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太平記によると、後醍醐が死に際に次のことを言ったことになっています。

<唯生々世々の妄執にもなりぬべきは、朝敵尊氏が一類を亡ぼして、四海を泰平ならしめんと思ふこの一事ばかりなり。>

気になったのは、妄執という言葉を使っていることです。
妄執とは、迷った心で物事に深く執着すること、ですね

他者が、後醍醐を評して妄執と言っても差し支えないでしょう。
しかし、後醍醐は例えば信念と言っても、自分自身で妄執とは言わないと私は思います。(彼は反省している様子もありません)

質問は、何故、後醍醐が死に際に妄執と言ったのでしょうか?

A 回答 (4件)

古代中世では、臨終の際では己の極楽往生を願うのが普通なのに、そんなことより武家政権討滅を願う強烈な「執念」を際立たせ、後に後醍醐自身の怨霊が出現する伏線として、敢えて「妄執」と言わせたのではないでしょうか?


「成仏などしないで、魂は現世に留まり続ける」という後醍醐の宣言ではないですかね?
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この回答へのお礼

早速のご回答ありがとうございます。
御醍醐は開き直って、妄執と言われようと
<成仏などしないで、魂は現世に留まり続け><朝敵尊氏が一類を亡ぼ>すという<宣言>なのですね。

お礼日時:2022/11/27 15:09

お礼について〈地の文の中で、あるいは他者が妄執と評するのは不自然ではありませんが、後醍醐が自ら妄執と言ったことが不自然です。



確かに不自然です。それでも後醍醐本人に妄執と言わせたかったのは、推測ですが、後醍醐の死後の太平記は、弱体化した南朝側の怨霊が跋扈して圧倒的優勢な北朝側を混乱させ、南朝側への寝返りを度々誘発させるなど、南朝の怨霊が大活躍する展開となります。

後醍醐は死後も、自分の妄執を残して怨霊たちに悪さをさせていた。そういう雰囲気を醸し出そうとしていたのかもしれません。
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この回答へのお礼

再度の御回答ありがとうございました。
<確かに不自然>ですね。
私は<そういう雰囲気を醸し出そうとしていた>作者の勇み足だった、と思っています。

お礼日時:2022/11/24 09:02

作者の創作です。


太平記は、後醍醐天皇については批判的な記述が目に付きます。
鎌倉幕府との戦い辺りまでの評価は高いのですが、建武の新政辺りからは、新政府の崩壊と南北朝の分裂を招くなど、混乱と戦乱の時代にしてしまった徳のない天皇として描かれています。

また、太平記は、世界的名作でもある平家物語を参考に、後醍醐天皇を平清盛に見立てた、南朝側の栄枯盛衰を描いた大作と考えれば分かりやすい。
だから後醍醐天皇の死の描き方は、平家物語で熱病にうなされながら死んでいった平清盛のように悪く書かれなければならなかった。

だから後醍醐に妄執と云わせたのでしょう。
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この回答へのお礼

早速のご回答ありがとうございます。
<作者の創作>ですね。
しかし、その創作の中で、”何故、後醍醐が死に際に妄執と言ったのでしょうか?”が質問です。地の文の中で、あるいは他者が妄執と評するのは不自然ではありませんが、後醍醐が自ら妄執と言ったことが不自然です。

お礼日時:2022/11/23 17:58

言ってません。

作者の創作です。太平記は、歴史書でなく文学作品であります。
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この回答へのお礼

早速のご回答ありがとうございます。
<作者の創作>ですね。
しかし、その文学作品の中では、”何故、後醍醐が死に際に妄執と言ったのでしょうか?”が質問です。(事実かどうかは別にして)

お礼日時:2022/11/23 17:28

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