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死んだら「無」になるって、人間の想像の話ですよね?

誰も死んだことが無い以上、どうなるかは誰も知らないハズです。

確かにだからと言って天国や地獄があるとも断言しませんが、
「無」になるという根拠も、理詰めで訊いたことがありません。

今生きている人は、誰も死んだこと無いですからね。

死んだ先なんてそもそも無いのが、無宗教の人の現時点の理屈なんでしょうけど、
そもそもすべての物体は「完全な無」にはなりません。

いわゆる「死」というのは、脳や身体の活動が停止するだけであって肉体は残ります。
葬式で焼いて骨になりますが、骨という物体は残ります。
地中に埋めれば別の物質へと分解されると思われ「無」にはなりません。

死んだ状態は「心」(意思)も動かない状態なので、実質「無」と同じと捉えることもできますが、
どうもしっくりきません。

A 回答 (10件)

肉体と魂は別です。

この世では一体化していますが死ねば別になります。車に例えるなら車は肉体で、魂は運転手ですね。 

車が古くなればスクラップになるでしょう。 運転手は又新しい車に乗ります。それまでに一定の時間があり、自分にふさわしい世界で反省させられます。そして自分に残された宿題をするためにふさわしい環境を選び生まれます。  自分は変わりません
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この回答へのお礼

「!!」

ありがとうございます。
なんとスッキリするような回答でしょうか♪

クルマに例えられた、その考え方にBAです^^
私も、肉体はこの世界を生きる為の道具だと感じてます。
「魂」だけの存在では、この世界に干渉・関与もできませんが、
すべての生物は肉体を得て、現世で自分を表現しているのかと。

ということは、別次元にそういう魂だけの場所もありそうですね。

お礼日時:2021/07/30 19:49

人間では無くなる


という意味での「無」ですよ
きっと。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

そういう解釈でしたか^^

お礼日時:2021/07/30 19:46

魂があるのか?


無になるのか?

hgfyさんの仰有るように

わからない

てのが正しい認識ですね
(  ̄▽ ̄)にっこり

だからこそ、そういった話をするときは

わからない上で話すけど、個人的にはこう思いますよ

てな感じで言葉を省略してしまってるのかも知れないですね
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

なるほど。
皆、それを前提に語ってる訳ですね^^

お礼日時:2021/07/30 19:46

人間の体は動物です 人間というのはそれに宿る心の事です



精神が人間なのです だから片腕飛んでも両足飛んでも人間ですが

頭が飛んでしまったら頭も死にますから、人間じゃなくなるのです。

したがって本人にとっては死んだら何も在りません。無になります

しかし周囲の人間や環境にとっては 一人の人間が死ぬという

大きな穴が空きます。どれくらい大きいのかは人によって違います。

無に帰すのです。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

精神が人間。
そうかもしれませんね。

影響力のある人の死は、多大ですよね。

お礼日時:2021/07/30 19:45

死んだら「無」になるって、人間の想像の話ですよね?


  ↑
科学的推論です。
この場合、無、というのは自我が無くなる
というような意味です。
自我は、脳細胞が織りなすネットの産物
というのが有力説で、この説によれば
死ねば自我も無くなります。




そもそもすべての物体は「完全な無」にはなりません。
いわゆる「死」というのは、脳や身体の活動が
停止するだけであって肉体は残ります。
葬式で焼いて骨になりますが、骨という物体は残ります。
地中に埋めれば別の物質へと分解されると思われ「無」にはなりません。
 ↑
生命が無くなる、という意味です。
生命というのはシステムです。
喰って寝て・・そういうシステムが働かなく
なる、とい意味です。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

なるほど「無」の定義が違いましたね(^^;

しかし、蚊や蠅とか周りを飛び回られるとよく殺したりしてますが、あれらの命の重さをたま~に考えることがあります。

お礼日時:2021/07/30 19:44

こんにちは。



私は生ある全ての物には魂が宿っていると思っています。魂は心の中にあります。魂は大自然(私達は神と呼ぶ)と繋がってます。しかし、人間の殆どの人は魂と(以下、神と呼びます)神が繋がっている事に気づいていません。神と繋がっている事がわかる為には魂を復活させる必要があります。その手段は魂に(愛してるよ)と言ってあげる事です。魂と神が繋がっている事が実感出来れば、この世に生きている意味がわかります。私達は神に愛されて、守られています。

私は何度も生まれ代わりながら、魂の浄化を行い最終的には神と共に暮らす事が出来ます。

以上が、私が体験した内容です。
一度、インターネットで ソウルセラピー で検索して下さい。私の説明より詳しく書かれています。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

実は人生で1度だけ「人魂」を見たことがあるんですよ(笑)
「幻覚」と言われると困っちゃうのですが、何度も目撃してるなら、私は精神異常者扱いされて良いんですが、人生で1度だけ(><)

 だから、肉体とは別に「魂」というのがあるという話は根拠は無いけど、
全否定できる話も無いのです。

ソウルセラピーですね。
調べてみます。

お礼日時:2021/07/30 19:42

はい、その通りです。


無になるかもしれないし、天国か地獄に行くのかもしれないし、この世を幽霊になってさまようのかもしれないし、輪廻転生するのかもしれないし、異世界に転生するのかもしれないし、そのどれでもないかもしれません。
今ここに回答を書き込める人間=生きた人間は、誰もそれを経験していませんので、分かりようが無いです。
臨死体験したなどと自慢げに言う人もいますが、その「臨死体験」がただの夢や幻覚じゃない証拠はどこにあるのでしょうか?
もちろん当人はそう思い込んでるんだと思いますよ。
でも、精神病患者さんだって、幻覚を「本当に起こっていること」だと思い込みます。
それとの違いは、どうやって判別するのでしょうか?
研究だ学術だと言ったところで、個人が語った「体験記」しか研究材料が無ければ、「臨死体験をしたと思っている人の精神についての研究」しか出来ません。
それが本当に本物の死後の世界の話かは、また別問題です。
結論として、貴方も私も誰も彼も、死んでみないことには分からない、です。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

臨死体験については、なんとも言えない部分があります。
それはそういう体験した人の話が結構共通している点にあります。

 人間の眠る時の夢や妄想とかって、本当に脳内の自由なんですけど、
なぜか似たようなものを見るという症状があります。

なんでしょうね。
現実世界でインプットされた情報が同じだからという可能性はありますが。

ただ1つだけ言えることは「本能」が死んだらヤバいと感じてるところです。
これすべての生物に共通してます。

 この「本能」。
誰が定義したんでしょうね(笑)

そう考えるとこの世界も生物も「自然」にできたというのは無理があります。

死んだらやばいという、インプットがなされていることが興味深いです。

お礼日時:2021/07/30 19:39

無神論者は「死んだら無になる」と言ってました。


父曰く「法事は生きている者の慰めであって、死んだら無になるから必要ない」と言われました。母の法事の時でした。
結局法事は行いましが・・・。
今年その父の12回忌の法要を行います。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

死んだら「無」になるかどうかはともかくとして、
死者や先祖を大事にするのは理屈的にも正しいと思います。

先代や親がきちんと生きて子供を育てたから、自分が現世に居るのです。

死者供養、先祖供養の一番大事な点は、脈々と続く先代にたいしての敬意だと思います。

宗教とか関係なく、
先祖に感謝しなさい。
先祖供養を怠らないようにしなさい。

は、人としての姿勢だと思います。

>父曰く「法事は生きている者の慰めであって、死んだら無になるから必要ない」と言われました。

→とても印象に残っているのですね。
そう。そういう考えもできます。
でもそれは、亡くなった人を弔う姿勢としては間違えだと思います。

お礼日時:2021/07/28 16:47

臨死体験をしている人は多々いますし、


また、その研究をしている人も多々います。
臨死体験の本はたくさん出ています。

ただ頭の中で考えるだけではなく、
色々な書物を読まれたらいいと思います。
もちろんフィクション系の本を読むのではなく
ちゃんと体験をしている人のノンフィクション
または学術系の本を探して読みましょう。
たくさんあるので。

真剣に考える人は、そういう本を探して読みます。
でも、そうでない人は、漠然と考えるだけで、
死んだら無だからどうでもいいと言ったり、
死後のことなんてわからないから、
どっちとも言えないと言う回答を出します。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

はい。
臨死体験もですが、私は非現実的な現象を目撃したことが何度かあります。
脳内で処理できなかったので、それは私の記憶の奥底で沈んだままです。

 いわゆる「偶然」「奇遇」「奇跡」に近い現象も何度かあってます。

 確率論的にはあり得た話かもしれませんが、我々はそこに意味を考えます。

この手の話はとても難しいです。

私は現在、精神疾患があり過去の出来事も「幻聴・幻覚」という診察をされたら、そこで話はおしまいです。

 死後の世界については、仮にあることを前提に話を進めても、
最終的な人生の生き方は、個人の姿勢になります。

 例えば宗教を信仰する人でさえも、悪いことをしたり、過ちをしたり、
酷いこともします。

 究極的には「自分の心のあり方」なんですよね。
どのように生きるか、この世を修行の場と捉えただただ善行や自己犠牲することに意義を感じるか、「この世に生を授かった」ことをただただ自由を謳歌するか、、、人生って本当に難しいです。

お礼日時:2021/07/28 14:24

想像の話です。

これから先も真実は闇の中でしょう。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

実は天国と地獄という世界ですら空想であり、現時点でも「次元」は11あると言われてます。

異次元の世界が天国と地獄の2つしかない証拠もなく、実は1000ぐらい異次元が存在してもおかしくない話です。

死んだら人間の認識上は「無」と同じ状態になるが、11ある次元の中では、
もしかしたら「存在」し続けるかもしれません。

仏教では「三千大千世界」というのがあるそうですが、別の世界が無数にあったとしてもそれは何らありえる話です。

宇宙の中心は「地球」にあると考えた旧世代の人達のように、この世界は人間の可視できない世界も存在しうるというのは、全く荒唐無稽でも無いと感じます。

人間の目で視える物しか「存在」しないというのは早計過ぎですし。
※とはいえ、視えない世界は、人間の妄想の産物も含まれるのでややこしくなる。

お礼日時:2021/07/28 13:38

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