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このような系図で、まずピピン1世はいいとして、その娘「ベガ」が結婚して孫の名前が「ピピン2世」となっていますが、この当時は実際にピピン2世という名前を親である「ベガ」と「アンぜギゼル」が考えたのでしょうか?それともマニュアル通り?

その後に続く「ピピン3世」についても同じですが、この親は「ピピン家系が今どこまで続いているからマニュアル的にピピン3世になるよね」ということで機械的に命名したのでしょうか?

それとも実際にはちゃんとした固有の名前を付けていたけど、後でこの当時の歴史を記した人が勝手にピピン1、2、3世と名前を上書きしたのでしょうか?

「このような系図で、まずピピン1世はいいと」の質問画像

質問者からの補足コメント

  • 別件ですが、カール2世が別名「シャルル禿頭王」となっていますが、なぜハゲ頭王と書かれているのですか?
    嫌がらせでしょうか?

      補足日時:2023/06/14 22:57

A 回答 (5件)

No.2です。


カロリング朝においては、子供の名付けは自由というわけではなく、いくつかの原則に縛られていました。基本的な規則は、新生児には先祖にちなんだ名前を付けるというものでした。ルートヴィヒ1世の子供から後は殆どの場合、この規則に従っていて、兄弟が多い時だけ先祖の名前が不足するので兄弟で同名にならないよう、例えば第三子にロタールという初出の名前を付けています。ルイはルートヴィッヒにちなんだ名前です。

しかし、ピピン1世~小ピピンの時代までは、まだ宮宰であり、カロリング朝が創始されておらず、この原則に縛られていません。ですから、アダルギゼルとベガが子供にピピンの名前を付けなければいけないということはなかったのです。それでもピピンと同じ名前を子供に名付けたのは、父ピピンの名声を利用した権威付けによって、部族内での権力と地位を保とうという意図があったからと考えられます。
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No.2です。


No.4で寝ぼけて間違えて書いたところがあるので訂正です。
ロタールは第三子ではなく長子です。この時点ではまだ新生児に先祖の名前にちなんだ名付けをするという原則に従っていません。
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No.1です。



>またピピン1世の娘さん「ベガ」については女性だから「ピピン1世」の跡を後継できないというルールは分かるのですが、息子さん「グリモアルト」は男性なので、その時点でこのグリモアルトが後継で「ピピン2世」になるのではないのですか?

おっしゃっている意味というかイメージがよくわからないのですが、その時代やその家系において、後継者となるべき長子や男子に(偉大な)親や先祖の名前を付けなければならない、という決まりがあったとは限りません。
ピピン(1世)の息子のグリモアルトが、もし長生きして父親よりも偉大な功績を残していたならば、その後継者はグリモアルトにあやかって「グリモアルト」という名を選んで付けることになったかもしれません。
そもそも、ピピン1世とか2世の時代は、まだ長子相続とは限らず、実力主義で家督を奪い合う時代です。「長男は生まれたときから後継者になることが確定」とは決まっていない時代です。だから「長男は後継者だからピピンと名付ける」というルールもマニュアル(?)もまだ確立していません。逆に「うちの息子は偉大な先祖の後継者となる資格がある」と主張して政治的な地盤を固めるために、子供に偉大な先祖ピピンの名を付ける、という発想はあったでしょうね。

質問者さんは、例えばルイ13世意向のブルボン王家で、王の後継者である長男が「ルイ」と名付けられたこととか、日本で言えば家康以降の徳川家の長男が「竹千代」と名付けられたこと等をイメージしているのかもしれませんが、むしろブルボン王家での「ルイ」の多さは珍しく、それで「ルイ王朝」と呼ばれたりするくらいなのです。ルイ13世以降のブルボン王家の血筋の正当性を示すためにあえて「ルイ」と付けたとか、当時のフランスで「ルイ」が王侯貴族に人気のある名前だったとか、諸説あるようですが、ルイ13世以前のフランス王は長男でもフィリップだったりシャルルだったり、ルイ以外の名前も多いんですよ。
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「~世」というのは後の歴史家が便宜的に付けたもので、ピピン2世は本来は単に「ピピン」という名前だけしかありません。

祖父のピピンが偉大だったので、両親が祖父の名と同じ名を付けただけです。名付けのルールがあるわけではありません。ベガと結婚したアダルギゼルは、義父ピピンの名前を子供に付けることによって、ピピンの権威と威光を自分の血統が受け継いでいることを強調したかったのでしょう。

ピピン2世は同時代の人間からは「ピピン」もしくは居住していた場所の地名と一緒に「エリスタルのピピン」と呼ばれていました。
エルスタル(エリスタル)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A8%E3%83%AB …

他のピピン~世も、本来はピピンという名前しかありません。偉大な(と両親が考える)先祖と全く同じ名前を子供に付ける習慣があったのです。これは部族社会では良くあることです。

しかし歴史家にとっては、同一王朝で同名の人間が複数いる場合、名前だけでは紛らわしいので、古い方から順番に1世、2世、3世と付けて区別しているのです。

「禿頭王」、「肥満王」、「単純王」などは、あだ名です。国王の名前を身体的・性格的な特徴で呼ぶことはヨーロッパでは良くありました。ただ、その言葉の意味は現代語の意味とは異なる場合もあります。禿頭王はカール大帝と容貌が似ており、恐らく禿げてはおらず、白くて美しい髪の毛であったようです。禿頭は美しい白い髪のことを形容した可能性があり、現代の禿頭の意味とは異なると考えられます。肥満王は実際に太っていたようですが、肥満王というあだ名は在世時の9世紀のあだ名ではなく、12世紀に年代記作家によって名付けられて広まったものです。「単純王」の「単純」は馬鹿ということではなく、裏表のない性格という意味です。
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この回答へのお礼

ということは、別に親が国王として凄い人材であっても、親はピピンにこだわる必要もなく自由に名前はつけれたのですか?

世間体を気にして、国王と同じ名前にしておこうかなという心理も働いていたのでしょうか。

お礼日時:2023/06/15 17:40

そういう「○世」ってのは、国王として何人目のピピンかってことですから、少なくとも生まれたときから「ピピン2世」という名前だったわけじゃないし、生前のピピン2世が自分で「2世」と署名したとか名乗ったとかいう記録がなければ、他称か、後世の呼称ってことになりますよね。


つい最近、即位してイギリス国王になったチャールズも、即位前はチャールズで、即位して初めて「チャールズ3世」って名乗ってますね。現代のように王位継承権第一位の皇太子で、即位は確実でも、即位前は「○世」って名乗らないですね。その「○世」は国王としてのものだから。

君主以外の例だと、例えば作曲家で、ヨハン・シュトラウス2世とか、オスカー・ハマースタイン2世とか、父子で同名だから区別するために1世2世を付けて呼ぶことがありますけど、それは後から区別のために付けた呼び名であって、「2世」を含んでの出生名じゃないですしね。

>別件ですが、カール2世が別名「シャルル禿頭王」となっていますが、なぜハゲ頭王と書かれているのですか?
>嫌がらせでしょうか?

現代の価値観で「禿頭」=揶揄の対象=嫌がらせ。と考えてはいけないようです。また、実際の頭髪のことではなく、他の事柄の比喩だという説もあるようです。

・シャルル2世(西フランク王)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B7%E3%83%A3 …
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この回答へのお礼

なるほど。
ちなみにですが、チャールズ3世は名前がチャールズ・フィリップ・アーサー・ジョージと長い名前になっていますが、当時のピピン2世、3世についても同じようにピピン・〇〇・〇〇という風な名前が親によって命名されていたのですか?

またピピン1世の娘さん「ベガ」については女性だから「ピピン1世」の跡を後継できないというルールは分かるのですが、息子さん「グリモアルト」は男性なので、その時点でこのグリモアルトが後継で「ピピン2世」になるのではないのですか?

お礼日時:2023/06/15 00:12

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