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日本の時代劇の漫画を見ていたんですが。
いつの時代かわかりませんが、河を渡りたい客がいて、業者が、客を肩車して河の中を歩き、向こう岸まで連れていくというシーンがありました。
業者は普段は渡し舟に乗っているのかもしれず、普段はその舟に客を乗せて向こう岸まで連れていっているのかもしれませんが、雨で河の水かさが増しているし流れも強いから特別に今回だけ、というわけでそうしたのかもしれません。でもその漫画ではさらにもう一人の業者が肩車で客を向こう岸まで連れて行っていました。
そういうふうに、肩車で向こう岸まで客を連れて行く業者っていたんですか?
いたとしたら、何時代にいましたか?

質問者からの補足コメント

  • もうわかりました。もうアンサーくださらなくてよいです。

      補足日時:2023/08/02 11:53
  • みなさんすごいですね!びっくりです!
    ほんの10分くらいのあいだに、こんなにいただけるとは思いませんでした。
    みなさんどこで知ったんですかね?
    簡単にアンサーいただけるような質問ではないと思っていました。

      補足日時:2023/08/02 11:59
  • 漫画家の方の嘘かとも思ったのですが、ほんまやったのでびっくりです。
    かつて梅図かずおさんの漫画で、東大寺の大仏制作中、熱銅といっしょに人を一人流し込むという話があって、それがほんまかどうかうかがったときは梅図さんの嘘でした。

    嘘やったりほんまやったり、いろいろあるもんですね。

      補足日時:2023/08/02 14:12
  • みなさんありがたくて、ほんまやったらベストアンサーを差し上げることができません。
    一人にしぼれるもんではないからです。でも、せっかく質問したんやからだれかに差し上げたほうがいい、そう思いましたんで1pakuさんに差し上げることにいたしました。子連れ狼というのが気になったもので。
    他の方々すみません。またよろしくお願いいたします。
    お返事くださいまして、ほんまにありがとうございました。

      補足日時:2023/08/02 14:22
  • 紹介していただいたサイトも面白かったですね。
    家康に考えがあって、大井川には橋が建設されなかったので、人足という商売ができたってことなんでしょうね。
    そのときの水の深さによって、人足に払う料金が変わるというのもおもろいですね。
    水かさが増すと「今日は稼げそうだ。」と言って喜ぶ人足もいたかもしれませんね。

    1pakuさんに書いた私のお礼も、私はわかってませんでしたね。渡し舟がなかった訳は家康の方針のためやったんですね。また、幕末がすぎてから人足がいなくなったのは、家康の方針が変えられておそらく橋が造られたからなんでしょうね。

    みなさん、ほんまにありがとうございました。

      補足日時:2023/08/02 14:43

A 回答 (5件)

大井川の渡し人足。

江戸初期から、幕末まで。
一番安いのが、人足一人が肩車。ややお金がある人は人足4人で専用の輿に乗せて。渡し舟はなし。泳げるからと、勝手に渡るのも禁止。
「子連れ狼」で拝一刀が、渡し人足に混じって、刺客のチャンスを待つ話がありました。
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この回答へのお礼

お返事ありがとうございます。

そうですか、幕末までですか。人足という仕事がいいものではないから終わりになったんでしょうね。また、いいものでないから江戸初期より前にはあまり人足はなかったんでしょうね。

渡し舟はなんと、なかったんですか!
勝手に渡るのも禁止ですか。
そういえば、舟で河を渡るとしたら、ななめに進んで岸にたどりつくことになりますね。まあでも、海外ではありましたね。ミ・ファミリアという映画でありました。ただ、こっちの岸から向こうの岸にロープを張って、そのロープをつかみながら渡ってました。

子連れ狼にそんなシーンがあったんですか。そしたら私の親の世代の人は結構、人足という仕事があったことを知っている人は多かったのかもしれませんね。そのシーン見てみたいです。

勉強になります、ほんまにありがとうございます。

お礼日時:2023/08/02 12:47

昔から渡しの人は居ました。

江戸時代がメインですが、大抵の川は橋ががかってませんから。大井川の渡しとか、四人で台を作って担いだ上に人と荷物を置いて川を歩いて渡ります。女の人は人足におんぶして貰って渡ります。
東海道線の絵図にも書いてあります。道が途切れたところの浅瀬では渡し人足が多くたむろしています。あの世に行くときは六文銭を持たすのもそのお金だと言われています。
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この回答へのお礼

お返事ありがとうございます。
江戸時代がメインですか。その前までの人たちは、そこまではあんまりしなかったというわけですね。

そうですか、たいてい橋ってかかってませんでしたか。富山県の神通川にはかつて、船をつないで作った橋がかかっていたといいますが、それにしたって即席な橋で、まともな橋ではないですしね。

おんぶやと半分体が水に浸かるんやないですか?

東海道線ってJRのですよね?今度見てみたいですね。

>あの世に行くときは六文銭を持たすのもそのお金だと言われています。

面白いですね。(笑)
三途の川は、運が悪いと舟ではなくて人足になりそうですね。


ほんまにありがとうございます。

お礼日時:2023/08/02 12:27

江戸時代、川を渡るには主に2つの方法がありました。

1つは、川越し人足の手を借りて歩いてわたる方法です。旅人が人足に肩車をしてもらったり、輩台(れんだい)に乗って担がれていく方法です。これを徒歩(かち)渡しといいます。もう1つが渡し船を利用するもので、船渡しといいます。

これは国土交通省のホームページに載ってました。
映画でそういう場面を観たことがあります。
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この回答へのお礼

お返事ありがとうございます。
輩台や徒歩渡しなど、勉強になります。
その映画見てみたいですが、徒歩渡しの映像があったらもっと見てみたいですね。
いや~、こやぎさんたちの知識量にびっくりです。
ほんまにありがとうございます。

お礼日時:2023/08/02 12:10

https://www.city.shimada.shizuoka.jp/shimahaku/d …

江戸時代の話だと思います。
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この回答へのお礼

ほんまにありがとうございます。よくご存じですね。
びっくりで、恐れ入ります。

お礼日時:2023/08/02 12:03

江戸時代の大井川の渡し


https://www.city.shimada.shizuoka.jp/shimahaku/d …
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この回答へのお礼

サイトの紹介ありがとうございます。サイトは間違いないですからね。
よくご存じで、ほんまにびっくりです。

お礼日時:2023/08/02 12:02

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