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教科書に、「太平天国は、各地の新開発区や移住民社会の不満を吸収しつつ拡大しながら北上し、」とあったのですが、19世紀の清の新開発区や移住民社会に不満が溜まっていたのはどうしてですか?

A 回答 (2件)

アヘン戦争敗北後、清朝はイギリスと南京条約を結びます。

その結果、イギリスとの貿易は今までの朝貢貿易から自由貿易となります。しかも清朝に関税自主権のない不平等条約だったため、イギリスから安価な綿が輸出されてきても関税をかけることができません。国内生産の綿製品は輸入されてくる綿製品に価格競争で負けてしまうため、この結果、主に移住民たちが従事していた綿の手工業が壊滅してしまい、失業者が増大します。しかも、戦前からあったアヘンの密輸が戦後は公然と行われるようになって、新開地の失業者たちの間にアヘンが蔓延するようになります。

更に、中国とヨーロッパとの貿易は銀で決裁されていたため、アヘンの支払代金として大量の銀が清朝から流出します。そうなると銀貨を作る原料が国内で不足するため、銀貨の価値が高騰します。
清朝の税制は地丁銀制でしたから、税金は銀で納めなければなりません。このため、庶民は日常使われている銅銭を銀貨に両替して税金を支払うのです。ところが銀貨の価値が高騰したため、今までの銀貨と銅銭の交換レート(銀1両=銅銭1000文)では交換できず、銀貨を手に入れるためには今までの倍の銅銭(銀1両=銅銭2000文)が必要となります。つまり、事実上、大増税に等しい現象が起こったのです。

ヨーロッパとの貿易の結果、失業者が増えてアヘンが蔓延し、治安も乱れ、税金の支払いにも苦しむ人たちが太平天国に救いを求めるようになったのは当然の結果だったと言えます。元々、清朝は異民族の建てた国家ですから、こうした状況になったことで、政治が悪いのは異民族が支配しているからだという考え方にも繋がっていくのです。
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この回答へのお礼

とても分かりやすかったです!ありがとうございます!

お礼日時:2023/09/26 19:28

基本的には、異民族、つまり満州族による


漢民族支配、という大きな不満がありました。

そこに、外国の圧力に押され、外国貿易を開始
したので、物価が高騰し、農民や
貧民の不満が具体化した訳です。
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この回答へのお礼

なるほど!ありがとうございます!

お礼日時:2023/09/26 19:28

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