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幕末に坂本龍馬は暗殺されましたがこれは幕府の保守派と薩摩長州の開国派との規制緩和との戦いではなかったのではないでしょうか。現在規制緩和のまっただ中、平成維新でライブドアとフジテレビの戦いと同じようなものではないでしょうか。幕末ではテロで暗殺されても仕方ないと思います。そこで、坂本龍馬は開国派で活躍しましたが本当に日本の国を思って動いたのでしょうか。最後に暗殺されましたが彼は海援隊という貿易会社を経営していたようですがどうも個人の繁栄のためではと思っています。本当に命を賭けて日本を救おうとしたのでしょうか。現在では龍馬は偉人になっていますがはたして当時はどう評価されていたのでしょうか。
皆さんのご意見をお聞かせください。

A 回答 (7件)

坂本が個人のエゴで動いていたのは間違いないです。


個人の繁栄と言うと謝った感想をもたれると思います。
彼は「貿易」をしたかったんだと思いますよ。
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この回答へのお礼

皆様の大変貴重なご意見有難うございました。
こんなに人によって龍馬に対する感じ方が違うものとは
思っていませんでした。私も歴史にはうといものですが
今も昔も偉人伝に書かれるような人が本当に愛国心ばかりで行動していたものか興味があったものですから、現在の
総理大臣が改革をしていますが後世にはどう評価されるのでしょうか。龍馬も当時は小泉さんのような心境ではなかったかと思います。やはり先人は褒めてあげたいですね。
これが私の感想です。

お礼日時:2005/03/21 15:37

意見させていただきます。


竜馬って自分は政治的な人間ではなく、もっとスケールの大きい人間だったように感じます。
幕府だの朝廷だの薩長だのという以前に、彼は大きな海に飛び出して世界を駆け回りたかったのでしょう。

幕末において竜馬が政治的な意味合いにおいて決して大きな影響を与えたとは思いませんが、どちらかというとやや暗い幕末の世相の中で、こういった竜馬のような人間がいたということ自体がすごく痛快なことのように思います。

ちなみに竜馬の銅像って各地にありますよね?
長崎、高知、京都伏見・・・・。
以下に竜馬がわれわれ日本人にとって愛されている人物かがうかがえます。
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坂本龍馬が単純な尊皇攘夷派から脱皮したのは勝海舟に会って啓発されたからと見るのが妥当でしょう。


勝は幕臣でありながら既にその域を超えた改明派でした。
彼の思想により龍馬は開眼させられたのです。
もともと土佐の下級武士出身であったので脱藩して自由人となったのです。

彼の考えは倒幕ではなく徳川家の存続も政治総裁という形で考えていたと思います。(但し国民の支持を前提としていますが)
これを佐幕派からは倒幕と見られ、尊皇派からは邪魔者として両派から狙われる事になりました。
当時の知識人は皆暗殺の危険を覚悟していましたし彼に命をかける覚悟が無かったとはかんがえられません。

海援隊を組織したのは、もう武士の時代ではなく商人の時代と達観していたのだと思います。
それも私利優先ではなく富国の為には先ず経済と科学を強化する必要があると思ったのでしょう。

当時龍馬の存在とその意味を知っていたのはごく一部の限られた人達(誤解も含めて)だと思います。
龍馬が官職を拒否したのは権力は急速に腐敗するものだと本能的に理解していたのでしょう。
 
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坂本竜馬ですが、当人がどのような考えの元行動していたか、分かりませんが、有名になったのは、どうも明治後半に、土佐派がイマイチのため持ち出したということを呼んだ記憶があります。

それまでは忘れられた人物のようだったようです。まあ~、そこに当時の人の利害関係があったのでしょう。
しかし、歴史事実として、竜馬の活動事態は、当時の中では画期的なことだったし思います。それが、個人の利益追求なのか、社会国家を考えてのことか分かりませんが。人間の行動としては、両面あり、結果的にはいい方向で人生を終えたのではないかと小生は感じています。
過去の歴史的事象を即現代に結びつけるのは、短絡的と思えます。社会の不備は、いつの事態にもあるようで、それを変えようとして、人々が動くというのが歴史の流れのようです。
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竜馬の大ファンです。


だから以下、少し偏ってますので(笑)。
まず大前提として、彼の真意など今更議論するだけ無駄です。
生きている人でもその真意など本人にしか分からないのに、150年近く前の死人ですよ?

私個人は、彼は私利私欲のために動いていたと思いたいです。
自分が好きなことをするためには現状の社会制度は都合が悪い。
だからどんな手を使っても自分にとって都合の良い世の中にする。
で、その「どんな手を使っても」の部分のスケールが半端でなくでかいのが格好いい。
革命ですぜ、革命。
普通「自分さえ良ければいい人」ってのは、「自分だけトップになりたい人」ってイメージあるでしょ?
竜馬の場合、「自分さえ良ければ他の奴らが更に上へ行ったって構わない」的なところがある。
新政府にも参加しようとしなかったしね。
完全な意味での「利己主義者」。カッコい~~~~~っっ!

ついでに言っておきますが堀江は大嫌いです。商道徳云々はおいといて、
やり口がスマートじゃない。「欲」の提示の仕方がダサい。
ぐだぐだ言わないで竜馬みたいに「えい、じゃあお前達にはこれを用意してやる!
これで文句ないだろ!だから俺のすることはほっといてくれ!」
みたいにやれば良かったのではないかな。

余談ですが、私は幕末を舞台にした歴史小説が大好きで、かなりの数を読んでます。
倒幕佐幕どちらの立場から書かれたものでも、竜馬を悪く書く人はあまりいません(私の知る限りあの方だけ・笑)。
それだけ(それによって)彼には熱狂的なファンが多いです。
頑張ってください。
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歴史は色々な解釈があった方が面白いと思います。

個人の富を得ようとしたか、否か。これに関しては「否」でしょう。
幕末当時の思想において資本主義思想の「一攫千金」発想はまだ希薄だったと思います。歴史上の事実は「海援隊」は株式会社制度の日本のハシリと扱われます。企業として富を蓄積出来る状態にあったたかのように思われるかもしれませんが、事実は借金まみれ。岩崎弥太郎に借金もろとも整理させ、「三菱」の基礎となったのは有名な話。それはさておき、竜馬が偉大であったのは、民間企業と国策(藩策)をリンクさせ、富国強兵策を実践させたことにあると思います。技術分野の輸入と応用は当時の日本でも得意な分野であったと思いますが、思想とプロセスを諸外国より輸入し応用した例は少ないと思います。今で言う、ビジネスプロセスの応用ですね。「船中八策」も同じ思考方法より出てきたものと思います。開国後はこれらの考え方はごく自然に行われていきますが、これは「知識人」は大勢いた・・・という事でしょう。

命掛けであったかどうかまでは判りませんが、先駆者というのは気持ちがいいものだと思いますよ。

この龍馬という人物。
当時を想像すると、幕末の最後に「パッ!!」と登場し、「サッ!!」と忘れられた人のように思います。時を経て、日露戦争時に再考察され認知されていったと思います。かの有名な・・・日本海海戦直前に天皇陛下の枕元に立たれた・・・という話まで。。。
さらに、「日本を代表する偉人」となるのは、「竜馬がゆく」まで待たなければならなかったのではないでしょうか?
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たいへん偏った意見かと、私は思います。



>幕末に坂本龍馬は暗殺されましたがこれは幕府の
>保守派と薩摩長州の開国派との規制緩和との戦いで
>はなかったのではないでしょうか。

なぜ、このような見解を出されたのでしょうか?
幕末も明治維新の直前になると、もはや開国して近代
政府を作るしか、日本を守る道はないということがほぼ
明確になっていました。

しかし、新しい政府をどの勢力が主導して作るかが問題
であったのであり、幕府を改革して近代政府を作ろうと
したのが徳川慶喜、そして朝廷を中心として幕府を除外
して近代政府を作ろうとしたのが薩長勢力です。

そして、その仲裁を買って出たのが、坂本龍馬と土佐藩
の後藤でした。
坂本は単に仲裁を買って出ただけでなく、徳川慶喜までも
朝廷を中心とした新政府に取り込もうとする意見で周旋を
行いました。
彼の努力が実ったのが、その後の大政奉還だったわけ
です。

坂本龍馬の暗殺は謎が多いですが、暴走した佐幕派に
殺されたという説と、龍馬を裏切り者として薩長の誰か
に殺されたという説が有力です。


明治維新当時の情勢と、現代の情勢を無理に当てはめ
ようとするから、おかしな見解が出てくるのだと思います。

まずは、歴史をきちんと学ぶことから始めましょう。
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