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うちの先祖は山陰の尼子家の家臣から江戸時代に入ると、長州藩に取り立てられたらんしいですが、そんな流れあるんでしょうか

A 回答 (4件)

うーん考え難い例だとは思います。



毛利は尼子や陶を倒して中国全土に支配領域を広げましたから、江戸時代になる前に取り立てられたならば、まだ分かるのです。

しかし江戸に入ってしまうと毛利は西国一の大名格から、長州一国の小大名に落ちぶれます。上杉なんかも同様ですが、石高が減らされると、それまで抱えていた家臣をどうやって食わせるか。あるいは解雇するか。そのへんで精一杯になって、新たに家臣を取り立てる余裕なんて江戸時代の前期中期には無かったはずです。

江戸後期になると長州は密貿易などして儲かりますから余裕が出始めます。この時期ならば、家臣の中で才ある者は取り立てられたと思いますが、それも長州の領内の話でしょう。

尼子の支配地域で暮らし続けていた人間が、突然に江戸期の長州で取り立てられるなんて考え難いです。
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尼子氏は毛利に敗北し、滅亡した戦国武将ですからね。


残された家臣団は散らばって各自が自力で生活しておりました。一部は他の武将に拾われたり、江戸時代に入ってからも諸藩に仕官活動をしていたでしょうから、長州藩に拾われた人がいても不思議はないでしょう。
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徳川幕府まだまだ完全統治しきれない地域は


領主間でまだまだ自由でした。

人材募集ですね
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尼子は滅びたあと、毛利家=長州藩に吸収されたと高校の時、吉川(きっかわ)先生が話してました。


だからそういう流れはあったでしょう。
吉川先生は尼子所領地を守ろうとした吉川家の末裔です。
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