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大政奉還後、旧藩では旧士族を養えず、農工商の職業につかせることを奨励し、1883年の栃木県の調査では、大政奉還後の武士の職業として4割強が帰農しています。
ここで質問なのですが、上級武士であれば故郷に土地もあったでしょうが、下級武士以下は土地を持っていたのですか?
家禄奉還と引き換えに、荒地や山林の格安払下げなどの救済が行われたようですが、帰納した元武士は、土地を持っていたのでしょうか?それとも借りていたのでしょうか?北海道などでは開拓も行われたようですが。

質問者からの補足コメント

  • 拝領屋敷は国に摂取されましたが、個人資産の摂取はありませんでしたよね。

      補足日時:2022/03/05 23:28

A 回答 (4件)

申し訳ありません。

 下の情報の元?を教えてください。
> 1883年の栃木県の調査では、大政奉還後の武士の職業として4割強が帰農しています

それと 参考になるかどうか分かりませんが、「旧藩」の方針というよりは、明治の新政府が産業政策として、士族を利用したという面が強いという説もあるようです。
http://www.iwata-shoin.co.jp/bookdata/ISBN978-4- …
明治前期の秩禄処分と、士族授産としての茨城の開墾事業について考察。
「士族授産事業としての開墾は、明治前期の開墾事業を特徴づけるものであったが、この事業を明治政府は士族の救済政策という消極的な政策としてだけでなく、より積極的に士族を近代化の担い手としても期待し、開拓政策の展開にさいして士族の動向に特別の配慮を払っているのである。だから、士族授産としての士族開墾事業を、単に士族の救済政策としてではなく、より積極的に明治国家が資本主義化のために「上から」の資金創出政策の一環として遂行された政策であった、と理解すべきである。」(本書「序章」より)
https://www.city.koriyama.lg.jp/uploaded/attachm …
士族の不満・反乱の対策という面と、殖産興業という面を一挙両得しようとする政策が、払い下げと資金供与であったという理解は、明治期の各地で起きた開拓事業の主導者、やり方から、とても納得がいきます。

> 帰納した元武士は、土地を持っていたのでしょうか?それとも借りていたのでしょうか?

「帰農」したのではなく、「農業主」として小作を使い、土地を安価で払い下げを受けたり、廉い地代で借り受けて、大規模経営を展開しようとしたという例が多いのでしょう。 養蚕や繊維産業をして成功したものも多いようです。
http://hist-geo.jp/img/archive/019_283.pdf
「帰農」でないことは、実態から明らかです。
https://suido-ishizue.jp/kindai/asaka/07.html
https://suido-ishizue.jp/kindai/nasu/01.html
払い下げで土地を購入するには、購入資金が必要です。元々金持ちとか政府から金禄を多額に受けていた華族は購入できたでしょうが、格安払い下げであっても一般の士族には購入は無理なので、基本、低額貸付です。
http://www.iwata-shoin.co.jp/shohyo/sho1159.htm
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no1です。

基本的には士族は土地を買っているケースは少なく、政府から与えられた土地を開墾していたようです。明治政府も、国営の開墾地を多く用意し、無償で入植させ士族の授産政策を推し進めました。ただし、しっかりした耕作地は、有力農民が持っており、政府が与えた土地は、数年間の開墾が必要でしたから士族の生活は苦しいものでした。
また、江戸時代中期以降は「士族との婚姻や養子縁組」で商人も武士の身分を手に入れていたようで、そうなると一族に「豊かな土地を持つ」人もいて大政奉還後、一族から土地を分けてもらった武士もいるようです。
いずれにしても、秩禄処分後は生活費は「金禄公債」を売るしかなく、公債償還の時まで交際を持ち続けた士族は1/3程度だったという記録もあり、現実的には「公債」で食いつないで開墾をしたという意味で「自分の財産で土地を買った」のと同じようなものだと思います。
こうした開墾によって明治時代耕作地は全国で拡大したものの、松方財政などで中小自作農であった「旧中級士族」の農民が没落し、自由民権運動の中核の一つになったという説もあります。
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下級武士の中には、江戸時代から農地を持っていた人たちも結構います。


幕臣でも八王子同心なんかは家の後ろに細長い短冊状に区画された農地が与えられていました。
また、維新になると、どこの藩も失業武士対策で、新たな土地の開墾事業を始めて入植させています。

https://suido-ishizue.jp/kindai/shizoku/01.html
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この回答へのお礼

珍しいケースですが、半農半士いましたね。
幕末の新撰組がそうですね。

お礼日時:2022/03/06 10:55

基本的に江戸時代の武士は上級下級に限らず土地は所有していません。

土地は農民や商人が所有していました。強いて言えば武士が所有していたのは国元で住んでいた「家屋敷」だけです。上級の武士の中には「明治政府の役人」となったものもいますが、下級武士は明治政府の提供した土地(多くは地租改正の時に政府が手に入れた入会地だったようですが)を耕作したようです。その一例が、質問者の方が指摘された「荒地や山林の格安払下げ」にあたります。
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この回答へのお礼

下屋敷は接収を免れていたはずです。
元中級武士で民間や社会と合わず、農業をしている方を知っていますが、自分の土地で耕作しています。
下級武士が手に入れた入会地とは共同利用の土地のようですね。国元へ帰還や入植以外にも、近隣の農村に救済を求めてきた例はありますが、土地は購入していたのでしょうか?

お礼日時:2022/03/05 23:52

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