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コロナの時代という大変な時代に生きているのですから少しくらい生命哲学してもよいのではありませんか。
コロナの時代にあっても残念ながら現代日本の仏教は相変わらず葬式仏教の域を出ることはないので、生命哲学など期待しても全くの無駄なのです。
葬式仏教の追い求めるものはただただお布施と戒名料のことばかりですからね。
コロナの時代という大変な時代にあっても生命について、生命哲学について語る坊さんたちの声は一向に何一つ聞こえてはきません。
情けない限りです。
仏教だけではありません。
およそ既成宗教というものは生命や生命哲学には無縁なものなのです。
ここに宗教の限界があるのですね。

であるならば生命について、生命哲学について語るには一切の宗教は消し去り、純粋に哲学する以外ありませんよね。
ですからここから先は神も仏も全て消し去ります。
生命について、生命哲学について語るうえで神も仏も必要ございません。
生命について、生命哲学について語るとき全ては万物の根源、宇宙の法則のもとに純粋に哲学的に語る以外ございません。

改めて、このコロナの時代という大変な時代に生きているのですから少しくらい生命哲学してもよいのではありませんか。

人の生命の営みの中で許されることなのかよくよく考えてみてください。

1.人の臓器を取り出し、その臓器を売買し、その臓器を備蓄し、その臓器を他者のために再利用することは人の生命の営みの中で許されることですか?

2.人の遺伝子を抜き取り、その遺伝子を組み換え、その遺伝子を人体に再注入し、人体を改造することは人の生命の営みの中で許されることですか?

3.弱った人をベッドの上に寝かせ、点滴だけで20年間生存させることは人の生命の営みの中で許されることですか?

4.コロナウィルスの遺伝子を抜き取り、その遺伝子を組み換え、その遺伝子を人体に注入し、人体を改造することは人の生命の営みの中で許されることですか?

A 回答 (6件)

個人的意見です


宗教の教えって哲学じゃないですか?

天上天下唯我独尊 自分を大切に
世の為 人の為は自分あってこそだと

人体を無断無理矢理改造は許されない事です
先祖からの子孫の流れを脈々と続く

妙だな? 感じる事ないですか?

南無妙法蓮華経 妙法
妙なことなど無いので 南 無妙法 蓮華経
駄洒落で なんない妙法

南無阿弥陀仏 亡くなった事を 御陀仏
なんない阿弥陀仏

色即是空空即是色 回文

この世は全て夢幻 ゆめまぼろしでむげん無限
無限じゃない終わりは来るんですよね
哲学的じゃないですか?

他者の判断で
生きながら取り出す事は犯罪
許す事出来ないから犯罪

神様 生命創造したとして

あなたが子供持つと
あなたは生命創造の神様じゃないですか?
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コロナの時代には、死亡者が減ったからねぇ。



コロナが終わってからやる方が有効なのでは無いかな。
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この回答へのお礼

わしは初めから知っておったよ。
コロナは救世主だってこと。

お礼日時:2021/07/13 20:13

創価学会の教義とは日蓮仏法です。


日蓮仏法は一念三千の生命哲学です。

それは生物学的生命を含み、死をも含んだ生命、いや森羅万象を網羅した哲学です。
正に生命哲学と言えるものです。信じることができるできないとか、好き嫌いはともかく、そういう哲学なのです。

何も知らないのに何故断定する人がいるのか?

以前、そういう人がいたので、それは「恥ずべき行為です」と言ってやったことがありました。
無認識の決めつけ行為ですから。

皆、私みたいにズケズケものを言いませんが、世間では信用されませんよ、そういう人は。

私もあなたのことは信用していませんから。

創価学会では、質問にあるような具体例について公式な見解を提示することはないでしょうが、私の意見はこうです。

1.死の判定の問題があると思います。その判定に間違いがなく、提供者の同意があれば、認めてよいと思います、法律の範囲内で。

2.長期の視点に立って、どういう問題が発生しうるかと言う研究をつづけるべきだと思います。充分に分からないうちはするべきではないと考えます。

3.生還の可能性が1%でもあれば、可能な限り生命を維持させるべきだと思います。

4.ワクチンに対する正確で詳細な情報を完全にオープンにするべき、そのうえでもっとたくさんの選択肢の中から選べるようにするべきです。
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この回答へのお礼

>創価学会の教義とは日蓮仏法です。
日蓮仏法は一念三千の生命哲学です。

あなたの意見ではなく、その教義から質問の答えは出てきました?
あなたの意見ではなく、その教義から質問の答えは導き出せますか?
創価学会は何も語らないのですか?

>創価学会では、質問にあるような具体例について公式な見解を提示することはないでしょうが、私の意見はこうです。

あなたは創価学会員なのですね?
創価学会員は世間で信用されていないのですか?

>1.死の判定の問題があると思います。その判定に間違いがなく、提供者の同意があれば、認めてよいと思います、法律の範囲内で。

世界の現状では死の判定は機能していません。
途上国や貧しい国では臓器は金銭目的で売買されています。
生きているものは殺されます。
または臓器のない不自由な状態で生きています。
提供者の同意は強制や捏造がまかり通っています。


>2.長期の視点に立って、どういう問題が発生しうるかと言う研究をつづけるべきだと思います。充分に分からないうちはするべきではないと考えます。

野菜や果物の遺伝子組み換えでは、人間は一般に遺伝子組み換えた野菜や果物を拒否します。
なぜなら仮に野菜や果物に遺伝子組み換えしても99.9%は元のものより劣化することが実験的に分かっているからです。
動物においても同様です。

>3.生還の可能性が1%でもあれば、可能な限り生命を維持させるべきだと思います。

人間は誰しも植物になって生きることを好みません。
自分の身になって考えればわかります。
一念三千の生命哲学では何と教えていますか?
植物になっても生きろと教えていますか?

>4.ワクチンに対する正確で詳細な情報を完全にオープンにするべき、そのうえでもっとたくさんの選択肢の中から選べるようにするべきです。

これについてはワクチンの真実が明らかになるまで軽々しく用いるべきではありません。

改めて訊きます。
あなたの意見ではなく、その教義から質問の答えは出てきました?
あなたの意見ではなく、その教義から質問の答えは導き出せますか?
創価学会は何も語らないのですか?
何も語れないのであればその教義に価値はないでしょー。

お礼日時:2021/07/13 09:35

1は、死刑囚や普通の人で自分が死んだら臓器を提供する意思表示カードに署名して臓器提供に合意した人から取り出した臓器を国際的に備蓄して心臓/腎臓/肝臓/膵臓/角膜などの臓器バンクとして利用する事は法的に許され可能だと思います。

金銭による臓器売買は法的には許され無いでしょう。
2は先天的な遺伝子の病気の治療の手段しとて法的に許されるし、技術的にも可能でしょう。
3は本人が点滴だけで20年は生存させてと意思表示カードに書いている場合に限るがその費用は原則、本人負担であるべきで本人の財産や資産貯金などが全て使われて無くなった時点で点滴は止められ死亡する事になるでしょう。
4は法的に許され無いが「ウイルス進化説」では、自然界での種の分化(いわゆる 進化)は、自然界のウイルスが感染した事で生物間で遺伝子の水平伝播が起きる事で発生すると主張しています。私は、ウイルス進化説は正しく、その主張する「生物間で遺伝子の水平伝播」とDNAのコピーミスの何世代にも亘る蓄積と自然淘汰の3つの作用で「種の分化(いわゆる 進化)」が起きると考えます。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A6%E3%82%A4 …
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この回答へのお礼

>1は、死刑囚や普通の人で自分が死んだら臓器を提供する意思表示カードに署名して臓器提供に合意した人から取り出した臓器を国際的に備蓄して心臓/腎臓/肝臓/膵臓/角膜などの臓器バンクとして利用する事は法的に許され可能だと思います。金銭による臓器売買は法的には許され無いでしょう。

世界の現状は以下の通りですj.
世界の現状では死の判定は機能していません。
途上国や貧しい国では臓器は金銭目的で売買されています。
生きているものは殺されます。
または臓器のない不自由な状態で生きています。
提供者の同意は強制や捏造がまかり通っています。
これについてはWHOも見て見ないふりです。
WHOは何も語りません。

お礼日時:2021/07/13 09:39

>残念ながら現代日本の仏教は相変わらず葬式仏教の域を出ることはないので、生命哲学など期待しても全くの無駄なのです。



要するに、既存宗教(キリスト教、仏教、イスラム教)ではなく、新興宗教を信仰しろと言いたいわけだね。

新興宗教団体といえば、政治と癒着して悪事を働いたり、多くの信者を動員して不正、個人情報の窃盗、嫌がらせ、暴力など犯罪をしているところが多く、犯歴の多いオウム真理教と創価学会がその代表ではないでしょうか。


>生命哲学について語るとき全ては万物の根源、宇宙の法則のもとに純粋に哲学的に語る以外ございません

世界中からカルト指定されている反社会的カルト集団「創価学会」と言っていることがまるきり同じだね。
http://www.soka-news.jp/singenoho.html
狂信者によるステマかな。

>ここに宗教の限界があるのですね。

創価学会のように金と票を集めて、暴力で日本を乗っ取ろうとする悪質なテロ集団があることからして、宗教というものを見直さないといけないのかもしれません。


創価学会幹部が教団の体質を批判しています。

創価学会教学部長 原島嵩(著)
「誰も書かなかった池田大作創価学会の真実」

総体革命論を起案したころの私は純粋の池田党員で、池田の言葉に心酔していましたから、日本の世直しは創価学会からと信じていました。詳細は省きますが、最終目的は政官財界を支配するために、優秀な学会員をこれらの組織に配置して、内部に秘密結社のようなグループを作り上げることでした。神崎氏などはメンバーの一人で、検事に任官していたわけですから……。(中略)

「総体革命」という言葉が強調されるようになりました。これは、政治の分野のみならず、マスコミ界、法曹界、警察、官界、教育界、それそこあらゆる分野に、池田の息のかかった人材を送りこむということで、日本国乗っ取りのための、網の目のような構図をつくることにありました。

この総体革命という言葉は、私が池田に進言したものです。

しかし、その「要所要所を全部、学会員で占める」という発想そのものは、池田が会長就任以前から、ずっと胸に描いていたものです。

はっきりといえば、公明党は、池田を守る、そして天下を取るためには何でもする政党なのです。日本の国が、かつての戦時体制の時代に逆戻りしようが、そんなことはお構いなしなのです。

こうみていくと、創価学会(=公明党)の存在がいかに日本の国にとって危険な存在かがわかります。

池田はつねづね「マスコミが『しまった』と思ったときが広宣流布である」と口にしていましたが、彼の戦略は、国民が知らないうちに、権力への布石を敷いておくこというもので、これほど国民を愚弄した話はありません。

しかし、どうやら国民の大多数がこの危険性を肌で感じるようになっています。今ここで池田の野望を許したら、日本国はとんでもない方向へとつき進んでしまいます。そえを許さないためにも、創価学会=公明党を監視する社会常識をもった一般国民の存在は非常に大きいのです。
(中略)

池田大作は、「日蓮正宗を守っていくことは私どもの役目です。ー中略ー創価学会としては、永久に皆さん方から、ただの一銭も寄付を願ったり、供養を願うような事はありません」(『聖教新聞』S37・6・9付、中部本部地区部長会)
と語ってきたのです。

ところが、いまでは毎年一千数百億円とも二千億円ともいわれる財務集めが年中行事化し、自殺者まで出すような始末です。池田はこの一点だけでも、宗教者としての罪、万死に値するものがありましょう。

「一、地区幹部は少なくとも十万円以上すべきである。

一、現在もっている預貯金全部出すのは当たり前だ。それにどれほど上乗せするかが信心の戦いだ。

一、各支部で十万円以上出す人を三十人以上作れ。

一、支部内で百万円以上の大口を何人作るかが、支部長、婦人部長の戦いだ」(故福島源次郎氏『試練之巻』より)


「永久に会員から寄付をとらない」といっていたことは、今日、そのウソが晴天白日のもとにさらされています。かつて池田が攻撃した邪宗教の姿が、現在の創価学会そのものです。


池田大作は「あらゆるところに星を打つ」「諸君も、財務、外務、文部の実権を握ったときに、堂々と広宣流布をやりたまえ」「(学会批判の新聞に対して)必ずつぶす自信がある。それには青年部をつかえばよい。金がかかるなぁ」といった発言記録がみられます。

このことは、他の発言によっても裏付けます。

「公布の闘いで、政党、学校、文化、民音等も出来た。最後に残ったのは経済だ。これから、この社長会を中心に経済革命をする。一番最後で、一番大事で、又一番晴れがましい舞台だ」(S42・ 6・25、第一回社長会)

また、月刊ペン事件の裏工作、電話盗聴や謀略、他教団や学会批判勢力の分断工作、世論操作、買収に多額な金が使われたことも、各種批判で明らかになっています。
それとて氷山の一角でしょう。
池田の豪華な海外旅行、著名人や文化人との対談にいたる工作資金、海外マスコミへの金のばらまき、暴力団への裏工作など、洪水のように金がつかわれています。

こうした金権工作に対して、今から十数年前、ブラジルの新聞『週刊時報』は池田の側近で副会長の鈴木啄郎が現地マスコミの買収工作をしたとの事実をスッパ抜き、「『金の力』で世の中を思うように動かせる、と考えているように思われる日本の創価学会に、改めて批判の声が渦巻いてくるのも当然だろう」と指摘しています。


「口八丁、手八丁でよ。なんでもうまくやるんだ。社会だって方便を使っている。共産だって目的のためならみんな謀略じゃないか。一般社会だって利益のためならあらゆる手段をつかう。うちは信心のため、信心を守るため、学会を守るんだ」
(S51・ 6・1)扶桑研究所にて)

池田大作が平気でウソをつき、人をあざむくことは、これまで検証してきたところですが、それが組織・計画的策略となり、時として犯罪行為にまで発展していくのです。

それではなんのための謀略なのでしょうか。

1 池田の権力奪取の野望のため。具体的には、情報を武器として勢力拡張を図る。

2絶対無謬を建前とする池田学会の醜い実像を会員の目の前から覆い隠すため、批判勢力を分断、抱き込み、さらに抹殺する。

3池田カリスマの聖なるイメージを失墜させないため、自らの手は汚さず、謀略をもって代理戦争に仕向ける。

4反池田の人間、勢力を魔の勢力として位置づけるため、罰の現証をみずから与え、見せしめとする。罰は意図的に、精神的、肉体的、経済的制裁をもって示す。

5犯罪が発覚しないためのもみ消し工作。

6犯罪が発生しても、一部の人間が熱心のあまりやったこととして、事が上層部、とりわけ池田自信に及ばないようにする守りの謀略。

こうした数々の項目が連動し複合化したところの、構造的な謀略体質なのです。

池田は込んで、謀略ができる人間を登用してきました。後に、渉外三局や篠塚八州師団、山崎師団、文京グループのような謀略グループなどがその典型です。彼らは、謀略そのものに少しの罪の意識はありません。むしろ、そこには池田大作に直結し、選ばれた人材として、英雄を気どり、エリート意識が発達しているだけです。

池田は、創価学会を批判する者に対して、これを徹底的に痛めつけることを青年たちに教えました。

昭和三十三年の四月、戸田会長の死の直前に起きた池田による僧侶リンチ事件も宗門への見せしめであり、青年たちの教訓として起こしたものです。

http://cultbokumetsukonzetsu.web.fc2.com/04s06.h …
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この回答へのお礼

なぜここで創価学会が出てきたのですか?
「生命」や「生命哲学」という言葉に何か創価学会的なものを感じたのですか?
創価学会は政治結社に近い宗教団体ですね。
ですから宣伝に使えそーなフレーズを集めて、それらしく使いこなす技には長けたものがあるのでしょー。
そんな簡単なトリックに引っかかり騙されて集まったのが今の創価学会員ですね。
しかし創価学会の本質はただのカルトなので、深い思想も理念も哲学も一切無いです。
もちろん生命哲学なんてこれっぽっちも無いはずですよ。

お礼日時:2021/07/12 06:49

「生命哲学」、壮大な問題、と言っていいと思います。



それだけに捉えどころがないと言えます。
「生命」と言いますが、生物学的な「生命」の定義で考えるべきか、大乗仏教的「生命」を考えるべきか?

それから、許されるか許されないかの問題ですか?だとすれば、誰に?
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この回答へのお礼

>「生命」と言いますが、生物学的な「生命」の定義で考えるべきか、大乗仏教的「生命」を考えるべきか?

生命の基本は両者は合致していなければなりません。
生物学的「生命」と大乗仏教的「生命」は相反するものであったり、矛盾したりするものであってはなりません。
たとえ仏教であっても軽々しく生命を扱ってはなりませぬ。
生命は仏教よりも尊いのです。

お礼日時:2021/07/13 10:55

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