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こんばんは、
大化以前、中大兄と中臣鎌足が主謀した暴虐の以前、
の勢力関係で真実に近い説を教えて下さい。
確か「蘇我〇〇は天皇だった」と言う著作も有ったと思います。
宜しくお願いします。

A 回答 (2件)

蘇我一族は、物部などの古豪一族に勝利した馬子は、事実上の巨大な実力首相として采配を振るっていたことは間違いない。


外国の外交使節からみれば、王のように振舞っており、天皇かと思われたとしても不思議はない。当時は女帝も多かったですからね。男尊女卑の国から観ればそういう理解であったとしても何の不思議もない。
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この回答へのお礼

天皇家はお飾りですから外国から見たらそうなるのかも、

どうもありがとうございました。

お礼日時:2023/06/10 21:35

蘇我入鹿は天皇家を支える最大の豪族でした。



蘇我入鹿が暗殺されたのは、彼が暴虐をつくしたのではなく、政治の主導権をめぐる朝廷内の権力争いと蘇我家内の対立によるものだといわれていますね。

現在みつかっている蘇我入鹿の屋敷後は天皇家を守る位置にあり、日本書紀に書かれているように「天皇家を見下ろす位置に宮殿をたてた」というのは事実と異なります。

また蘇我氏が聖徳太子(厩戸皇子)の子である山背大兄王に軍勢をむけ殺害したことも批判されていますが、現在の研究ではその軍勢の中に皇族も参加していたことも明らかになっていますし、そもそもその山背大兄王討伐軍の将軍となった巨勢徳太は、大化の改新後の政府で左大臣に任命されています。

蘇我入鹿(wiki)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%98%87%E6%88%91 …
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この回答へのお礼

蘇我氏がかなり天皇家を補佐して来た、と言うのは事実に近いのか?
であれば入鹿とかが目立ち反感を買った、と言う事でしょうか?

どうもありがとうございました。

お礼日時:2023/06/10 21:34

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