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南北戦争まで鹿児島で大きな反乱が起きなかったのは、西郷隆盛が士族達の不満を抑えていたからみたいですが、西郷隆盛はどのように不満を抑えていたのでしょうか?

A 回答 (2件)

当時の西郷は大きな大名並みの処遇を受け、日本有数の富豪になっていた。


その財力で、西郷を慕う士族たちの生活の面倒をみていた。

士族たちは、西郷のカリスマ性に心酔していただけではなく、西郷に生活の面倒まで見てもらっていたわけだ。
そんな状況では、他の場所の士族が反乱を起こした時などに、西郷に決起を促したり不満を訴えることはできても、西郷の意向に逆らうことは無理だったでしょう。

西南戦争前には、政府が鹿児島の動向を警戒して密偵を送り込むなどして士族の不満が盛り上がったが、決定打は鹿児島にあった陸軍省の武器弾薬と弾薬製造設備を密かに持ち去ったことだろう。これらは元々薩摩藩士がお金を出し合って購入したものだ。だから、士族は政府の泥棒行為に怒りが頂点に達した。
ここに至っては、さすがの西郷も士族の怒りを抑えきれなかったということだろうか。時間を経れば、日本にひとつしかなかった弾薬生産設備の有無が戦いの行く末を決してしまうからだ。
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幕末の薩摩藩、藩主の影響力でしっかりとまとまってました。


お由良騒動というゴタゴタはありましたけど、下手なことをすると幕府に睨まれるので、表向きは穏やかに解決。西郷は島流しの最中で、ゴタゴタの中心からは外れてました。
西郷不在中は、大久保が代わりに若手を抑えてました。西郷の帰還を待てという理由を大義名分にしてた節があります。
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