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リスカしたくない日でもしちゃいます。たぶん毎日お家にいるからです。どうすればいいですか??

A 回答 (7件)

昔の日本はとても貧しくて、みんな生きるのに必死だったのだ。


あなたのような甘ったれたことを考えている余裕などなかった。
子供を捨てるのも、避妊と言うことを知識としてないのと、そもそも避妊具なんてないから夫婦でいると子供がたくさん出来てしまう。その結果として子供を捨てたり売ったりと言うことをするのだ。そしてこれは江戸時代だけの話しではない。おしんというドラマが作られた時に、たくさんの人から自分もおしんと同じという手紙がたくさん来たのだそうな。
要するに戦前までは、子供を捨てたり売ったりと言うことは普通にあったのだ。
みんな好きこのんでそうしたことをしているのではない。貧しさに耐えかねて、そうしたことをしていたのだ。
落語に「藪入り」と言うのがある。
奉公に出された息子が、薮入りの日に実家に帰ってくる。
憎いとか不要だから幼い子供を奉公に出したわけではないのだ、と言うことがよくわかる話だ。
今だって、経済的には昔と比べたら良くなっているが、人間関係などで苦しんでいる者はたくさんいる。そうした人のことをも考えて、自身のこれからの生き様を律していって貰いたい。
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この回答へのお礼

そなんですね。あのきになったんですけど歴史の先生なんですか?

お礼日時:2021/06/27 23:57

お礼どうもありがとうございました。



 ご自宅では、ペットを飼うことができなのでしょうか?
 因みに、モルモット、ウサギなどがおすすめです。

 それから、私事ですが、以前、希死念慮に襲われることが多くありました。そのとき、リスパダール内服液を処方されました。飲んでみますと(内服液ですのでそのまま飲むことができます)、独特なふらつき感が現れましたが、かなり効果的でした。もし、主治医の先生とお話する機会がありましたら、ご相談してみてはいかがでしょうか。


 ご参考まで
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この回答へのお礼

ありがとうございます。ぺっとかってます。でもほんとに無理な時は動物とかも癒されるっておもう余裕ないです。

お礼日時:2021/06/28 09:58

江戸時代の捨て子の話を、ほんとうにあったのかなどと言うのは、いかに甘ったれの世間知らずかと言うことを表している。


一休さんというのを知っているはず。
一休さんは子供なのに、なぜお寺にいるのだろうか、とは思わない?
一休さんは違うが、彼のように子供のうちに寺に預けられたり、寺の門前に捨てられる子が昔は普通にいたのだ。
女の子は禿と言って、これをはげと読んでいるバカ女がいたが、禿は女郎の前の段階で、成長して初潮が来る頃には売春を強要される。昔は、幼い娘は女郎屋に売られたのだ。
女の子の方がお金になるだけまし、という考えが普通にあった。
勿論、男の子も小学校に上がれるくらいの年齢になるまで育てられた場合には、奉公に出された。
こうしたことは江戸時代だけのは話しではない。パナソニックの創業者である松下幸之助は、小学校中退で奉公に出されたという話しは、誰もが知っていることの筈。
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この回答へのお礼

そなんですね。江戸時代のひとじゃないからわなんないです。でも酷くないですか??

お礼日時:2021/06/26 12:26

親はその事ご存知ですか?


今まで何かあったら守ってくれてましたか?

親からの愛情不足が、あなたの幼い頃から続いていた場合、もっと私に注目してよと存在をアピールする為にリスカする人達がいます。

その場合、あなたは悪くありません。毒親の教育のせいです。

もっと自分で自分を認めてあげて、存在を認めて、頑張ってる。リスカするくらい苦しい思いもした自分をなぐさめてあげてください。


リスカするくらい嫌なことがあると思います。
それは家?学校?

原因がわかればその場からにげるとか対処が変わってきます。

早く原因がわかるといいですね。
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この回答へのお礼

しってます。ママは見つけるとないちゃいます。でも私は精神疾患なので両親がわるいんじゃないとおもいます。でもママも鬱だったので遺伝したかもしれません。

お礼日時:2021/06/26 07:51

・(一人で)映画を見に行く(最近は女性一人の方も多いです)


・(一人で)カラオケに行く
・(一人で)おいしいものを食べに行く

 とにかく、人生エンジョイしましょう!!
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

お礼日時:2021/06/26 07:52

自分がいかに恵まれているかを理解していないから、そのようなことを考えるのだ。


芭蕉という人がいたと言うことくらいのことは知っているだろう。
芭蕉の句に有名な「棄児秋風」というものがある。

富士川のほとりを行くに三つ計(ばかり)なる捨子の哀れげに泣有り。この川の早瀬にかけて、浮き世の波をしのぐにたへず、露計(ばかり)の命待まと捨置けむ、小萩がもとの秋の風、こよひやちるらん、あすやしほれんと、袂より喰物なげてとをるに、
猿を聞人捨子に秋の風いかに
いかにぞや汝、ちちに悪(にく)まれたるか、母にうとまれたるか。ちちは汝を悪(にくむ)にあらじ、母は汝をうとむにあらじ。唯これ天にして、汝が性(さが)のつたなき(を)なけ。

無残としか言いようのないもので、これが芭蕉の句か!と言いたくなるほどに悲惨なものだ。
もしかして、読んでも何が書かれているかわからないかも知れないので、一応簡単な説明を加えると、
富士川のほとりを行くと、3歳くらいの子供が捨てられていた。
このままでは今日か明日には失われてしまうかも知れない命だが、助けてやるわけにも行かない。
袂から食べ物を出して投げ与えた。
江戸時代なので、今のように役所に連絡して担当者を呼ぶと言うことも出来ない。
自分も他の人もみんな生きるのが精一杯で、他人の子供を引き取って育てる余裕など無い。
辛く悲しいけれど、おまえは父親に憎まれたわけでも母親に疎まれたわけでも無い。
生まれた状況に対して泣くしかないのだ。

猿というのは、中国の詩人杜甫の詩に「猿を聴いて実(げ)にも下す三声の涙」というのがある。これは哀猿の習慣を読んだものだが、哀猿に秋を感じると言うが、この秋風の中に捨てられている子に何を感じるか、と言っている。
こうした捨て子の有様を目の当たりにした芭蕉の嘆きが伝わってくるようだが、こうしたことは昔は普通にあったことでもあるのだ。
江戸時代なので、川のほとりには街灯も何も無い。日が暮れてきたら、真っ暗な暗闇の中で、僅か3歳ほどの幼い子供にとってはどれほど恐ろしく悲しいことだったことだろう。
食べるものも無く、おなかが空いても恐怖にさいなまれてもどれだけ泣いても誰も助けてはくれない。
このような惨めで哀れな子供と比べて、自分はどれほど恵まれているかを考えたことがあるだろうか。
こうした子の無残さを考えたら、自分の今やっていることや考えていることは取るに足らないことだとは思わないだろうか?
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この回答へのお礼

それほんとのお話ですか?

お礼日時:2021/06/25 21:58

専門医のアドバイスに従って下さい。

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