人(東京裁判の日本側弁護人)は、

「これらの経済制裁は武力による戦争行為とかわらず、むしろより激烈なものであり、対中・対日政策は、交戦状態にある他国に対する、中立国の行為として公平なものではない」

と述べています。


パール判事(東京裁判裁判官)も同様の事を語っています。

【「宣戦布告」をせずに戦争を仕掛けたのはアメリカだった】(動画)
https://www.nicovideo.jp/watch/sm30717527
《1:05 「国際法の基本原則によれば、もし一国が武力紛争の一方の当事国に対して、武器、軍需品の積み出し禁止し、他の当事国に対して積み出しを、その積み出しを許容するとすれば、その国は必然的に、そのその紛争に軍事干渉することになるものであり、宣戦布告の有無にかかわらず、戦争の当事国になるものである。」
(東京裁判裁判官ラダ・ビノード・パール※国際法の世界的大家)》


↑によれば、日米は真珠湾以前から、アメリカの騙し討ちによって戦争状態であった事になります。



更に↓の「ヴェノナ文書」によれば、ルーズベルトとトルーマン政権下の1933~1952年まで、アメリカの政策にはソ連の意志が働いていたとさえ言えるかもしれません。

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カーター・クラークというアメリカの将軍がルーズベルトにも秘密で始めたプロジェクトである。
戦時中に米陸軍がソ連の暗号を解読した結果、アメリカの官庁や知識人やメディア関係者に広範囲にソ連のスパイが存在していることが明らかになった。

しかし、暗号を解読していることをソ連に知られると、国家の安全を脅かす事態になる。
そこでアメリカ軍は、アメリカ共産党からの転向者やマッカーシー上院議員に、ソ連スパイの情報をリークし、議会で追及させるという形をとることで、暗号を解読しているという事実を隠そうとした。

これにより、1950年2月にアメリカ上院で、共和党のマッカーシー議員が、「205人の共産主義者が国務省職員として勤務している」と告発した。

ルーズベルト政権では、ワシントンの連邦政府内部に常勤スタッフだけで2百数十名、正規職員以外で300人近くのソ連の工作員、あるいはスパイやエージェントがいたことがベェノナ文書で明らかになった。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

当時のソ連と日本は満州で国境を接して緊張状態が続いていました。
大陸ではソ連は日本と対している毛沢東や蒋介石に支援をしていました。



丸投げする前に、知る為の努力をしろ。
無知が他人の思考の上澄みだけを啜っても、何の栄養にもならない。
「太平洋戦争を止めるとしたら どうすれば良」の回答画像10
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ドイツと同盟せず、第一次大戦のときのように、ヨーロッパで戦争してるね。

と、対岸の火事見物に徹すれば。
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石油、鉄鋼の対日禁輸が日本の戦争決断理由なのだから、米中の接近を阻害すればいい。

米中の接近のもとになった中国大陸への侵略進出をしないか、兵を引かせればよかった。

ついでに言えば日独伊の三国同盟も無ければ、独は日本に気兼ねなく中国で商売していただろうし、独中の軍事結び付きを警戒した米英仏から中華民国は警戒されていたはず。まかり間違って中独伊三国同盟とかになっていれば、日本の通商はブロックされることもなかったはず。
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日本が先に原爆を持って、ネバダ砂漠に落として見せれば太平洋戦争は止まったでしょう。

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無理です。



イラク戦争を覚えていますか。

イラクがあれほど戦争を避けようとして
いたのに、結局ダメでした。

そんで戦争の口実になっていた、大量破壊兵器は
存在しませんでした。

何が何でも戦争しよう、と相手が考えて
いるときは、戦争を回避するのは無理です。

結局、ヤラセでもなんでもやって、戦争に
持ち込まれたと思います。



日本が米国に屈してハルノートを受け入れれば、戦争を避けられた
でしょうか。

私はそうは思いません。イラク戦争を見て下さい。
ありもしない大量破壊兵器を口実に戦争を始めたのは
米国です。
その後、英国BBCは、911以前から米国はイラク、
アフガン戦争を計画していたことを暴露しました。

米国は何か罠を仕掛けて、戦争に持って行ったと思います。

1898年 2/15 ハバナ湾で、米国戦艦メイン号が謎の爆発沈没しました。
これで米兵266名が死亡し、スペインの仕業だ、
ということになり、あの米西戦争が始まっています。
後になって米国政府は、事故だと発表していますが
陰謀ではないか、という説が強いです。

ベトナム戦争では有名なトンキン湾事件が発生しています。
1964年8月、北ベトナムのトンキン湾で北ベトナム軍の
哨戒艇がアメリカ海軍の駆逐艦に2発の魚雷を発射した
とされる事件です。
これをきっかけにアメリカは本格的にベトナム戦争に介入しましたが、
その後、ニューヨークタイムズが、米国のやらせであることを暴露し
真実が明らかにされました。

湾岸戦争 1990年 では
アメリカの駐イラク特命全権大使のエイプリル・グラスピーが
イラクのクエート攻撃に対して
「介入するつもりはない」と発言しており
これを信じたフセインがクエートを侵略しましたが、
米国軍等により撃退されています。
米国は約束の存在を否定していますが、当の大使は、それ以後、公式の場には
一切姿を見せなくなりました。

その他にも怪しいのはいくらでもあります。
以上が、日本が戦争を拒んでも、ダメだったろうと思われる理由です。
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戦争しなかったら、


どうなっていたか?

アジアの国々は、
植民地か、滅亡していた。
日本は、ソビエトとアメリカで、
分断統治されてた。

戦争は、絶対に止めたい。
けれど、戦争しなければ、
何もかも、失ってしまいます。
言いなりになればいい、
と言うものではありますまい。
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ルズベルトを殺せばよかった。

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ドラえもーーん!!

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ハルノートを快諾すれば止められたね。

ただハルノートはアメリカの宣戦布告のようなもので、快諾していたら、日本が植民地状態にっていた可能性もあった。

日露戦争での勝利(ギリギリだったけど)、東南アジア諸国の植民地からの独立の手助けで、欧米諸国から反感をかってしまった。ASEAN諸国からは日本は英雄。
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日本がアジアを占領しようとしなければ、もう少し仲良く出来たかと。

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