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何故日本はハルノートを受託しなかったのですか?

質問者からの補足コメント

  • そもそもハルノートとはどういうものなのでしょうか?
    俺には教科書で習った知識しかありません。

      補足日時:2021/02/16 04:41

A 回答 (7件)

受け入れても、なんらかの罠を仕掛け


戦争に持っていっただろうと、判断したから
です。

イラク戦争を見て下さい。
ありもしない大量破壊兵器を口実に戦争を始めたのは
米国です。
その後、英国BBCは、911以前から米国はイラク、
アフガン戦争を計画していたことを暴露しました。

米国は何か罠を仕掛けて、戦争に持って行ったと思います。



当時の米国は、1930年に続く大不況の真っ只中でした。
GDPは1/2に、株価は1/10に落ち、国民の1/4が
失業し、あちこちで暴動が発生していました。
ルーズベルトは、ニューデールなどの政策を打ちましたが効果は
はっきりしません。

これに加えて、当時は社会主義運動が盛んに
なりつつありました。
うかうかしていると、体制すら崩壊しかねません。

また、米国は英国フランスなどにも大量の資金を
貸し付けており、彼等が敗戦になれば、貸し金が焦げ付く
可能性がありました。

それでどうしても戦争をやる必要があったのです。
それでハルノートなどをつきつけたり
ABCD包囲網を敷いたりして、日本を追い込み
戦争に持ち込んだのです。

戦争は最大の公共事業ですから。その証拠に戦後、米国
経済は見事な復活を遂げています。


1898年 2/15 ハバナ湾で、米国戦艦メイン号が
謎の爆発沈没しました。
これで米兵266名が死亡し、スペインの仕業だ、
ということになり、あの米西戦争が始まっています。
後になって米国政府は、事故だと発表していますが
陰謀ではないか、という説が強いです。

ベトナム戦争では有名なトンキン湾事件が発生しています。
1964年8月、北ベトナムのトンキン湾で北ベトナム軍の
哨戒艇がアメリカ海軍の駆逐艦に2発の魚雷を発射した
とされる事件です。
これをきっかけにアメリカは本格的にベトナム戦争に介入しましたが、
その後、ニューヨークタイムズが、米国のやらせであることを暴露し
真実が明らかにされました。

・ 1989年パナマ侵攻 名目はアメリカに麻薬を密輸するパナマのノリエガ将軍の逮捕であったが、明らかに国際法違反で、国連総会で非難された。真の目的は、第2パナマ運河の権益がアメリカ以外の国に渡ることを防ぐことだったと言う説がある。なお、パナマ侵攻後に、麻薬の対米密輸は減るどころか2倍以上に増えているという。

湾岸戦争 1990年 では
アメリカの駐イラク特命全権大使のエイプリル・グラスピーが
イラクのクエート攻撃に対して
「介入するつもりはない」と発言しており
これを信じたフセインがクエートを侵略しましたが、
米国軍等により撃退されています。
米国は約束の存在を否定していますが、当の大使は、それ以後、公式の場には
一切姿を見せなくなりました。

このように、罠を仕掛けて戦争に持っていく
というのは、米国の伝統になっているのです。

これは私の偏見ではありません。
米国歴史学の権威チャールズ・A・ビーアド元コロンビア大教授は
公文書を調べて、ルーズベルトが巧妙に日本を戦争に引きずり込んだ
過程を明らかにした本を出版しましたが、これは事実上の発禁処分
にされてしまいました。
ルーズベルトの責任 〔日米戦争はなぜ始まったか〕

31代米国大統領のフーバーが、ルーズベルトを、日本を無理矢理戦争に
引きづり込んだ狂気の男、と評した書見を残しています。
彼は、ルーズベルトは真珠湾を知っていた、とも書き残しています。

マッカーサーは戦後、あの戦争は日本の自衛戦争であったと
米国議会で証言しています。

ハルノートのハルは、真珠湾攻撃を耳にして躍り上がって
喜んだ、という側近の証言が残っています。
「これで戦争ができる」

また、パル判事は、あのような要求を突きつけられたら
モナコのような小国でも銃を持って立ち上がっただろう
と述べています。
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>その根拠は?



清国が壊滅状態で、まともに統制がとれた軍隊がなかったから、と根拠を書きましたよ。

他に事例が必要なら、たとえばユダヤ人の避難ルートを考えればいいでしょう。

杉原 千畝が有名ですが、当時ドイツの迫害からユダヤ人が逃げるのに、船でフランスやイギリスに逃げる他に、シベリア鉄道で上海を目指すルートがありました。この時、シベリア鉄道は満州国まで来ていたので、日本のビザがあれば、シベリア鉄道に乗れたのです。(当時は最終目的地までのビザがあれば通過国のビザが下りた)

そして満州国まできたユダヤ人たちは上海租界を目指すのですが、そのルートは日本軍が警備していました。
 当時の中国はすでに国家がなく、各地の軍部が群雄割拠している状態で「安全を保障してくれる政府」は満州国しかなかったのです。

これを逆にみれば「中国の各軍部はお互いに膨張主義をとり、日本が管理している朝鮮半島まで来ることは予想できた」わけです。これに乗じてソ連が侵攻してくれば、日本としては対応しきれないわけです。

だからこその満州国で、満州国を作ったおかげでいわゆる中国東北部の騎馬民族は満州国の管理下に入り、統制がとれたのです。

つまり彼らは女真族で、溥儀が満州国皇帝になったのは傀儡であったとはいえ、溥儀は女真族ですから、まさに女真族としては「自分達の皇帝が自分達の国を治める」ことになり、事実上女真族は混乱する中国内戦から満州国を保護する役に立ってくれたわけです。

だから満州国がなければ、朝鮮半島自体が危ないので、そんなことはできなかった、ということです。
 
当時の日本国内部も「軍部の暴走」として批判は多かったし、正式な手続きを経ていない満州国を擁護するつもりはありませんが、戦略上の要所としてみた時に満州国の位置は日本本土と朝鮮半島防衛に重要であり、それが西洋列強をますます刺激した、わけです。
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>中国には100万単位の軍隊が居座っていました。

それを撤退させ、自国に配備するだけで国防は十分ですよね。

どうやって撤退させるの?
当時は西洋列強の内政干渉で清国はボロボロ、各地に軍部が出来て結局清国は崩壊し、清国皇帝愛新覚羅溥儀は満州国皇帝に即位します。

つまり満州国から西側の「中国」と言われる土地では、軍部同志で内戦状態だったわけです。それらをどうやって「撤退」させるのでしょうか?

それができなかったから、満州国が出来たわけです。
この辺りの事情を教科書では一切書かないですね。
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この回答へのお礼

>>それができなかったから、満州国ができた
その根拠は?

お礼日時:2021/02/16 07:05

>その話だと世界を征服しなければ日本は安全保証は為せなくなる。


そうですよ。当時の植民地化というのはそういうものでしたし、スペインの無敵艦隊をやぶったイギリスは「世界を征服する」つもりで世界中に軍艦を派遣したわけです。

当時の安全保障の考えは「世界征服できるならそれが一番確実な安全保障」です。


>そもそも朝鮮は併合するつもりはなく、初めは中立国化する予定だった。
それは伊藤博文が示した案ですね。でもそれができなくなったのは、当時の中国(清)の情勢がおかしくなったことと、朝鮮内部でロシアにシンパシーをもつ一派がロシア大使館で政治を行い、朝鮮半島におけるロシアの権益がどんどん強くなったからです。
 つまり「中立化が不可能になった」から、中国でもロシアでもなく日本が併合して、日本の安全を優先した、わけです。


>中国の軍隊を引き上げれば、日本は世界第3位の海軍力を持つ軍事大国として君臨できていたはず。

意味不明、すでに日本はロンドン海軍軍縮条約で制限を受けるほどの大海軍を有していましたよ。
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この回答へのお礼

中国には100万単位の軍隊が居座っていました。それを撤退させ、自国に配備するだけで国防は十分ですよね。

お礼日時:2021/02/16 06:54

受諾したら、日本が西洋列強の事実上の植民地になってしまう、というものだったからです。



教科書に書いてない、ことを説明するなら「当時の日本は独立独歩で自国を防衛しないといけなかった」という前提を理解する必要があります。今のように日米同盟などはなかったからです。

当時の日本の仮想敵国は、太平洋で向かい合うアメリカ、そして膨張主義を隠さないソ連、それに東南アジアを支配し、中国利権をあさる西洋列強でした。

日本は自前で本国防衛をするとなると、島国ですから「大陸の中でやっつける」ことと「太平洋の島嶼部でやっつける」ことが重要な戦略になります。

そのために日本は朝鮮併合・台湾併合・南太平洋の委任統治をおこなったわけです。

ところが朝鮮半島を支配してみると「ここでは不利」ということが分かってきました。実際朝鮮民族は歴史上ずっと大陸内部から圧迫と収奪を受けてきた民族で、いくら後ろに日本本国があるとはいえ、半島の狭い地形では防衛には不利だったわけです。

なので、関東軍は満州国を建設します。満州国は今の中国東北部で、東シナ海の重要拠点である遼東半島も租借して、中国やそこに入り込む西洋列強国と南下を画策するソ連を向い打てる状態を作ったわけです。

当時の世界の基準は「列強国による序列化」ですから、日本としては「すべての脅威に対抗する」しかなかったわけです。

ところが西洋列強はこれが気に入りませんでした。それがABCD包囲網につながり、最終的にハルノートになるわけです。

しかし、日本の敗戦後をみれば満州国の重要性が分かるはずです。日本が敗戦し、満州と朝鮮半島から撤退した後、満州付近はソ連と中国の戦争になり、朝鮮半島はソ連が速やかに侵攻し、慌てたアメリカが韓国を作って対抗、その結果が朝鮮戦争であったわけです。

このような構図は明治以降いつでも起きる危険性があり、今だって朝鮮半島の情勢は非常に不安定です。つまり今現在は「日本がやっていたことをアメリカがやっているだけ」なんですね。

これを踏まえれば、ハルノートを受諾するということは、結局今日本のように「列強(事実上はアメリカ)に利益供与するしかない」状態になるわけで、今よりも当時の状況は「植民地からは利益を吸い上げてもいい」という状況ですから、日本は植民地化するしかなかった、と言えるわけです。

だからマッカーサーをして「日本の自衛戦争だった」と発言されたわけです。
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この回答へのお礼

言ってることがおかしい。
その話だと世界を征服しなければ日本は安全保証は為せなくなる。
そもそも朝鮮は併合するつもりはなく、初めは中立国化する予定だった。
中国の軍隊を引き上げれば、日本は世界第3位の海軍力を持つ軍事大国として君臨できていたはず。

お礼日時:2021/02/16 06:32

開戦が12月、冬だったから...半年後だったら受けたかと

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なんとなく気分が乗らなかったからです

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