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第二次世界大戦で焼け野原になった後、人々はバラックを建てて住んだ・・・というようなことを聞きますが、その後、元あった自分の土地に戻って家を建てられたのでしょうか。
東京などの戦後の航空写真を年代ごとに見ると、焼け野原になった後、都市部はびっしり建物が密集していますよね。
これは元から住んでいた人の家(土地)なのでしょうか、行政が地権者から買い取って割り当てたのでしょうか。どさくさに紛れて勝手に家を建ててそのまま住むこともできたのでしょうか(土地の持ち主と親類が戦争などで亡くなってしまっては異議申し立てする人も出てこないのかなと思って)

A 回答 (4件)

日本は世界でも類を見ないほど土地の権利にうるさい国民性です。

1000年以上前の土地の権利書がこんなに残っている国は他にありません。
戦争で焼け野原になった土地も権利者のものです。私有地を国が勝手に割り当てることはできません。基本的に戦争前の土地の登記簿に基づき、土地の所有権と境界を復元します。
役所ごと登記簿も焼けてしまった場合でも、上物は焼けても土台とかは残っているので、隣家と「この辺りが境だったよね」と話し合って取り決め、登記簿を復元します。
住んでた人たちが全員死んでいた場合は、相続権を有する親戚がたちの権利も引き継ぎます。
また都市部では、サザエさんの家みたいに借地して家を建てるというスタイルが一般的だったので、土地の所有権自体は元の地主がそのまま引き継ぐことが多かったのです。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

お礼日時:2023/10/14 19:32

映画「ガラスのうさぎ」では、家の持ち主が焼け跡に戻ってきて、そこに家を再建していたような記憶があります。

土台の石などがあれば、およその見当はできるのでしょうね。

とはいえ、驚くことに、東京都内の住宅地では、現在でも、意外と敷地境界線が不明確なことが多いみたいです。
昔、田んぼが広がるような土地だったので、曖昧なままになったのか、空襲の影響かは知りませんが・・・。
なので、妻の実家では、長い間、隣地の家々と、敷地境界で争うことになっていましたね。
法務局に公図をもらおうとしても、「古いのは破棄した」なんていわれて、分からない状況でした。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

お礼日時:2023/10/14 19:32

バラックは仮住まい。


再建資金出来て
本住まい住宅に
切り替えた例はあります。

東京の場合は空襲で焼けた所は
空襲避けて他区に逃げ、
そこへ住み着き、
元区は別の町に
変わった例ありますね。

まあ、東京空襲で
亡くなった人は
慰霊塔ある所も
あります。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

お礼日時:2023/10/14 19:31

どさくさに紛れて住み着いた。

特に朝鮮人は元々自分の土地があったわけではないので不法に住み着きました。住宅地だけではなく河川敷などは集団で住み着きました。持ち主が抗議すれば俺らは戦勝国(敗戦国民なのに。石原慎太郎は第三国人と言っていました。)だといい朝鮮人ヤクザが横暴を究めました。戦後20年までヤクザの大半は朝鮮人でした。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

お礼日時:2023/10/14 19:31

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