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日露戦争の旅順攻囲戦で日本陸軍満洲軍は203高地を攻略して占領し、ここから砲弾を旅順港に集結するロシア艦隊にあびせて全滅させたので、日本海軍連合艦隊は、日本近海における制海権を掌握することができました。

質問は日本陸軍の戦いについてです。

満洲軍の第三軍は旅順港を守る露要塞の攻略が成功せず、作戦目標を203高地占領に変更して、成功しました。

この203高地攻略作戦は、
①乃木希典第三軍司令官の起案によるもの(※)、と言う説と、
②児玉源太郎満洲軍総参謀長の起案によるもの、
と言う説があります。

どちらが正しいのでしょうか。詳しい方、教えてください。

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※第三軍の参謀が起案して乃木司令官が承認をした作戦であっても、「乃木希典第三軍司令官の起案による」作戦と考えます。

A 回答 (2件)

司馬遼太郎の小説では海軍の要請で参謀部が起案したらしいが、この間の事情はいまだ謎が多い。


陸軍の正式資料である日露戦争史自体そうとう事実からかけ離れているからである。
編纂者の大佐はあちこちの意向を最大限忖度したが、それでも大佐から昇進できず予備役編入された。

なにか別の資料が発掘されるのを待つしかない。
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この回答へのお礼

ありがとうございました。

お礼日時:2023/12/05 22:19

①の乃木の決断が正解。



第3回総攻撃前は、大本営が203高地を主攻撃にするよう決定を下し、満州軍総司令部は、それを受け入れず、引き続き要塞正面攻撃の立場だった。
乃木及び児玉の判断では第2回総攻撃までの観測砲撃で、旅順艦隊は無力化しているという立場だったことが、203高地攻撃の必要性無しとする根拠にしていた。
※実際に旅順艦隊は、日本陸軍占領地から見えない陰に潜む艦艇はあったが主力艦は砲撃されて事実上無力化していた。

それで大本営と満州銀総司令部の矛盾する指示を受けた第三軍は、両派に分かれて激論を戦わせるが、乃木の判断で満州軍総司令部の要塞正面攻撃に決定した。
しかし、最後の切り札と考えていた白襷隊が要塞突入に失敗すると、乃木は要塞正面攻撃派の説得を振り切って203高地を主攻に変更することを決定し、大本営と満州軍総司令部に伝達している。

203高地占領で、ロシア旅順艦隊はやはりその多くが失われていたことが判明したが、そこからの観測砲撃で文字通り全滅となった。
また、ロシア軍も203高地防衛に死力を尽くし、予備隊の大半を投入したため、バルチック艦隊来航という時間的制約から逃れた乃木第三軍の坑道を掘り進める堅実な要塞攻略作戦に防戦する術が無くなり降伏となった。
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この回答へのお礼

ありがとうございました。

お礼日時:2023/12/05 22:19

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