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哲学の世界では化け物の様に扱われるこの存在とは何か?

「この空気中には酸素分子が存在している」の「存在」とは違うのかどうなのか?

腕をみせて下さい。

A 回答 (44件中1~10件)

この分解すると言う方法は大変有効なんだけれど、それだけでは理解の限界があると言うのが、前から言われていることなのですね。



何故なら生命と言う存在は一体的で、かつ、繋がった時間的存在だからです。
ところが細胞の存在を知るには、身体の一部を切り取って顕微鏡の板の上に乗せなきゃいけない。その時に失われる本質が存在しているのですね。その細胞は身体から肉片に変質してしまうのです。

この本質の喪失は、精神を考える時に、性質と言うものをそこから取り出してより細かく分解していく過程でも起こっていることなのです。
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この回答へのお礼

Thank you

肉体も取り出せないように精神もそれだけ取り出すということは出来ません

取り出したら他の精神にも大きく影響するでしょう

脳が少し欠けても 何とか生きてる人はいますが

精神から性質は 例えば僕の頭から「あ」で始まる概念を表す単語を

書いてみましょうか。

あけましておめでとうございます

ありがとうございます

ああこんな事では

あきれてしまう

安全神話の あっけない幕切れに あとあと後悔するんじゃないか

あんパイあんパイと思っていたら

あなたのあしもとからあきらかに赤い血が溢れる悪魔のあてつけが

表れるのではあるまいか あ~~~


ちょっと苦しいですが この文字列は私の精神から出てきたものです

物質的に出てきたのではありあません

精神の一部を使って考えてキーボードを叩いたら出てきたのです。

その文字があなたの脳まで届いたでしょ?これはエネルギーが届いたのでしょうか?

どう思いいますか? これを質問にしてみるか。

お礼日時:2021/01/21 16:34

>身体は細胞で出来ており 細胞は細胞核や細胞膜やゴルジ体やミトコンドリアやリボソームやDNAや何やかやで出来ている


そのそれぞれはタンパク質や資質や何やかやで出来ている
タンパク質はアミノ酸で出来ており・・・と言う事を言っているのです。<

それを分解していると形容したのですね。そのような究極の先には原始とか原子核が、素粒子が、と言う話になるのでしょうが、じゃあ初めの人体は何処へ行ったの?と言う事を問うているわけです。統一的に捉えるとは、人体そのものの機序を捉えると言う事であります。

精神も同様に、性質に分解してはその本体は捉えることは出来ないだろうと言っているのです。
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この回答へのお礼

ありがとう

性質に分解する必要はないのです 性質という質で出来てるのではと思うのです。

人体も多重構造をしてるように、精神も 見えないけど性質の多重構造で

出来ているのではと思うのです。

お礼日時:2021/01/21 15:48

周囲の迷惑をかんがえましょうね。

哲学ではないのですから。あなたのやっていることはです。
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#34



学問でなければ、哲「学」ではないでしょうね。
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今時、共産圏の国家なんてないですよ。

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#31



私に彼女なんていないですよ。私の書いた文章をよく読んでいないのか、記憶に問題をおこされているのですかね。

その同じ質問を何度も繰り返すこともです。
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いや、まぁ身体が本体でもいいんですが、身体の場合にも、身体中の細胞を分解して理解しようとしても無理でしょ?


何故なら身体の本質(機序)はそれぞれの細胞同士の関係にあるからです。
分解したら機序がバラバラになる。統一的に捉えないとダメだ。
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この回答へのお礼

ありがとう

分解ししようとは言ってません

身体は細胞で出来ており 細胞は細胞核や細胞膜やゴルジ体やミトコンドリアやリボソームやDNAや何やかやで出来ている

そのそれぞれはタンパク質や資質や何やかやで出来ている

タンパク質はアミノ酸で出来ており・・・と言う事を言っているのです。

お礼日時:2020/12/30 11:33

精神ってのは本体ですからね。

それを性質に分解して理解しようとする手法自体が間違っているのかも知れません。
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この回答へのお礼

ありがとう

間違ってるかもしれません?

間違ってないかもしれないのでしょうか??

お礼日時:2020/12/30 11:26

存在と言うのは神の事ですか。

それが定義なのですね?
誰が定義したんですか 
  ↑
旧約聖書です。



そんな定義は今の時代に通用するでしょうか?
   ↑
クリスチャンには通用するかも。



神はある人々には存在し 無神論の人々には存在しない
そう言うもんじゃないでしょうか?
  ↑
人間の頭の中にだけ存在するモノと、
客観的に存在するモノとの違いですね。



そして信じられている通りのものでもない。
究極は分からない ただ信じる。
tanzou2さんと議論してて批判し合って非難し合ったら
最後はその太い腕でぶん殴られて存在しなくなる様な気もしますねえ^^
  ↑
男はね、最期は腕力です。



勉強したんですねえ。
  ↑
昔、一ヶ月近くホテルに閉じこもって
一日中哲学的考察に没頭したことがあります。
それなりに勉強になりました。
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この回答へのお礼

Thank you

空手と言うのも凄いものですねえ

一カ月近くホテルに閉じこもって哲学的考察ですか

根性と言うか気合ですねえ。

しかし旧約聖書の神が通用するのはクリスチャンとイスラームと

ユダヤ教だけです。それもそれぞれ違う解釈をしますから

仲が良くないです。

私も腕力は昔はあったのですが 懸垂39回出来ましたが

tanzou2さんはもっと出来るのでしょうねえ??

お礼日時:2020/12/30 11:25

No.26です


よくわからないお礼頂きました。
「存在」は最も純粋な主観からの自覚です。
主観を形成する性格や身体的知能的のレベルや完成度、障害、正常異常は全く関係ありません。客観の入る余地は全くありません。
自分が感じる以外のものは無いも同然です。
そのあとに知識だとか理屈による自覚、認識があるだけです。

至らないことを悟っていることは良いことですが、ご自身の胸の内だけでそう思っている程度がよろしいかと思います。
軽佻な容喙はお里が知れます。
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この回答へのお礼

Thank you

>客観の入る余地は全くありません。

多くの人がそう仰いますが そんな事はありません

主観だけで存在していると言うのは 我思う故に我在り から一歩も

進んでいません。

微積分のような考えで考えて行けば客観に行きつく筈です

客観∞無限大と言う事です。哲学はその壁を破らねば何も誕生しません

何故なら事実と合わないからです。

お礼日時:2020/12/30 11:16
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