dポイントプレゼントキャンペーン実施中!

田沼意次の評価が近年高くなっており、田沼が失脚していなければ日本は、世界に先駆けて資本主義になっていたという説までありますが本当ですか?それとも過大評価ですか?

A 回答 (8件)

田沼が重商主義を推進したというのは大袈裟かもしれまいが、株仲間制度を推奨するなど幕府の農本主義一辺倒を改革しようとしたのは事実。



そのまま田沼政治が続けば、欧米列強の外圧に対し、もう少しうまくやれたことは間違いない。しかし、基本的には開国するかどうかが一番の問題なので、その意味では評価しすぎの見解も多いように思える。

中国の清朝末期にも、漢の時代に儒家ではなく西欧的合理主義に似ていた墨家を採用していたら…というタラレバ論が流行ったらしいが、後の祭りには違いない。

ただ、田沼意次については、賄賂政治の側面ばかり強調された悪いイメージが付きまとっていた。それが大幅に学界でも改善されつつあるのは当然の話かと思う。

一般人のイメージ改善には、池波正太郎の「剣客商売」が大きく貢献したのかもしれない。そこでは主人公の秋山小兵衛の後見人的な重要な役割で田沼意次が登場しているからだ。
池波正太郎は、商業重視の田沼政治から、「剣術道場も商売だ」と息子を諭す秋山小兵衛を軸にした小説のコンセプトと「剣客商売」というタイトルを生み出したのではなかろうか。
この小説やそのドラマ化作品で田沼意次のイメージを変えた一般人は多いと思う。
    • good
    • 2
この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。大変勉強になりました。目からウロコが落ちました。

お礼日時:2022/10/28 00:10

そこまではならないとは思いますが、田沼の時代が続けば、もっと良い時代になってたでしょう。

    • good
    • 0

当時は、農本主義、つまり米が経済の


中心を果たしていました。

それを、貨幣を中心とした
経済にしようとしたのが、田沼です。

だから、彼の政策が成功していれば
資本主義になっただろう、というのは
説得力があります。

しかし、当時の日本は農民が大多数の
社会でした。
そして、農民の多くは、読み書きそろばんが
出来ません。

そんな時代に、貨幣中心経済にして果たして
成功したかは疑問です。

彼が失脚しなくても、成功は難しかった
んじゃないですか。
    • good
    • 0

歴史にもしはありません。

 

失脚しなくても、他の事情に大きな変わりはないのでしょう。
江戸幕府、徳川御三家の意向は、基本的に同じなのです。

第10代将軍家治が50歳で病死したため、1787年に15歳で第11代将軍に就任する。家斉が若年のため、家斉と共に第11代将軍に目されていた定信を御三家が立てて、家斉が成長するまでの代繋ぎにしようとしたのである。
松平定信は、旗本御家人らの財政を商業資本の圧迫から解放するためという名目で「棄指令」を出し、札差が彼らに貸し付けている債権を破棄させたり、一部を軽減させたりした。大名たちが元禄バブル崩壊期に「お断り」と称して商人からの借金を実質的に踏み倒した例はあっても、幕府が法令を出して旗本御家人の借金を踏み倒したというのは、江戸時代二百六十余年の中でこの時だけである。

田沼が失脚しなくても、松平が老中首座にならず、田沼が老中首座であり続けたところで、御三家や将軍のスタンスは田沼の政策支持ではなくなるのです。

松平定信の「寛政の改革」にだけは"明日のための政策″がなく、彼が忌み嫌った田沼意次の政策が全て"明日のための政策"だったことと鮮やかな対照をなしている。この点、「天明の大飢饅」対策として米の自由な流通の実現を押し出した田沼の政策と、自藩さえ助かれば良いという藩エゴイズムの立場を貫いた定信の政策の違いを、改めて想起されたい。

御三家を始め譜代門閥層を結集して作り上げた松平定信の反動政権がわずか六年しかもたなかったことは、重要です。 
御三家を始め譜代門閥層には、堅固な政策的目標意識はなく、自分たちの感性と利得を重視する、ごくごく普通の生き方をしているのです。

「将軍と側用人の政治」 大石慎三郎 の締めくくりの文章は、「もし、田沼意次政権が倒れずに、「側用人の時代」がそのまま続いていたとしたら、その
時点でおそらく通貨の一本化は実現していただろうし、鎖国も解かれていただろうから、日本は一世紀も早く「近代国家」に足を踏み入れていたと考えられる。しかし、」 となっています。 
政治権力の中枢で、「家」を重視する多くのヒトがいる中で、一人の老中が強い決意であと30年間ガンバッたとしても、もちろん、それなりの功績・結果はあるでしょうが、結局、揺り戻されるでしょう。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8D%97%E9%90%90 …
    • good
    • 0

学者将軍徳川綱吉は金の産出が枯渇するのを、予想して、紙幣を発行。


田沼意次は民間投資で財政の立て直しを図りました。
水野忠邦は、商人から売上税(消費税)を徴収しました。

3っ共、当然ながら、世の中の理解を得られず、失敗に終わりました。
発想は実行出来て、初めて評価する物であって、出来ななかった物
は、絵にかいた餅なので、評価するに値しないのです。

それに、たらればの、尾ひれを付けての、で評価を加えたのは、本を
売り出しての印税稼ぎとしか思えないです。
    • good
    • 0

過大評価です。


幕府の重農主義というか農業偏重主義を修正したでしょうけど。
    • good
    • 0

もし資本主義になっていたら、もっと最悪で極悪な格差社会になっていたでしょうね


歴史にもしはありません
結果のみが全て
    • good
    • 0

失脚したんだから、政策が時代に合わず失敗だったのです。


時勢を見る目がない。
    • good
    • 0

お探しのQ&Aが見つからない時は、教えて!gooで質問しましょう!