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老人ってもうすぐ死にますが、やっぱ死に怯えながら生きてるの?

A 回答 (39件中21~30件)

それはないんじゃない?


むしろ、若造の方がビクビクしてると思う。
君はお礼からして、欠陥的な性格だよね?
そんな生き方でやっていけるのか?
これから何十年も生きるんだろ?
かわいそうに・・・
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この回答へのお礼

何もない老人はやたら攻撃的でいけねぇや。
若者の戯言くらい笑って受け流さにゃ

お礼日時:2023/12/10 20:15

先の事はあまり考えずに


生きています。
何しろ10年位は、
癌や脳梗塞、心筋梗塞、
糖尿病で寝たきりになったり、透析したり、
介護されながら
世話になって
生きるので。
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■エリクソンの老年的超越理論というのがあります。



超高齢になって至るとされる主観的幸福感のことで、
近年の老人研究により、実証されるに至っています。
これによれば。

たとえ寝たきりになっても、90歳を過ぎると
苦痛も恐怖も無くなり、こんなに長生きできた、と
感謝の念に包まれ死ねる。

そういう人が多い。

こういうことが判ってきました。
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ちょっとちがうな。


毎日大事に生きている。
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一番死に怯えてた時期は、小学生のころだったな。


関東大震災、宇宙人の地球侵略、ノストラダムスの大予言と
あの時は本当に怖かったな。

今はいかに綺麗に死ぬかを考えてますし、かみさんも自分も延命は望んでいないので、苦しまずに死にたいです。
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老化によって、肉体はガタガタにされる。


最後は要介護、認知症など。歩けなくなり、目も耳も不自由になる。

それは、肉体が牢獄と化すのに等しい。
死は、そうした肉体の現実からの解放でもある。

だから、日蓮聖人は「歓喜の中の大歓喜」と説かれている。
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自分が10代、20代と比べると


思考がどんどんぼやけていくのがわかる

山の緑をみても、感動がうす~くなっていく

死にたいしても老人はそうした思考になってくんだろ
体のだるさや何か腰痛があったりしたら更に意識が分散される
しにたいしても麻痺していく部分はありそうだね

(怖くないわけじゃないけど、目の前に突きつけられるまで
痛みだとかくるしさが押し付けられるまで、想像できない状態)
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私の姑の例です。

94歳、一人暮らしですが、私が通ってお世話しています。


夫が以前姑に言いました。「保険には入っていないが、葬式代くらいは貯めているんだろ」と。節約が昔から趣味でそのまま続けている感じで、お葬式(いずれ訪れる死)のために意識した準備は、そばにいて観察してきた結果、何もしていません。意識の中から常に死を外に追いやっているふうに見えます。だから口の悪い夫が、もしもの場合の話を少しでもしようものなら、話題を変え絶対死に関係する話題には乗りません。嫌がります。

94だから充分生きたでしょ、と言う人もいるかもしれませんが、私の個人的感想ですけど、長く生きるほど生への執着が激しくなる人(姑)もいます。先日薬が3種類出されていることに不満を言って、担当医が1つ減らしてくれました。3種類なら少ないほうなんじゃないと聞くと「こんなに薬出されたら、私、薬で殺されてしまう」と真顔で言いました。どんだけ長生きしたいんだ!


老人になると、当たり前ですが死が非日常と言うより身近になってきます。時(とき)という漢字は上手くできていますよ。日に日に寺に近ずいてゆく、と解釈できます。あなたの質問に「もうすぐ死にますが」とありますが、それはあなたの老人に対する漠然としたイメージでしょ。私の周りの介護している友達(嫁の立場)は、急いで虹の橋を渡る気配もない、長生きの老人に「長生きだよね」と感心しています。

90歳になった実家の母親は姑と真逆。早くから葬式代の積立が目的の会の会員になりましたし、家族の負担が大きくなる時には施設に入れて、と自分から言ってパンフレットを読んでいた時もあります。親戚の誰々は呼ばなくていい(意地悪されたんだそう)とか、具体的に自分の方から、もしもの場合の話をします。苦労はしたけど子供たちに良くしてもらったし、後悔はないと言ってます。それだけ聞くと怯えていないように見えますが、それだけの準備をしてきたからかもしれません。

老人になるってある意味でよくできているところもあるなぁと感じています。記憶が自分に都合よく加工され、加工された記憶のみ残るのかもしれません。私はかなり嫁いびりされ、私にだけ飲み物がない、食べ物がない、ということも経験して悲しかったのですが、笑えますよ。「信じて。私が尽くしてくれる嫁に一言でも悪いこと言ったり、○○さんに(私の事)悪いことするわけないでしょ」って。いじめたことは簡単に忘れるんだと驚きました。記憶の中の自分はどうやら優しいお姑さんになっていて、私は自分の記憶の方が妄想だったのか混乱しました。それがボケるということなのか、それならボケるのも悪くないのかも。罪悪感というものが1ミリもない姑を見ていると、世話をしている私は複雑な思いになります。忘れるということが長く生きてゆくための防衛本能かもしれません。

私も60代になりました。友達は9割が年上なので70代の人とよく話をします。私から見ると70代の人は達観している感じがしました。元気な姿を覚えてもらいたくて、今のうちに友達と会っておくという人、断捨離している人、終活をしている人はあまり怯えていないように見えます。

思うに死があまり身近にない年齢の人が漠然とした不安で死に怯える気がします。

80代以上になると、一概に言えませんが、考えて面倒そうなことは考えないようにしているようで、開き直るというか死を忘れているように見えました。一部の人は強がりかもしれませんが、いつ死んでもいいと言ってました。私の友達、周りの高齢の人を見ていると、怯えながら、という言葉に該当する人はほとんど見ませんでした。保険のおばちゃんは80代でも現役、健康に恵まれて働いている80代と接していると、怯えてる感じがしません。これも個人的感想ですが、家族に恵まれている高齢者は、看取ってもらえる安心もあるのか、支えてくれる家族に感謝しながら与えられている時間を楽しく生きているみたいです。家族の影響はとても大きいです。

寄り添ってくれる人がいない高齢者はなかなか幸福感が得られません。生きていて楽しいことが少ないと感じている人は、先の時間に楽しみが予想できないので、いずれやってくる死に不安を覚える時間の方が多くなるような気がします。

回答になっていませんが死に怯えながら生きている人ばかりでないと言っておきます。

私の周りの老人は長生きの人ばかり。もうすぐ死にますが、ってどうしてそう言えるの?(そうとも限らないよ、と私が勝手に突っ込みました)と思ってしまいました。
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全然怯えてません。

必死で
生ききった、よくやったと
自分を褒めてあげたい。
から明日お迎えきてもいい。
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追記です。



ちなみに私は四十ちょい前、五年生存率五分五分と言われた癌でした。
なので直ぐに死ぬモノだとばかり……。
でもそれから癌は跡形もなく消滅してしまい長い長〜〜〜いオマケの人生を続行中です(・・;)
もう充分です。(^^)v
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この回答へのお礼

ばばぁ長生きしろよ!いいオマケを満喫するんやで

お礼日時:2023/12/09 14:23

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