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現在、修学旅行に向けて天龍寺の調べ学習をしています。この寺は度重なる焼亡や破壊が繰り返されたのにも関わらず毎回再建されています。無くなったらそのままにしておかず、わざわざ再建するのはなぜなのでしょうか?何か大きな存在意義があったのでしょうか?

A 回答 (3件)

天竜寺は足利尊氏が後醍醐天皇の怨霊を鎮める目的で創建しています。

当時の人たちは、恨みを抱いたまま人が亡くなると、死後に祟りをなすという迷信を信じていました。『太平記』にも、そうした考え方が反映されている記述があり、後醍醐天皇の怨霊を当時の人たちが怖れていたことが分かります。そもそも足利尊氏が後醍醐天皇を裏切って室町幕府を開いて南北朝時代となったわけですから、足利尊氏ら北朝を擁する室町幕府側からすれば、自分たちは後醍醐天皇から恨まれていると考えます。ですから、祟りで災厄が起こることを怖れると共に、人心を掌握するためにも、後醍醐天皇を供養する寺の創建が必要だったのです。他にも幾つか理由はありましたが、後醍醐天皇の霊魂を鎮めるために足利尊氏が開基となって天竜寺を創建したのです。

ところが、足利尊氏がまだ生きていた1358年1月に天竜寺最初の火災が起こって伽藍が焼失します。当然、後醍醐天皇の怒りが鎮まっておらず、そのために大火が起こったのではないかと人々は考えるため、放置しておけば幕府の権威に傷が付くことになります。しかも同年4月に足利尊氏が亡くなってしまいますから、残された人たちは、後醍醐天皇の祟りで天竜寺に大火が起こって伽藍が焼失し、尊氏までも、あの世に連れて行かれたのではないかと不安を抱いてしまうわけです。ですから再建を行って後醍醐天皇の霊を鎮めなければなりません。ところが、それから9年後に、またもや火災で伽藍が焼失します。結局、天竜寺は創建から40年の間に4回も大火に見舞われます。もしも再建せずに放置したら、他にも何か災厄が起こったときに後醍醐天皇の怨霊による祟りと噂され、それを放置した室町幕府から人心が離れ、幕府の権威や威信も失墜してしまいます。ですから毎回再建を行ったわけです。

しかし、応仁の乱で天竜寺が焼失する頃には室町幕府の力も衰えたため、経済力がなくなり、再建は行われなくなります。しかし、16世紀後半に豊臣秀吉が権力を握ると、人心掌握の目的もあって天竜寺を再建していますし、慶長伏見地震で建物が倒壊したときにも同様に徳川家康が復興させています。天皇を弔う寺を莫大な費用で再建することは、自分の力を世間に見せつける意味があり、再建する権力者にとっては政治的な利益があったのです。
その後、幕末に蛤御門の変で大火災となって伽藍が焼失しますが、明治維新後は北朝の天皇が権力を握り、しかも廃仏毀釈で寺を破壊して神社を優遇する政策がとられたために放置され、明治の後半になってやっと再建されています。
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足利尊氏が後醍醐天皇を弔うためのお寺として創建されたということが大きいのではないでしょうか。



武家政治になって、源平交代思想という考え方がでてきます。平氏を倒したのが源頼朝、それを引き継いだのが北条(平氏)、その北条氏(平氏)を倒したのが足利尊氏(源氏)、足利幕府を倒したのが織田信長、織田信長は平清盛の子孫を自称していました。秀吉をおいて次は徳川家康、家康は源朝臣家康と若い頃からいっていたそうです。

天竜寺は大きな火災だけでも1358年、1367年、1373年、1380年、1447年、1468年、1815年、1864の8回となっています。1358年から1468年までは室町時代、1815年、1864年は江戸時代ですね。

室町時代は開祖は足利尊氏です。また江戸時代は源氏を名乗る徳川の時代ですし、1864年は幕末で尊皇思想がもりあがってくる時期です。ですのでメンツにかけても再建したのではないでしょうか。

私は専門家ではありませんので、私の妄想かもしれません。
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天龍寺が度重なる焼失や破壊にもかかわらず毎回再建された理由には、歴史的な背景や宗教的・文化的な意義が影響している可能性があります。



★ 天龍寺は、臨済宗の総本山であり、日本の禅宗の中心的存在です。禅宗は、仏教の宗派の一つで、修行や悟りの追求が大切視されます。このような宗派の寺院は、信仰の拠点としての役割を果たし、その存在が宗教的な価値や歴史的な伝統の継承に関わることがあります。再建はこのような宗教的意味合いに基づいて行われることがあります。

★ 天龍寺は、鎌倉時代から存在する歴史的な寺院であり、日本の歴史や文化に深く関わっています。再建は、その寺院が歴史的な価値を持ち、文化的な遺産を守るために行われることがあります。また、寺院は美しい庭園や建築物を有しており、これらの要素が日本の文化と芸術を代表するものとして大切視されることもあります。

★ 寺院は地域社会においても大切な存在です。地域の人々にとって、寺院は信仰の場だけでなく、様々な行事やイベントの場としても利用されます。再建は、地域社会の一部として寺院の存在を維持し、共同体の結びつきを強化する意味合いも持っているかもしれません。

これらの要因が重なって、天龍寺のような寺院が度重なる困難にもかかわらず再建されてきたのかもしれません。
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