A 回答 (9件)
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No.9
- 回答日時:
他の方の回答は正しいのですが「当時は平安時代までの巨大な権力や権益が京都にあったから」というのも忘れてはいけないと思います。
なにせ、関西自体が、飛鳥や奈良、さらに京都に長く天皇や公家が朝廷として君臨していた土地であり、平安京は300年ぐらい続いた首都ですから、政治だけでなく経済的な実力もあったわけです。
鎌倉幕府はどちらかというと「天皇の許可を得て、奥州藤原のように武家が平和の暮らせる権限がほしい」という認識が強く「京都から西側の天皇や公家の勢力範囲は好きにやってちょうだい」という感じが強かったのです。
だから、源頼朝は妻の実家と連絡ができる海沿いで関東一円から部下がやってこれる鎌倉を選んだのです。
鎌倉はよく「天然の要害」と言われますが、伊豆方面から海路で来る分にはものすごく行き来がしやすいわけです。
結局、鎌倉幕府の「東日本は武家が仲良くやるから、関西から西はお好きにどうぞ」というやり方が、後醍醐天皇の建武の親政を実現させてしまうわけです。
なので、次の室町幕府は権力も経済もそろっている京都に居を定めて、東西の調整役をするしかなくなったわけです。
でも、調整しきれずに起きたのが戦国時代、ということになります。
No.7
- 回答日時:
北条は元は平家の禄を受け、頼朝の伊豆の屯所の見張り役のはず。
平家を裏切り、源氏に着いたわけですよね。
そして三浦・畠山を率いて動かせたのです。
頼朝追討の院宣は役立たず。
頼朝を衣川館で死んだ義経軍の残党が暗殺という説知りませんか。
主従は全滅しなかったという説もあるらしい。
No.5
- 回答日時:
鎌倉が、鎌倉幕府の基盤である北条氏の根拠地であり、防御に適した天然の要害の地だったからです。
承久の乱以前の鎌倉幕府は東国の地方政権であって、まだ全国政権ではなかった。地盤である鎌倉に作ったのは当然であった。No.4
- 回答日時:
京にいると朝廷や公家から干渉される。
現に義経は篭絡され身を滅ぼした。
頼朝自身は冷徹でそういう干渉に動じないとしても、武家集団から第二第三の義経が出ることは十分考えられる。
そうなったら、築いたばかりの武家集団は分裂し崩壊してしまう。
実際、鎌倉にいてさえ幕府は朝廷の干渉を受けている。
承久の乱は制圧したが、建武の新政には抗しきれなかった。
No.2
- 回答日時:
「鎌倉幕府」という組織は、頼朝とその正統な後継者の家政機関です。
それを支えたのは、相模伊豆などの南関東の武士たちで、彼らの権益を守ることで幕府は支持されたのです。
頼朝の父義朝は、地盤の東国を離れて上洛しましたが、都ではただの田舎武士。そして敗死しました。
頼朝は父親の轍を踏まずに地盤に拘り続けたのです。
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