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江戸時代、幕末における日本の貿易についてお聞きしたいです。
日米修好通商条約によって、函館・横浜・長崎・新潟・(神戸)が開港したと思うのですが、なぜその中でも横浜での取引が圧倒的に多いのですか。
輸出面と輸入面のそれぞれで、地理的理由を教えて下さい。

A 回答 (1件)

幕府とアメリカのあいだで交渉が行なわれていた当初、


アメリカ側は横浜を開港場として候補に入れていませんでした。

先に懸念を感じたのは幕府側で、幕臣の岩瀬忠震を中心に
江戸の近郊に港を造らないとゆくゆくは経済の中心が
大阪になってしまうと考えた結果、
アメリカ側に開港場として横浜を提案しました。

当時、反開国派だった大老・井伊直弼も、
横浜ならば江戸に近いとはいえ、辺鄙(へんぴ)な場所であったため、
いざとなれば周囲を水で囲めば出島になると考え、
横浜開港を推進しました。
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この回答へのお礼

詳しい説明ありがとうございます!
助かりました

お礼日時:2021/06/22 20:12

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