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折口信夫『死者の書』第6章に

「その女人は、日に向ってひたすら輝く伽藍(がらん)の廻りを、残りなく歩いた。」

という文がありました。

この文の切り方は、以下のどれでしょうか。
1その女人は、日に向ってひたすら歩いた。輝く伽藍の廻りを、残りなく歩いた。
2その女人は、日に向って歩いた。ひたすら輝く伽藍の廻りを、残りなく歩いた。
3伽藍は、日に向ってひたすら輝いている。その女人はそんな伽藍の廻りを、残りなく歩いた。


また、伽藍とは、
寺院にある「一つ一つの建物」を指すのか(金堂、本殿……それぞれ「伽藍」と言えますか?)、
それとも寺院「全体」を指すのか、
教えていただけますと幸いです。
その女人は、一つ一つの建物をそれぞれ一周回ったのか、それとも、寺院を一周回ったのか、確認したいです。

以上、よろしくお願いいたします。

____
その段落の全体の文脈は以下の通りです。
「その女人は、日に向ってひたすら輝く伽藍(がらん)の廻りを、残りなく歩いた。寺の南境(ざかい)は、み墓山の裾から、東へ出ている長い崎の尽きた所に、大門はあった。其中腹と、東の鼻とに、西塔・東塔が立って居る。丘陵の道をうねりながら登った旅びとは、東の塔の下に出た。」

青空文庫 折口信夫『死者の書』
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質問者からの補足コメント

  • NO.1さん、NO.2さん、NO.3さん、それぞれ違う角度からご回答くださいまして、私にとって全員ベストアンサーなので、ベストアンサーを決めかねており、悩んだ末、ベストアンサーを選ばずに質問を締め切らせていただくことにしました。申し訳ございません。
    皆さん、誠にありがとうございました!

      補足日時:2023/02/07 13:26

A 回答 (3件)

>この文の切り方は、以下のどれでしょうか。



どれでもない。

その女人は、伽藍の廻りを残りなく歩いた。
その伽藍は、日に向ってひたすら輝いていた。

でしょう。

「伽藍」は、通常は「金堂、本殿……の建物から成る寺院全体」を表します。
「伽藍の廻りを」という表現が気になっていますか?
「全体を一つ一つ見て歩く」ことを「巡る、回る」「全体を見て回る」というように、この「伽藍の廻りを」とは「伽藍の全体を巡って」という意味です。
従って、「残りなく」とまで付け加えられていますから、その女人は「伽藍全体をくまなく巡って歩いた」ということでしょう。
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この回答へのお礼

NO.3 さん、ご回答いただき、ありがとうございます。

おっしゃる通りで、「伽藍の廻りを」という表現が気になっていました。
わかりやすく言い換えてご説明いただき、ありがとうございます!
よく分かりました。

また、
「その女人は、伽藍の廻りを残りなく歩いた。
その伽藍は、日に向ってひたすら輝いていた。」と、
二つの文の順序と、「ている」と「ていた」の間違いをご指摘いただき、ありがとうございます:)

お礼日時:2023/01/31 23:45

寺院の周囲(外側)をぐるっと廻ったのではなくて、中に入って多くの建物をみてまわったと書かれています。


遅い朝としても3月の日の光を受けて新築寺院の伽藍が輝いていたのです。

  ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

日は仲春、空は雨あがりの、爽やかな朝である。高原の寺は、人の住む所から、自ら遠く建って居た。唯凡、百人の僧俗が、寺中に起き伏して居る。其すら、引き続く供養饗宴の疲れで、今日はまだ、遅い朝を、姿すら見せずにいる。
門をはいると、俄かに松風が、吹きあてるように響いた。
一町も先に、固まって見える堂伽藍――そこまでずっと、砂地である。
白い地面に、広い葉の青いままでちらばって居るのは、朴の木だ。
まともに、寺を圧してつき立っているのは、二上山である。其真下に涅槃仏のような姿に横っているのが麻呂子山だ。其頂がやっと、講堂の屋の棟に、乗りかかっているようにしか見えない。
その女人は、日に向ってひたすら輝く伽藍の廻りを、残りなく歩いた。寺の南境は、み墓山の裾から、東へ出ている長い崎の尽きた所に、大門はあった。其中腹と、東の鼻とに、西塔・東塔が立って居る。丘陵の道をうねりながら登った旅びとは、東の塔の下に出た。
姫は、大門の閾を越えながら、童女殿上の昔の畏さを、追想して居たのである。長い甃道を踏んで、中門に届く間にも、誰一人出あう者がなかった。恐れを知らず育てられた大貴族の郎女は、虔しく併しのどかに、御堂御堂を拝んで、岡の東塔に来たのである。
女人の身として、這入ることの出来ぬ結界を犯していたのだった。
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この回答へのお礼

NO.2さん、

第6章と第7章の段落を発生時間で改めて並んでいただき、ありがとうございます!こうして読んでみると、「伽藍の廻りを、残りなく歩いた。……旅びとは、東の塔の下に出た。」は「御堂御堂を拝んで、岡の東塔に来たのである。」のことだろうと、やっと納得できました。

おっしゃる通りで、私は「寺院の周囲(外側)をぐるっと廻った」と誤解していて、門に入ったじゃないの?どうしてまた寺院の外側に行ってしまったんだろう?と混乱してしまいました。

ご説明いただき、よく分かりました。ありがとうございます:)

お礼日時:2023/01/31 23:44

「その女人は(主部)、日に向ってひたすら輝く(連体修飾部)伽藍(がらん)の廻り(被修飾部)を、残りなく歩いた(述部)。



その女人は」「歩いた」。これは本文中にある唯一の主述関係です。
日に向ってひたすら輝く(連体修飾部)+伽藍(がらん)の廻り(被修飾部)を これは修飾被修飾関係にある部分です。
「伽藍(がらん)の廻りを」は「歩いた」の対象または場所を表します。
文の切り方は、これらの関係が明瞭になるようにすれば、問題ありません。

本文はご提示の通りですから、最終的に寺院を一周回ったことは明らかです。
また、伽藍は、寺院にある「一つ一つの建物」も指しますから、金堂、本殿……それぞれ「伽藍」と言えますし、寺院「全体」をも指します。
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この回答へのお礼

NO.1さん、
文の構造を分解し、文法を細かくご説明いただき、ありがとうございます!

辞書で調べたら「ひたすら」という言葉は「そのことだけに意を用いるさま。もっぱらそれだけを行うさま。」という意味らしいので、「輝く」を修飾できるかなぁと迷いましたが、
ご説明いただき、「日に向ってひたすら輝く」を一つの修飾節とみて大丈夫ということがよくわかりました!

ありがとうございます:D

お礼日時:2023/01/31 23:44

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